【28】秘めた想い

1. アナベル

 口から心臓が飛び出しそうだった。

 頭の中でドラムが激しく鳴っていて、三半規管がぐるんぐるんしていた。

 立っているのがやっとなのに、それを誰かに知られるのが嫌で、僕は何でもない振りをしてシバの後ろを付いて歩いた。

 レグルノーラの都市部の中央に建つ白い塔。その天辺に、塔の魔女が住んでいる。

 塔に来るのは二度目。

 前回、僕はモニカに連れられ転移魔法で塔にやって来た。ローラは、封印されていた僕の本性を無理矢理暴いた。白い竜へと変化へんげさせられ、破壊竜ドレグ・ルゴラの血を引くのだと突き付けられたのを、今でも鮮明に思い出す。

 あの時はまだ幼竜だったのに、今じゃデカさも力も化け物級だ。


「……わざわざそんな格好をしなくても良かったのに。変に気合い、入れ過ぎだぞ」

「だって、初めて会うんだよ? 粗相のないようにしないと。第一印象が大事だってジークも言ってたし」

「だからってなぁ……」


 シバが呆れるのはもっともだと自覚してる。

 ヨシノデンキ本社に突撃した時のスーツ、髪もきっちり普段より綺麗に結んでワックスでしっかり固めた。デカい姿見を具現化させて身支度してたら、小屋に来る人達が皆ギョッとしていた。


「本当は、塔の正面から入りたかった。ヨシノデンキの時みたいに」

「気持ちは分かるが、お前は目立ち過ぎる。我慢しろ」


 塔の最上階、エレベーターホールに転移して、そこから歩いて塔の魔女の部屋に向かう。たった数十メートルの廊下を辿るだけなのに、気分が高揚して吐き気が酷かった。

 廊下の両側にある事務室からはひっきりなしに事務員が出入りしていて、シバには軽く頭を下げ、僕を見てはギョッとして仰け反るのを、何度か繰り返した。

 なるべく気配を殺して人間達を怖がらせないよう努めていたけど、仕方ない。

 笑いかけたところで気持ち悪いだろうし。表情に出ないよう、グッと我慢する。


「いいか、大河。絶対にアナベルを襲うな。今回はリサも連れて来ていないんだ。もしものことがあれば全力で止めるが、今のお前は強くなり過ぎて、簡単には止まらない。同じことを繰り返すな」


 廊下を進みながら、シバは僕を睨み付けた。


「はぁ? 誰に言ってんの? 襲わないよ。絶対に」


 僕はシバを睨み返した。シバは、絶対に信用しないって顔で、また僕を睨んだ。

 渋い顔のまま、シバはずんずん進んでいく。

 奥に、立派な装飾の施された木製の扉。

 誰かいる。


「ほんのちょっと見ない間に、随分恐ろしい気配になったな、神の子よ」


 あのスキンヘッド……、確か五傑の。


「フューム!」


 にこやかに手を振ると、案の定と言うか、通りすがりの事務員がギャッと声を上げた。素知らぬ振りをして、僕は努めて明るく、フュームに声をかけた。


「どいつもこいつも失礼なんだけど。僕、これでも随分力を抑えてるんだ。恐ろしいなんて心外だな」

「心外も何も……、ただならぬ気配に、こっちが正気を失いそうだ。神の子は本当に大丈夫なのか、シバ」


 ヒュームは警戒の色を強く出して、僕とシバを交互に見ている。

 どうやら僕が来るというので、アナベルに何かあってはいけないと警備を買って出ているらしい。

 僕は普通にしてるつもりなんだけど、かなりピリピリしていて何だか申し訳ないくらいだ。


「ああ。これでもマシになったんだ。ちょっと前までは、人間も竜も見境なく襲ってたんだから」

「そうそう。今は大丈夫だよ。人間の姿を保ててるし、急に襲って食べたりしないから」


 弁明したのに、フュームは顔を思い切り歪ませた。


「……言葉の端々に恐怖を感じるのは私だけか」

「そういうことにしておいた方が身のためかも。僕も、フュームのこと、襲いたくないし」

「大河、それくらいにしろ。……ったく、調子がいいと碌なことを言わない」


 シバに止められ、僕は渋々口を閉じた。

 ……けど、ちょっとは気分が軽くなった。吐き気も収まった気がする。

 フュームは扉の前で、ボリボリと髪の無い頭を搔いた。それから大きくため息をつき、僕の方に顔を向けた。


「あれからどうなってしまったのか……、ずっと気になっていた。白い竜になって暴れ回り、何もかも壊して森へ消えただろう? 私達五傑が……、今は三傑だが……、もっと真剣に向き合うべきだったと反省している。心を壊してまで、神の子は世界を救おうとしていたのに、私達はメンツばかり気にしていたこと、本当に心苦しく思う。……すまない。もう、遅いかも知れないが」


 改めて謝られても、正直困る。

 僕だって、気分が高揚すると、想定外の行動に出る。そして……、制御不能になってしまう。自分の力を抑え切れない僕が悪いのに。


「気にしなくていいよ。僕が全部悪いんだ。ローラを食べたのも、街を壊したのも、森を焼いたのも僕だ。化け物に謝る必要、ないって」


 吐き捨てた僕のセリフを、フュームは重々しく受け取っていた。


「それより、フューム。アナベルを待たせてる。そこ、退いてくれ」

「あ、あぁ、そうだった」


 シバが言うと、思い出したようにフュームは扉の真ん前から退いてくれた。

 この向こう側に、アナベルが居る。

 思うだけで、胸が高鳴ってくる。


「神の子よ。本当に……大丈夫だろうな。アナベル様はここに来て間もない。傷付けたりは絶対に……」

「何度も言わせるなよ。大丈夫。僕はアナベルと話しに来たんだから。怖がらせたら喋って貰えないことぐらい、僕にだって分かるよ」

「その言葉、信じるぞ」

「うん。信じて」


 ――コンコンコンッと三回ノック。


「アナベル様、シバです。神の子をお連れしました」


 奥から女の声がしたのを確認して、シバはゆっくりと扉を開けた。






 ――白い光と可愛らしい少女のシルエットに、僕の目は眩んだ。






 光に浄化されてしまったみたいに、僕の頭は真っ白になって、声が……出なかった。

 呼吸をするのも忘れてしまうくらいに、彼女の存在感も魔力も強くて――、既に塔の魔女から退いていたディアナや、偽者なりに必死に真珠色を発していたローラとも違う、僕の心と身体を芯の芯から震え上がらせる程の衝撃。


「……ん? 大丈夫か、大河」


 動けなかった。

 気が付くと僕の全身はガクガク震えていて、息がまともに出来なくて胸を掻き毟っていた。鱗が手に浮き上がってるのが見えて、僕は反対の手で必死にそれを隠そうとした。


「アナ……ベル…………」


 ようやく彼女の名前を口にして、……そしたらもう、どう表現したら良いのか分からないくらい彼女が愛おしくなって、体温が急激に上がったのが分かった。

 彼女が目を丸くし、まるで祈るように胸の辺りで両手を組んでいるのが見える。

 夕焼け色の目、青の混じった長い髪。白いフリルのドレスローブが、彼女の可愛らしさを際立たせる。


「タイガ……? あなたがタイガね……!!」


 ぱあっと表情を明るくし、アナベルは部屋の奥から僕の方へ近付いてきた。

 シバの記憶を通して見た時よりも、実物はずっと可愛い。小さくて、可憐で、儚くて……。

 僕は、動けなかった。

 気が遠くなるくらい前からずっとずっと会いたかった彼女が目の前に居るだけで、呼吸困難に陥りそうだった。

 なのにアナベルは、シバもフュームも押しのけて廊下に飛び出し、勢い良く僕の胸に飛び込んできた。

 バフッと彼女の顔が胸に当たり、ギュッと抱き締められると、それだけでもう、心臓が破裂しそうになる……!!


「会いたかった! ずっと会いたかった……!!」


 良い……匂いがする。

 女の子の匂い。花のような、甘い香り。

 同時に、魔法を帯びた人間特有の、食欲をそそる甘ったるい臭い……。


「――離れて」


 僕がボソリと言うと、アナベルは「え?」と小さく声を上げた。


「聞こえなかった? 僕から離れて」


 血を吐き倒れた初代塔の魔女リサの顔が頭に浮かんだ。

 ローラの血肉の味が口の中に蘇り、唾液が溢れていくのを感じた。


「ど、どうして? やっと会えたのに」


 僕を見上げてアナベルは首を傾げた。

 グイッと彼女を遠ざける僕の手には、白い鱗と鋭い爪がある。

 背中と尻の上がモゾモゾした。竜への変化へんげが始まりそうで、僕は気が気じゃなかった。


「君を……、殺したくない。話がしたい。お願いだから、僕に近付くな。話だけ……、させて欲しい。お願い……!!」


 僕は溢れるよだれを手の甲で拭って、大きく肩で息をした。

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