7. 期待した分だけ

 感情の起伏が激しくて、頭のおかしいヤツだって思われたに違いない。

 けど、グリンの記憶を見て、その時の人間達の表情を見て、涙が止まらなかった。


「す、すみません。僕のことはもう……、放っといてください」


 左手で顔を隠し、掴まれた右腕をグイッと引っ張る。

 グリンは弱そうな顔をしてる割に、結構力が強かった。


「放っとけるか! ――エンジ!! お前いい加減にしろよ。どう考えても、タイガは嘘なんかついてないだろ。多分、こいつ、嘘をつくのが致命的に下手過ぎる」

「んなこと言ったって、グリン。俺達は情報屋だぞ。信頼できない情報には意味がない。幾ら可哀想だ、どうにかしてやりたいと思っても、証拠もないんじゃ信じようがないだろ」

「それは当然そうなんだけどさ。この状況でどうやってタイガに証明させる気だよ。困って、泣いちゃったじゃないか」


 ふたりして、不毛な言い争い。

 信じたいけど信じるわけにはいかないエンジと、僕の行動の真意が分かったグリン。どっちの言い分も分かるだけに、僕は反応し辛かった。


「とにかく。エンジは落ち着け。タイガはここにいろ。……もう少し詳しく話を聞かせて貰う。それから判断しても遅くない。いいな、エンジ」

「はいはい」


 最初からそうするつもりだったと言わんばかりのエンジの返事。

 思い切り傷付いたと言ってやれば気が済むだろうか。……いや、いい。

 僕の感情なんてものは、この世で優先すべき項目の、一番最後にあるようなものだ。


「すみません。配慮いただいて」


 僕はガックリと肩を落としたまま、椅子に座り直した。

 涙は袖口で拭いた。泣きすぎて、目がしゅぱしゅぱしていた。


「悪いね、タイガ。エンジも悪いヤツじゃないんだ。あ、口は悪いけど」


 グリンの弁明が、逆にグサグサ刺さってくる。

 まぁそれでも、異端な僕を受け入れようとしている努力だけは、認めるべきか。


「……全然、怒ってないんで。大丈夫です」


 僕は椅子の背に身体を預けて、ぐったりと項垂れたまま言い放った。


「絶対怒ってるだろ」

「フッ。別に、怒ってません。機嫌が悪いだけです」

「それを世間では怒ってるって言うんだよ」

「そうですか。知りませんでした。じゃあ僕は、いつも怒ってますね。……いや、何でもないです。面倒くさい人間で、すみません。って、人間でもなかった。はは」

「タイガ、そういうのやめろ」


「グリンには関係ない。エンジも、胡散臭い僕を持て余してるんでしょ。白い竜は気持ち悪いだろうし、無理に関わる必要ないですよ。誰かに助けを求めればどうにかなると思っていた僕が浅はかだっただけです。ひとりでやればこんな気持ちにならずに済むのに、なるべく被害を最小限にだなんて考えたのがいけなかったんです。もう、いいです。僕のそばにいるだけで気分最悪でしょ? ごめんなさい。直ぐに出て行きます。ありがとうございました」


 もう一度頭を深く下げてから立ち上がろうとすると、グリンは怖い顔をして、僕を無理矢理椅子に座らせた。


「……さっきまで大人しかったし、普通に会話も出来てただろ。どんだけ不安定なんだ」


 お茶のおかわりを注ぎ、グリンは飲めと僕にカップを突き出した。真ん前まで寄越されて、仕方なく受け取り、一口飲む。温くなりかけたお茶のあっさりした匂いと味で、少しだけホッとする。


「『ドレグ・ルゴラそのものなのかも知れない』って、どういう意味だ」


 グリンは前のめりになって僕に聞いてきた。

 エンジも、僕の方に耳を傾けている。


「信頼できる相手にしか、話せません」


 お茶のカップをテーブルに置きながら言うと、エンジが喉を鳴らしてきた。


「嘘です。言います。その代わり、協力してください。僕は杭を壊したい。直ぐにでも壊してやりますよ、あんなもの。あんた達は安心して元の暮らしに戻れるんだから、交換条件としては破格だと思うけど」

「……いいよな、エンジ」

「ん? んん……。いいよ」


 変な演技なんかしないでくれたら、もうちょっとすんなり話が進んだのに。……なんて。

 僕は小さく息を吐いて、少しだけ顔を上げた。


「暗黒魔法が僕に齎すのは、白い竜の力だけじゃない。ドレグ・ルゴラの記憶も同時に流れ込んでくるんです。分かんないと思うんですけど、僕はあいつで、あいつは僕なんです」


 話し始めると、少しは深刻さが分かったのか、ふたりともしっかりと椅子に座り直し、姿勢を正してきた。僕は話を続ける。


「――このところ、あいつの生涯をずっと辿っていました。卵が割れて、森で老竜に拾われたところから始まり、白い竜だと疎まれて森を追われ、人間の住む平地へと向かい、そこでも迫害され、どんどんおかしくなっていくのを、ずっとあいつの目線で見てたんです。何百年分の記憶を見たのか、ハッキリとは分からない。だけどもう数百年分、記憶を辿らなければならないんだと思います。暗黒魔法と一緒に注がれるあいつの記憶は、僕の中で僕自身の経験として再生されていくんですよ。だから、鹿肉の味は知ってます。生で齧り付いたのは僕じゃない。ドレグ・ルゴラだ。人間の肉の味も、記憶で覚えました。ついこの前、塔の魔女を食うまで、僕の身体は人間の肉の味なんて知らなかったはずなのに、記憶でその中毒性を覚えていて……、我慢が出来なくなって、食ったんです。……凄く、美味かった。僕が知ってる味だった。それから、また僕はおかしくなった。人間が、美味そうな肉にしか見えなくなった。頭では違うと分かってても、ダメなんです。自分を制御出来なくなる。意識をしっかり持ってないと、多分僕はもう一匹の破壊竜になる。それだけは絶対に阻止しなければならないので、……人間の住む世界から、逃げてきました」


「と、塔の魔女を、食った……?」


 エンジがあんぐりと口を開け、僕を指さした。


「ローラ? とか言ってたのは、塔の魔女のことだったのか……!!」

「そうです。……ヤバ。話してたら、また思い出してきた」


 口の中に溢れる唾液をじゅるっと啜ると、ふたりは顔を青くした。


「魔力の強い人間の肉ほど中毒性が高くて。あいつも魔法使いとか能力者を狙って食ってました。僕がこの衝動を抑えられるようになるまで、人間とは一緒に過ごせない。……こう見えても、平和主義者なんです。僕は、絶対に破壊竜にはならない。どんなに邪悪な力しか持ち合わせていなくても、どんなに理不尽な目に遭っても、自分が全てを壊すような存在になってしまうのだけは許せない。だから必死に耐えてきたんです。けど……、知っての通り、僕の力はかなり不安定で、時折……、暴れます。小さい器に無理矢理力を押し込んでいるので、馴染むまでに時間がかかる。そうやって混乱している間にトラブルがあって……、気が付いたら食べてました。あの時は白い竜の姿で、そうなるともう誰も僕を止められなくなると分かってたのに。暴走を止める方法が分からないので、人間達に協力して貰っていたときは、僕を殺すつもりで止めてくれと言ってました。まぁ、無理なんです。そんなことお願いしたところで、不可能だった。だけど、竜なら僕を止められるかも知れない。それだって、分かんないですけど。竜化した僕は決して小さくはなかった。あんた達も、あんまり大きな竜じゃなさそうだ。それでも、人間よりは大きいし、力もあるはず。杭を壊して僕がおかしくなったら、魔法でも物理攻撃でもいいんで、僕をぶっ殺すつもりで全力で止めて欲しい。……嫌なんです。世界を救いたいと思って必死に頑張ってるのに、壊すしか脳のない化け物みたいな自分が大嫌いなんです。だけど、そこで僕が諦めたら全部終わるので。――悪役は、全部引き受けます。僕は、どんなにボロボロになっても、迫害されても、攻撃されたって構わない。どうせ簡単に死ぬようには出来てない。僕はあいつを殺すために生まれたんだから、やるべきことをやり遂げるまでは諦めませんよ。……って、ベラベラ喋ってすみません。まぁ、喋るだけ喋ったところで、真実だと証明することは出来ないので、信じられなかったら、それでいいです。期待はしません。するだけ無駄だって今、勉強になったので」


 無駄と言われて、エンジはムッとしていたし、グリンはエンジを睨んでいた。仲がいい。随分長い間、一緒にいるんだろうと思うと、少し羨ましい。


「つ、辛く……ないのか?」


 グリンは、僕を気遣うように恐る恐る聞いてきた。

 僕は、ゆっくり首を振る。


「別に。そういう感情は、捨てました。ただ、早く楽になりたいだけです。誰だって、苦しいことは早く終わらせたいでしょ。僕より……、この世界の人間達はもっと苦しいだろうし、リアレイトにもこれ以上影響が広がらないようにしたい。それに……、本当に苦しいのは僕じゃない。人知れずドレグ・ルゴラの力をたった一人で食い止めてるあいつが……、一番苦しいはずだから。救ってやりたいんだ。この苦しみから、どうにか、早急に」

「――『全部背負う』って、そういう意味……?」


 エンジが言った。


「そうです。この世の負の感情は、全部僕にぶつければ良い。僕は何とも思わないので」


 視線を落として、ゆっくりと息を吐いた。

 喋ったところで何も変わらない。変わるわけがない。

 見ず知らずの、行き倒れていた僕を気紛れに助けてくれただけの竜に、何を期待してる。

 期待するだけ無駄だし、期待した分だけ傷付くんだから、始めから誰のことも信じなければ良いだけなのに。……喋ってしまった。心のどこかで、誰かに聞いて欲しくて堪らなかった、気持ちの一辺を。


「グリンの言うとおり、タイガは嘘つくの、めちゃくちゃ下手だな」


 僕を馬鹿にするように、エンジが言った。

 ムッとして顔を上げると、さっきとは少し違う表情をした彼の顔が目に入った。


「無理に言わせて悪かった。すまない」


 涙を浮かべたエンジは、大きな手を僕の肩に伸ばし、ゆっくりと撫で付けてきた。


「謝る必要なんて、ないよ」


 口ではそう言ったけれど、本当は少し嬉しかったし、気持ちが軽くなったことは一応内緒にしておこうと思う。

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