12. 今度こそ

『変身術! いつの間にこんな精度の高い魔法が出来るようになって――』


 父さんは明らかに動揺していた。

 それだけでも成功だった。

 僕はニヤリと笑って、眼鏡を高く掲げてやった。


「父さんは僕のこと、いつまでも力の制御出来ない、手の付けられない化け物だって思ってたんだろ。見くびるな!! 変身術くらい難なく出来る。――眼鏡、奪ったぞ。約束通り、十日以内に奪ったからな……!!」

「……私の負けだ。眼鏡を返せ」


 手を伸ばす父さんから、僕はグイッと眼鏡を遠ざけた。


「アナベルに会わせろ」

「分かった。分かったから眼鏡を返せ」

「嘘はつかないって誓うか。絶対に会わせるって誓えるのか」

「誓う。誓うから眼鏡を返せ」

「嘘つきは嫌いだ。本当に会わせてくれるんだな? 嘘をつくつもりなら、このまま竜化する。全部壊す。目を見せろ。心の中を覗かせろ……!!」


 成功した興奮と、変身術に費やした魔力で、僕の頭はグルグルしていた。

 鼻息を荒くする僕を見て、父さんは呆れたように息を吐き、「いいだろう」と僕の前に突っ立った。


「好きなだけ記憶を覗け。塔の魔女には明日会わせる。朝の早い段階で。塔にはこれから打診してくる。いや、打診じゃない。間違いなく会わせる。シバの名に誓って」


 だらんと腕を下げ、裸眼のまま見えづらそうに僕を見る父さんの真ん前に立つ。

 いつの間にか、父さんの背を超している。

 目線が少し下だ。

 父さんの目を覗き込んで、記憶の中を探っていく。

 嘘をついているのかどうか、隠し事はないのか。海の中を泳ぐように、記憶を探る。

 探るだけ探って、嘘をつこうという意思がないことを確認してから、僕は父さんに眼鏡を返した。


「……随分、手荒なことをしてくれたな」


 眼鏡のレンズをネクタイの端っこで拭きながら、父さんは僕を睨み付けた。


「手段は選んでいられない。真っ正面から奪うのは無理だと思ったから、僕なりに考えたんだ。父さんは凌に頭が上がらない。凌には言い返せない。凌には隙を見せる。……だから、凌の姿で現れたらきっと、奪えると思った」


 何度も神経質に眼鏡の汚れを確認して、やっと掛け直すと、父さんはハァとやり切れなさそうに深くため息をついた。


「似過ぎだ。牙を見るまで来澄本人かと。……気配まで寄せて来たな。いつもの竜のような気配が消えていた。今は大河の気配がしてるのに。どうなってるんだ」

「凌になり切ろうと思っただけだよ。母さんも上手く騙せた」

「れ、怜依奈を騙したのか?!」

「上手く凌だと信じ込んでくれて助かった。『美味いもの食わせて』って言ったら、買い物出てったよ。父さんとのこんな場面、母さんには見せられないでしょ」


 なんてことだと、父さんは頭を抱えて唸り始めた。


「買い物、出たのいつだ」

「十五分くらい前」

「大河のいたずらだって教えないと」


 いそいそとスマホを取り出し、父さんは母さんと連絡を取ろうとしていた。

 けど、自転車に乗って出掛けてく母さんが漕いでる間に電話に出るとは思えない。多分、買い物は終わってる時間だと思う。


「良いじゃん。二人で食べなよ」

「そういう問題じゃない。仕方ない、こうなったら、大河、お前が責任持っ……」











………‥‥‥・・・・・━━━━━□■











 最後まで父さんが言い切る前に、僕はレグルノーラに戻った。

 全身汗だくで、身体がビリビリと震えている。

 こっちの僕は……、変化へんげしてない。大丈夫。僕の、まま。


「――オォゥエッ!!」


 身体の中からまた、気持ち悪いものがせり上がってきた。

 口からダラダラと零れるよだれをぐっと手の甲で拭って、僕は息を整えた。


「凌になんか、なるんじゃなかった……」


 いや、それだけじゃない。

 昼にシバの姿になったのも、結構後に引いてる。

 シバの変身術みたいに、固定化された異世界での姿に変化へんげするのとは違う。身近な誰かの姿になるのは、精神力をかなり浪費する。

 こんなの、好んでやることじゃない。

 第一、こんなことを続けたら、また僕は自分を見失う。


「けど……、やることはやった。アナベル、待ってて。もうすぐ、会える…………」


 本当はこれから、隠れ家に行って飯を食わなくちゃならなかった。

 幾ら食べても腹が減ってる僕の為に、かなりの時間とお金をかけて料理、作ってくれてるのに。


「ヤバい……、力……入らな……い…………」


 座っていることも出来なくなって、僕はバタンとベッドの下に転がり落ちた。











      ・・・・・











 水の音がする。

 ぶくぶくと気泡が水面に上がっていく音。

 肺の中、細胞の一つ一つに染み込んでいく黒い水。

 ねっとりと纏わり付いて身体が鉛のように重くなり、ただ、真っ暗な闇の中に沈んでいく感覚があった。

 ああ……、また同じ夢。

 僕はずっと、そうやって絶望するあいつの夢を見続けている。


『全部……終わらせたい。何もかも、無に帰すべきだ』


 負の感情が溶け込んだ水は、まるで麻薬のように神経と判断力を鈍らせていく。

 世界が震えるほどに恐ろしい存在にならなければ、新たな救世主は現れない。

 もう何の為なのか分からなくなったいにしえの約束を果たすために……、人間を、世界を……、恐怖に陥れなければならない。


『唯一の白い竜である私が――……、この世界の闇を全部背負うしか…………』











      ・・・・・











 目を覚ますと、白い鱗に覆われた手が視界に入る。

 まただ。

 いい加減、起床時に絶望するのにも慣れてしまった。


「どうして、僕と同じことを考えてるんだよ……」


 白い竜は最終的にそういう考えに至るよう、出来ているんだろうか。

 一体僕は何者で、この力は何の為に与えられて。――それが分からない限り、僕は多分、あいつと同じ絶望を味わい続ける。

 そして終いには、全部壊してしまう気がする。


「アナベルに、会うんだろ……? 気を、しっかり持て。僕は、破壊竜にはならない。たとえ、邪悪な力しか持たないのだとしても。約束を果たすまで……、どうにかして……僕でい続けないと…………。全部、やり直しになっちゃうじゃないか……」


 自分に言い聞かせて、僕はまた、無意識に壊しまくった小屋を魔法で元に戻した。

 白い半竜のままの身体を持ち上げながら、思い切り両拳を握りしめる。長い爪が手のひらに食い込んで、そこから血がダラダラと床に零れ落ちた。

 痛いとか、苦しいとか。

 そういう感情は要らない。

 弱過ぎる僕の心なんか、死んでしまえばいい。

 床に広がっていく赤を、僕は無表情に見つめていた。






 *






 疲れ過ぎて寝落ちたのも手伝って、僕は夕食を食べ損ねていた。

 自分の血の臭いに酔ってよだれが止まらず、人間の姿に戻るのに時間がかかった。

 レンとノエルがシバと一緒に大量の食べ物を持って来てくれて、それでどうにかいつもの姿へと戻ることが出来たくらいだ。


「助かる。慣れないことをしたら……、力の消耗が激しくて」


 言いながら、テーブルの上にぎっしり置かれた五人前の食事をどんどん胃に押し込んでいく。

 味付けの濃いのが良いと伝えたのもあって、大きめにカットされたサイコロステーキにはしっかりと濃いめのソースが添えられていた。山盛りのサラダも、肉と一緒にバリバリ食べる。

 パスタとパンの両方があるところを見ると。朝食分も入ってるんだと思う。それも含めて、ありがたく全部頂いた。

 このところ……、人間の食い物だけで繋いでる。竜にならなければ、人間の肉を欲しがらなくて済むはずだという予想は当たっていたらしい。


「食欲は化け物だけど、人間や竜を襲わなくなったのは偉いよ」


 レンはニコニコしていた。

 今朝も、僕の酷い現場を二号のカメラ通して見ていたはずなのに。


「無事にシバの眼鏡も奪い取ったって? これは流石に褒めるしかないな」


 久々に顔を出したノエルも、パンを口に詰め込む僕を見ながらわざとらしく褒めた。

 ミルクでパンを流し込んでから、シバの方をチラリと見る。

 あまりご機嫌は良さそうじゃない。紫色が周囲をグル来るしているし、綺麗な顔が台無しになりそうな程にはしかめっ面だった。


「お……、怒ってる?」


 口元を手の甲で拭いながら訊ねると、シバはハァと力が抜けたような息を吐いた。


「いや。まだこんなに不安定なのに、塔の魔女に会いに行くのかと思ってな」

「……どうせ僕は不安定だよ。――けど、約束通りアナベルに会えるんだよね?」


 念の為確認すると、シバは面倒くさそうに目を逸らした。


「約束だからな。支度が終わり次第連れていく」

「……うん」


 頬が自然に綻んだ。

 身体の奥底からたとえようのない感情が湧き上がってきて、ニヤニヤが止まらなかった。


「襲うなよ」

「襲わないよ。襲ったら、喋れなくなる。……何百年も待ったんだ。今度こそ、成功させたい」


『相変わらず……、様子がおかしい。まだ自分とドレグ・ルゴラを混同してるのか……?』


 シバの心の声が漏れ聞こえた。

 だけどそれも、すっかりと聞き慣れてしまって、嫌味にすら思えなかった。 

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