4. 人間の皮
食うだけ食うと、眠くなるのは生き物の
自分が何者なのか、納得出来る記述を探して必死に本を読み込んでいるうちに、目が滑って字が読めなくなっていく。レグル文字もレグル語もちゃんと読めるし理解も出来ているはずなのに、習いたての英語の教科書を読んでいるような感覚になってきて、僕は次第に夢と現実をいったり来たりするようになった。
こういうとき、リサは僕を遠くから見ているだけで何も喋らない。
他のヤツらも、打ち合わせ中で、僕には注目しない。
大人しくしていれば良い子なのにと、このところ良く言われる。
良い子じゃない。
僕はとても悪いヤツだ。
化け物なんだよ。この世界でたった一匹の白い竜になるために、心を捨てなくちゃならない。そうしないと、世界を構成する三つが揃わないんだから。
だけどどうしてそこに拘らなくちゃならないのか――そういう肝心なことは、どの本を読んでも資料を漁っても一切出てこない。
歴代の塔の魔女達は、本当にあの約束を受け継いでいたのだろうか。
アナベルは……、知ってる…………?
・・・・・
分厚い雲で覆われた空と、砂の大地。
金色の竜と同化し、半分竜の姿になった異界の救世主は、途轍もない力と魔法でドレグ・ルゴラを圧倒した。
『ここまでだ……、ドレグ・ルゴラ…………』
世界の果て、砂漠の縁まで追い詰められた白い竜は、満身創痍だった。
が、それは救世主と呼ばれるこの男、キースもまた同じ。あちこち傷だらけで、肩で大きく息をし、立っているのもやっとに見える。
ドレグ・ルゴラは地面に這いつくばり、剣先を自分に向けるキースを下からギロリと睨み付けた。
『私を……、本当に倒せると思っているのか……?』
竜と同化してもなお、竜の巨体より遙かに小さなその男に、ドレグ・ルゴラは恐怖を覚えていた。そして同時に羨望を。ただの人間が何故これほどまでに強くなったのだと、頭の中でグルグルと考えを巡らせた。
『私は……死なん…………。いつまでも生き続ける……。約束の日まで……、絶対にだ…………』
砂漠の果てに辿り着くまでの間に、救世主キースの味方をしていた人間達は次々に脱落し、姿を消した。
一方でドレグ・ルゴラも、魔力という魔力を使い果たし、
救世主キースと金色竜が用意したのは大量の竜石だった。どこから掘り起こしたのか、人間共に一つずつ大きな石を背負わせて、それを一気に発動させて、ドレグ・ルゴラの力という力を吸い取ったのだ。
お陰でもう、まともに立ち上がることも出来なくなった。
どちらが先に命を落とすか。――まるでそれを待つかのような、静かで残酷な時間が流れていく。
朦朧としていく意識の中、キースがフラフラと足をよろめかせ、持っていた剣を落としてパタリと砂地に倒れ込むのが見えた。同時にその身体から光り輝く何かがフッと分離していくのも目に入った。
『金色竜……!!』
見ると、キースから離れた金色の竜もまた、意識を失っている。……意識を失ったまま光に包まれ、どんどんどんどん凝縮されていくのが見えた。
昔、聞いたことがある。
人間と契約を交わした竜は、主が死ぬと卵に戻る。そうして次の主が見つかるまで、森の奥深く、洞窟の中で眠るのだ――……。
金色の竜はすっかりと卵に姿を変え、そのまま光に包まれてどこかへと吸い込まれるように消えていった。
……つまり、壮絶な戦いの末に、救世主キースは死んだのだ。
殆ど動かない身体と、意識が途切れそうな頭。ドレグ・ルゴラはぼんやりと、目の前にあるもの、見たもの、起きたことを整理する。
『人間の……身体』
白い髪、白い肌、赤い目ではない人間の抜け殻がここに落ちている。
死して間もない。傷みも殆どない。
人間と同化して、金色竜は強くなった。
更なる力を持つ救世主が、現れるのなら――そう、させるには。ドレグ・ルゴラ自身がより強く、より凶悪にならねばならない。
絶望を超える絶望を世界に与え続けることが出来たなら、いずれ新たなる救世主が自分を倒しに来るのではないか。
ドレグ・ルゴラは必死になって、まだ温かいキースの身体に手を伸ばした。
いつもの白い髪の男に姿を変えたドレグ・ルゴラは、ニヤリと頬を歪めた。
這いつくばり、どうにかキースの直ぐそばまでやってくると、うつ伏せに倒れた彼に自らの身体を重ねた。
『そうだ……、こうすれば良かったんだ……』
白い髪の男の身体は、まるで沼に沈んでいくように、徐々に崩れていった。キースという人間の皮の中に、白い竜の身体をどんどんどんどん溶け込ませていく。
もう二度と離れないように、身体の組織を全部混ぜこぜにして、人間でも竜でもない何かになる。
ゾクゾクする。
この人間の身体が手に入れば、もう白い髪だ赤い目だと罵られずに済む――……。
・・・・・
「――大河君、大丈夫?」
ガバッと顔を上げる。
足元に本が落ちて、バサリと音がする。
椅子に座ったまま寝落ちたらしい。
よだれが垂れた口元を腕で拭って、僕は「大丈夫」と嘘をつく。
全身汗でびっしょりで、妙に興奮している。
魔法を帯びた人間の臭いが鼻を刺激して、僕は口に充満した唾をゴクリと飲み込んだ。
「つ、疲れてるみたいだけど、大丈夫。何ともない」
落ちた本を拾い上げ、読もうとしたが、もうどこのページを読んでいたのかさえ忘れてしまった。
頭が――また、混乱し始めている。
「無理しなくて良いよ。シバ様、あまり魔法で抑えてやるなって忠告してくるんだけど、そういうわけにもいかない感じだよね。こんな小さな身体に、あんな巨大なものを押し込めてるんだもん」
リサは僕の隣に椅子を持ってきて座っていたようだ。
シバに内緒で僕の力を抑え込んでいる。――抑え込まなければ、白い竜はいつでも僕の皮を破って出てこようとするからだ。
人間の皮の中に、白い竜の身体を押し込んで。
溶け込ませて……、人間に、なりすまして――……。
「ねぇ、本当に大丈夫? 顔色、それに汗も」
言われるまで気が付かなかった。
夢を――見てたんだ。
ドレグ・ルゴラが死んだばかりの救世主の身体に入り込む夢。いや、記憶。
「……うるさい」
本をテーブルの上に置き、口と鼻を押さえて、僕はリサを睨み付けた。
息が荒くなっている。身体の中で何かがうごめいている。
皮を破って――、本性が露わになろうとするのを、僕は必死に抑え込む。
「黙って」
二号がけたたましい音を上げ始めると、タブレットで別作業をしていたレンが「うわっ!」と声を上げた。
室内には市民部隊の兵が何人かいるようだけど、身動きの取れない僕には、人数まで確認しようがない。
ただ急に室内がざわめき立って、一斉に僕を警戒し始めたのだけは分かるんだけど。
「発作――来てるの?」
両手で口を押さえて身体を丸め、僕は椅子に座ったまま必死に力を外に逃がした。
手が、竜化しかかっている。ダメだ。鱗を引っ込めろ。
ハァハァと、自分の呼吸がうるさいくらいに頭に響いた。
リサが心配そうに僕の顔を覗き込もうとする。それすら、邪魔だと言う余裕がない。
「多分、発作だ。波がうねるみたいに、竜化値が上下してる。タイガ、どうにか抑えろよ……!!」
レンの無責任な言葉。
言われなくったってそうするよ。
会いに行くんだ……、アナベルに。そのためにも、この力を抑えないと……!!
・・・・・
――手のひらをじっと見つめる。
剣を握りすぎてできたマメがところどころ潰れて血が滲み、指はあちこち擦り傷だらけ。ゴツゴツしていて、とても綺麗だとは言い切れない手。
『ようやく手に入れた。人間の身体だ』
ドレグ・ルゴラはゆっくりと立ち上がると、自分の手のひらを見て、薄ら笑った。
辺りは一面の砂漠、砂嵐が巻き起こり、彼の新しい身体を激しく揺らしていた。けれど彼は微動だにせず、自分の身体の隅々をまじまじと眺めてはニヤニヤと笑っていた。
『あの愚かな金色竜が私に教えた唯一は、人間との同化で強くなれるということ。私はこの世界で最強の存在になれる。何も怖くない。誰も私を倒そうとはしないはずだ』
生きているのが不思議なくらい、ドレグ・ルゴラはフラフラだった。身体中から力という力が抜け、激しい痛みと息苦しさでいつ倒れてもおかしくないほど、体力を奪われていた。
死人とはいえ、人間の身体を手に入れたのは、僥倖だ。
しかも、竜が入り込んでも壊れない、最強の器。
『ただ……馴染むまで時間がかかる。そして、回復するのにも相当の時間が必要だ。金色竜め、私の力をよくも吸い取ったな……。根こそぎ吸い取るために、大量の竜石を用意するとは不覚だった。復活まで何年かかる……? 十年、二十年……、いや、もっとだ』
空は厚い雲で覆われ、湿った空気が渦になってつむじを巻いている。風と風がぶつかり合い、砂を巻き上げて辺りを白くした。目を凝らすと地平線が途切れているのが分かった。砂漠の端っこ、大地の終わりにドレグ・ルゴラは立っていたのだ。
『しかし何故だろう。心が躍る。これほどまでに胸が高鳴ったことはない。あれほど執拗に追い詰められたこともない。平坦だった私の半生に、一筋の光が差したようだ。残念ながら、私は眠らなければならない。が……、眠りから覚めた暁には、今度こそ二つの世界を――』
身体の底から湧き上がるように嗤い、ドレグ・ルゴラは力尽きた。
空には暗雲が立ちこめ、辺りには腐敗臭にも似た、生臭い空気が漂っていた。
倒れた彼の身体を、砂はどんどん覆い隠した。
大地の一部がゴッソリ削れ、彼はそのまま、砂と共に崩れ落ちていった。
宙に浮いたその大地の下には、果てしなく続く黒い湖がある。真っ黒い、タールを溶かしたような湖は、砂と共に、救世主キースの姿を手に入れたドレグ・ルゴラを呑み込んだ。
・・・・・
「ググググググ……ググッ……!!」
一瞬、意識がまた飛んだ。
気を失っている間に竜化が少し進んでいる。それを必死に押し込める。
「た、大河君!!」
リサの足が直ぐ隣に見える。
美味そう、齧り付きたい。
ダメだ。餌じゃない!!
「――ぐあ゙あ゙あ゙ッ!!」
床に倒れ込み、それでも何とか自我を保とうと必死に耐えるが、破壊衝動はそんなに簡単に収まらなかった。
踏ん張れば踏ん張っただけ床に負荷がかかってあちこちヒビが入ったり、壊れたりした。
唸り声と悶える僕に驚いて、何人か小屋から走って逃げてった。
肥大化するな、竜化を止めろ。
頭の中で命令しても、身体が簡単に言うことを聞く訳じゃなくて。
鎮静剤があれば……、けど、フィルに止められたんだ。使い過ぎはダメだ。何一つ、僕を止める手段がなくなる。鎮静剤は真に迫られたときにしか使えないって意味だ。
破壊衝動如きに負けるな……。クソッ!!
「大河君、必死に耐えてる……」
リサが言うと、レンも明るい声を上げた。
「タイガ、その調子。だいぶ落ち着いてきてる」
蹲って、僕の力が外に向かないように、内側に、内側に、力を押し込める。
誰も……傷付けちゃダメだ。傷付けたくない。
脅したくない。怖がらせたくない。
一人に……なりたくない。
「う……、うぅ……」
握り締めていた手を、僕はようやく開いた。
ボコボコになった床の上に身を預けて、僕はぐったりと全身の力を抜いた。
「あ、収まった。結構……、長いな」
レンが近付いてきて、僕の真ん前にしゃがみ込んだ。
「このしんどいのを、繰り返してんのか? 苦しいだろ……。ごめんな、何もしてやれなくて……」
昏睡状態の時から僕をずっと観察していたレンにとって、僕の発作はよく見る反応の一部かも知れなかった。けれど、こうして同情の言葉を掛けられることはなかった気がする。
何か、心境の変化があったのか。僕を、心底哀れんでいるのか。
「レンは……、何で逃げないの……?」
横たわったまま僕が聞くと、レンはふぅと息をついて、少し笑った。
「頑張ってるヤツを放っといて、無責任に逃げ出すのは嫌だからな」
何気ない言葉だったんだろうけど。
僕はちょっとだけ嬉しくなって、そのまましばらく静かな気持ちで、その場に横たわっていた。
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