【26】未来を
1. 長老
誰かに相談したところで、僕を取り巻く世界は簡単に変わったりしない。
エンジは僕の話を聞いて心底呆れているようだった。マイナス思考過ぎて気持ち悪いと、何度も頭の中で呟くのが聞こえた。
助けて欲しいと泣きついたところで、誰も僕を救えないし、理解なんてされないんだよ。
分かっているクセに誰かに縋りたくなるのは、僕の心が弱過ぎるからなんだろうと思う。
リアレイトから“穴”に飛び込んだときには、中学生としての普通の暮らしを全部捨てた。ただ、あのときはジークやノエル、リサ、アリアナ……、たくさんの人達が支えてくれたから、どうにか立っていられたんだ。
レグルが僕の封印を解き、眠ってしまった時だって、三年二ヶ月という時間を失った訳だけど、なんだかんだ教会の皆さんに守って貰ってどうにかなった。
常に誰かが手を差し伸べてくれて、僕はそれに甘えていた。
――今は。
何も無い。
仲間もいない。
僕は、何もかも捨てたんだ。
苦しむのは僕だけでいい。
この世の全ての怒りと悲しみと苦しみ、妬み、恨み……。黒い感情が全部僕に向かえば、湖にまで零れ落ちることはないだろう。
仮に、黒い感情が溢れ出して湖を更に黒くしてしまえば、ドレグ・ルゴラはこれまで以上に強くなる。
ダメだ。
ありとあらゆる負の感情は、全部僕に向けろよ。
耐えてやる。
絶対に、あいつの好きにはさせない。
*
「明日の昼に、長老のとこにタイガを連れてくことになった。そこで直接、タイガから話をした方がいいだろうって」
長老と呼ばれる老竜との約束を、グリンはどうにか取り付けてきたようだ。
グリンの記憶に、ドデンと大きな木の下に座る、しわくちゃの濃い灰色の竜が見えた。
「ありがとう。助かる」
グリンに、一応の礼を言う。感情のこもってない言葉に、グリンは顔を曇らせている。
「暴れんなよ」
「どうして」
「長老に限らずだけど、争いごとを嫌う竜は多い。それに、年老いた竜の中にはかの竜を直接見た竜もいるはずだ」
「……なるほどね。刺激するなってこと? 鱗の色は変えられないのに」
「だからだよ」
「まぁ、協力を得られなければ、この森はなくなるかも知れないからね。僕だけに忠告しないで、他の竜にも一言忠告しといてよ。勝手に驚くなって」
僕が言うと、グリンは困ったように頭をブンブン振っていた。
*
隠れ家に何かあったら悪いだろうと、夜、暗くなってから湖の畔にひとりで向かった。
グリンとエンジは岩陰の寝床で竜の姿に戻って寝るらしい。竜にならないのならベッドを使ってもいいよと言われたんだけど、自信がなかった。
「具現化魔法、試してみる良い機会だし。他人に迷惑掛けるわけにもいかないもんね」
今の僕をリサやシバが見たら、無理に悪者ぶるなと怒られそうだ。
本当は、誰とも争いたくない、傷付けたくない。
そんなことを言ったところで誰も真に受けないだろう。
最悪の結末を回避するために僕に出来ることは限られている。
僕自身が人間より竜にだいぶ近付いているからか、前より夜目が利く。暗い道を一人で辿り、どうにか湖に着くと、その畔にキャンプ用のテントを具現化させた。
「凄っ。出来てる」
昔、父さんとキャンプに行ったときのことを思いだして、寝袋やランタンも具現化させてみた。スポーツ用品店やカタログで眺めたキャンプグッズも、案外簡単に具現化できた。
怖いくらいに魔法の精度が上がってるとは思ってたけど、ここまで来ると笑えない。
最悪。
こんな力を持ってるのに、どうして僕は邪悪な存在なんだろう。
「孤独過ぎるよ」
誰にも心は開かない。
味方を増やさない。
心の中で決めた、全部を終わらせるためのルール。
誤解されるのは辛いし、苦しい。
だけど。
「苦しくても、……やるしかない」
世界を構成する三つ。
僕が揃える。
早く、地獄を終わらせる。
誰も苦しまない未来のために。
・・・・・
炎と血で、世界が赤く染まる。
ドレグ・ルゴラは次から次へと
自ら手を下さなくても、半竜人の兵達は勝手に人間達を皆殺しにした。
世界はどんどん負の感情を高め、それが湖を更に黒く染めていく。
真っ黒く、より真っ黒く。
恐れ戦かれることに興奮し、快楽を覚え始める。
誰かの血が流れることに悦びを覚える。
誰かが苦しむことに歓喜を覚える。
違う。
これは僕の記憶や経験、感覚じゃない。
僕はこんなことで喜ばない。
嫌なんだよ、誰かが苦しむのを見るのは。
ドレグ・ルゴラは自らもまた、人間の姿に化けて町に紛れ、夜な夜な人間を食い散らかした。
あらゆる生物はあいつの餌でしかない。
また、口の中が血の味でいっぱいになる。
やめてくれ。お願いだからこれ以上、僕を追い詰めないで――……!!
・・・・・
テントのファスナーを外から開ける音がして、僕は目を覚ました。
エンジが隙間から僕を覗いている。
「こんなとこで寝てたのかよ」
寝袋は身体中に生えたトゲや角でズタズタだった。
気を抜くと、グリンやエンジは竜に戻る。
僕は……、半竜に戻ってる。やっぱり、どんどん人間とは程遠い存在になりつつあるんだと、ガックリする。
ファスナーを下げなくても、既に胸元が開いていた。
「大丈夫?」
僕は首を横に振った。
エンジを見た途端、また興奮し出した。息は荒くなるし、襲いたくなる。
「落ち着いたら来いよ。飯、食わしてやる」
エンジは僕を気遣って、テントのファスナーを閉じた。
*
落ち着くまで少し、時間が掛かった。
自分のことを制御出来ないの、どうにかしたいのに、まだ出来てない。
次の杭を壊したらまた制御不能になるのかな。……なんて。
本当は怖くて堪らないのに、僕は必死で虚勢を張った。
人間の姿に戻り、彼らの所へ戻り、頭を下げる。
「すみません、何も言わずに」
「気にするな。俺達だって、竜に戻るんだし」
隠れ家に戻ると、エンジは僕を憐れむような目で見てきた。
朝食を、それこそ数人前出されたが、全部食えてしまった。腹が減り過ぎてギラギラしてるのが、グリンにバレバレだった。
「底なしだな。食料庫、空になる」
「食べ物は次から具現化魔法で対応します。まともに用意すると、全然追い付かなくなるんじゃないかと」
遠慮がちに言ったのが気に食わなかったらしい。
「若いヤツが気にすんな。……ったく」
グリンはムスッと顔を顰めた。
*
長老の待つ大木の元へ、グリンとエンジに連れられて行く。
「竜の長老に会うのに、人間の姿してていいの?」
「白い竜の姿は刺激が強いからな」
森の奥へ向かうに従って、木がどんどん高くなっていった。鬱蒼と繁る葉が日差しを防ぎ、森の中は常に薄暗く、ひんやりしている。
長老は、いつからそこにいるんだろうというくらいどっしりと、大木の根元に居座っていた。
岩かと思った。
濃い灰色の鱗は、まるで苔の生えた石みたいに身体に張り付いている。どこが目なのか 分からないくらい、シワシワだった。
長老の周りには何匹かの成竜達がいて、僕をじっと見下ろしている。
ドレグ・ルゴラの記憶で何度も体験したのと同じ。
「長老、こいつがタイガです」
グリンとエンジは僕を長老に紹介すると、そのまま後ろに下がってしまった。
やっぱりそうなるよなと、特段の驚きもなく、竜達の視線の真ん中に立つ。
竜達は僕をジロジロと、異物が何かみたいに見ていた。
みんな、かなりデカい。十メートルは軽く超えてそう。人間の目線からだと、中型竜だろう彼らも、結構デカく見える。
「妙な気配だ」
長老は、ボソリと独りごつように言い放った。
怯えているのか、紫色が濃く出ている。
「白い竜だから、普通じゃない気配がしてるんでしょ?」
僕が自嘲気味に言うと、長老は「それだけじゃない」と加えた。
「人間か?」
「人間と竜、両方。どっちにもなれる。あんた達の嫌いな、白い鱗の竜の血を引いてる」
まだ本題を切り出した訳じゃないのに、なんだか怒られている気がしてしまうのは、体格差からだろうか。
僕が竜化したら、多分全員小さく見える。そうしたら、怒られたりはしないのだろうか。
「かの竜の邪悪さは知っている」
長老は酷くしわがれた声で、僕に言った。
「“神の子”と、呼ばれていると聞いた」
「……そうです。“神の子”。救世主だった僕の父親が、ドレグ・ルゴラの力を自分の中に封じるために同化したあと、ドレグ・ルゴラの血を引いた女性との間に出来た子なので、“神の子”と、人間達は僕を呼びます。僕の父親、この世界を創ったっていう半竜の神に似てたらしくて。“レグル”って、神様の名前を取って呼ばれてたことも関係してます。だけど、僕の力は決して神々しいもんじゃない。破壊竜の、ドレグ・ルゴラの血を濃く引いてしまったので、あいつと同じように、巨大な白い竜になるし、何でも……壊します」
ドレグ・ルゴラの名前を出すと、分かりやすく竜達は警戒色を出した。
慣れてる。
人間達と、反応は一緒だ。
「もしかしたらグリンにも聞いたかも知れないけど、レグルはもう、ドレグ・ルゴラを抑え込めなくなってきてるんだ。復活の時が近付いてる。あの巨大で邪悪な破壊竜を倒す手段として、僕は作られた。同じ白い竜にしか、あいつは倒せない。だけど、僕はまだ弱くて、頼りなくて、このままだと多分……、いや、確実に、負ける。レグルは僕が白い竜としての力を存分に使えるように、少しずつ力を解放してやろうと思ったらしくて。杭を、世界中に打ったんだ。あの、真っ黒い杭には、暗黒魔法と共に白い竜の記憶と力が詰まってる。僕は、あの杭を壊すことで、力を手に入れ、どんどん強くなる。――少しずつじゃないと、多分、僕が壊れると思ったんだ。この前、やらかした。焦って、一度に四本壊したら、記憶が飛んで、何が何だか分からなくなった。森で、だいぶ暴れたらしいって聞いた。……ごめんなさい。世界を救うには、僕は邪悪すぎる」
本当のことを喋ったところで、果たして竜達は僕を信じるんだろうか。
迷いながら話した。
小鳥のさえずりや風の音が、沈黙を繋ぐ。
「邪悪では、なさそうだが」
長老は言ったけれど、僕は直ぐにそれを否定しなくちゃならなかった。
「杭を壊してひとたび暗黒魔法を浴びれば、僕はまた狂った化け物になってしまうかも知れない。……何にも、分からなくなる。自分を取り戻すまで、僕は暴れ続けます。杭を壊さない限り、あいつを倒す力は得られないのに、杭を壊した途端に、僕は僕でなくなってしまう。そのくらい、白い竜の力は、強いんです」
「無理に、杭を壊さなくても、いいのでは」
「……そのままにしといたら、杭が伸びて、大地を貫く。この世界は崩れてしまう。そういう魔法を、レグルは掛けてたんです。僕が、全部の杭を壊す前提で。絶対に運命から逃げないように、逃げることが出来ないようにしてある。僕は、逃げずに全部の杭を壊し、あいつを倒します。ただ、さっきも話したとおり、杭を壊す度に、僕はおかしくなる。――竜の皆さんに、お願いがあります。暴走した僕を、どうにか止めてください。僕が大人しくなるまで、攻撃をやめないで貰いたいんです。木々を倒すかも知れない。森を焼くかも知れない。生きていく場所を失ってしまう前に、どうか……、僕を、止めてください」
岩のようだった長老は、僅かに身体を起こし、ズズズと僕に迫った。
白濁した眼球が、ぎょろりと僕を見ている。
「止める?」
「僕を殺すつもりで、全力で止めてください。正気に戻ったら、……消えます。次の杭を壊しに行く。もう、ここに来ることはないでしょうから、終わったらどうか、僕のことは忘れてください。あんた達の記憶の中に、こんな恐ろしい竜のことを留めておく必要はないですから」
何度、同じ説明をしただろう。
特異すぎる僕のことを、相手はどう感じて、理解してくれるのか。
項垂れ、両手を握り締めて、必死に立っていた。
本当は今すぐにでも逃げ出したい。こんなの、何度やったって慣れないよ。懲罰会議みたいで、凄く気分が悪くなる。
長老以外の竜は黙って身動きすらしないし、果たして僕をどう見ているのか。とにかく警戒色が強いから、ヤバそうだと思ってるのは確かだろうけど
「――邪悪ではない」
聞こえてきた言葉はあまりにも唐突で。
「は? 何言ってんの。僕は」
「邪悪ならば、こんなに澄んだ空気は纏っていないはずだ」
長老は、にやりとそのゴツゴツした口角を上げた。
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