6. やり過ぎ
頭が、ぼうっとする。
手が、震えてる。
力が入らない。地面の上に伏して、ただ無気力に目を開く。
草と土の臭い。息をする度に口から漏れる炎が、目の前の草をチリチリと焼いている。
うつ伏せから起き上がれないのが辛い。けど、位置を変える気力も今はない。
「大河は落ち着いたか」
聞き覚えのある声。
「あ、シバ様。大丈夫。今のところは……、ですけど」
シバ。
ああ、シバも来てるのか。
見えない。目を動かす余裕がない。
「半竜の姿で止まってる。これ以上は戻らないのか?」
「……分かりません。大河君の意思次第かも」
リサが頭を撫で続けてくれるから、どうにか僕でいられてる気がする。
人間の姿にも……、戻らなきゃならないのに、まだそこまで意識が回らない。
ドタバタと、地面を伝ってたくさんの足音が耳に響いた。
焦げ臭い。
森が焼ける臭いが漂ってくる。
――僕が、焼いたのか。
「一週間前とは次元が違う。破壊力が増してる。これを、たった一人で……!」
「大河君は無茶し過ぎなんです。この短期間に五本も壊して。相当辛いはずなのに、全部一人で抱え込んだりするから」
色んな人の声が、頭の上を飛び交っている。
かなりの数の人間達が森に入った。
暴れたことで、森に逃げ込んだ僕の位置が特定されたらしい。
結果的に、良かったのか、悪かったのか。
「水魔法の得意な者は消火に当たれ!!」
「回復班! 怪我した竜達の治療優先して!!」
頭の上を翼竜が数匹旋回しているのが見える。
能力者達が地上に降りて、僕がめちゃくちゃにした森の生き物を救おうと動いているようだ。
どれだけ被害が出たのか、考えたくもない。
想定していたとはいえ、 やり過ぎた。
意識は保ってたはずなのに、完全に、おかしくなってた。
自分で自分が……、コントロール出来てない。
身体中に、べったり血がこびり付いてる。
口の中が血の味だ。何かを食った感触が残ってる。
けど……、凄く満たされたような気持ちがあった。
「これ、本当にタイガなのか」
二つの足音が、僕の直ぐそばで止まった。
分厚い靴底の男が、僕の前にグンとしゃがみ込んだ。
「一本目を壊したときとは別の生き物みたいだ。前はこんなにゴツゴツしてなかった。角の数も増えてる。何より……、人間に戻れてない」
「これまで七本分の暗黒魔法を浴びてる。……あの頃のタイガとは、全然、違う」
もう一人が言った。
誰だ?
声は覚えてる、けど。
「油断するなよ、ノエル。近付き過ぎると囓られる」
「うっせぇな、グレッグ。所詮タイガだろ?」
僕は眼球をゆっくり動かして、そいつの方を見る。
濃い茶のズボン、カーキ色の上着、迷彩色のインナー……。
「ノエ……ル……?」
荒い息の合間に、僕はぼそりと呟いた。
ノエルはハッとして地面に腕をつき、僕の顔を覗き込んだ。
短めの金髪、赤に近い濃いオレンジの瞳。
療養中じゃ……、なかったのか……?!
「うわぁっ! 何だこいつ。よだれ垂らしてやがる!」
ノエルはビクッとして立ち上がり、そのまま後退った。
右腕が、不自然にだらんと垂れている。力が入っていないらしい。僕が……、齧ったからだ。
「ゔぅ……、ゔぐぅ、ふぅ……、ふぅ……」
ヤバい。刺激が強すぎる。
良い臭いが掠めて、もの凄く美味そうだと感じてしまった。
ダメだ!!
また食おうとする気か……ッ!!
僕は慌てて、手で鼻と口を塞いだ。
「大河君、落ち着こう。良い子だから……!」
リサが宥めるように、僕の肩を抱く。
耐えろ、耐えろ僕。
だらだらと垂れるよだれと、身体中に付いた何かの血が混ざって、地面にボタボタと滴り落ちた。
頭を地面に擦り付けながら、僕はノエルを睨みつけた。
「はあっ、はあっ、はあっ……、ゔぐぐぐぐぐぐ…………!!」
食いたくなる衝動を必死に抑える。
絶対に食うな。
何度も何度も、同じことを繰り返すな……!!
「やべぇ顔。化け物かよ……!」
吐き捨てるようなノエルの言葉。
……心に、グサッとくる。
「ノエル、召喚魔法、直ぐに出来るようにしておいてくれ。グレッグも、遠慮なく攻撃準備を。大河が暴れたら即座に押さえろ」
「シバは息子にも容赦ないな。まぁ、準備は出来てる。我慢出来なくなったら多少暴れてもいいぜ、タイガ。今度こそちゃんと止めてやる……!」
何カッコつけてんだ、ノエル。
あの頃とは全然違うって、聞いてなかったのかよ。
僕は湧き上がる衝動を必死に抑えた。
地面に爪を立て、歯を食いしばる。
身体が熱くなって、また炎が口から出てる。
羽が広がり、尻尾がいきり立ってくると、益々興奮度が増して、じっとしていられなくなる。
「ぐぐぐぐぐぐぅ……!! ぐぁあぁっ!!」
クソッ!!
ダメだ。
破壊竜にはなりたくないって言ったのに、身体はどんどんあいつに近付いてる。
体力を消費し過ぎた。
早く、何か食わないと、気が……、狂いそうだ…………!!
「大河君、大丈夫だよ。私が付いてる!!」
人間の、美味そうな臭い。
リサは人間じゃないってのに。
空腹で身体が誤認してる。
ちっくしょう! どうやって耐えればいいんだ、こんなの!!
「鎮静剤は追加しますか」
と、グレッグ。
「前回は、四本打ちました。大河君、副反応で……、かなり大変そうだったけど」
「翼竜用の鎮静剤を四本て。完全に化け物だな。どうなってんだ、こいつ」
「……ノエルもさっき見ただろう? 石柱を壊す度に、身体が悲鳴を上げてるんだ。多分、身体が追い付く前に、どんどん石柱を壊した報いなんだと思う」
シバはとても残念そうに、大きく息をついた。
「レグルは石柱一本に付き三十日の猶予を与えていたはず。なのに、大河は一週間で五本壊した。本来五ヶ月かけてやることを、たった一週間で。……やり過ぎなんだ。急いでどうなる。暴走して、この有様だ。何一つ、良いことはなかった。もう、一人にはさせられない。森だろうが砂漠だろうが、誰かが一緒にいないと、大河はもっと無茶をする」
「シバは、タイガが急ぐ理由、聞いてないのか」
ノエルに聞かれて、シバは即座に「いいや」と言った。
「大河は何かを隠してる。それが何なのか、恐らく聞いても教えるつもりはないんだろう。近頃は自分一人で全部決めて、勝手に動く。もっと心を開いて貰いたいが、なかなか難しい」
「ぢん……せぃ、ざ、い……、持ってるの……?」
僕は重い身体を必死に動かし、ゆっくりと頭を上げて、シバを見た。
シバの後ろには、屍になった黒い鱗の竜。あれも、僕が……、やった。相当悲惨な殺し方をした。
思い出すとまた、胸がムカムカしてくる。
「あるなら打ってよ……。早く……」
「分かった。グレッグ、頼む」
「了解しました」
白い騎士団服のグレッグが僕のそばで屈んだ。
手際良く、腰の鞄から鎮静剤の太い注射器を取り出す。
いよいよ針を刺そうかというところで、
「待て」
ノエルがグレッグの腕を掴んだ。
「ダメだ。鎮静剤は打つな」
「は……、はぁあ?! ノエルてめぇ、何言って!! 早く打てよ!! これ以上、暴れたくないんだって!!」
頭を上げて、僕はノエルを怒鳴りつけた。
ノエルは動じない。
それどころか、グレッグから注射器を奪い、ニヤリと笑った。
「鎮静剤がないと、自我を保てない?」
「ふ……ざけんなよ。僕を……、怒らせるな……! これ以上誰も傷付けたくないから、必死に力を抑えてんだよ。分かんねぇのか!! ノエル!! 鎮静剤、今すぐ寄越せよ!!」
「そうイキるな、タイガ。力を抑えるので精一杯で、立ち上がることも出来ないクセに」
「ノエル、大河を見くびるな。自我を失うと、人間にも竜にも襲いかかる可能性がある。早く鎮静剤を」
シバが前に出るが、ノエルは注射器を持った左手をグンと突き出して、シバを牽制した。
「今からタイガに全部吐かせる。何を考えてるのか、何をするつもりなのか。鎮静剤は、ちゃんと言えたご褒美にする」
「鎮静剤を取引の材料にするな」
「硬いこと言うなよ、シバ。そんなんだから、こいつは何にも言わないんだ。いいか? こいつはリョウと同じなんだ。誰にも、何にも喋る気がない。脅すくらいじゃないと口を割らないんだよ。――タイガ、言え。お前の目的は何だ。単独行動の、本当の意味は。破壊竜にはならないなんて言いながら、協力してくれる人間達を全部振り切って、一体何をしようとしてる」
注射器をチラつかせ、ノエルは僕を煽った。
倒れ込むような姿勢で、僕は胸を掻きむしった。
爪が刺さって血が滲んだ。
口から漏れる炎が勢いを増す。
「うるせぇ……。鎮静剤、寄越せよ……。ゥヴッ!!」
「大河君、落ち着いて」
「――邪魔だ、リサ!!!!」
ブンッと、僕は無意識にリサを押し退けた。
「キャッ!!」
弾き飛ばされたリサが、遠くに転がった。駆け寄るグレッグの姿が見える。
「その程度の脅しで、僕が全部喋ると思ってんの? はは。人間如きに話す訳ねぇだろ!!」
「人間如きって……。自分はもう、人間じゃないってか?!」
ノエルは僕を鼻で笑った。
「そうだよ。僕は人間じゃない。白い竜だ!! 僕のこと、何にも分かってないクセに、偉そうなツラしやがって!!!!」
暴発しそうな心を必死に抑えて、僕はのっそりと立ち上がった。
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