2. 約束の話

 ただならぬ僕の様子に、フュームは煉瓦色を濁らせた。


「か、神の子! あれだけ忠告を……」

「――黙って。今抑えてる」


 僕はギリリと奥歯を噛んで、竜化を止めようと試みていた。

 興奮しすぎないよう、必死に息を整えて、身体から熱を逃がしていく。

 鱗が浮き出てしまうと、引っ込むまでどうしても……、時間がかかる。


「だ……、大丈夫なの? タイガ……」


 アナベルは僕をチラチラと見て、不安の色を強くした。


「大丈夫。少し……時間が欲しい。中に、入っても?」


 息を荒くする僕を、アナベルは直視出来ないらしい。――怖がらせた。ごめん、そんなつもり、なかったのに。

 アナベルはこくこくと頷いて、僕の手を取ろうとして――引っ込めた。

 近付くなって牽制を、少しは理解してくれたのだろう。

 彼女が中に入り、足取りの怪しい僕をどうにか招き入れたところで、心配したフュームが後に続いて入ってこようとするのが見えた。


「フューム。入るな」


 止めたのはシバだった。


「しかしシバ。神の子があの様子では」

「本人は大丈夫だと言った。信じるしかない」


 シバが扉を閉じたのを見計らって、僕は扉に魔法を掛けた。外側からは開かない魔法。

 アナベルは驚いた様子で、僕を見ている。


「邪魔は……されたくない。二人きりで話したい。良いでしょ……?」


 怯えながらも深く頷くアナベルを見て、僕は少しホッとした。

 彼女は明らかに僕を警戒している。

 会いたい気持ちは多分同じだったと思うんだけど。

 僕がこんなんだから、嬉しい気持ちより不安の方が大きくなっているのかも。

 本当に……、申し訳ない。

 少しずつ呼吸が安定してきて、どうにかまっすぐ立つことが出来るくらいには回復したところで、僕は部屋の中を見渡した。

 レイアウトは……、ローラの時とあまり変わらない。相変わらず高そうな調度品があっちこっちにあって、壁際の家具も超一流品ばかり。謁見用の豪奢な椅子が、広間の奥にぽつんとある。


「座るとこ……ある?」


 僕が言うと、アナベルは困ったような顔をした。

 ここの部屋のあるじではあるけれど、自分で何か好きにするとか、そういうことは未だ出来ないのか、したことがないのか。

 確か、修道女だったって聞いていた。質素倹約に務めてきた彼女が暮らすには、ここはあまり相応しくない場所なんだろう。


「ごめん、立ってるの、辛くて」


 パッと手をかざして、僕はその場にソファとテーブルを具現化させた。

 この部屋に合いそうな、花柄の布張りの二人掛けソファを二脚。その間に木製のローテーブルも。縁と足の部分の彫刻が細かいようなのが多分似合うと思って、そういうのをイメージして、勝手に、許可もなく。

 よろよろと歩いてバフッとソファの一つに身を預けて長く息をついていると、アナベルが駆け寄ってきて、小さく「嘘でしょ」と声を上げる。


「す、凄い……。神の子って、本当に……!!」

「センス……合わなかったらごめん。邪魔だったら消すし」

「けけけ消さなくても!! タイガ、あなた本当に……奇跡みたいな力をひょいひょい使えるのね……?」


 アナベルは驚いたように、僕が具現化させたソファとテーブルの感触を確かめていた。


「座れば」

「う、うん」


 自分の部屋なのに、まるでお客さんみたいなアナベルの態度に、僕は思わず頬を緩めた。

 座ったら……だいぶ良い。鱗もすっかり消えたし、背中と尻のムズムズも、どうにか引っ込んだ。

 着慣れないドレスローブを引き摺って、彼女は僕の真ん前に座る。

 可憐で、あどけなくて。

 本当は抱き締めたいくらい嬉しくて堪らないんだけど、自制心がなくなりそうで、僕は必死に感情を押し殺した。


「無理言ってごめん。君と……、話をしたくて。――大丈夫、もう、落ち着いた。ある程度距離を取って貰わないと……、うっかり襲ってしまったら、悪いから……」


 頭の中で言葉が整理出来なくて、僕は思ったセリフを次々に吐き出した。

 第一印象が肝心。

 スーツだし、髪もしゃんとしたし。あとは……、僕自身が落ち着いていれば良いだけだったんだけど。

 会えたのが嬉しすぎて暴走しかけて。最初から――怖がらせた。


「ううん、大丈夫。動画で見たときと、おんなじ。凄い……強い力を、頑張って制御してるって知ってたから、怖くなんかないよ。驚いただけ」


 スノウホワイトの淡い色が、彼女の周囲に見えた。

 清廉な彼女に似合う。汚れた僕とは……大違い。


「ひ……ひとつ、アナベルに聞いてもいい?」

「うん」


 僕は意を決して、ずっと心の中で繰り返してきたそれを口にした。


「ややや約束……、知ってる?」

「約束?」

「きき君の、口から……、聞きたい。もし、知らなかったら……、また、約束を覚えてる塔の魔女が現れるまで……待つよ。何十年後か、何百年後か知らないけど……、待つ。もし君が約束を覚えていて……、一緒に、叶えてくれるなら。この……、地獄を終わらせることが出来る。世界を……救えるかも知れない。意味……、分かる……?」


 彼女の記憶を探れば、知ってるか知ってないかなんて直ぐに分かるんだけど。

 そういうんじゃなくて、アナベルの言葉で聞きたいのは、彼女自身の気持ちも知りたいから。


「約束……かどうかは、分からないけど」


 アナベルは胸の辺りで両手を握って唇を噛み、難しそうな顔をした。

 言葉を、選んでる。


「白い髪の男の人を……、ずっと、待ってたの」


 僕はギョッとして、身体を前に傾けた。


「多分、歴代の塔の魔女に引き継がれてきた、誰かの記憶なんだと思う。長くて白い髪の男の人は……、タイガより少し年上で、いつも寂しそうな顔をしていて……、救いを求めているように見えて。私も修道院育ちで、身寄りがなくて、……誰かに、愛されたい気持ちは常にあったから、良く分かる。あの人は、とても孤独だったんだと思う。綺麗な顔をしていたのに、身なりは……あまり、綺麗じゃなかった。薄汚れた服を着て、殺伐としてて。親に捨てられた子どもみたいな人だった。記憶の中にいる塔の魔女は、彼とずっと話をしてるの。彼がどんなに長い旅をしてきたか、どんな体験をしてきたか。苦しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、全部。本当は恐ろしい白い竜だってことも、その魔女は知っていた。人間を……食べるんだよね。たくさん殺したって聞いた。だけど、そうしなくちゃ生きていけないくらい、白い髪の人は苦しんでたって話も聞いたよ。タイガも……彼と同じ白い竜なんだよね。血を……引いてる」


 こくりと頷いて……、僕は目をそらした。


「ねぇ、タイガは、強い力と引き換えに神様が大切な物を奪う話――知ってる?」


 アナベルの話が、核心を突いてくる。

 僕はゴクリと唾を飲み込み、彼女の話に耳を傾ける。


「神様は、三つの存在に、強大な力をお与えになったんだって。塔の魔女は……、誰も愛してはならない。悪魔を祓う者は、元いた世界を追われる。唯一の白い竜は……。白い竜だけ、何を奪われたのか、良く……分からなかった。記憶の中で白い人は、名前だって言ってたけど、タイガには名前、あるじゃない。じゃあ何を失ったの? 何を奪われてるの? 白い髪をしてるタイガは、それを知ってるのかなって……」


 名無しの白い竜は、行く先々でその場限りの名前で呼ばれていた。

 やがてドレグ・ルゴラと呼ばれるようになり、そのまま――定着した。

 アナベルの言うとおり、多分、失ったのは名前じゃない。






「……死」






 僕がぼそりと呟くと、アナベルは「え?」と首を傾げた。


「白い竜は、簡単に死ねないんだ。孤独で、誰にも理解されなくて、大切な物も全部自分で壊してしまう。だのに、……誰も僕を倒せない。倒してくれない。永遠に苦しみ続けることを強制されてる。知ってる? 白い竜は白い竜にしか倒せないんだ。つまり、同族同士で殺し合うしか、命を終わらせる手段がない。ドレグ・ルゴラは何百年生きても殆ど老いなかった。……多分、僕もそう。そして、唯一の存在にならなければ……、約束を、果たせない。そういう、呪われた存在らしいよ」


「“世界を構成する三つ”――……、タイガは、それを知ってて」

「アナベル、“儀式”って……何」


 顔を上げると、アナベルは僕の赤い目を見つめて、苦しそうに顔を歪めている。

 知ってる顔だ。

 何もかも知ってる顔。

 嬉しい反面、空恐ろしくもなる。

 やっと……、答えが聞ける。何百年か越しの、答え。


「魔法陣を……発動させるみたい」

「魔法陣?」


「この世界の構造を根本的に変えてしまうくらい強大な魔法を使えば、世界は変わるらしいってことは、何となく分かってるの。レグルノーラ全体を包み込むくらい巨大な魔法陣が必要で……、それを発動させるには、世界を構成する三つの力が揃わなくちゃならない。タイガの言う『地獄を終わらせる』ってつまり、超巨大魔法陣によって世界のことわりを書き換えるってことなんだと思う。神様からの啓示で、最初の塔の魔女はそれを知って……、でも、どうしても三つ目が揃わなかった。私達塔の魔女は、ずっとそれを引き継いできたんだけど……、いつも何かに阻まれる。その様子だと、タイガも白い竜の記憶、引き継いでるんだよね?」


「……当たり。やっぱり本物の塔の魔女には話が通じる。嬉しい。長いこと誰とも話が噛み合わなくて。どうせ理解して貰えないと思って……、喋るのをやめた。それが原因なのは分かってるんだけど、……やっぱり、無理にでも会いに来て良かった」

「うん。私も。例の動画で見たタイガと、塔の魔女の記憶で見た白い髪の男の人が、凄く似てて。もし……、初代の塔の魔女との約束をタイガが知っているのだとしたら、話が前に進むんじゃないかと思った」


 断片的な情報だけでも話を推察して、僕の思ったとおりの返事が返ってくる。

 ということはつまり、僕がこれまでやってきたことは、無駄にはならないってこと。


「さっきも言ったけど、三つはなかなか揃わないよ。タイガと私だけじゃ、何も出来ない。三つ揃うまで待つ?」


 僕は首を横に振った。


「三つ目は、この時代に存在してる。悪魔を祓う者――救世主は今、ドレグ・ルゴラと同化して、ニグ・ドラコの森の奥にある神殿の遺跡に閉じこもってるはずだよ」

「ドレグ・ルゴラって、白い竜だよね。そしたらタイガは、唯一の白い竜じゃなくて」

「……うん。だから僕がドレグ・ルゴラを倒して唯一になれば良いだけの話。そのために、杭を壊し続けてる。救世主――凌は、こうなることを見越してたんだと思う」

「だけど、タイガがドレグ・ルゴラを倒したら、同化してる救世主諸共死んじゃうんじゃないの? そしたら、新たな救世主が見つかるまで、待たなくちゃならなくなって……」


 アナベルは僕の話の矛盾に気が付き、何度も首を捻った。

 当然だ。

 同化してから二十年以上経つのに、あいつの救世主の部分だけ必要だなんて、虫が良すぎるから。


「分離させる」

「え?」


「ドレグ・ルゴラと凌をどうにか分離させて、ドレグ・ルゴラだけぶっ殺す」

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