11. 一芝居打つ

 リサは震えていた。


「し……シバ様の姿で、会いにいくつもり……?」


 頭の中では目の前に居る男がシバではないと分かっていて、だけどシバにしか見えないことに困惑しているようだった。


「いいや。シバの姿では行かないよ。変身術の精度を確かめたくて、シバの姿を借りただけだから」


 言いながら僕は、元の芝山大河の姿に戻っていく。長い金髪の色が抜け、身長が少し縮み、服装がシバの物から僕の普段着へと変わっていくと、リサはホッとしたように安堵の色を漏らしていた。


「暗黒魔法、あれだけ浴びたんだから、多分相当いろんな魔法が出来るようになってるんだろうなって思ってたんだけど、精神状態が不安定過ぎて、まともに試す機会がなかったからさ。……出来るようになってて良かった。これで、どうにかなるかも」

「干渉は? 出来そう?」

「変身術が出来るんだから、干渉は楽勝かな。レンのお陰だよ。僕、直ぐに自分を見失うから」


 ハハと笑って見せたが、レンの顔は引き攣っていた。






 *






 夕方、監視小屋に誰も居なくなる時間帯がある。

 市民部隊や神教騎士の人達がそれぞれ転移魔法や翼竜を使って森から出ていって、夕食のために森に残る皆がグリンとエンジの隠れ家へと向かう時間。僕も、落ち着いてから合流して夕食を頂き、その後小屋に戻って一人夜を過ごすようにしているんだけど、その僅かな時間を、僕は干渉に当てることに決めていた。

 まさか仕事に行ってる時間、邪魔するわけにはいかないし。かと言って、寝込みを襲うのもフェアじゃない。四六時中眼鏡を手放さない父さんから眼鏡を奪うのは一苦労だから、帰宅後を狙って一芝居打つしかなかった。


「しくじるなよ、僕。絶対に、眼鏡を奪ってアナベルに会う」


 さっきやったことと同じことをすればいい。

 問題は、上手く化けられるかだけど。


「神の子の力を信じろ。神に与えられたかも知れない力を」


 ベッドの縁に腰掛けて、僕は目を閉じ、全神経を集中させた。

 沈め、沈んでいけ、僕の身体。

 レグルノーラからリアレイトへ。

 向かうのは僕の家。誰も居ない、僕の部屋――……。











………‥‥‥・・・・・━━━━━■□











 目を開けると、カーテンから薄らと空の橙が透けていた。

 中学生の頃のままの、僕の部屋。この間ここで雷斗と一緒にポテチを食った。

 あの時散らばったポテチのクズはしっかり綺麗に掃除されていて、ただ静かな時間だけが流れていたのがよく分かる。

 僕は自分のベッドの縁に腰掛けた状態で目を覚ました。

 立ち上がって机の角に置いていた鏡を覗き込むと、薄闇に黒髪の男が映り込んだ。


「ヤバい。変化へんげ出来てる」


 身の毛がよだつくらいの精度の高さに、僕は心底震え上がった。

 やっぱり、気持ち悪い。自分の力が凄すぎて吐き気がする。胃からせり上がってくる酸っぱい物をゴクリと喉の奥に押し戻して、僕は大きく息を吐いた。


「声も、僕のじゃない。大丈夫。あとはなりきって、演技して、眼鏡を奪い取れば勝ちなんだから」


 ニタリと笑った顔が記憶の中で見たそのままで、僕はまたオエッと嘔吐えづいた。

 落ち着くまで数分、その場で深呼吸して、頭の中を整理して。それからゆっくり部屋を出て、階段を降りた。

 階下からは包丁の音と何かを煮る音が聞こえている。母さんがパートから帰ってきてる。僕はそろりそろりと廊下を進み、リビングへと足を踏み入れた。


「あれ、お帰り。音しなかったけどいつの間に帰っ……」


 直後、母さんの悲鳴。

 まな板に包丁が落ちる音。

 想定したとおりの反応。

 僕は記憶を頼りに、はにかみ笑いで返す。


「ごめんごめん。驚かせた?」

「お、驚かせたじゃないわよ!! 凌、あんた戻って来れなくなったんじゃないの?!」


 母さんから、安堵の色と不安の色が一気に吹き出している。

 僕は来澄凌になりきって、静かに笑い返す。


「せっかくリアレイトに戻ってきたのに、居場所なくて。何か美味いもの、食わしてくれる?」

「え、い、良いけど……。ちょっと待って。か、買い物行ってくる」


 母さんは慌てて火を消して、それから「あっ」と声を上げた。


「哲弥、もう少しで帰ってくるの。どうしよう」

「留守番してるから、行ってきて良いよ。悪いね、急に」

「凌って、いつもそう……!! で、でも良かった。消えたわけじゃないんだ」

「そんな簡単に消えねぇよ」


 あいつがいつもするみたいに、僕は口角を上げて目を細めた。

 台所の作業をひと段落させた後、母さんは慌てて外へと飛び出していった。

 信じた。

 皆の記憶と魔法学校で襲撃された時のことを思い出して具現化させたあいつの姿を、母さんは信じた。

 あとは父さんだ。

 このまま凌になりきって、眼鏡を奪い取ってやる。

 ソファにドンと座って、それからひたすらに父さんの帰りを待った。

 カチカチと鳴る時計の音。気を抜くと直ぐに変化へんげが解けてしまいそうで、僕はずっと、凌のことを考えた。


 人嫌いだったあいつがどうやってそこまで信頼される人物になっていったのか、実のところ良く知らないんだけど、心を開いているようで開いていないようで、そんな雰囲気は皆の記憶から窺い知れた。僕はあいつに似てる。似てないのは髪と目の色、そして背負っているものの種類。

 世界を救いたいのは一緒なのに、救世主と破壊竜、立場が逆なんだ。

 あいつは自分の中に破壊竜を取り込んで、何を考えた?

 意志の強いあいつが、ドレグ・ルゴラに呑まれて自己を失ったとは考えにくい。

 あいつも僕も、極端だ。全てを擲ってでも世界を救う。自分はどうでもいい。自分が自分でなくなることを、何とも思ってない。思ってないけど……、誰かが自分のために犠牲になるのは大嫌いだ。

 凄く似てる。

 僕はあいつのこと、皆の記憶の中でしか知らないのに。

 気持ち悪いくらいそっくりで、だからこうして変化へんげしても、違和感はないはず……。


 ――カチャリと、玄関ドアの開く音がした。それから、革靴を脱いで揃える音。

 来た。

 僕は背中を丸めたまま腕組みして、じっと耐えた。

 今の僕は来澄凌。芝山大河じゃない。来澄凌だ。絶対に、絶対に眼鏡を奪う……。


「あれ、怜依奈?」


 気の抜けたような父さんの声。

 母さんの靴がないのに明かりが付いていることに、まず違和感を感じるに違いない。


「不用心だな。外に出るときは鍵を閉めろ、明かりを消せとあれだけ……」


 ブツブツ言いながらリビングへと入ってくる父さんを、僕は凌の姿で出迎える――。


「よぉ、芝山」


 ソファの背もたれに腕を引っかけ、半身を捻って父さんを見た。


「う、うわあぁっ!!」


 父さんは鞄を落っことし、そのまま後退りしてリビングのドアにガンと背中からぶち当たった。


「ききき来澄!! なんでお前がここに!!!!」


 予想以上の反応に、僕は思わずプッと吹き出した。


「あはは! 面白ぇ!! 驚いてやがんの!!」


 手を大袈裟に叩いて大笑いする。気の置けない間柄だと、凌は遠慮せずにデカい態度で騒ぐんだ。

 父さんはドアからずり落ちて、そのままぺたんと床に尻を付き、目をウロウロさせている。


『まさか。どうしてここに居るんだ……!!』


 心の声も、僕を疑っていない。

 本物の、来澄凌が襲撃してきたと思ってる。


「暇潰し。あんまり遅ぇから、進捗確認しようと思って」


 凌が言いそうなことを頭の中から捻り出して、僕は必死に演技した。


「し、進捗……?」

「何しらばっくれてんの? 進捗だよ。分かるだろ?」


 父さんから警戒の赤が強く出る。


『何だ……、何かがおかしい。が、何がおかしいのか分からない……!!』


 疑念が確定に変わる前に、眼鏡を奪わないと。

 僕はのっそりと立ち上がり、父さんの方へと近付いていく。


「遺跡に……居るんじゃないのか。封印されたまま動けないんじゃなかったのか!!」


 父さんは目をウロウロさせながら、違和感の正体を探っている。


「残念。俺はいつだって自由に動けるんだよ。どこにだって現れる。知らなかったのか?」


 人を見下すような言い方をするとき、あいつは背の高さを利用して、首の角度を変えずにギロリと目線だけ下に向ける。

 じりじりと迫られ、父さんは腰を抜かしたままどうにか逃れようと、床に手を付いて後退りを試みていた。


「なぁ芝山。大河は、俺を倒せるくらい強くなったか?」


 僕は父さんの真ん前に膝を付き、グンと覆い被さるようにして眼前に迫った。


「……ゔゔッ!」


 歯を食いしばり肩を竦ませる父さんに、僕は更に畳みかける。


「不安定で弱くてクズな大河に眼鏡を奪わせようとしてるって? 出来ると思う?」


 手を、父さんの眼鏡の蔓に伸ばす。

 恐怖で動けない父さんは、僕の手を払い除けたりしないはずだ。

 勝てる。

 僕はニタリと笑い、指で摘まんだ眼鏡の蔓を、そのままスッと引っ張った。



「お前、誰だ」



 シバの手が、僕の腕を掴んだ。

 バレたッ!!

 僕は慌ててもう片方の手で腕ごと引っ張り立ち上がった。

 手にはしっかり父さんの眼鏡。

 勝ったには勝った。が……、


「大河かッ?!」


 正体が分かった途端、父さんは立ち上がって僕に掴みかかった。


「お前ッ! なんてヤツだ。よりによって来澄に擬態するなんて!!」


 クソッ。

 どうしてバレた。

 まだ変化へんげは解いてないのに……!!


「俺が大河だって? 何言ってンだよ芝山」


 素知らぬふりをして眼鏡を掲げ、ニヤニヤしてやるが、父さんは僕の腕をむんずと掴んで下から僕を睨み付けた。


「その牙は何だ」


 僕はハッとして、空いている手で口を押さえた。


「来澄に牙はない。大河だな……!!」


 牙かッ!!

 盲点だった。口の中まで考えてなかった。


「だったらどうした?! 勝ったぞ、眼鏡、ちゃんと奪ったからな!!」


 ガハハと笑いながら、僕は自分の姿に戻っていった。

 みるみる姿を変えていく僕を見て、父さんは恐怖の色を溢れさせた。

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