8. 嫌い
異端過ぎる僕を受け入れてくれたグリンとエンジには感謝しかない。
グリンはその日のうちに、一帯を取り仕切る長老に、僕のことを話しに行った。
エンジ曰く、「彼に伝えれば、翌日にはある程度の範囲まで情報が知れ渡る」そうなので、僕が早急に杭を壊したいことも伝えて貰うことにした。
「川から少し離れたところに、黒い柱が一本立ってる。あの柱が現れた直後は、興味本位で触れた竜が化け物になったり、動物が魔物化したり、酷い有様だった。人間の街に行ったときに、アレは触るとマズいんだって、神教騎士の連中が柱を守ってるのを見てからは、俺達もあそこには近付かないようにしてる」
「賢明な判断だと思う」
エンジが言うので、僕はこくりと頷いた。
「幾つか、聞いてもいい?」
積まれたお菓子の山に手を伸ばしつつ、もぐもぐと口を動かし続ける僕に、エンジは遠慮がちに言った。
満腹にはなりそうもないけれど、食っていれば気が紛れるってこともあって、僕はかなりの量のお菓子を食いまくっていた。ふたりが溜め込んだお菓子がどれくらい持つのか、少し心配になってくるくらい食ってる。
エネルギー効率が悪い。食っても食っても満ち足りない。魔法を帯びた人間の肉を食えば一発だけど、そういうわけにはいかないから、お菓子でごまかしてるんだ。
「いいよ」
お茶でお菓子を流し込んでから、僕は一旦、手を止めた。
「自分のこと、嫌い?」
テーブルに肘を付いて、エンジは前のめりで聞いてきた。
思ってもみなかった質問に、僕は動揺して、僅かに目をそらした。
「嫌いです。死ぬわけにはいかないから生きてるだけで、こんな気持ち悪い存在、いなくなればいいのにって思ってます」
エンジはピクリと眉尻を上げ、だけど努めて冷静に、僕に次の質問を投げかける。
「嫌いなの、いつから? 竜だって知ってから?」
「いや、違います。僕が、普通と違うって気付いたのはもっと前で。いつだったかな。六つか七つか、とにかく小さかったときに、僕だけ普通じゃない、親とも似てないし、変だって気付いて。見た目が少し、周りと違ったから、からかわれて、虐められて。あの頃からずっと、僕は自分が嫌いです。……簡単に命を落としたら、父さんも母さんも悲しむだろうし、痛いのは嫌だなって思って、それで、死ななかった。竜だって知って、変な運命背負わされてることを突きつけられたあとは、苦しいとか辛いとか、そういう感情に惑わされて、死にたいって気持ちがどこかに消えてたんですよ。僕の気持ちとは関係なく、どんどん事態は動いていくし、僕は自分から動き続けなくちゃならなかった。特殊だったので。何もかもが規格外で、常識外れで、事実を受け入れ続けるのが精一杯で、死ぬとか生きるとか、そういうのはだんだん考えなくなってたんです。――三年前、あいつが、……レグルが僕の封印を解いて、目が覚めたら、僕はもう、完全にまともじゃなくなってた。化け物になってた。それでも化け物ながらに必要とはされていたし、僕もどうにかしなくちゃならないと思ったから、――自分の感情を、全部封じたんです。やらなくちゃならないことをまずは優先すべきですよね。僕の気持ちは、一番最後。僕は、自分が大嫌いで、早く消えてなくなりたいと思ってる。だけどそんなのは、周囲にとってどうでもいいことだろうから、一番最後です」
エンジが何も知らないのを良いことに、僕は思いっきり思いをぶちまけていた。
項垂れた。
顔を上げるのも億劫なくらい、言葉にした“大嫌い”が重かった。
「自分の、どういうとこが嫌いなわけ?」
「そう、ですね。……白いとこ。気持ち悪くて、吐き気がします。さすがに慣れてはきたけど、白い竜の血が流れてるって知ったときより、白くなったときの方がショックがデカかった。いよいよ、人間じゃないんだなって思って」
「それって、見た目の問題?」
「違います。全部です。僕は、僕という存在が嫌いなんだ。……だけど、僕にしか、あいつを救えないし、僕にしか、この世界を救えないから、ずっと我慢してる。エンジには分からない。僕は、化け物なんだ。誰も傷付けたくないのに、僕の力は、身体は、周囲をどんどん傷付ける。嫌だ。こんな存在、許されて良いはずがない。全部、全部嫌いです。何もかも、嫌いなんです」
俯いているうちに、下げすぎた頭がテーブルの上にトンとぶつかった。
丸めた背中が疼いていた。
必死に押し込め続けている力も、感情を高ぶらせれば背中を割って出てきてしまいそうで。
「自分の鱗の色は、自分では変えられない」
エンジがポツリと言った。
「なんですかそれ」
僕は僅かに顔を上げた。
「竜達が良く使う、ことわざみたいなもんだよ。俺は赤い鱗、グリンは緑の鱗の竜なんだけどさ。俺達、そもそも竜に生まれたことに不服だったんだ。人間が良かった。人間は自由だ。森の中、文明とはほど遠い暮らしを続ける竜とは全く違う生き物だ。知性が高い、言葉を操れると言いながらも、竜は大昔からずっと、森の中で変わらぬ暮らしを続けている。……それが、納得いかなくてさ。ここから少し北に行ったところに、人化の得意な竜達が棲んでるんだけど、その群れにこっそり交ざって、ふたりで人化の練習をした。特訓の結果、俺達はそいつらよりもずっと人化が上手くなって、情報屋だなんて商売まで始めるようになったのは良いんだけど、最初はなかなか受け入れて貰えなかった。そんときにいろんな竜に言われたんだ。『自分の鱗の色は自分では変えられない』『どんなに頑張っても、所詮は竜だ。人間にはなりきれない』ってさ」
エンジはそう言って、少し寂しそうに笑った。
僕はゆっくりと身体を起こし、エンジの話に耳を傾けた。
「俺達はどんなに頑張っても、確かに人間にはなれない。今は平気そうにしてるけど、実は、人間の姿を維持するのにも限界があるんだ」
「気を抜くと、竜に戻る……ですか?」
「そういうこと。人間の姿のままでは一晩明かせない。意識が途切れたら最後、あっという間に竜に戻る。お前はどうなんだ? 寝てるときは、さっきみたいに白い半竜になるのか?」
さっきみたいに。
そうだ。僕は、半竜の姿で気を失っているところを助けられた。
「……分かりません」
「分からない? どうして」
「四本分の暗黒魔法を浴びてから先、殆ど意識が飛んでたから。寝てたのかも、よく、覚えてなくて」
「……難儀なヤツだな。その前は? どうしてたの」
「その前は……、教会の地下にいたときは、制御装置が稼働してて。あ、でも、最後の方は、装置も切って貰ってたんだ。あの時は、人間のままでしたね。寝落ちても、竜にはならなかった」
「元々が人間だってことなんだろう。羨ましいな」
エンジはふぅとため息をついた。
「自分を好きになるのは、難しいか」
言われて僕は息をのみ、それからゆっくりと、左手で頭を抱えた。
「分かりません」
「分からない? 何が」
「自分を好きになるって、どういうことなのか」
「お前が白い竜なのは、もう絶対に変えられないことなんだよ。どう足掻いても変わらない。なのに、嫌いなままずっと生き続けるのは苦しくないか?」
嫌いなまま。
自分が嫌いで、消えたくて、逃げたくて。
でも、僕がいなくなったら世界が滅ぶんだって知ってるから、我慢し続けてる。
「……苦しいです。頭がおかしくなりそうだし。――違うな。頭がおかしくなってる。支離滅裂だって、自分でも分かってるんです。だけど、どうしたら良いのか、全然分からなくて。逃げたらダメだって思ってるから逃げないでいるだけで、ずっと苦しい」
「必要とされてるんだろ。あの黒い柱を壊せるのはお前だけだって、自分で言ってたじゃないか」
「そうです。僕だけ。杭を壊せば僕はまた、化け物になります。暴れて、皆を傷付ける。それが……、嫌なんです」
「嫌でも、やるしかない」
「……やります。僕が苦しんで終わるなら、そうします。壊さないと、先に進めないから。どうにか力を抑え込んで、暴れないよう頑張ります。だけどその結果、たくさんのものを壊して、殺してしまった。これが続くと、僕はもしかしたら本当に、破壊竜になるかも知れない。皆はそんなことないって、僕は破壊竜にはならないはずだって言うし、僕自身もそうならないように必死に耐えてるんですけど、……分かんないですよね。とうとう、人間の肉の味も覚えてしまった。仲間のことさえ、美味そうに見えて、食いたくて堪らなくて。こんなヤツが世界を救おうだなんて、頭がイカれてるとしか思えないじゃないですか。そういう矛盾が……、凄く、嫌なんです」
僕は、両手で頭を抱えて、椅子の上に蹲った。
「重症だな」
エンジは言った。
「重症です」
僕は答えた。
「……タイガは、何がしたいんだ」
「どういう意味ですか」
僕は顔を上げずに聞き返した。
「全部終わったら、どうするつもり? まさか、世界を救って終わりってことはないだろ。仮に、どうにか破壊竜にならずに済んで、ドレグ・ルゴラを倒して、世界を救ったとして、だ。その先、何かやりたいことってないの? 例えばリアレイトに戻るとか」
「……リアレイトに、戻る」
「やってみたいこととか、行ってみたい場所とか」
「考えたこと、ないです」
「ないのかよ。ほら、例えばさ。俺達は竜だけど、出来れば竜と人間、それぞれで文化交流みたいな感じのこと、もっと出来ないかなって思ってんだよね。せっかくレグルノーラっていう世界で、二つの種族に言葉と知恵を与えられたんだから、協力し合えばもっと良い世界になるかも知れない。人化の得意な俺達にしか出来ないことがあるんじゃないかって、色々探ってるんだよ。その第一歩として、人間に紛れて買い出しして、少しずつ人間社会の文化を森の中に取り入れていきたいと思ってさ。大それたことじゃなくても良いから、何かないの。食いたいものとか、見たいものとか、やりたいこととか……」
竜のクセに、変なことを考えて、それをあっけらかんと伝えてくるエンジが、心底羨ましい。
そんな前向きに、僕は物事を考えたことがない。
「別に、ないです。世界が救われたら、僕は塔によって、新たな平和の象徴とやらに担ぎ出されるんだろうし。そしたら自由はないです。レグルがそうだったから」
「自由はないって。そんなわけ……」
「僕は、あいつを殺すために作られた。殺したら、そこで終わりです。僕には未来なんてない」
エンジは僕に同情の色を寄せていたが、そんなのは気休めにしかならない。
彼の言うとおり、僕の属性は簡単には変えられないんだ。
「強いて言うなら、早く解放されたいです。……この、地獄から」
何もかもが、マイナス方向にしか動いていかない。
負の力が大きすぎて、僕はその負荷に押し潰されそうになっていた。
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