3. 杭と魔法陣

「多分僕はこれからもっと邪悪になって……、凶暴化していくんだと思う。そうしないと、二人を分離させるのなんて無理だし、ドレグ・ルゴラを倒すことだって出来そうにない。あいつを上回るくらいの化け物にならなくちゃならない。それに、杭は未だ五本ある。壊す度にどんどん……、おかしくなって、いずれ話をするのも難しくなると思う。狂っていくんだと思う。勿論、食い止めたいし、抵抗する気でいるけど。結構……、しんどいんだ。心が壊れていくのって」


 アナベルのスノウホワイトがみるみる濁っていく。不安の色と、恐怖の色と、驚きと、嘆きと。雪の中に汚れたしずくが染み渡るように、どんどんどんどん濁っていく。


「タイガは……それでいいの?」


 胸を詰まらせたようなアナベルの声に、僕はまた目をそらした。


「良いとか悪いとか、そういうんじゃない。そうするしかないから」

「だけど」

「――やってみないと、分からない。分離なんて、出来るのかどうか。だけど、そうしなくちゃ先に進めない。僕はどうにかあいつより強くなって、それを成し遂げる。汚れ役は全部僕が引き受ける。君には塔の上で祈ってて欲しい。成功しますようにって」


 突然こんなことを言われてアナベルがどれくらい理解してるのか、心の中を覗く勇気がなかった。

 ただ、悲壮の色が漂っているところを見ると、かなり……心配されているんだとは思う。


「出会ったばかりなのに、こんな話ばかりでごめん。ずっと……、誰かに話したくて。僕が一人で全部背負い込むには、やっぱり荷が重過ぎるというか。全部僕が一人でどうにかしなくちゃならないと思って突っ走ってきたけど、心が……折れそうなんだ。こんな話、誰にも話せなくて。アナベルになら……、新しい本物の塔の魔女になら話が出来るんじゃないかと思って」


 アナベルは何も喋らなくなった。

 話が重すぎて、意味が分からなくて、困ってるんだろう。

 僕はアナベルの目を見る勇気がないし、見せる顔もない。

 そしてまた僕は、アナベルにしんどい現実を突きつけなくちゃならない。


「本当は最初に……、謝らなくちゃならないことがあって。多分これを聞いたら、アナベルは僕のことを嫌いになると思う。いや、嫌いになって貰った方がありがたい。僕は白い竜で、君は塔の魔女だから……、話し相手にはなって欲しいけど、僕のこと好いて貰っちゃ困るから」


 テーブルに視線を落として、僕は深く息をついた。

 反応が怖くて、言い出す前から手が震えてる。

 一呼吸置いてから、僕は残酷過ぎる言葉を吐き出した。


「どうしても本物の塔の魔女が必要で、――だから、ローラを殺して食べたんだ」


 視界の端っこで、アナベルがビクッと震えるのが見えた。

 僕は、彼女の姿すら見ていられなくなって、目を閉じた。


「ローラが死ねば、ディアナにも死んで貰えると思った。僕はわざとそう仕向けた。そのお陰もあって、君が新しい塔の魔女に選ばれた。軽蔑……してくれていいよ。僕は残酷で、残忍で、卑劣で、冷徹な白い竜で、誰かを殺すとか、壊すとか、食らうとか、そういうことにだんだん躊躇も後悔もしなくなってて。僕の意思とか心とか、そんなのはとっくの昔にどうでも良くなってるんだ。三つを揃えるために必死だった。早く地獄を終わらせないと、おかしくなりそうだった。白い竜の記憶の中で、何十年も何百年も地獄を見続けて、早くここから脱したいと強く願った。虫のいい話だとは思ってる。こんなに酷いことをたくさんしてきて、なのに世界を救いたいだなんて。僕はただの化け物なのに。何もかも壊してしまうような恐ろしい力しか持ってないのに、どうやって世界を救えば良いのか……、そればかり考えてる」


 レンに励まされたり、ウォルターに諭されたりしたけれど、結局のところ、本質は変わらないわけで。

 僕の力が果たして何のために与えられているのかも分からない状態で、ただただ凶暴性だけが増していくのだとすれば、それは一体どういうことなのかって、頭の中がグルグルしていく。


「アナベルに……幾つかお願いがあるんだ」


 目の前で、ドレスとソファの生地が擦れる音。


「僕はどうにかして杭を全部壊して、それからレグルを遺跡から引きずり出して、ドレグ・ルゴラと凌を分離させる。その頃には僕はもう、とんでもない化け物になっているかも知れない。会話が出来るかすら……自信がない。頭に血が上って、僕じゃない誰かになってるかも知れない。それでもどうにかしてドレグ・ルゴラをぶっ殺すから。そうして、僕が唯一の白い竜になって、三つが揃ったら……、僕と凌を、ここに連れてきて」

「ま、魔法陣を描くのに……時間が必要でしょ」


 アナベルがようやく声を出した。

 僕は首を横に振る。


「その頃には、魔法陣が完成してる。点を繋げば良いんだ」

「点……?」

「凌が地面に打った杭は、魔法陣の頂点になってる。レグルノーラの大地の外郭を魔法陣の外円に見立てて、杭の跡を全部繋ぐと、巨大な魔法陣になる。杭は……地中深くに刺さってるから、恐らく大地の中に広がる竜石の力を利用出来るはずだ。竜石は力を溜め込んだり、放出したりすることが出来るらしいから、多分、この地中の竜石の力も全部使って魔法陣を発動させれば……、約束が、果たせるんじゃないかと」


 目を開けて、ゆっくりとアナベルの表情を覗う。

 急にこんなことを言われて、理解してくれるのか分からないけど。分かってくれたら嬉しい――。


「杭を壊しながら、魔法陣を……作ってたの?」


 彼女は、目を丸くしていた。

 僕がこくりと頷くと、アナベルは意外そうな顔をした。


「それって……、最初から分かって……」


 僕は首を横に振った。


「あいつは……、何も喋らなかった。ただ僕に杭を壊せ、殺しに来い、とだけ。あとは全部推測。でも、当たってると思う。あいつの行動、もしかして僕と同じように、三つを揃えるための動きじゃなかったんだろうかって途中で分かったから」

「どういうこと?」


「あいつは、――凌は多分、ドレグ・ルゴラと同化して初めて“世界を構成する三つ”のことを知ったのだと思う。そして、同化によって、それが為し得なくなったことに気が付いた。凌が救世主として世界を救ったとき、既に白い竜は二体存在してた。ドレグ・ルゴラと、その娘の美桜。美桜は、僕の母親だ。そして、塔の魔女だったディアナもその地位を退いて、ローラに譲っていた。正当じゃない方法で選ばれたローラは、塔の魔女だけど本物じゃなかった。だから、三つは揃わなかった」


 僕は一本一本立てた指を、一度に折って見せた。


「世界を構成するそれは、一つずつ存在する必要があった。そのどれもが欠けちゃいけないし、多くてもいけないんだ。けどそのことは、白い竜と歴代の塔の魔女だけが知っていて、公表されてない。だから、救世主として世界を救った凌は、何も知らずにドレグ・ルゴラと同化した。……色々、考えたんだと思う。塔の魔女はいずれ代替わりするだろうから、それはどうにかなるとして、問題はどうやって自分とドレグ・ルゴラを分離させるのかってこと。殆ど混ざり合ってしまってて、多分自分じゃどうにも出来なくなってたんじゃないかなって思うんだ。それに、レグルっていう別の人格が生まれてた。そいつはどうも、救世主でも破壊竜でもないような存在になった。神の化身なんて言うけど、それが本当なのかどうかは今も分からない。そいつの中で……凌も、もしかしたらドレグ・ルゴラも葛藤したんじゃないかと。このままじゃ、約束を果たせない。どうにかしなければならない……って」


 アナベルはゴクリと唾を飲み込んで、前のめりになって僕の話を聞いてくれた。

 相変わらず目は見れなかったけど、ただ聞いてくれるだけで僕は安心して話を続けられる。


「三つが三つ、全部なくなったら、揃えるのがもっと大変になる。凌は……、同化が進んで、どんどん自我を保てなくなって、遂にはリアレイトにも干渉出来なくなっていった。それでも必死に意識を繋いでいたみたいだった。――僕が生まれたのは、多分必然なんだ。ドレグ・ルゴラが再び暴走しないように、それを止めるための切り札としての僕。そして、ドレグ・ルゴラを倒して唯一の白い竜になるための僕。どこかのタイミングで、凌とドレグ・ルゴラは僕にそういう荷を負わせた。僕はその二つを同時にこなすためだけに生み出された。そしてそれを、美桜は知らなかった。白い竜は白い竜にしか倒せないから、殺し合うしかない。ドレグ・ルゴラからどうにか凌を引き剥がして、それから僕がドレグ・ルゴラをぶっ殺す。そうすれば、救世主と白い竜がそれぞれ一つずつ存在することになる……はずだった。美桜も白い竜で、それを僕に……、子どもに殺させるわけにはいかないから、多分あいつはそういう理由で美桜を殺した。美桜は何も知らずにあいつを湖に呼び出して……、食い殺された。愛する者の命を自分で奪ってしまったことで……、そうするしかなかったことで、レグルが……おかしくなった。古代神教会に幽閉を願い出て、そのまま遺跡に封印された。レグルの封印については、恐らくこれで合ってると思う。僕は……残酷な運命の上に立ってて、血だらけで……、綺麗な君の手を触ったりしたら、多分、汚れてしまうだろうから……距離を取りたい。汚れるのは僕だけで良いから。君はどうか……、綺麗なままで、塔の上にいて欲しいんだ」


 穢れた僕と、まっさらな君を、同じだと思って欲しくない。

 薄汚れた僕を、そんなに真っ直ぐな目で見ないで欲しい。


「そ、それじゃタイガは……、タイガは苦しくなるのが分かってて、こんなことを……」


 アナベルの泣きそうな目。

 リサも、同じような目をしてた。……どっちの、リサ……だったかな。


「もうひとつのお願いは、魔法陣に刻む呪文。僕には余裕がないし、その時が来ても僕のままか分からないから。君が考えて、刻んで欲しい」

「……うん。分かった」

「このこと、どこまで公表するかも、君に委ねるから。僕の方からは、誰にも何も言わない。化け物の話なんて、誰も信じないからさ」


 とても……複雑そうな顔をしてる。

 せっかく会えたのに、僕が悲惨な事ばかり言うから。

 多分、思ったよりずっと、恐ろしい存在なんだと感じたから。


「――あの」


 項垂れる僕に、アナベルは声を掛けてきた。

 恐る恐る、彼女の目を見る。


「タイガ、また、来てくれる?」


 思いもよらぬセリフに、僕は息を呑んだ。


「いつでもいい、毎日でも。もっと、色々話をしたい。白い男の人と、かつての塔の魔女みたいに」


 アナベルは、僕を嫌っている素振りは見せなかった。

 怖いのか少し震えては居たけれど、決して拒絶したりはしなかった。

 それが何だか嬉しくて、こそばゆくて。


「ありがとう。また、来る。僕が僕で居る間は」


 泣きそうだった。

 涙が直ぐそこまで溢れてて、でも僕は平気な振りをして、そのままアナベルとさよならをした。

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