【27】いにしえの約束
1. 待ち続ける
――僕はまた、記憶の海に沈む。
ドレグ・ルゴラが必死に差し伸べた手を、塔の魔女アンナローザは拒絶した。
怒り、嘆き、悲しみ。
塔から追われた彼は、たとえようのない絶望の淵にいた。
『この時代に、世界は救われない』
彼が涙すると、空が泣いた。
黒い湖の水がどんどん蒸発して分厚い雲を作り、空一面を覆い始める。
『リサ……、私はどうすれば良かった? 永遠に続く孤独を生きるために、私はたくさんの命を奪った。私という存在を理解しようとしない、受け入れようとしない人間共を、竜共を、私は殺し、食らい続けた。破壊竜と呼ばれるのにも、化け物と呼ばれるのにも慣れてしまった』
雲はどこまでも広がり、やがてレグルノーラの空という空を全部覆い隠した。
『唯一、語り合うことの出来たお前との約束を、私は果たしたかった。私の孤独と絶望を理解したお前との、大切な約束。世界を構成する三つを……、どうにかして揃えなければと。偶発的にしか現れないという、悪魔を祓う者を――救世主を、何百年も待ち続けた。それさえ現れれば儀式が行えると……、お前は確かに言ったじゃないか……!!』
地獄を終わらせるために。
解放されるために。
愛されることを知らなかったドレグ・ルゴラは、リサの言葉だけを道標に生き続けていた。
『私は……、唯一の白い竜たる私は、生き続けなければならなかった。人間はすぐに死ぬ。塔の魔女は代替わりを続けて存在を繋ぐ。せめて私の存在は途切れぬようにと、厭われても恐れられても生き続けた。悪魔を祓い、世界を救おうとする異界の干渉者――救世主の出現を……、待たなければならなかった』
ドレグ・ルゴラは巨大な白い竜へと姿を変えて、天に向かって咆哮した。
雷鳴が轟き、嵐が巻き起こった。
『世界を救うためには、世界は滅びへと向かっていなければならない……。救世主が現れる条件は、私が破壊竜となり、世界を破壊し尽くすことだったのではないか……? 私は暴れまくった。壊し、殺し、世界を炎と血で染めた。結果、救世主は現れた。私の予感と推測は当たった。儀式まであと、ほんの少しだったのに……!!』
ドレグ・ルゴラは炎を吐いて街を焼いた。
人間共が徒党を組み襲いかかってくるのに、彼は
『この時代での決着が付かないのであれば、私はあとどれだけ待てばいい……? 混沌の先、いつ現れるとも知れぬ新たな救世主を、神とやらはまだ待てと言うのか?! そのために私は、更なる絶望を人間共に与え、破壊の限りを尽くさねばならないのか……?!』
金色の竜と共に、救世主が現れる。
彼らは再び同化して、人間とも竜ともつかぬ存在になって、ドレグ・ルゴラに向かってきた。
ドレグ・ルゴラはその圧倒的な力に押され、次第に街を追われ、森を追われた。
そしてやがて、砂漠の果てへと追いやられてしまう。
『異界からの干渉者よ。私を悪だと決めつけ、倒してやろうと向かってくるだけでは世界は救われない。世界の真理も知らぬ若造が、愚かな金色竜の言いなりになって、本来の救世への道を閉ざすのは、得策とは思えないな』
ドレグ・ルゴラは人間の姿になって、救世主に訴えかけた。
目線を同じくし、どうにか話を聞いてもらおうと考えた。
塔の魔女アンナローザは拒絶したが、その次の時代になったらどうだろう。次の塔の魔女に、この男と二人揃って儀式の話をしてみたら。
『惑わされるな、キース。相手は破壊竜。言葉巧みに取り入って、たくさんの人間達を殺してきたんだ』
キースというのが、その救世主の名前らしかった。
彼は空の濃い青を映したような瞳をドレグ・ルゴラに向け、金色竜の言葉にこくりと頷いた。
『案ずるな、アウルム。俺は信じない。この禍々しい竜を倒し、世界を救う――!!』
救世主キースは、ドレグ・ルゴラを完全に拒んだ。
その時代に世界が救われる道は途絶えた。
無理だと思った。
生きるためとは言え、破壊と殺戮を繰り返し、世界から孤立してしまった白い竜には、味方なんていなかった。
『ならば私は次の救世主を待つ。私がより恐ろしい存在となり、この世界を恐怖に陥れた先に、お前よりももっと強い異界からの干渉者が現れるはずだ。世界を救うという使命感に駆られ、私を倒しに来るその日まで、私は待ち続ける……!!』
・・・・・
「また、こんなところで寝てる」
エンジがまた、テントのファスナーを開けて僕を見ていた。
夜、ふらふらと泉の畔まで戻って、またテントを張って寝た。
前日に破った寝袋もテントも、魔法で具現化し直せば新品に戻る。けど、朝起きたらまたズタズタで、穴だらけだった。
また僕は、夢の中でドレグ・ルゴラになっていた。
彼の中では全く無理のないロジックで積み上がった破滅までの道筋に、共感してしまった僕がいる。
それでは……ダメなんだ。
あいつの正義は、あいつの中だけで正当化されていなければならない。僕が共感したり、同情したりしてたら、僕もあいつと同じようになってしまうってのに。
「昨日よりはマシに見えるぜ。……けど、だいぶ嫌な夢を見てたのか、汗はびっしょりだな」
破れた寝袋から這い出して、僕はふぅと額を手で拭った。
白い鱗と長く伸びた爪が視界に入り、僕は息を整えてから、人間の姿に戻った。
「僕は許されて、あいつは許されなかった。……その意味を、考えてた」
テントから這い出して身なりを整え、具現化魔法で生成したものを消した。
不要だと思えば簡単に消せるらしい。原理は……分からない。自分で作ったから、消すのも容易いのかも。
「自分の意思か、そうじゃないか……とか? 少なくともお前は、誰かを傷付けたくてそうしてるわけじゃないんだろ?」
エンジは同情するように、眉をひそめた。
「どうかな。近頃じゃ、必要なら殺しても良いって思い始めてる気がする。感覚が、おかしくなってる。早く解放されたい。こんな地獄、どうやって耐えれば良いんだよ」
「お前が本物の神の子で、ドレグ・ルゴラの血を引いてる化け物なのは、昨日のでよく分かったよ。だけど、お前は悪者じゃない。ましてや、ドレグ・ルゴラと同等だとは思えない」
「森を焼いて、レドを殺して食ったのに?」
「……多分、ここでお前を拒絶したら負けなんだと思う」
「負け? 何に負けるの?」
フンと鼻で笑うと、エンジは言い辛そうに口を歪めながら「さぁね」と小さく笑った。
「朝はどうする? またレドの肉を漁りに行くのか」
「……そうした方が、いいかな。少し、腹に入れてから戻ります。皆を、襲いたくない」
エンジは僕の肩をポンと叩いた。
こんな、化け物みたいな僕と一緒なのに、エンジには暖かい色が漂っていた。
*
自分で具現化させたおにぎりや弁当じゃとても満足出来なくて、結局また、レドの肉を食った。
そうでもしないと空腹で頭がおかしくなるだろうと――そんなヤツが、どうしてリアレイトに飛べるのか。
「タイガは、ドレグ・ルゴラの記憶に引き摺られすぎているんだと思う」
グリンが言うと、みんながコクコクと頷いていた。
隠れ家のリビングには、グリンとエンジは勿論、リサとノエル、シバと……、レンとフィルもいた。皆思い思いに、椅子に座ったり、あるいは壁に寄り掛かったりしている。
リサとノエルはここに泊まったらしい。人間が快く泊まってくれたのが余程嬉しかったらしくて、グリンもエンジもその点はご機嫌だった。
レンとフィルは、七本目まで杭を壊したことで、僕に何か変化がないか、数値とか体調のチェックのために出張してきてくれた感じ。フィルがテーブルに道具を広げて問診やら検査やらしてくれている間に、隣で改良済の二号を使ってレンが数値をチェックしている。
「数値もだいぶ荒れてるなぁ。一旦落ち着いたのに、無理しやがって……」
タブレットを覗き込み、レンが渋い顔をした。
所々白いボディに汚れが目立つようになった二号は、ぷかぷかと無表情で僕の力を計測し続けている。
「数値なんかどうでもいいだろ。どうせ僕は人間じゃないんだし。ちゃんと都市部の杭は全部壊したよ? せっかく安心して過ごせるようになったんだから、僕のことなんて無視すれば良かったんだ」
シャツをめくってフィルに聴診器を当てて貰いながら言うと、フィルがハァとため息をついた。
「はい。心音には異常なし。変なものいっぱい食ってる割に、腸の動きも大丈夫そう。採血の結果はあとで連絡するけど、多分大丈夫。……口ではめちゃくちゃなこと言いながら、ちゃんと戻ってくる辺り、タイガは可愛いよな、シバ」
嫌みったらしく言うフィルに、今度はシバがフンッと鼻を鳴らした。
「塔の魔女とどうにかして会うために、諦めて私に従うことにしただけだろう。自分が化け物になっていくのを止められないのに、塔の魔女に会えるわけがない。せめてまともに冷静になって話が出来るようになってからじゃないと、会わせるのも難しいと本人には伝えたんだ。どうやら失敗したらお終いらしいからな」
全く、苛々する。
シャツを戻して身なりを整えてから、僕は気を落ち着けようと、深く息をついた。
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