10. 原経典の一節

「宗教家としては……、あるまじき発言だと教会に叱られてしまいそうですけどね。説明が付かないのですよ、そうでもしないと。リョウゼンもタイガも、魔法陣を描くこともなく、まるで息をするように魔法を使う。リョウの力も無尽蔵だったと聞いています。神が救世主として彼を選んだのは、きっと偶然ではないでしょう。その力を受け継いだタイガの力も、尋常ではありません。白い竜になってしまえば、街一つ簡単に消し飛ぶ程の驚異的な破壊力を持っています。……けれど同時に、我が身を犠牲にしてでも世界を救いたいという強い意志と、慈愛を持っている。光と闇は表裏一体です。我が神はその両方を持ち合わせています。ですからどうしても――……、重なるのです」


 ウォルターの言葉が、僕の心を動かしていく。

 光と闇、両方の力。

 世界を構成する三つ。

 我が身を犠牲にしても。

 何度も出てくるフレーズに、僕はふと、ノートに書かれていた一節を思い出した。


「“――目覚めよ。世界を救う者よ。全ての災厄を払うため、己の全てを擲つのだ。血肉は世界の礎となり、命は世界の源となる。偉大なる竜の屍によって創られた大地に、その骨を埋めよ。清らかなる水と光が世界を包むとき、白き竜が慈愛と永遠の安寧を齎すであろう”」


「古代神教会の原経典の一節ですね」

「原経典? 今のじゃなく?」

「今の経典に、その一節はありません。よくご存じでしたね」

「シバが……、帆船にあった本の内容を記録してた。白い竜の存在が恐ろしいものに変わっていったのは、やっぱり……、ドレグ・ルゴラが原因?」

「恐らく。現代、我が神とかの竜は、同じ白い竜でも全く違う存在として認識されていますが……、現経典が書かれた時代、区別はされていなかったようなのです。あくまで白い鱗の竜は神の使い、或いは神の化身であるとされてきました。それが、かの竜の出現により覆り、今のような認識へと変わっていったと考えられます」

「殺しまくったから」


「ええ。殺戮と破壊の限りを尽くしたかの竜が、神の使いであっては困ると思ったのでしょうね。教会は完全に二つの存在の認識を分離させました。ある時代では、神が世界を壊しに来たと、不安をかき立てる者達が狂信的な団体を作っていたと」

「……知ってる。神の怒りを鎮めるために、贄を捧げようとしてた。“ドレグ・ルゴラ”が“偉大なるレグルノーラの竜”から、“恐ろしい破壊竜”になっていったのも、多分その時代」

「記憶を……見てるんでしたね」

「うん」

「タイガはどう思いました? かの竜は……、ゼンは、どんな存在でした?」


 ウォルターはいつも、他の誰とも違うところから、僕の心に触れてくる。

 否定もせず、肯定もせず。それが妙に心地よくて、僕はつい、本当のことを口走ってしまう。


「凄く……、可哀想だと思う」

「可哀想?」

「十分苦しんだんだから、救われても良いのに。あいつはどこかで、救われるのを待ってるんじゃないかと……、そんなふうに思うのは、あいつの血を引いてるからなのかな。僕も同じ白い竜だから、そう思ってしまうだけなのかな。それとも、あいつの記憶を見すぎて、感化されすぎているのか……」


 変なことを言ってしまったと、少し後悔しながらウォルターを見ると、こちらを見て微笑んでいる。


「いいえ。タイガがこの上なく優しいからだと思いますよ。そんな考えの人が、どうして破壊竜になれましょうか。安心なさい。力の使い方を覚え、心の持ち方を間違えなければ、悪しき存在にはなりませんよ」


 ……こんなふうに、あいつも長い時間、ウォルターと話し続けていたんだろうか。

 苦しい胸の内を、ウォルターは癒し続けていたんだろうか。


「うん。ありがとう」


 僕は頭を下げてから、山積みになった揚げパンにまた手を伸ばした。






 *






 聖職者のカウンセリングが効いているのか、僕自身が少しずつ慣れてきてるのか。

 徐々に精神が安定し、人間を見ても襲いかかったり、興奮したりしなくなってきた。

 かと言って、自分が白い竜であることを忘れたわけじゃない。共存だ。僕が生きていくためには、誰かを襲ったり、怖がらせたりしたらダメなんだと、落ち着いて考えることが出来るようになってきた。


「数値も安定してる。かなり頑張ったな」


 レンに言われてホッとする。

 食事も、量は必要だけど、人間や竜の肉を食わなくても大丈夫だと理解出来るようになった。そもそも竜化さえしなければ、余計なカロリーを消費しない。精神が不安定になるのも、竜化と同時に興奮度が増すからだと、何となくだが分かってきた。

 あいつの記憶も……今のところは殆ど見ないで済んでる。多分、黒い湖に沈んでるから。復活したら、どうなるか分からないけど。


「……良かった。明日が期限だから、間に合いそう」


 顔を上げて笑うと、小屋の隅で胸を撫で下ろすリサの顔が目に入った。

 なかなか、リサとは話せてない。

 自分で自分を抑えられるようにしていくために、リサとは距離を取っていた。彼女は、僕の力を直ぐに抑えたがる。それじゃあ……ダメだから。


「あのさ、レン。変身術、試してみてもいい?」

「変身術?」

「どうにかシバから眼鏡奪うために、試したいことがあって」


 塔の魔女アナベルに会うための条件。シバの眼鏡を奪うには、僕がリアレイトに干渉して、オフの状態のシバ……父さんに接触しなければならない。

 数日前までの、自分を制御出来てない状態では無理だったけど、今ならワンチャン……。


「良いよ。やってみたら?」


 思ったよりあっさり答えが返ってきて、ホッとする。

 僕はテーブル席から少し離れたところに立って、ふぅと長い息をついた。

 小屋の中にはレンとリサ、それから休憩に訪れている神教騎士が二人。何が始まるかと、椅子を僕の方に向けて、興味深く様子を覗っている。


「最初にお願いがあるんだけど、もし成功しても、シバには内緒にしておいて欲しい。シバだけじゃなくて、他の人にも。僕の変身術が上達しているかどうか、試してみるだけだから。精度を確かめて貰えると、それだけでありがたいんだけど……、いいかな?」

「勿体ぶってないで、さっさとやれよ。それこそ、シバがいつ来るのか分からないんだから」


 レンに押されて、僕はうんと頷いた。

 心が落ち着いてないと、変身術は使えない。髪の毛を黒くしたり、或いは服装を変えたり。そういうのは、頭の中できっちりとイメージを固めてから初めて出来ることであって、頭がグルグルしているうちは、なかなか上手く出来ないってことは、経験則で分かってた。

 多分、僕の素の姿というのが、今は白い半竜なんだと思う。

 確かグリンとエンジも言っていた。どんなに頑張っても、意識がないときは本来の竜の姿に戻ってしまうって。

 つまり、僕が今こうして普通の人間と同じような姿でいるのは、継続的に変身術を行使しているからってことになる。しかも、シバみたいに干渉時に変化へんげするんじゃなくて、自分の身体を意図的に作り替えてる。……多分、凄く特別で、恐らく僕とかの竜にしか出来ないこと。“神の力”とか、そういうヤツ。

 心さえ落ち着いていれば、あいつと同じ力が使えることが分かってきた。

 まだ試したことはないけれど……、他にシバから眼鏡を奪い取る方法が思い付かなかったから、やってみても良いかなって、そのくらいの軽い気持ちで……。


「じゃ……、じゃあ、いくよ」


 僕は両手を頭に当てて少し前屈みになり、目を閉じて、必死に具体的なイメージを頭の中に思い描いた。

 具現化能力が上昇しているのは、修復魔法の精度が上がっていることで証明出来てる。

 同じような理屈で、僕自身の身体を別のイメージに置き換える。半竜から人間の姿に戻るのと、理屈は同じ。具体的で現実的な像をイメージ出来れば、きっと、思い描いたとおりの姿になるはずなんだ。

 例えば背格好。

 髪の毛、目の色、服装、材質、声色、身体的特徴を一つずつ僕のそれと置き換えていく。

 身体の組織がどんどん変化していくのを頭の隅の方で感じながら、僕は必死にイメージを巡らしていく。


「……え、えぇッ?! た、タイガ……?」


 レンが変な声を上げる。


「う、嘘だろ」

「神の子、その姿は……」


 神教騎士の誰かが椅子からひっくり返って尻餅をつく音がする。

 変化へんげが終わったところで……、僕はゆっくりと目を開け、頭から手を離した。

 周囲を見渡す。

 明らかに驚いて、口をあんぐりさせている顔が目に入る。

 驚愕と衝撃の赤と黄色が漂う中、両手で口を押さえたまま、目を見開いて何も言えなくなっているリサの方に視線を向けた。


「どう? リサ。違和感は……ある?」


 イメージ通り。僕の口から、僕ではない声がする。


「僕の変身術の精度が知りたい。教えてくれる……? 成功してるか、未だ精度が足りないか」


 ゆっくりと隅っこにいるリサの方に歩いて行くと、彼女は警戒の赤を強く出した。


「ほ、本当に、大河君なの? 確かに話し方は……だけど。ま、まるで本物の…………」


 そこまで言って、リサは言葉を飲み込んだ。

 彼女の目を見る。

 そこには、長い金髪を揺らした、優顔の男が見えていた。

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