9. 条件

 僕が思いの丈をぶちまけた直後、シバは顔を引き攣らせてハハと笑った。


「とうとう喋ったな……」


 失態に気付き、僕は慌ててシバから離れ、目を逸らした。

 調子に乗り過ぎた……!!

 “唯一”の話なんか、喋る必要なかったのに!!

 しめたとばかりに、シバは僕にズンと迫った。


「大河、言え。何の“儀式”だ。そのために“整える”? どういう意味だ。さっき新しい塔の魔女の話をした時も、“整える”って言ってたな。何を“整える”んだ。ディアナとローラが死んだことも、それに関係してるのか……?!」

「う……、うるさい!! 人間には関係ないことだ。これは僕と新しい塔の魔女だけが知ればいい話。邪魔するなよ!! ここでしくじったら、あと何百年先になるか分からないんだから!!」


 弁明すればするほど不自然になる。

 巻き込みたくない、邪魔されたくない。

 新しい塔の魔女が現れたのなら、尚更――。


「新しい塔の魔女には心を開くつもりか? まだ出会ってもいない、何の事情も知らない少女に、お前は何をするつもりだ」

「何もしない!! 話を――したいだけだ。会って、二人だけで話をしたい。これからの話を」


 言うとシバは、僕を蔑むように鼻で笑った。


「塔の魔女の強大な魔力に、お前が我慢出来るとは、とても思えないな。二人きりになっても、お前が彼女を襲わない保証もない」

「はぁ? 食うわけないだろ!! 彼女は特別なんだ。絶対に襲わないし、怖がらせない」

「口だけは立派だな。さっきもノエルを見て、よだれを垂らしてたじゃないか。暴走を止めに入った大型竜を殺して、死体をめちゃくちゃにしたのは誰だ。理性が吹っ飛んでいる状態では、絶対に塔の魔女には会わせられない」


 シバはピシャリと言い放った。

 僕はぎりりと歯を噛んで、シバを睨んだ。


「……だったら勝手に会いに行く。塔の天辺に行けば会えるんだろ?」

「無理矢理会ったとして、それで塔の魔女が怯えでもしたらどうする? 自分がどんな姿で、どんなに相手を震え上がらせてるか、考えたことがあるか? 恐怖で心を閉ざしたら? 拒絶されたら? ――お前の計画は台無しだろうな。『しくじったら、あと何百年先になるか分からない』? だったら、もっと慎重にことを運ぶべきだ」

「クッ……!!」


 記憶の中、アンナローザに拒絶されたのを思い出した。

 平静を保っていたはずなのに、努めて冷静に話していたはずなのに、アンナローザはあいつを受け入れなかった。

 拒絶され、あいつはあの時代での決着を諦めた。


「今のお前は頭に血が上りすぎて、前しか見えていない。余裕がない、残された時間も少ない。だから焦って凶暴になる。しかもタチの悪いことに、お前は自分が凶暴化しているのに気付けてない。そんな調子で塔の魔女には会わせられないと言っているんだ」


 凶暴化してる。

 気付いていないわけじゃないけど。


「落ち着きを取り戻したら、二人っきりで会わせてやる」

「――ホントに?!」


 僕は前のめりになって、シバの顔を覗き込んだ。

 嘘の色は出てない。

 シバはウッと一旦身体を引いて、僕に落ち着くよう、手でジェスチャーした。


「条件を出す。クリア出来たら、責任を持って私がお前を塔の魔女の元へ連れて行く」

「シバ、いいのか。勝手にそんなこと」


 壁際に逃れたノエルがボソッと口を出した。


「いい。多分、大河の最終目的はその先にある。“儀式”……のことも気になる。それが何を意味するのか分からないが、ドレグ・ルゴラの記憶が絡んでいるのは間違いない。来澄の意味不明の言動とも、関係がないわけではなさそうだ。そうなんだろ、大河」


 ニヤリとシバが笑う。

 僕を……、試してる。

 ムカムカするけど、上から目線で子ども扱いされてばかりよりは、マシ……。


「これ以上は、教えない。でも、塔の魔女に……、アナベルに会えるなら何でもする。条件は呑む。何を、すればいい? 発作を抑えろとか、竜になるなとか、そういうのなら全然――」

「私から、十日以内に眼鏡を奪ってみせろ」


 不敵な笑みと共に、シバは言った。


「眼鏡? シバは眼鏡なんて……」


 ノエルとリサは顔を見合って、「あっ」と声を上げた。

 グリンとエンジに至っては、眼鏡なんか掛けていないのにと不思議そうだった。


「眼鏡って。それってつまり」


 シバの出した悪辣な条件に、僕は血の気が引く思いがした。

 眼鏡。

 銀縁の――芝山哲弥の眼鏡を奪えってのか……?!


「今のお前には無理だ。人間を見たら食いたくなる、感情を抑えられない、直ぐに興奮する……そんな状態で、私から眼鏡を奪えるか? 奪って粉々にするのもナシだ。傷一つ付けず、私から眼鏡を奪ってみせろ」

「――それは」

「出来ないなら、この話は終わりだ。せいぜい勝手に塔に行って、塔の魔女に嫌われろ」


 痛いところを突く。

 僕が言われたら嫌なことを、シバは全部知っている。


「一人で作戦会議でもするんだな。一旦、塔の方に今の話をしてくる。その後はなるべく、お前の監視役として同行するつもりだ。――リサ、ノエル。悪いが大河を頼む」

「分かりました」

「了解」

「グリン、エンジ、済まないな。本当はもっと穏やかな子なんだが……」

「大丈夫。話は聞いてるから」


 エンジが半笑いで応えている。

 ひとしきり声を掛けてから、シバは部屋を出ていった。

 僕は頭を抱えて、その場にへたり込んだ。


「シバの、眼鏡……? 難易度、相当高くないか……?」


 愕然とする僕のそばに、リサがしゃがみ込んだ。


「シバ様、まさかリアレイトに来いって言ってる……? 眼鏡って、向こうでのお姿だよね?」

「そういう……こと。シバのやつ、何考えてんだよ!! 僕は二度と、リアレイトには行かないつもりで……!!」

「けど、妙案ではあるよな」


 無責任にノエルが言う。


「干渉自体、精神を落ち着けないと出来ない事だし。無理矢理にでも、タイガの力をコントロールさせる訓練になる。それに、シバから眼鏡を奪うとしたら、就寝中だろ? 静かにしなきゃ気付かれる」

「いや、無理だね。確かシバは寝てる時も眼鏡をかけてる。風呂に入る時も」

「じゃあ、眼鏡を外すタイミングを狙うの?」


 とリサ。


「僕が知る限り、眼鏡を外すのは洗顔の時と、目薬を差す時だけだ。そんなにピンポイントで……、奪いに行くのは無理だと思う」

「こうなったら、徹底的に力を抑えて気配を消すしかないんじゃないの?」


 言ったのは、静観していたグリンだった。


「闇に紛れて、一切の気配を消して、寝ている隙を突いて眼鏡を奪う。どんな生き物も、寝ている時は警戒が緩むだろ? 草食動物並に察知能力が優れていれば別だけど」

「親の寝室に侵入しろって? あそこには母さんも寝てる。シバより先に母さんに気付かれる可能性もある」

「じゃあいっそのこと、協力して貰えば?」

「母さんに?」

「その方が早いだろ」

「出来るか、そんなこと。逆に、僕が奪いに行くことをシバが先に伝えて、絶対に協力しないよう忠告するはずだ。……元、干渉者だし。僕が最も巻き込みたくない一人なのに」


 両手で頭をぐしゃぐしゃと掻きむしって、大きくため息をついた。

 そのまま床にごろんと寝転がり、天井を仰ぎ見る。――と、羽が生えかかっていたようで、背中に違和感を感じ、慌てて羽を引っ込めた。鱗も、角も、牙も。


「そこまでして、アナベル様に会いたいの?」


 寝転ぶ僕の顔を、リサが覗き込んだ。

 不安そうな色を漂わせ、僕の顔色を覗っている。


「会いたい。凄く、会いたい」

「ディアナ様や、ローラ様じゃダメだったから、アナベル様を欲してるの?」

「教えない」

「大河君、何にも教えてくれなくなったね。それって、白い竜の記憶が進んできたから? 大河君自身の意思にはとても思えない。君はもっと優しくて、他人の痛みが分かる人だったじゃない。ディアナ様の死を聞いてあんな顔をするような人じゃ……」

「うるさいな。まさかリサ、僕に説教する気? そういうの、要らないんだけど」


 ごろんと、リサに背を向けた。


「性格悪いぞ、タイガ」

「うっせぇ。ノエルに言われたくないし」


 毒づいたところで、また捻くれてると思われるだけだけど。

 どうしたらいいのか。

 シバの眼鏡。父さんの……、芝山哲弥の眼鏡を奪えなんて、そんなこと。

 悶々と考えながら転がっていると、不意にお腹が「グゥ」と鳴った。


「腹……、減ったな……」


 暗黒魔法を浴びて、竜化を何度も繰り返して。

 急激な体力の消耗は、僕をどんどん追い詰めていく。

 よいしょと身体を起こして、それからゆっくり立ち上がり、僕は腹を擦った。

 リサとノエルから漂ってくる美味そうな臭いに、僕の身体はまた反応して、よだれが出そうになる。


「何か作ろうか?」


 グリンが声を掛けてくれたけど、僕は首を横に振った。


「外に出てくる」

「腹減ってんだろ? 狩りにでも行く気か」


 ベッドの横に置きっぱなしの靴を履く。


「気に掛けてくれるのはありがたいけど、ここにある食料だけじゃ足りないと思うから、外で食うよ。……それから、僕のことはもう、同族だとは思わないで」


 また突っぱねるようなことしか言わない僕に、グリンもエンジもあからさまに苛々したような色を出した。


「竜は、同族を食わないんだろ。僕は、食うよ。レド……だっけ? あいつの肉、僕が食う。あれだけあれば、しばらく持つだろうし。これ以上……、余計な犠牲を出すわけにもいかないから」

「大河君!」

「――誰も、見ないで。付いてこないで。結界を張る。腐らないよう、魔法を掛ける。アレは僕が仕留めた獲物だから、勝手に処分されたくない」

「まるで、自分が竜とは違う別の化け物になったみたいな言い方だな」


 汚いものを見るような目で、ノエルは僕を睨み付けた。


「そりゃそうだよ。僕は白い竜で、人間も、竜も何でも食う化け物なんだ。……ごめん。これ以上ここにいると、全部、壊してしまいそうで。落ち着いたら戻るから」


 僕はそれだけ言って、部屋を出た。

 





 *






 すっかり日が落ちた森は、少し肌寒かった。

 火は消え、煙と煤臭さが風に混じっている。

 杭のあった穴の上にごろっと転がった大型竜レドの死体は、所々焼け焦げていた。

 肉の焼けた良い臭いがする。

 巨大な、美味そうな肉の塊に見えた。

 そこらじゅうにまだ竜や人間達がいたけれど、そいつらを威嚇して遠ざけ、結界魔法を掛けて周囲からの侵入を遮断した。

 巨大な冷蔵庫をイメージして、結界の内部には冷気を循環させた。腐らないよう、なるべく長期間保存出来るよう、温度を下げていく。


 誰からも見えないようにした後で、僕はあいつがそうしていたように、身体の一部を竜に変えて、レドの肉を貪り食った。

 いくら食ってもなくならないのはありがたい。本能の赴くまま、満足するまで肉を食い進めた。

 味とか、食感とか、臭いとか、そういうのはもう、全然分からなかった。

 それはもはや、かつて竜だった死体ではなくて、単なる肉。

 スーパーで売ってる鶏肉とか豚肉みたいな感覚に、とても近いのだと思う。

 腹が膨れて、満足するまで食って、それから竜化を解き、結界を出た。

 食うものは食ったのに、酷く嫌な気分だった。

 最悪だ。生の竜の肉を食って、満足するなんて。

 激しい嫌悪感に、頭がどうにかなりそうだった。

 自分の中の、白い竜の部分がとても大きくなってきて、人間だったことも、リアレイトにいたことも、どんどん薄れていくのが分かる。――だのに、シバは僕を、リアレイトに戻そうとする。


「こんな化け物が、リアレイトに行って良いはずがないだろ……」


 シバからの無理難題に、僕は完全に打ちのめされていた。

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