7. 邪悪

 ノエルがすかさず召喚魔法を発動させる。淡い緑色が視界に入り、僕は両手を広げて魔法を放った。バンッと音がして、ノエルの魔獣が消える。


「チッ……! バレてたか」


 召喚魔法とは名ばかりで、魔力を凝縮させて魔法生物を生成してるのだと、いつだったか聞いたことがあった。

 次から次へと、ノエルの生成した魔法生物が襲いかかってくる。


「意地でも喋らせてやる!! ――召喚!!!!」

「……こんな子供騙しがぁッ、僕に効く訳、ねぇだろぉおおぉッ!!!!」


 僕は腰を落とし、両手に目一杯魔力を溜めた。


「クッ……!! 何やってんだ二人とも!! リサ、グレッグ、逃げるぞ……!!」


 シバが二人を引き連れて逃げていくのが見えた。

 立ち上がって初めて、辺りを見回す。

 半径数百メートルの木々がなぎ倒され、踏み潰されている。杭があったはずの穴は僕が倒したと思われる黒い竜の死体で塞がれていた。

 あちこちから炎や白い煙が立っている。真っ直ぐに天に伸びていた木々が、所々斜めになって折り重なっていた。

 酷い有様だ。

 けど、憂う間もなく、


「鎮静剤が欲しいなら、大人しくやられろ、タイガぁ――ッ!!」


 僕の周辺数箇所に、淡い緑色の魔法陣が出現する。


「うるせぇ!! 誰がやられるか!!!!」


 背後から迫る数体のオーガの腹に、僕は思いっきり魔法をぶっ放った。風が渦巻いた。穴だらけになったオーガが、ボンッボンッと弾け飛んだ。身体に巻き付く大蛇を引きちぎり、激突してくるキマイラの身体を噛みちぎって真っ二つにした。上空から襲い来る怪鳥の羽を炎で焼き、魔法でズタズタに切り裂いた。


「弱ぇなぁ、ノエル!! こんなんで僕を止める気かよ!!!!」


 叫びながら、僕は次々に魔獣を倒した。

 巻き込まれないよう、リサもシバもグレッグも、僕からどんどん離れてった。

 様子を見に来たと思われる竜達が、慌ててまた森に戻っていくのが見えた。

 凌が魔法学校に現れた時よりも、僕が一本目の杭を壊した時よりも、ノエルはずっと多くの魔獣を生成している。同時に何体も操るのは多分、至難の業だと思う。

 ありとあらゆる方向から、ノエルは僕に魔獣を放った。

 それらを全部、倒しまくった。


「な、なんだこいつ……!! オレの魔法が、効かない?!」


 ノエルが、怯えてる。

 もっと怯えろ。僕を蔑むな。

 もう僕は、弱くて可哀想な神の子じゃないんだってことを、ノエルに分からせなきゃならない。

 鎮静剤如きで口を滑らすようなヤツじゃないってことを、示さなきゃならない……!!

 ――ズンッ!!

 ノエルの魔力が尽きたところで、僕はノエルの真ん前に迫った。


「ゔ……ッ!!」


 ノエルは顔を真っ青にして、目を見開いた。

 その目に、半分以上竜に変化へんげした僕の姿が映っている。

 普通の人間の一.五倍くらいまで、僕の身体は膨れていた。顎まで裂けた口からよだれと炎を漏らす僕の醜い顔が、ノエルの視界を塞いでいる。


「く……、食う気か。また食うつもりでオレを襲うのか……?!」


 怯えた顔。

 興奮を押え、肩で息をしながら、僕はニヤリと口角を上げた。


「何だよその言い方。僕に、食って欲しいの……?」


 だらだらと零れ落ちるよだれを、腕で拭った。

 広げた羽の影がノエルの身体をすっぽり覆うと、彼は怯えて、そのまま地面へとへたり込んだ。

 ――ゴトッ。

 注射器が、地面に転げる音。

 僕は長い腕を伸ばして、ノエルの後ろに落ちた注射器を拾い上げた。


「ひ……、ヒイッ!!!!」


 悲鳴に似た声を出し、ノエルは更にひっくり返った。

 仰向けになったノエルの身体に、僕のよだれがボタボタと落ちる。


「怖がるなよ」


 僕はギロリとノエルを見た。

 注射器を手元に引き寄せながら、ゆっくりと人間の姿に戻っていく。


「ばばば、化けも…………!!!!」


 情けない声を出すノエルに一瞥をくれ、僕はようやく芝山大河の、人間の姿に戻った身体を確認した。

 服の具現化も済んだ。大きさも……、問題ない。


「なぁ、ノエル。知ってるか? これ一本で、どれだけの人間が殺せるか」


 注射器の先っぽから鎮静剤の液体がしっかり出ることを確認して、僕はノエルにそう尋ねた。


「……はぁ?」


 鼻水と涙を垂らしたノエルは、かっこ悪くて見てらんなかった。

 僕はフンと嗤って、針の先を服で拭い、それから思いっ切り、太い注射針を自分の腕にぶっ刺した。


「グッ……!!」


 痛みで朦朧としていく頭をブンブンと振りながら、僕はどうにか液体を最後まで身体に入れた。

 興奮状態が収まるのと引き換えに、身体が副反応で震えだす。


「ん……、ぐわっ!! あ゙あ゙ッ!!!!」


 ストンと、力が抜けた。

 そのまま僕はまた、夢の中へと落ちていった。











      ・・・・・











 ――そいつらは、ドレグ・ルゴラを執拗に追いかけ回した。

 致命傷を負わされ、泣く泣く地面を這いずり回ってようやく逃げても、回復し切る前に現れて、また彼を攻撃した。

 竜と人間の同化による大幅な力の増強に、ドレグ・ルゴラは恐怖した。


『何故この私が、あの非力な金色竜に怯えるのだ……!! 許せない。絶対に許しておけない……!!』


 正義感だけが異常に強く、金色竜と同調する異界の干渉者にも腹が立った。


『世界を構成する三つ……。唯一の白い竜……、強大な力を持つ魔女……、そして異界からやってくる、悪魔を祓う者……。世界が混沌へと向かい始める前に、それらを集めよ……』


 忘れないように、何十年、何百年となく唱え続けてきた初代塔の魔女の言葉。

 地獄を終わらせる大切な鍵が、この時代になってやっと揃った。――なのに、唯一の白い竜である彼は孤立し、追い詰められていた。

 救世主は、約束を知らないだろう。しかも白い竜である自分を敵視している。背後にいる金色竜を、彼はどうにかしなければならないと思った。

 今の、塔の魔女は知っているのだろうか。もし知っているのなら、どうにかしてくれるだろうか。何らかの儀式……、白い塔の上に……、行かなければ…………。











 竜石を砕いて練りこんだ白壁を、ドレグ・ルゴラは懐かしく触っていた。

 人間に化け、素知らぬ振りをして、白い塔の中に入り込んだ。

 あれから何百年経ったのか……、時間の感覚なんてとうに無くなっている。

 塔に出入りする役人達に混じって、ドレグ・ルゴラはずんずんと階段を上がっていく。白く長い髪の毛は、フード下に隠した。極限まで竜の気配も消した。

 ――塔の魔女は、亜麻色の髪をした、十代の乙女だった。

 最上階、初代塔の魔女リサと大切な時間を過ごしたその場所に、彼女はいた。


『塔の魔女』


 呼ぶと、清潔な白いローブを纏った彼女は、怪訝そうに目を細めた。


『誰? 関係者以外、立ち入れない魔法をかけていたはずなのに』

『魔法なんか、かかってなかった。私はお前と深い関係にある。……塔の魔女。いにしえの約束を、お前は覚えているのか』


 薄汚れた白いフード付きのマントを羽織った剣士に、彼女は覚えがないようだ。


『私を、塔の魔女アンナローザだと知ってて話してるの? ……不思議な人。いいえ、人ではないわね。あなたから、とても邪悪な気配がする』

『……邪悪?』


 ドレグ・ルゴラはフードの下で目を光らせた。


『私の、何が邪悪だと』


 アンナローザは美しい顔を歪めて、ドレグ・ルゴラを警戒しだした。

 魔法の杖を構え、魔力を高めてゆく。


『闇の魔法が得意なのね。……血と肉、悲鳴と恐怖が好きなの? これまでたくさんの人間と竜を殺した……。無慈悲に、何の躊躇もなく』

『それが、どうした?』

『見えるわ。――あなたが、何者なのか』


 アンナローザは、ドレグ・ルゴラを睨み付けた。


『白い……竜。知ってるわ。この世界を滅ぼそうとする、恐ろしい竜の話は……!!』


 杖先から聖なる光が迸った。

 風が渦巻き、フードが取れる。

 ドレグ・ルゴラの白く長い髪と赤い目が露わになると、アンナローザは目を見開いた。


『約束を……、果たしたい』


 努めて冷静に、ドレグ・ルゴラは言ったのに、アンナローザは取り合わない。


『や、約束? 何のこと? 塔の魔女たる私が、世界を破壊しようとする竜の化身と交わした約束なんてない……!!』

『嘘だな。知らない訳がない。私の姿にお前は反応した。白い髪の男の話を、どこかで聞いた事があるはずだ。――約束したんだ。お前が生まれるよりずっとずっと昔、気が遠くなるくらい前、この白い塔が作られた時代に、私は塔の魔女と約束した。この地獄を終わらせるための約束だ。私とお前、そしてもう一人。私を嫌い、命を狙うあの人間。やっと三つが揃ったのだ。早く、地獄を終わらせたい。私はもう、これ以上、苦しみ続けたくはないんだ――……!!』











      ・・・・・











 目を覚ましたとき、僕は何かに向かって手を伸ばしていた。


「大河君、起きた?!」


 リサがいた。

 けれど僕はリサじゃなくて、確か、アンナローザに分かって欲しくて。


「泣いてるの? 怖い夢でも見た?」

「え……?」


 目元を拭った。濡れてる。

 あいつの気持ち、僕と同じだった。

 どうにかして救われたくて。

 早く、一刻も早く、全部終わらせたかった。


「僕は、あいつだ」


 見知らぬベッドの上で、孤独に蝕まれた憐れな白い竜に思いを馳せた。


「何……言ってるの? 大河君は、かの竜とは」

「間違いない。僕はあいつで、あいつは僕だった」


 リサは困った顔をした。

 だけど僕は、自分の放った言葉を否定する気にはなれなかった。

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