4. 最後まで僕でありますように

 森の奥に真っ黒な杭が見えてくる。

 まるでそこだけ異空間みたいな、異様な黒だ。

 既に竜達が杭を囲むようにして待っていた。

 僕はシオンの背中からひょいと下りて、何食わぬ顔で杭の前に進んでいった。


「おい、シオンに何か言われたのか」


 グリンが話しかけてきたけど無視した。

 チッと舌打ちして、今度はシオンに「何か言った?」と聞き直している。シオンは何も言わなかった。言わないで、ただ不安の色を濃くしていた。

 工業地域や住宅地に比べて、森の中は狭い。ただでさえ木々の間に竜達がひしめいているのに、僕が仮に竜化したらどうなるのか、考えたくもない。


「もっと離れて」


 僕は振り向きながら、周囲の竜達に注意した。竜達は一斉に警戒色を出して、ズリズリと後ろに下がっていく。ある程度距離を取ってくれたことを確認してから、僕はふぅと息をついた。

 老体の長老は来ていないが、あの場にいた竜の殆どが杭の周囲に終結しているように見えた。だけど、みんな僕より小さい。お願いだから、僕のこと抑えてよ。心の中で懇願する。

 杭の正面に立ち、静かに呼吸を整えた。

 鎮静剤はない。けど、杭一本だけならどうにかなるはずだ。

 絶対に、意識を失わない。意識があればおかしくなっても制御できる可能性はあるけれど、意識を失えば完全に白い竜の本能に乗っ取られる。記憶の中で何度も竜を襲っていた、食べていた。ただでさえ孤独なのに、そんなことになったら杭どころじゃなくなってしまう。

 触れるだけでも魔物に変化してしまうという杭に、僕はそっと手を伸ばした。


 ――冷たい。

 手のひらから熱が奪われていく。


 杭の表面に映る僕と目が合う。

 本当に酷い顔。前よりもっと追い詰められてる。正義の味方からはほど遠い顔。素の状態でもどんどん化け物染みているというか。

 そうか、これが人間を食ったヤツの顔なんだな。

 感情が抜け落ちたような、凄く気持ち悪い顔をしてる。

 見てらんない。

 僕は目を閉じ、両手を付いて、頭を杭に押しつけた。

 逃げるな。

 大丈夫だから。

 絶対に逃げるなよ。あいつを倒すまで、約束を果たすまでは死ねないんだから。

 あと六回。折り返し。

 最後まで、僕は僕でありますように。

 力を込める。

 僕の力に反応して、杭に亀裂が入り始める。

 事情の知らない竜達がざわざわと騒ぎ始めていた。


「――まだ来ないで!!」


 目をつむったまま、僕は大声を上げた。


「僕から暗黒魔法の光が消えたら、その時に……!!」


 バキバキと、杭が砕けていく。

 七回目の地獄を、僕は見る――……。











      ・・・・・











 人間が、いつまでも白い竜の恐怖に怯えているとは限らない。

 強大な力を持つ干渉者が現れたのだと知ったのは、塔の魔女が何代変わったときだったろうか。

 人間社会に紛れて好き放題やらかしていたドレグ・ルゴラを、そいつはいとも簡単に見破った。


『魔性の者め、命を弄びやがって……!!』


 黒い髪、青い目をした、異界の戦士。

 正義の名の下に、そいつは大衆の面前でドレグ・ルゴラを糾弾した。

 金色の小型竜を連れている。


『ドレグ・ルゴラ、これ以上罪を重ねるのはやめろ』


 金色の竜は言った。細く尖った頭、人を背中に乗せるのも難しいくらい小さい竜で、とても貧弱そうに見えた。ひと思いに食えば食えそうだった。


『ほぉ……。私が全ての元凶だとも言いたげだな』


 鼻で笑ってやった。

 思い出した。

 あいつ、昔森で一緒に魔法の練習をした……。やたらと人化魔法が上手かった。名前は、確か、ゴルドン……。


『アウルム、こんなヤツの話は聞くべきじゃない。これまでどれだけの町を焼き、人間を食い殺したと思っている。早急に抹殺すべきだ』


 ――アウルム?

 新しい名前。契約すると、名前を貰える……?

 ドレグ・ルゴラはゴクリと唾をのんだ。


『これまで多くの人間が、竜が、命を奪われた。それだけじゃない。こいつは干渉能力を使って、リアレイトでも暴れまくった。町が幾つも消えた。俺の大切な人達も、たくさん殺された。許せない。許しておけない。こいつを倒して、二つの世界に平和を取り戻す!』


 何を言っているのか、にわかには分からない。


『私を、倒す……?』


 人間の姿をしていても、ドレグ・ルゴラは並の人間よりずっと強かった。魔力も、体力も、何もかもが規格外。

 徒党を組まれ、一斉攻撃され、一度はあの黒い湖に逃げ込んだものの、そのお陰で得た力もある。

 数はもう、問題にならなくなった。兵なら土塊つちくれから大量に生み出せる。力の続く限りどんどん兵を作り出し、街を破壊し、人間を殺せば良い。


『お前はまだ、私を可哀想な白い竜だと思っているのか』


 ドレグ・ルゴラの目は、アウルムと呼ばれた金色竜を見ていた。

 同じ森で育ち、正体を知らずに共に過ごしていたその竜は、何を考えているのかじっとドレグ・ルゴラを睨み続けた。


『あの日一緒に過ごしたお前が、全てを呪い、恨み、心ない破壊竜になってしまったのだとしたら、その責任の一端は私にもある』

『……くだらない』


 失笑が漏れる。


『責任の一端……? 何の話をしている? 愚かしいな、ゴルドン。たかが一匹の貧弱な竜が、何の責任を感じる必要がある? 心ない破壊竜? 私にだって心はあるさ。この世界が私を受け入れないことに対して激しい怒りと憤りと恨みを持っている。世界が私を拒むなら、私は世界を壊すまで。お前のような貧弱な竜に、私が止められるとでも思っているのか? 小賢しい。ぬくぬくと庇護され育った竜に、私の何が分かるのだ……!!』


 全てを一瞬でなぎ払ってやろうと思った。

 こんな弱そうな金色竜と人間なんて、自分の敵ではないはずだと。

 救世主――あの日初代のリサが望んだそれが、ついに目の前に現れたというのに、この悦びはきっと報われないものだと確信した。決してこいつは自分の言葉は聞かないだろうし、塔の魔女もこいつに何も話していないのだろうと思う。

 何より、この貧弱な金色竜。目障りだ。勝手に責任を感じて、勝手に使命感に溢れている。

 くだらない。くだらないくだらないくだらないくだらないくだらない……!!!!

 身体を徐々に竜に戻しながら、ドレグ・ルゴラは闇の魔法を発動させた。

 爆風が吹き荒れ、建物も、人間達も吹っ飛んだ。

 これで終いだ、思ったドレグ・ルゴラはそこに残る影に絶望する。


『な……、なんだアレは!!』


 強力なシールド魔法、その向こうに居たのは、半分人間で、半分竜の――……。


『何としてもお前を止める。ドレグ・ルゴラ、世界はお前の存在を、絶対に許さない……!!』


 強大な力を持つ干渉者と、非力な金色竜。

 同化して戦う……?

 竜と人間が融合したようなそいつは、およそ人間とは思えない力と速さで向かってくる。


『人間だけでは非力でも、竜だけでは非力でも、力を合わせれば強くなれる。この力で、ドレグ・ルゴラ、お前を打ちのめす――!!!!』

 

 光の魔法を纏ったそいつは、人間の身体に金色竜の羽を生やし、手足を竜化したような姿をしていた。なりふり構わない妙な覚悟が見え、ドレグ・ルゴラはゾッとした。

 これまで一切感じることのなかった恐怖を、初めてその身で感じていた。


『貫け、その禍々しい、白い竜を――!!』


 光の魔法で生成した巨大な槍を、そいつは全ての力を乗せて、ドレグ・ルゴラ目掛けて振り下ろした――……!!!!











      ・・・・・











「――アァアァアアアアアァアアアアァア……ッ!!!!」


 全身に、尖った杭の欠片が突き刺さった。

 膝から、崩れ落ちる。


「グアアァッ!! うぐぅ……ッ!!!!」


 土の感触。森。苔の臭い。

 大小様々な杭の欠片が僕の身体を貫いている。

 赤黒い光が、僕の中で光り始めた。


「タイガ!! タイガ大丈夫か!!」


 聞こえる。

 誰かが呼んでる。

 身体中ズタズタで、どこが異常なのか瞬時に判別できない。


「ググッ……、ハァッ、ハァ、ハアッ……」


 視界がぼやける。

 意識が、どこか遠くに行きそうになって、僕は必死に目を見開いた。

 ドンッと、見覚えのある衝撃。身体が肥大化する合図だ。


「ガアアァッ!! アアッ!!!!」


 耐えろ。耐えろ僕。

 大丈夫だ、僕は否定されてない。

 否定されたのは白い竜で、ドレグ・ルゴラで。

 あれ? でも僕も白い竜だ。

 全身に浮かんだ白い鱗はどう見ても真っ白だ。木々の間を通して届く光に反射し、輝いて見える。

 ――ドッ!!

 また身体が膨れた。

 ――ドドッ!!

 禍々しい、白い竜。

 抹殺すべき?

 打ちのめす?

 またそうやって、僕を否定するのか。

 僕はここに居る。ここで泣いて、苦しんで、必死に立ち上がろうとして。


「待て! まだ、もう少し」


 ――意識を保てと、誰かが言う。

 最後まで僕でありますように。


 僕?

 僕って誰だ。


 仲間は作らない。

 誰も、僕に優しくしないで。

 脳みそが激しく何度も揺さぶられる。

 ダメだ。意識を失うな。見境なく人も竜も襲うだけの化け物になんか――……!!!!

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