3. 内緒

 森を彷徨う白い何かを追うところから、シオンの記憶が始まる。

 いつも通りフラフラと自由気ままに過ごしていたシオンの鼻に、異常な血の臭いが届いたらしい。

 普通の動物が餌を狩るために流れた血ではなく、必要以上に流れ、あちこちに撒き散らされているのが分かるくらい大量の血が流れた臭い。


『また、黒い柱の犠牲者か』


 シオンは思った。そしてふと、違うと首を振った。

 ここは柱から随分離れている。

 以前黒い柱に触れて魔物化してしまった竜は、柱の直ぐ側で暴れていた。異常者が出れば近くに居る竜達が取り押さえて倒しているはずだ。

 同族殺しを嫌う竜だが、あの黒い柱に触れて魔物化してしまうと、理性を失い姿形を変え、手が付けられなくなる。この時ばかりは仕方ないだろうと、長老も仰ったのだ。

 白い何かは、耳を劈く程の叫び声を上げ、逃げるでも隠れるでもなく暴れ回っている。


 通り道は食い散らかした動物の死体で真っ赤だった。

 食い千切り、バラバラにしてあっちこっちに散乱した肉塊や骨。

 少なくとも、こんなに汚い食い方をする動物はいない。

 食い散らかしていると言うより、殺しまくっているんじゃないかと、シオンは思う。

 見つからないよう距離を取りながら、シオンはこっそりそいつを追った。

 血の臭いに誘われ、一匹の熊が現れる。白い何かは熊と対峙する。移動をやめたのを見計らって、シオンは距離を詰めていく。


『何だあれは』


 ハッキリとシルエットが見える場所まで辿り着いたとき、シオンの口から漏れたのは、驚きのあまり理解に苦しむような言葉。

 頭の形は確かに竜だ。

 びっしりと牙の生えたデカい口は顎まで裂け、血がだらだらと滴り落ちている。

 頭頂部から尻尾まで、背びれのように連なる角。肩から腕にかけても大きな角が等間隔に並んでいる。

 全身ゴツゴツした白い鱗で覆われていて、背中には大きな竜の羽があった。

 だけど二足歩行で、下半身には人間の衣類を身につけている。

 白いそいつは、熊よりずっとデカかった。目視で、熊の二倍近くある。


『人間にしては、デカすぎる』


 人間を直接見たことはないが、グリンとエンジがいつも人間の姿に変化へんげしているから知っている。人間は小さい。そして、鱗もなければ尻尾も羽も生えてないはずだ。

 見たことのない化け物のようなそいつは、牙を突き立て、ガブリと熊を食い千切った。

 抵抗した熊の鋭い爪が白いそいつの喉を引っ掻き、白い鱗を血で染める。けれど構わず、そいつは熊の分厚い毛皮を毟り、馬乗りになってガツガツと肉を食い漁った。

 熊は直ぐに息絶えた。

 白い竜のようなそいつの羽はボロボロで、身体中傷だらけだった。よく見ると、いろんな動物の血や体液で、鱗の色はだいぶくすんでいる。


 一体何者なのか。シオンはどうしても、そいつから目が離せなかった。

 白い鱗。竜だけど、竜じゃない。

 意思疎通は可能なのか。

 心臓の高鳴りを感じながら、シオンは息を潜めて観察を続けた。

 白いそいつは、熊の身体に頭を突っ込んで、本能のままに肉を食い漁っている。肉の咀嚼音が森に響いた。

 鱗の白い竜の話は知っている。ドレグ・ルゴラ――全てを破壊する、忌み嫌われたその竜は、人間に倒されたはずだった。

 だとしたら、目の前のそいつは何だ。

 恐ろしさ半分、興味半分。

 前のめりになりすぎたシオンの前足が、落ちていた木の枝を折った。


『……!!』


 白いそいつは音に気づき、ガバッと顔を上げた。

 気付かれた!!

 シオンはギョッとして、身体を引っ込めようとした。

 白いそいつが――、こちらを見ている。ギラギラと目を光らせ、顔中全部血だらけにして、よだれを垂らし、酷く興奮した様子で大きく口を開いた。


『……』


 聞こえない。聞き取れない。

 もう一度、そいつは喋った。

 聞き間違いでなければ、こう聞こえる。


『たす……、けて……』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 ……見えた。

 何だあの化け物。

 僕は地面に寝転んだまま肩で荒く息をして、噴き出す汗を腕でグイッと拭い取った。


「だ、大丈夫か。何か、見えたのか」


 シオンが僕の頭上まで頭を持ってきて、恐る恐る尋ねてくる。

 僕はシオンから急いで目をそらした。

 身体を丸め、両手で胸を掻きむしった。

 シオンの言うとおりだった。あいつの狩りのスタイルと一緒だ。襲ってたのが動物だってだけで、あとは何も変わらない。

 何より、何だあの、頭と身体のちぐはぐな、変な生き物。あれが僕? あいつが餌を漁る姿と一緒だった。僕の面影なんて、どこにもなかった。


「……何でもない」


 震えが止まらない。

 気持ち悪い。

 やっぱり、僕は化け物だった。思ったよりずっと、化け物だった。

 手当り次第襲って食う――朧気だったあの記憶は、嘘じゃなかったんだ。

 大体なんだよ、最後の『たすけて』は。無意識下で苦しんでたのか。何も覚えてない。覚えてないところであんな動きをしてたのが、凄く、気持ち悪い……!


「お前、なんであの時『たすけて』って」

「知るかよ!! 記憶がないんだ!!」


 僕はガバッと起き上がってシオンを怒鳴りつけた。


「何にも覚えてない。何なんだ!! 何なんだ何なんだ何なんだアレはッ!!」


 頭を抱え、僕はフラフラな足で何とか立ち上がった。

 暗黒魔法を浴びすぎた。一度に四本の杭を壊したのは、さすがにやり過ぎだった。僕は人間の街に居るべきじゃなかったから、さっさと杭を壊さなくちゃならないと思った。無理なのを承知で、だけど耐えるしかないと思って、必死だった。

 結果、記憶が飛んだ。無意識の間に、森で暴れまくった。あんな……姿で。


「あれ? お前、鱗が」


 言われて気付いた。

 興奮して、また竜化が始まってる。

 慌てて両腕を擦り、鱗を引っ込める。

 ヤバい。

 これから杭を壊しに行くのに、今から興奮してどうするんだ。

 落ち着け、僕。気をしっかり持つんだ……!!


「な、何でもない。驚いただけだ。あんな……恐ろしい化け物だったんだな、僕は。怖がらせて悪かった。二度と意識が飛ばないよう……、耐えるよ」


 必死に笑って見せたつもりだったけど、完全に顔が引き攣っていた。

 奥歯がガタガタして、全然噛み合わない。

 言葉とは裏腹に、血が上って思考回路がめちゃくちゃなのを必死に隠す。

 ヤバいぞ。

 いよいよマズイ。

 気を抜くと簡単に破壊竜になりそうな状態だってことだ。

 爆発寸前の爆弾か、針を刺される直前の風船みたいな危うさだった。


「あれが本性か」

「知らない」

「だとしたら、今、相当無理して……」

「――知らないっつってんだろ!! これ以上僕を怒らせるな!! こっちは力を抑えるのに必死なんだ!!」


 怒鳴ってから、ハッとした。

 シオンが怯えてる。

 青紫と濃い黄色が渦巻き始めた。

 僕は今、どんな顔を。


「……ご、ごめん! 違っ!! クソッ。そんなつもりじゃ」


 ブンブンと顔と手を振って、精一杯否定した。

 だ、ダメだ。

 感情が制御出来てない。

 頭がおかしくなりそうだ。


「それが、“自分を殺したくなる”状態ってことか……」


 僕は、大きく頷いた。


「興味本位で、悪い事をした」


 シオンは申し訳なさそうに謝った。

 謝る必要なんてないのに。律儀なヤツ。


「もう、いいよ。見るもの見たし。杭のとこに連れてって。さっさと壊すから」

「壊したらまた、おかしくなるんだろ? 無理しない方が」

「――関係ない。あんたら竜には関係ない。僕がおかしくなったら止めてくれればそれでいいから」

「けど、お前」

「僕のことなんかどうだっていいだろ。壊すもん壊したら消えるから。そしたら、僕のことは忘れてよ。……忘却術くらい、覚えなきゃダメかな。お願いばっかじゃ、誰も忘れてくんないもんね。はは」


 自虐的な言葉は、僕自身の心も抉る。

 遠くに見えていた竜の群れは、見えなくなっていた。

 もう既に、杭の方へ移動してしまったんだろうか。


「今の話……、内緒ね。記憶が見えるなんて知ったら、気味悪がって誰も協力してくれなくなる」


 同情してくれるのは嬉しいけれど。

 それじゃ何も解決しない。


「連れてけって。シオン、聞こえてる?」


 シオンは黙ってしばらく僕を見下ろして、それから大きく息をつき、諦めたように身体を低くした。

 僕はよいしょとシオンの背中に飛び乗って、長い首に手を回す。


「誰か、信頼できる仲間を増やして、継続的に支援して貰うべきだ。オレが、仲間になろうか」


 シオンは言った。


「仲間は要らないよ」


 僕は静かに言い返した。


「ひとりじゃどうにもならないから、助けては欲しいけど、仲間は要らない。仲間になったら、苦しむだけだよ。今までもずっとそうだった。僕は白い竜で、誰かを傷付けることしか出来ないんだ。――仲間にはならなくて良いからさ。僕がおかしくなったら、シオンが率先して僕を止めてよ」

「……分かった」


 本当は微塵も分かってないことは、シオンの周囲に漂う色で分かった。

 ――仲間なんて。

 傷付けるのを分かってて作るもんじゃない。

 悲しむな、辛いなんて感じるな。

 早く全部終わらせなくちゃ。

 そのためにも、淡々と杭を壊すんだ……!!

 どうしようもないくらいの孤独が、僕を支配していた。

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