5. 愛情表現
「自分の欲求に従ってあのまま最後までやってしまうようなら、ちょっとどうしようかなって考えてたんだけど」
隠れ家での夕飯のあと、僕はレンに呼び出された。
暗くなった森の中、人食い竜と一緒だなんて気が気じゃないだろうに、……というか、レンは僕をそういうふうには見ていないらしくて、ただ普通に、体育館裏に呼び出すくらいのテンションで連れて行かれた。
「キスで終わったから、良いじゃん」
あまりにも衝撃的過ぎて半分以上記憶はないけど、あのあと僕の方が上になって、彼女の胸を揉みしだいたり……こう、色々と、やったような、やってないような。
柔らかいものを掴んだ感覚が凄く手に残ってて……。あと、口の中が全部性感帯になったみたいに、ぼうっとしてたのはよく覚えてる。
あのまま最後までやったら多分気持ちよかったんだと思うけど、これはいけないことだって、頭のどこかではちゃんと分かってた。
だから最後まではやらずに、二人とも途中で正気に戻ったんだ。
「リサとは、そういう関係じゃなかっただろ。大体、君は竜で、彼女は魔法生物だって聞いてるけど」
「そうだよ。だから何」
「何じゃなくて。確かにね、僕だって君くらいの年齢の頃は、そういうことばっか考えてたよ、正直な話。異性の身体には興味ありまくりだったし、好きな子とチュッチュしたかった。けれど、それとこれとは別の話。いいかい、君は白い竜で、僕がずっと監視してる。何か起きても大丈夫なようにカメラがずっと回ってるの知ってて、あんなことやったのか。記録されてるんだぞ」
「なるほどね。見てるところでやるなって話? だったら気にしなくて良いよ。どうせ尻の穴まで見られるような生活してるんだし。僕が狂って化け物になる様子を見てるのと、感覚的には変わらないでしょ」
「またそうやって変な答えを返してごまかすんだよなぁ、君ってヤツは。そうじゃないだろ。性欲は抑えろって話。どんなに僕らが頑張ったところで、例えば君が女性を襲って妊娠させたりしたら、また同じ悲劇が繰り返されるんだから、監視されてるされてない関係なく、とにかく性欲は抑えろよ」
そういう話はしたくないんだけどと、レンの心の中からデカい叫び声が聞こえてくる。
僕だってこんな話、されたくない。不愉快だ。
「レンに言われなくったって、そんなことくらい分かってる。リサは嫉妬してるんだよ、アナベルに。僕を独占したかったんじゃないの? 僕の方から誘ったわけじゃないの、知ってるでしょ? それとも何? キスしただけで妊娠すんの?」
「大人をからかうな。……ったく。君ってヤツは、一度まともになったと思うと、大抵どこか別のところがおかしくなってる。レグル様に似てなまじ顔が良いから、女の子は放っとけないんだろうなぁ……」
「分かる。迷惑だよね」
「自覚してるんだぁ……。ま、アレだ。リサにも注意しておくけど、キスくらいで留めておいて。それ以上はマジでダメね」
「当たり前じゃん。誰に言ってんの?」
「タイガのそういうとこ嫌いなんだよね。全然信じてないからな、安心して」
レンは笑ってなかった。
笑えることじゃないことくらい、僕にも分かってた。
・・・・・
破壊の恐怖から解き放たれると、文明の発展速度は速まるらしい。
ドレグ・ルゴラが黒い湖の底で眠りに就いていた間に、建物は高層化し、科学も目まぐるしい発展を遂げていた。人間の数も飛躍的に増加して、人口は倍増、住宅地が都市部にひしめくように立ち並んでいた。
何が起きたのか、最初は理解出来なかった。
それこそ、全く違うところへ――リアレイトにでもやって来てしまったのかと勘違いするくらいには、街並みも人々の服装も、何もかも変わってしまっていた。
かつて白い竜が暴れて焼き尽くした街並みの面影なんてものは、どこにもなかった。
『私はもう、昔話の中の存在か。……なるほど』
好機だった。
人間はドレグ・ルゴラを忘れ去った。つまり、警戒などしない。
夜の闇に怯えたりもしないのだ。
上から下まで真っ黒な服に身を包んで、ドレグ・ルゴラは夜の町を暗躍した。
キースの身体は夜の闇に紛れるのに、恐ろしいくらい都合が良かった。
黒い髪、白すぎない肌。目の色も青い。夜の町では目立たない。
しかし――。
『夜が……明るくなってしまったのだけは、かなりの誤算だが』
平和な時代を過ごした人間達は、電気を発明して夜の町に光を灯した。
町の灯が消える時間、もしくは光の届かないような場所で――、ドレグ・ルゴラはまた人間を食らい始める。
一晩に大量に食うことは出来ないが、少しずつなら。
食べても食べても、恐らく食べきれないくらいの人間が蔓延っている。
『この時代にもう少し馴染まなければ。塔の魔女のところへ行くのは……、それからだ』
・・・・・
翌朝、監視小屋に現れたリサは様子がおかしかった。
昨日僕にあんなことをしたから、頭の中がそういうことでいっぱいみたいで。
「僕は気にしてないから大丈夫だよ。何、それともまたやりたいの?」
神教騎士が何人かいたのに、僕はわざと大きな声でそう言った。
「そ、そういうんじゃないから! 大河君のバカッ!!」
リサは顔を真っ赤にして、目に涙を浮かべながら小屋から飛び出していった。
神教騎士の一人が目を丸くして、「いいの?」と聞いてきたけれど、僕は「うん」と小さく頷いた。
「迷惑なんだよ。僕のことなんか嫌いになれば良いのに」
好意なんか持たなければ苦しまないのに。
なんでこう……、勝手な想いを膨らまして、傷付こうとするんだよ。
*
誰かを好きになるとか。
そういうのは絶対に、一生有り得ない。
僕が自分の感情のままに誰かを愛するってことは、つまり、そいつの人生を奪うことになるから。
生物学的にどこに属するのかも不明瞭で曖昧な僕は、誰とも交わっちゃいけない。
最悪、死よりも悲惨な未来しか見えないのに、わざわざ巻き込む訳がないだろ。
僕は、誰も好きにならない。
それが、僕に出来る最大の愛情表現なんだ。
*
心がむしゃくしゃして、落ち着かなかった。
無性にアナベルに会いたくなって、僕は誰にも言わずに転移魔法で塔に飛んだ。
「か、神の子!!」
金切り声を上げたのは、薄緑色の長い髪が特徴的な、塔の五傑にいたあの女だった。
「シャノン、久しぶり」
僕はちゃんと口角を上げて挨拶した。が、益々気味悪がられて、更に叫ばれた。
「な、何故ここに!! ももも森へ、行ったんじゃないの?!」
「森にいたよ、さっきまで。人間と一緒には暮らせないから、監視されながら過ごしてる。怖がらなくても大丈夫だって! 今は精神も安定してる。人間を食いたいなんて思ってないから」
弁明したんだけど、それって逆に怖がらせる効果があるのもちゃんと知ってる。
案の定、シャノンは卒倒しそうになって、慌てて頭をブンブン振っていた。それが面白おかしくて、僕はわざとらしく大声で笑ってやった。
「かかか帰りなさい!! 白い竜の化け物め!!」
「あはは。追い払う力もないくせに、酷いこと言うなぁ」
シャノンの直ぐそばで、アナベルがきょとんとしながら僕を見ている。
僕が具現化させたソファとテーブルじゃなくて、もう少し背の高いテーブルと木の椅子。そこで本を開いて……、シャノンに何か教わっていたようだ。
「アナベルと話をしたくて来たんだ。ダメ……?」
笑いかけると、アナベルは嬉しそうに頬を綻ばせていて。
それをシャノンが許すはずはないんだけど、僕は無視して彼女が座っていただろう椅子を奪い、アナベルの隣に座った。
「君のことばかり考えてた。また、話をしてもいい?」
「わ、私も! タイガのことずっと考えてた。もっと、お話ししたい」
吸い込まれそうな瞳。
一瞬、頭の中に昨日のリサの顔が過った。
唇。
リサのは凄く柔らかかった。アナベルはもっと。――いや、考えるな。邪念を払うように、僕は軽く頭を振った。
「か、神の子。森へ帰りなさい。軽々しく魔法で飛んでこられても迷惑です。塔の魔女は大事な時期なのですよ」
シャノンが震える手で僕の肩を掴んだ。
僕はギロリと、シャノンを睨む。
「これから大事な話をするから。出てってくんないかな」
「で、出ていくのはあなたでしょう」
「大事な話をするから。出てってくんないかな」
重ねて言うと、シャノンは怯えたように手を引っ込め、「お、終わったら直ぐに帰りなさいよ!!」と捨て台詞を吐いていなくなった。
……めんどい。
アナベルがいつも一人でいるとは……限らないし。彼女のスケジュールも知らないし。
「ごめん。勉強の途中なのに」
本は、塔の歴史書。確か、似たようなヤツをローラに借りて読んだ。
塔の建設から現在の塔の建設に至るまでと、あとは塔の魔女達の経歴とか年表とか、そういうやつ。
「ううん。大丈夫。タイガこそ、シャノンに酷い言葉使われて、傷付いてない?」
「“化け物”とか、“迷惑”とか? あんなの平気だよ。だって本当のことだから」
思いの外アナベルとの距離が近いことに気付いて、僕は少し椅子をずらした。
あんまり意識しないようにしてたけど、やっぱりアナベルの魔力は強い。今朝方も……、人間を襲う夢を見たばかりだったから、興奮しないよう気を付けないと。
「化け物じゃないよ、タイガは。神の子でしょ。あの白い人だって……、化け物じゃなかったんだけどな……」
アナベルは窓のない部屋の壁をぼうっと見ながら、そんなことを言い出した。
「その話、もう少し詳しく教えてくれないかな。僕は、白い髪の男の視点でしか記憶を辿れない。その白いヤツって、……要するに後のドレグ・ルゴラなんだけど、君が見てる記憶の中では邪悪じゃなかったんだよね?」
「うん。凄く……純粋で、頑張って生きてるのに、全然誰も理解してくれなくて、苦しそうだった。人間を食べるのは、それが餌だと思っているからって感じだったかな。努力……したんだって。どうやったら仲間に入れて貰えるのか、考えて考えて、結局追い出されたり、虐められたりして。ただ、鱗が白いだけだったのに」
「そうなんだよ。白いだけ。凄く……気味悪がられた。優しくしてくれたヤツらがどんどん死んで、――だけど、初代塔の魔女リサと出会ったときは未だ……まとも、だったと思う。リサは、白い男が好きだった?」
「うん、多分。でも、好きって言うより、もしかしたら、救ってあげたい、の方に近かったかも。誰も理解してくれないなんて可哀想、救ってあげられたらいいのにって。だから、話し相手になってたんだと思う」
「話し相手に……? あれ? 塔の魔女の相手をしてあげてると思ってたのに。逆?」
「逆。塔の魔女が、話し相手になってあげてたの。多分、何でも壊したくなるのは、白い人に大切なものがないからだって思ったから。大切なものを作ってあげたかったみたい。そして……、気が付いたら、好きになってた」
「で、死んだのか。その頃までは純粋だったなら……、やっぱり黒い湖の水が原因かな……」
「黒い湖?」
アナベルは知らないのか。
砂漠の向こう側の話なんて、そうそう聞く話じゃないのかも……。
「レグルノーラの大地は、その真っ黒い湖の上に浮いてるんだよ。リアレイトとレグルノーラの境目にあって、負の感情を湖が溜め込んでるみたいな……そんな話だった。あの水、僕も飲んだけど、全然美味しくないんだよ。普通の人間が飲むと、立ち所に狂うらしくて。中毒症状を伴って、黒いスライムの苗床みたいになるとか……って、この辺の話は聞いたことあるかも知れないね。元々修道女なら……」
「その中毒症を引き起こす水が原因で、ドレグ・ルゴラは破壊竜になったの?」
「……いや、分からない。もしそれが原因なら、僕も破壊竜になる」
「それは……嫌。タイガが破壊竜になったら、倒さなくちゃならなくなるんでしょ……?」
「うん……。実は今もだいぶ怪しいんだけど、それでもまだ自我が保ててるのは、あいつと僕に決定的に違う所があるからだと思うんだ」
両手をテーブルの上で軽く組んで、僕はぼんやりと、もう一人の僕のことを考える。
あいつは……、あいつの心は……、残念ながら、僕といつも一緒だった。
「あいつには、味方がいない。こうして並んで話をしてくれる相手が……たくさんいたなら……、全部壊してしまおうとか、考えなかったんじゃないかって……。それくらいしか、あいつと、僕に、違いはないんだよ」
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