9. 光と闇

 ――救われたいと思うのは我が儘だろうか。

 自分がたとえ恐ろしい白い竜だとしても、どうにか救われたい、ただの真っ新な自分になって自由に生きたいと思うのは、許されないことだろうか。

 そのために何もかも壊して、誰かを傷付けてしまうのは……、罪なんだろうか。

 延々と続く地獄の中で、私はもう十分に苦しんだ。

 夢とか希望とか、そういうキラキラしたものは私には似合わないと、きっと君は笑うだろう。

 それでも……、いつか、救われたい。

 どんなに血で汚れても、どんなに恐れられても、いつか……、この地獄を終わらせたい。

 そのためだけに生き続けることしか出来ない私は、一体何者なのだろう。

 リサは、その答えを知ってるのか……?











      ・・・・・











 朝になると、また全部壊れている。

 僕の心と力は未だ不安定で、気をしっかり保ってないと、直ぐに暴走してしまう。

 救われたいと願う夢を見た。あれは僕だったのか、それともあいつだったのか……。心がシンクロしすぎていて、簡単には判別出来ない。

 同じことを願っている。救われたい、と。

 そうしてあいつは破壊竜になって、何もかも壊していった。世界も、人の心までも。


「僕は僕。破壊竜になんか、絶対にならない。大丈夫」


 レンに言われたことを思い出し、何度も口の中で繰り返した。声に出して、頭に叩き込まないと、直ぐに心を持って行かれてしまう。

 びっちりと張り付いた鱗と、身体のラインに沿うように生えた角。長い尻尾の先が視界の端っこでゆらゆら揺れる。背中の羽に朝の冷たい風が当たって、僕を悲惨な現実に引き戻す。

 幾ら誓っても願っても、僕は僕を変えられない。鱗の色は……ずっと白いままで、僕の本性はおぞましい竜のまま。


「竜になるなよ……。僕は、人間だ。人間、人間……」


 毎朝毎朝、僕は呪文のようにそう唱えて人間の姿に戻る。

 それから壊した物を直していく。

 気持ちを落ち着けて、元の姿に戻るようイメージすれば、簡単に魔法で修復出来てしまう。けど、そうやって魔法でなんでも出来てしまうこと自体が、本当に気持ち悪くて、魔法を発動させた後は吐き気がエグいのだ。

 壊したい、殺したい。

 破壊衝動は常に隣り合わせで、僕の弱い心につけ込んでいつでも顔を見せたくてうずうずしてる。

 ダメだ。

 世界を救うんだ。

 壊すんじゃない。救うんだよ。

 あいつが、凌がやれなかったことを。約束を果たす。そのために、苦しんできたんじゃないか。

 こうやって膝を抱えて泣くのを、多分今日も、レンは二号のレンズ通して見てるんだろうと思う。






 *






「自己暗示は大事ですよ。誰よりも、自分の声が一番大きく聞こえているのですから」


 小屋を訪ねてきたウォルターは、そう言ってニコッと微笑んだ。


「自己暗示?」

「自分は強いとか、正しいとか、そういう定義づけを心の中でしていくんです。自然と、心がそっちを向きますし、行動にも表れてきます。タイガは恐らく、自分を白い竜だと定義づけてしまったから、どんどん竜の部分が強くなっていったのではないかと思いますが。……どうですか?」


 僕の反応をチラチラ確認しながら、ウォルターは持参したフルーツティーを淹れてくれた。優しい香りがする。差し入れで揚げパンを大量に持ってきてくれたのも嬉しかった。テーブルの上に山のようにおいて、そこから一つずつ、手に取って食べながら話をする。


「そう……かも知れない。けど、そういうものなの? 唯一の白い竜になると誓った途端、凶暴性が増してきて、人間からはほど遠くなっていって、頭がもう、そういう思考になってた。僕はてっきり、暗黒魔法のせいで、そうなってるんだとばかり……」

「暗黒魔法は勿論、そうなんでしょうけどね。多くはタイガ自身の心の問題だと思います。第一、何ですかその、“唯一の白い竜”って」


 しまったと、僕は口に揚げパンを突っ込んでそっぽを向いた。

 油物がありがたい。

 カロリー、何でも良いから高いの摂取しないと、僕の身体は直ぐに空腹になってしまうから。


「言わない気ですね。まぁいいでしょう」


 シバは相変わらずあっちこっち飛び回っているらしく、殆ど小屋には寄りつかない。ノエルはシバと同行。レンは機械の調整で一旦森の外に出ていて、リサはグリンとエンジの隠れ家の方で、料理の手伝いをしているようだ。

 落ち着いてきたのもあって、市民部隊の人や騎士団の人に相手をして貰っているが、やっぱり僕を未だ怖がっている様子。本気でぶつかってきてくれないのは、僕に殺されたくないからだというのも分かってる。

 発作が起きれば殺すつもりでと、今でも言う。鎮静剤を使わずに抑え込みたいから、攻撃は遠慮しないでとも伝えてある。だけど……、言う程簡単なことじゃないのも、当然皆分かってる。


 相手の目を通して見える僕の姿は、化け物ってレベルじゃなかった。心が打ち砕かれるくらい、残忍で、凶悪で。僕は僕を……消し去りたくて溜まらなくなるくらいに、残酷な姿をしている。

 僕は破壊竜にならないことを誓わなければならないのと同時に、自分が白い竜であることも、人間にとっては恐ろしすぎる存在であることも、決して忘れてはならないんだ。

 いつでも人間を殺せるし、いつでも人間を食える。

 そういう化け物だってこと、その事実から目を背けないようにもしなくちゃならない。


「ねぇ、ウォルター。古代神とレグル……リョウゼンの共通点って、白い半竜ってところだけだった?」


 揚げパンをフルーツティーで流し込み、僕はそんな質問を投げかけた。

 そうですねと、ウォルターは少し思案して、


「ハッキリとした共通点は見た目ですけど、……光と闇、その二つの力を同時に持っていた点、でしょうか」

「光と……、闇?」

「リョウゼンは慈悲深さの中に、激しい怒りを持ち合わせていました。激しい怒りというのは、かの竜としての記憶ですよね。悲しい生い立ちの中で、救いを得られなかった怒り。彼自身の苦しみは、激しい怒りになって現れることがありました。あれは、紛れもない闇でした。リョウゼンの光の部分が、闇を必死に抑えているような感じに見えましたね」

「ゼンは……、闇を抱えながらも、凌に従ってたのかな」

「どうでしょうか。三つの人格はそれぞれ独立しているようでしたから、私には何とも」


 ウォルターは言葉を濁した。

 濁さざるを得なかった。

 あいつの心の内は、誰にも分からないから。


「気になりますか?」

「あいつの他に白い竜はいないから。レンが、僕なりの白い竜になればって言ってくれたんだけど、そもそも白い竜が何者なのか、サッパリ分からなくて」

「何百年分の記憶を見ても?」


 僕はうんと小さく言って、大きくため息をついた。


「ドレグ・ルゴラはただ自分の存在を呪って、頭がおかしくなってくばかりなんだ。全部ぶっ壊して、その先に救いを求めてる。僕も……、同じことをしようとした。味方がいない。理解者も。あいつ自身、自分が何なのか分かってなかったんだよ。あの状態で、正気を保つのは難しい。僕は、あいつを否定出来ない。同じ……白い竜で、あいつの痛みも苦しみも全部僕と同じだから。レンに言われて、僕なりの白い竜を……とも思ったけど、有史に残る白い竜は、あいつと……、それから、神話の古代神しかいない。古代神レグルが一体何者なのか、どんな存在だったか知れば、また何か違うのかなって」


「我らが神は、創造の神であるのと同時に、破壊をも司ります。世界の秩序が崩れたら、壊してまた、作り直す。破壊と再生の神と呼ばれる所以です。神には……、命を作り出す力があると聞きます。リョウゼンがリサを作り出したというのが本当であれば、やはり白い竜は神の化身か何か……、それに近い存在なのではないかと思うのですが」


 無から有を。

 土塊つちくれから魔物を。


「四体の守護竜の像に命を吹き込むところは、ウォルターも一緒に見たよね? あれは……、神の力だと思う?」


 チラリとウォルターを見ると、難しそうな顔をして、視線をテーブルに落としている。


「普通の魔法で、ああはなりません。神の力か、それに準ずる物だと思います」

「認めたくはないけど、やっぱり……、そうなんだよね。白い竜は、やっぱり古代神と深く関わりがある。見た目もそうだし、その力だって。なのに……迫害されて、闇に堕ちて、破壊竜になった」

「ええ。だからと言って、貴殿まで闇に堕ちる必要はありませんからね」

「分かってるよ……。どうにか正気を保ち続けたい。けど……、抑えきれなくなって、たくさん人間を怖がらせた。罪悪感で押し潰されそうになって……、というか、何度も押し潰されてて。ウォルターはそれでも、僕のこの力は、やはり古代神のそれと関係があると思う……?」


 恐る恐るウォルターの顔を見た。

 いつも、綺麗な象牙色を漂わせているウォルターの心は、僕にリョウゼンの姿を重ねている。


「貴殿が悪しき存在なら、神教騎士団も市民部隊も、そして我が教会も、貴殿の存在を許さないでしょう。何も知らされずに育ち、短期間でその力を発現させたことで制御不能に陥っていると……、皆そう思っています。貴殿は優しい。力を操りきれないことで、たくさんの物を傷付けたり、命を奪ったりしてしまうことに対し、これほどまで真摯に向き合うなんて。年を重ねた者にだって難しいことですよ。ほんの十六の少年が、全てを受け入れ、必死に前を向こうとしている。私達の方こそ、無力で申し訳ないくらいです。こうやって話を聞き、貴殿の荷が少しでも軽くなればと、そういうことしか出来ないのですから」


 そこまで言ってから、ウォルターは改めて、僕の目を見てハッキリ言った。


「リョウゼンも、タイガも、神に等しき力を持っていると、私は思います」


 言ってから、ウォルターは口元を歪ませた。

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