4. 情報屋
巨大な針葉樹の森の中を、ふたりに案内されて進む。昼時を過ぎ、暖かい日差しが木々の葉を通して僕の真上に降り注いでくる。
深い緑と陽射しのコントラストが美しくて、ため息が出た。森の中は、空気がとにかく澄んでいて、気持ちいい。優しい風に混じって、小鳥のさえずりや、小動物の鳴き声も聴こえる。
既視感があるのは、白い竜の記憶の中で何年も過ごしたからだろうか。グラントとの静かな日々が懐かしい。
「あの……。ここって、森のどの辺ですか」
「ん? なんだ、知らずに来たの?」
僕の前を歩くグリンが、呆れた顔で振り返った。
「はい……。どうやって森に入ったのかも、覚えてなくて。何となく、暴れ回ってた記憶はあるんですけど」
「やっぱ、アレはお前か」
隣を歩くエンジが僕を見て大きくため息をついた。
「白い化け物みたいなヤツが暴れてるって噂があったんだ。そこら中に獣を食い散らかしたような跡があった。あちこち、木が倒れたり、焼かれたりしててさ。黒い柱に触って化け物になった何かだろうと思ってたんだけど、それにしては柱から距離が離れてる。妙だと思ってグリンと一緒に見回りしてたんだよ。……で、お前を見つけた」
「獣を、食い散らかしてた? 僕が?」
「自分が何を食べたのかも覚えてないのか。人間を食べたのは、覚えてるんだよな?」
エンジに言われると、また口の中が甘い香りで満たされてしまう。
唾液が滲むが、まだ耐えられる。僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……知ってます。あの時は竜になってて、自分を制御できなくて。気付いたら……食べてました」
「半竜の姿だけじゃなくて、白い……竜にもなれるんだ?」
「なれ……ますね。僕はよく分からないけど、ドレグ・ルゴラに似てるらしいです」
ヒューと、エンジは口笛を吹いた。
「マジか。やべぇな」
「……怖く、ないんですか」
「怖い? なんで?」
「破壊竜ドレグ・ルゴラの血を引いてるんですよ? ふたりを襲おうとした。無意識に暴れてしまう。……怖い、ですよね」
ふたりの顔色を窺う。
……極端な、心の色の変化はない。
「そんな伝説の破壊竜のことなんて、よく分からないな」
エンジは僕の前に出て、顔を覗き込んだ。
「それより、お前に興味がある。こんな面白ぇやつ、見たことねぇし」
「別に……、面白くはないですよ。で、ここって、森のどの辺りですか? ルベール地区中央にある住宅街の杭を壊したところまでは覚えてるんですけど、そこから先、記憶がなくて」
「ルベールの住宅街? だいぶ移動したんだね」
歩調を遅らせて僕の隣にやって来たグリンが、ギョッとしたような顔を見せた。
「川、越えてこなかった?」
「川?」
「ルベールって人間達が呼んでる地域、あそこからこの森に辿り着くには、川を渡らないといけない。泳いだのか、飛んだのか、橋を渡ったのか」
川……?
マズい。本当に分からない。
こんなに記憶が欠落することなんてなかったのに。
「湖に沈む夢は見てましたけど、川は……、分かんないです」
「湖? 泉や池より大きい……」
「砂漠の向こう側にある、真っ黒い湖です。知りませんか?」
「黒い、湖……? エンジ、知ってる?」
「いや、初めて聞いた。第一、砂漠の向こう側って何だ。砂漠はどこまでも続いてるわけじゃないのか」
そういう認識か。
人間にとって森がそうであるように、竜にとっては砂漠の向こうのことは分からない。
ガルボは名前のない白い竜を最初に見たときに、砂漠に捨てろと言っていた。砂漠は竜にとってそれほどまでに意味不明で、踏み込めない場所だったって事なのかも知れない。
「あ……、今の話は、すみません、気にしないでください。要するに、水に関係する夢は、見てたんです。その時、川を渡ったのかも。よく……、分かんないですけど」
会議室に貼ってあったレグルノーラの地図。
確か、東西に二本、川が流れていた。
ルベール地区の住宅街は、正にその二つの川の間にある。川を渡ったって事は、北側か南側、どちらかに進んだって事だ。
……本当に、何も覚えてない。これはいよいよマズい。
「そ、そうだ。グリンは僕を街頭ビジョンで観たんですよね。固唾をのんで人間が観てた……ってことは、多分リアルタイムで配信してたときだと思うから……。あれから何日経ったか、分かりますか? 僕が杭を壊してから、何日経ったのか」
「何日って……、五日か、六日くらいだったかな」
「そ、そんなに……」
感覚では、多くても二日か三日。倍の時間が経過してる。
でも、三十日間の期限を考えれば、余裕はある。まだ大丈夫。間に合う。
腕で額の汗を拭った。
グリンとエンジは、僕を見て、首を傾げていた。
*
森を更にズンズン進んでいくと、切り立った岩場に出た。
岩の一部をくりぬいたような洞窟に、ふたりは僕を案内した。
「ここで巨大化するのはナシね。約束しろよ」
グリンに念を押されて中に入ると、思いのほか広い空間に出た。
丁寧に削られた壁と天井。照明、家電製品に家具。普通の家の中にいるみたいだ。扉もしっかり付いてるし、一部屋だけじゃない、何部屋かに分かれている。
「こ……、ここ、森ですよね」
目を丸くして僕が尋ねると、ふたりはニコニコして嬉しそうに頷いた。
「まぁ、俺達はちょっと特殊なんだ」
エンジは特にご機嫌で、僕に室内を案内してくれた。
窓のないその空間はまるで隠れ家みたいだった。
もしここが、都市部のどこかだと言われても、多分納得してしまうだろうってくらい、人間の屋敷と遜色ない造り。
「ど、どうなってんの……?」
目を丸くする僕に、エンジは益々顔を明るくした。
「人間の街からちょっとずつ仕入れた。集めるのに何年かかったかな。……そういえば、実際人間と一緒に暮らしてたお前から見て、どんな感じ? 違和感……ある?」
「いや。全然。照明も付いてて明るいし。電気……通ってないですよね。発電はどうしてるんですか? 太陽光? 風力? でもここって、あんまりそういうの出来そうにないですよね」
「まぁ、そこはね。上手いとこ魔法エネルギーを使って発電機回してんだよ。空気や水、土壌を汚さずに電気が作れないか、結構試行錯誤したんだ」
「魔法、エネルギー……。そうか。森の中は、魔法エネルギーが充満してる。竜が巨体を維持できるのも、魔法エネルギーを取り込んでるからだって、聞いたことが」
「一応はそうなんだけど、食わないと死ぬから、それなりには食うよ。お前も竜なら分かると思うけど、竜の姿だと身体はデカいし、エネルギーの消耗も激しい。魔法エネルギーだけじゃ間に合わないから、膨大な量の餌が必要になる。その点、人間の姿はコンパクトだ。竜の姿でいるよりも少ないエネルギーで効率的に動ける。より文明的な暮らしも出来るしね」
「凄い。僕が知ってる竜の暮らしと全然違う」
時間を掛けたからって、こうはならないだろう。
竜だけど、人間の暮らしに対する憧れとか執着心とか、そういうものを感じるくらいだ。
「……もしかして、この時代になると、竜も人間みたいな暮らしをしてるんですか」
「いや、そんなことはないよ。殆どの竜は昔のまんま。人間に
「情報屋?」
「そう。俺とグリンで、情報屋をやってる。森の際に近いこの場所を拠点にして、人間の住む街に出て金を稼いだり、物を買ったり、情報を仕入れたりしてる。森と都市部は基本的に分断されているから、互いの情報は手に入りにくいんだ。そこで、人化の得意な俺達の出番ってわけ。俺達は情報や物を仕入れてくる。人間の街の情報や仕入れた物を欲しがる竜達は、報酬に動物の肉を差し出す。俺達は狩りに行かずとも食料が手に入る。素晴らしいシステムだろ」
「ですね……」
ぼんやりと室内を見渡す僕が、逆に変に見えたのかも知れない。
「リアレイトで育ったなら、驚くのも無理ないと思うな。それに、人間社会に竜が紛れ込んでても、案外人間は気付かない。そういう特性のある人間なら気付くだろうけど」
「分かります。何年一緒に過ごしても、正体を疑いもしない人間はいっぱいいました。人間は、良い意味でも悪い意味でも鈍感ですから。真に危険だと気が付くまで、自分の中の違和感にも気づかない振りをしてしまうんです。……だからこそ、人間社会に長い間潜んでいられたんだろうし」
「ん? んん……」
「どうしました?」
グリンとエンジは互いに顔を見合って、首を傾げた。
「自分が竜だと知らずに育ったって話だったろ」
とエンジ。
「ええ、知らなかったです」
「その割に、『正体を疑いもしない人間はいっぱいいた』だとか、『人間社会に長い間潜んでた』だとか。やっぱり、自分の正体、知ってた?」
「いや、知らなかったです。三年前、初めて自分の正体を知ったので。森にも、今回初めて入りました」
「……にしては」
疑念の色。
当たり前だ。
存在するはずのない白い半竜だし、凶暴だし、気味が悪い。その上、何を喋ってるのか分からないんじゃ、不安になる。
僕の事情を全部話さずに、協力を得るのは難しいだろう。
掻い摘んで、本当のことを伝えるしかなさそうだ。
「――あの! もし可能なら、話を聞いて貰えませんか。て、手を貸して貰いたいんです。この……世界を、ドレグ・ルゴラから救うために」
僕は意を決してふたりに訴えかけた。
目を丸くした彼らは、何の話か理解するのに少し時間がかかっているようだった。
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