5. まるで恋してるみたいに

 破壊衝動との戦いは、日に何度か訪れる。

 頭が朦朧とし、意識が飛びかけ、人間に襲いかかりたくて堪らなくなったり、何もかも壊してしまいたくなったりする。壊すくらいなら自傷してしまえと思うくらいには追い詰められ、その度に、僕は力を逃がして必死に耐えた。

 身体が血を欲するというのはこういうことなのかと、僕は自分の凶暴性に何度も絶望した。


「いい加減、タイガの唸り声には慣れてきちゃったよ」


 レンが笑う。笑い事じゃないと僕は思う。

 壊しまくっても、その後修復すれば良いと思うと少しは気が楽だった。一次資料だけ壊さないようにして。あとは……、申し訳ないけど、監視小屋の内部は何度もぶっ壊して、その度に魔法で直した。


「僕も、我慢するの、少し慣れました」


 枷を嵌められた魔獣のような顔で何度もレンを睨んだのに、レンはもう僕を怖がらなくなっていた。リサも、僕の力を抑える頻度が減ってきたように思う。

 心はずっとざわついたままだけど。

 どうにか……、僕が僕でいられる時間が長くなっていくのは、良いことだと思う。

 たとえその先に、そのざわつく心さえ残しておけなくなるかも知れないとしても。






 *






 シバが戻ってきたのは、僕が監視小屋に収容されてから数日後のこと。

 グリンとシオンの姿も見えて、僕達は小屋の外で彼らを出迎えた。


「大丈夫。暴れてないよ」


 僕は自信たっぷりに言ったのだけど、周囲の人間達の顔は引き攣っていた。


「ま、まぁ……、合格点じゃないかな。軽い竜化現象はあったけど、タイガ自身の意思で押さえ込めてる。今のところは――、だけどな」


 ノエルが報告すると、シバはそれは良かったと何度か頷いていた。

 監視小屋の出入りは激しくて、常に僕に張り付いているリサやレン以外の人間は、僕の発作を全部目撃しているわけじゃない。

 最初の発作の時はノエルは不在だった。発作の最中に小屋に戻ってきて、慌てて身構えることが何度もあったように思う。……が、全くと言って良い程余裕がなくて、誰がいつ僕のどんな姿を目撃していたのか、把握は出来ていない。


「何日か見てないだけなのに、タイガの顔、凄く険しくなってる気がする」


 グリンが何かを感じ取って、シバの影に半分隠れた。シオンも僕の何かに気が付いているらしく、及び腰だった。


「気のせいじゃないの……? まぁ、常に胸の辺りがムカムカするから、どうにか落ち着けようと頑張ってるってのもあるかも知れないけど」


 七本目を壊してからは体調がかなり怪しい。シバの言うとおり、一気に壊しすぎたからだと思う。


「まだ干渉は難しそうだな。殺気が強すぎる」

「期限までにはどうにかするよ。絶対に、シバの眼鏡、奪ってやる。そしたらアナベルに会えるんだろ?」

「ああ。大丈夫だ。ちゃんと本人からも許可を取ってきた。確認するか?」


 シバは人差し指で、トントンと自分の頭を指差して見せた。


「――い、いいの?!」


 思わず僕は、シバの両腕を掴んで顔を覗き込んだ。

 シバは驚いて仰け反り、足をふらつかせた。


「いいが、ちょっと落ち着け。……全く、どうなっているんだ。会ったことのない人間に、まるで恋してるみたいに」


 恋。

 恋が……、出来たなら。

 僕は顔を歪めて、シバから手を離した。


「恋は……、出来ないよ。白い竜と塔の魔女だし。何より……、彼女は誰のことも好きにならない」

「そ、そうか」

「話、聞かせてよ。アナベルの話もそうだけど、ルベールにも会ってきたんでしょ」

「あ……、ああ」


 喜んだり、肩を落としたり。

 コロコロ態度が変わる変なヤツだと、シバは思ったに違いない。


「シオン、ここまでありがとう。グリンからお礼を貰ってくれ」


 シバに言われ、シオンはコクッと頷いたように見えた。

 シオンは僕を見て、何か言いたげだった。

 だけど人目があるのもあって、何も言わずにグリンと共に隠れ家の方へと歩いて行った。






 *






 監視小屋の一角、ミーティングテーブルに椅子を並べ、僕とシバ、ノエル、リサとレン、それから神教騎士団のグレッグも一緒に話をする。

 神教騎士団はこのところ、回復魔法の得意な者が中心になって、僕が傷付けた竜や森林火災に巻き込まれた竜を治療して回っているようだ。壊すことしか脳のない僕は、ただただ申し訳なくて、頭が上がらない。

 こんな化け物なら、教会は神の子を匿うべきではなかったと、心の声を強くする者も多く、その度にグサグサと心が抉られた。

 それでも不平を言わずに仕事を続けてるんだから、僕は目をつぶらなくちゃと思う。第一、僕に心を読む力があるなんて、彼らは知らないんだ。


「アナベルの様子、どんな感じ? 塔の魔女の肩書きにも、少し慣れたかな」


 僕が聞くと、シバは「少しはな」と軽く頷いた。


「一介の修道女から突然塔の魔女になって、かなり困惑していたと聞いている。私が最初に会った時には、状況を受け入れ始めた頃だった。眼鏡の話をした日、塔に面会を申請して、昨日、やっと時間を貰えて会いに行った。だいぶ……、落ち着いたようだ。どこかぼんやりしていて、神の子と知らされたばかりのお前を思い出したよ」

「そうか……」


 シバの頭には、寂しげなアナベルの顔がぼんやりと浮かんでいる。

 僕と同じ。

 世界に縛られ、自由を失うことを余儀なくされた彼女には、同情しかない。……けど。

 ローラを殺して、ディアナを死に追いやって、そこまでして新しい塔の魔女を欲した僕のことを、アナベルは許してくれるだろうか。


「タイガ、やたら塔の魔女に拘ってるよな。何かあるのか?」


 無遠慮に聞いてくるノエルを、僕はギロリと睨んだ。


「教えない」

「うわ。怖っ」

「同じ年頃だし、気になってもおかしくはない」


 グレッグがいいタイミングで口を挟んだ。


「そういうことにしといてよ。――ところで、シバ。アナベルに僕のこと話したんだろ? 何て?」

「あぁ。概ね好意的に受け取って貰えた。インタビューが良い感じに効いてたらしい。アレがなかったら拒否されていたかも知れない」

「あはは。やり過ぎも偶には役に立つかな」

「大河は素直で真面目な良い子だよ。あのインタビューで、“神の子は危険だが、世界を救うために必死なんだ”って認識が世界中に広がった。アレは心の叫びだったように受け取ったが、まさか演技だったか?」

「……教えないよ」


 僕は小さく笑って、そのままシバの記憶に入り込んだ。




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 白い塔の最上階。

 ローラのいた部屋に、アナベルはいた。


『シバ……でしたよね』


 夕焼け色の瞳をした綺麗な女の子の顔が、こちらに向く。


『神の子の話は……、勿論知ってます。動画、何度も観ました。胸を抉られるようで……。あんなに必死に生きている人が同世代にいるなんて。尊敬します』


 つい最近の記憶とあって、かなり画像が鮮明だ。

 青の混じった長い髪が視界に揺れる。

 白を基調にしたドレスが良く似合う。

 どうしようもなく彼女が可愛く見えるのは、僕が……、ドレグ・ルゴラの記憶に冒されて、入れ込んでいるからかも知れない。


『その神の子が、塔の魔女アナベルに会いたがっている。あいつはまだ不安定で……、知ってのとおり、石柱を壊す度にドレグ・ルゴラを倒すための力を手に入れる。先般、連続で石柱を壊してからは、反動で発作を起こし、人間や竜を襲うようになってしまった。今のままじゃ会わせられないから、力を制御しろと言っているところなんだ。可能なら……、塔の魔女から、励ましの言葉を貰えないだろうか』


 アナベルは両手で口元を隠し、息を呑んでいた。

 長いまつ毛を上下させて、それからゆっくりと頷き、両手を胸に当てて、シバを見た。


『私も……、神の子に会いたい。詳しくは言えないけど、どうしても話さなくちゃならないことがあって……。神の子なら、分かってくれるかも。頑張ってくださいって、伝えてくれますか? 私も頑張るから、きっと会いに来てって』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥……… 




 僕は、呆然とシバの顔を覗き込んでいた。


「『頑張って』『会いに来て』――アナベルはお前を応援してるそうだ」


 僕の耳には、シバの声じゃなくて、アナベルの声に置き換わって聞こえてくる。

 見えた記憶は、会話のほんの一部だったけれど、それでも直接、あんなふうに言ってくれていたのなら、僕は救われる。

 自然に口元が綻んで、僕は前のめりだった姿勢を元に戻した。


「良かった。アナベルも僕に会いたがってる。……会いたい。早く会いたい。会って全部喋りたい」


 他の誰とも話せない僕の決意とか。

 白い竜と塔の魔女との関係性とか。

 絶望から抜け出したいこととかも、全部。


「会うために、どうすれば良いか分かるな?」


 シバがわざとらしく聞いてくる。


「力を抑える。竜化しない」

「そうだ。あとは?」

「干渉して、シバの眼鏡を奪う」

「そうだ。よく出来た。――いいか、大河。お前は破壊竜にはならない。白い竜が破壊竜になるとは限らない。理性を保て。アナベルに会って、いっぱい話したいっていう気持ちに嘘はないな?」

「ない。アナベルに会えるなら、耐えられる」


 急にニヤニヤし出す僕を見て、ノエルもグレッグも気味悪がっているようだ。

 気持ち悪いのは分かってる。だけどもう、そのくらいのことでしか希望も持てないし、前も向けなくなってしまった。

 追い詰められすぎて、思考回路が鈍ってるんだ。

 いつもならこんなやりとり、馬鹿にすんなって怒りそうなのに、もうその気力すら残ってない。


「大河、どこまで記憶を見た?」


 今度はシバが、隣の席から僕の顔をグイッと覗き込んできた。

 その視線に耐えられる程の余裕がないことも、どうやらシバには見抜かれているらしい。

 シバの、魔法を帯びた人間特有の甘い香りが僕の本能を刺激した。

 破壊衝動が湧きそうになって気持ち悪いのを、僕は常にごまかし続けている。

 自己否定感がどんどん大きくなって、自分自身を一刻も早く消し去りたいと思う心を、アナベルに会いたいという気持ちだけで、必死に抑えている。


「急に、何の話?」


 半笑いで応えた僕を、シバはしかめっ面で睨んだ。


「様子が以前に増しておかしい。記憶の中でだいぶ時間が進んだな? ドレグ・ルゴラのことで重大な何かが起きたとか」


 まるで記憶が見えるみたいに言い当てるシバに、僕は目を見開いた。

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