4. 好きとか嫌いとか
監視小屋に戻ってからは、ずっとぼうっとした時間を過ごしていた。
資料を読む手は止まり、ノートにはミミズが這うばかりで文字にならず、かと言って外に出て訓練をして貰ったところで、打撃は全部身体に当たったし、何度も剣で斬られて血が噴き出した。
「大丈夫か、タイガ。どうしたんだ?」
身の入らない僕にノエルが声を掛けてきてくれたんだけど、それだって聞いているようで聞いていないようで、僕を心配している言葉だって気付くのに少し時間がかかった。
「塔から戻ってから、ずっとああだ。何かされたとか。何かした……とか」
グリンとエンジも心配して、僕に多めに肉料理を用意してくれていたんだけど、どうにも食事が喉を通らなくて、普段の半分ぐらいでご馳走様をしてしまう。
「病気……とか」
「白い竜だぞ。病気になる……?」
どんなに傷付いても立ち所に治ってしまう僕が病気だなんてことは有り得ないと思うし、絶対違う。だけどどうもぼうっとしてしまって、集中力がどこかへ消えてしまったみたいになっていた。
アナベルのことが、頭から離れなかった。
彼女を初見で傷付けてしまったんじゃないかって、そればかり考えていた。
だって僕は白い竜で、彼女は塔の魔女で。だから絶対に彼女のことを傷付けてはならないのに。
「僕ってかなり人相悪いよね……。第一、白い竜だもんな……」
監視小屋のテーブルのところで深くため息をつきながら、その場にいたレンに訊ねると、レンは「何言ってんの」と首を傾げた。
「牙剥き出しでニッてされると、ちょっと怖いかも」
両手で口の端を指差しながら、レンは馬鹿にするように言ってきた。
要するに、牙が見えるぞってことらしい。
「普通の人間が良かったな……。僕も、普通になりたかった」
頬杖を付いて遠くを見る僕を、レンは笑った。けど、笑われても全然平気だ。レンの緩さは僕に丁度良いから。
「タイガの普通って何だよ」
「……なんだろう。学校行って、普通に就職して、結婚して……子どもが出来て、みたいな?」
あれ?
そこまで言って、僕は自分が凌と同じことを考えていることに気付く。
確か、あいつも……。
「タイガは、そういうのが夢なんだ。良いじゃん、それ。全部終わったら、そうすれば?」
タブレットを弄りながら、何の気なしにレンは言った。けど僕は、それが何だか変な感じに聞こえてしまった。
「そう……しても、良いのかな。許されるのかな。僕が、普通に……なっても」
「許されるだろ。死ぬことばかり考えるより余っ程健全だ」
「誰かを好きになったり……、誰かと一緒に過ごしたりしても……許されるかな」
そんな未来は絶対に来ない。
分かっていても、想像したくなる。現実味がなくて悲しいけど。
「リサにも普通の女の子になれって言ってたろ。タイガも普通の男の子になれば良いんだよ」
レンは無責任だ。
無責任だから、適当にそんなことを。
「普通って、難しいね……」
僕はそのまま机に伏した。
・・・・・
時間の経過と共に、人間の皮は徐々に身体に馴染んでいく。
自分の意思で人化するのとは違って、髪にも目にも、きちんと色が付いている。
湖の底に沈み、体力の回復のみに全神経を集中させ……、どのくらいか分からないくらい長い時間が経っていた。
体感では数十年。人間が、白い竜の存在を忘れる頃。
久方ぶりに水面に出て空気を吸ったが、ここの空気はかなり淀んでいて、生温い。
新鮮な空気を吸いたい。
森か、町へ行けば。
『森はダメだな。人間の姿では入れない』
町へ、行こうと思った。
腹も減っている。
人間の肉を、たらふく食いたい。
・・・・・
よだれを垂らしながら寝ていたことに気が付いて、僕はガバッと顔を上げた。
テーブルに伏したまま、意識を失ってた。
度重なる疲労で、緊張の糸がほぐれたみたいに寝ちゃったらしい。
「――起きた?」
不意に声を掛けられ、僕は椅子から転げ落ちた。
「大河君、そんなに驚かなくても良いのに!」
直ぐそばでケタケタと笑うリサの姿が目に入ると、僕は慌てて彼女から距離を取った。
「来ないで!!」
右手を突き出し、リサを遠ざけようとした。その手が、もう鱗で覆われていた。
「ど、どうしたの大河君」
リサは僕の異変を感じ取っている。不安に思いながらも、吸収魔法を使うべきだと判断して、身体を少し光らせていた。
監視小屋の中は、僕とリサだけ。
夕方、丁度誰も居なくなる時間だった。
小屋の中に差し込む光がオレンジ色で、狭まった僕の視界の中、彼女のシルエットだけが妙にくっきりと浮いて見えた。
「き、記憶の中でドレグ・ルゴラが復活した。また、地獄が始まる。気持ちを――落ち着けるから、来ないで」
冷静さを失えば、僕はまた一瞬で白い竜の化け物になってしまう。
せっかく人間の姿で過ごせるようになってきたのに、僕の精神をどこまでも追い詰めるように、また残酷な日々が始まろうとしているなんて。
深く息を吸って、吐いて。
竜化しかけた身体を元に戻して、よだれも拭って。それからゆっくりと、僕はリサを見上げた。
「ご、ごめん。どうにかなった」
不安そうな顔。
リサは魔法を使うのをやめて、僕の側に屈んだ。
「私の魔法、使わなくても大丈夫になってきてるね。凄いよ、大河君」
このところ、僕はずっとリサを避けていたし、リサも僕を避けていた。
原因は知ってる。僕がアナベルのことばかり言うから、リサの心がぐちゃぐちゃなんだ。
「凄くは……ないよ。凄かったらそもそも、竜化なんかしない」
体育座りした膝の間に頭を埋めて、僕は深くため息をついた。
気が抜けると竜に近付くのも、興奮すると竜化してくのも、生理現象に近いヤツらしくて、自分では止められないのがもどかしい。
「アナベル様、どうだったの? ずっと会いたかったんでしょ?」
リサはストンと床に座って、僕の方にすり寄ってきた。
腕と足の間から、リサの金髪が揺らいでいるのが見えた。
「可愛かった。会えて良かった」
「年下、だもんね。大河君は、年下の方が好き?」
「いや、好きかどうかは……」
そもそも、彼女は恋愛対象にしてはいけないんだから、そういう質問はずるいよ、リサ。
「好きでしょ、大河君。アナベル様のこと話すときだけ、表情が違うんだもん。恋する男子の目になってた」
「な、何それ!」
ガバッと顔を上げると、リサがまた僕の顔を下から覗き込んでいる。
「ほら。その顔だよ。大河君、アナベル様に恋してる」
ギュッと、胸が痛む。
「ち、違う! 恋なんかするわけないだろ。僕は白い竜で、彼女は塔の魔女で。僕は誰のことも好きになっちゃいけないんだ」
「……そうなの?」
「当たり前だろ。――大体、僕に好かれたら迷惑だと思う。人間じゃ……ないんだし。化け物だし。お、襲いかかって、食っちゃうかも知れないし」
「大丈夫でしょ。大河君は好きな人のことを食べたりしない。優しいの、知ってるんだから」
「食うかも知れないじゃん。ノエルのこと、襲ったし。ローラは食ったし」
「あれは事故みたいなものでしょ? 大河君、石柱壊した直後で混乱してたんだから」
「混乱しててもダメなんだよ。そんなことが許されたら、この先僕が何をしても許されてしまう。僕は……、許されたくない。罪は背負わなくちゃならない。世界がめちゃくちゃになってくのも、たくさん人が死んだのも、僕のせいなんだ。白い竜がこの世界に存在する限り、同じことが何度も起きる」
ギュッと膝を強く抱えた。
こんなこと、言ったところでリサは直ぐに否定してくるだろうけど。
「全部大河君のせいだって言いたいの?」
「そうだよ。僕が悪い。何もかも、僕のせいなんだ」
「そうやって自己否定を繰り返す大河君を、アナベル様はどう思うかな」
「どう思われたって良いよ。――何なのリサ。さっきから、やたらと僕のこと、アナベルとくっつけたがってない? そう言うんじゃないんだよ、僕と彼女は。好きとか嫌いとか、そう言うのとは別次元で。彼女は僕に好意を持たないし、僕も彼女を恋愛対象として見ることはない。会わなくちゃならない、話さなくちゃならないことがいっぱいあるから会いに行ったんだよ。……何? 嫉妬してんの?」
リサの顔が赤くなった。
最悪だ。
よりによって、なんで僕なんかを。
「魔法生物にも恋愛感情、あるんだ。へぇ」
馬鹿にして、幻滅されればきっと。
そう思ったのに。
気が付くと僕はリサに押し倒され、床の上にひっくり返っていた。
「な、何してんの、リサ」
「――あるよ、恋愛感情。レグル様は私を、普通の人間と同じように作ってくださったから」
リサの長い金髪が、仰向けになった僕の身体に垂れていた。
肉付きの良くなった彼女の柔らかい肢体が僕の上に乗っかって、程よい重さを感じる。
「私はずっと、大河君のことが好きだよ」
翠色の目が、どんどん僕に迫ってくる。
リサと僕の間がみるみる狭まって、腹に乗っていた体重が、胸の方にまで移動してきて、僕の頭を抱えるように、彼女は僕に覆い被さり――……、重ねた唇が、柔らかくて、溶けそうで。
口の中に侵入してきた彼女の舌が、僕の牙をなぞった。
僕は驚いて彼女を突き放そうと……、一瞬、思ったけれど、結局頭が真っ白になる程気持ちが良くて、そのままギュッと、リサの背中に手を回した。
柔らかな肌。
零れ落ちそうだった彼女の胸が、今僕の胸に押し付けられて。
体温と、心拍音。
拒まなくちゃならないのに、身体はどんどん火照っていって、感じたことのないくらい至福の境地に連れて行かれて――……、何もかも、分からなくなっていく。
「好きだよ、大河君……」
何度も何度も、リサは僕の名を呼んで。
そして僕の口を塞ぐようにして、激しくキスを求めてきた。
「か……んし装置……、見られ……」
セリフが最後まで言えなかった。
リサは僕をぎゅうっと抱き締めたまま、離そうとしなかった。
僕も、拒むことを忘れていった。
あとのことは、よく覚えていない。
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