2. 訳あり

 激しい頭痛と共に、突然目の前がぐるぐると歪みだした。


「ウアアァッ!!」


 胸を掻きむしる。鋭い爪が僕の肌を傷付ける。

 前屈みになって、背中を丸める。


「また苦しみだした!!」

「どうなってんだ、こいつ!!」


 人間姿のふたり組が木陰から僕に近付いてくると、ますます苦しくなってきた。

 赤い長髪の男と、緑髪の男。多分、さっきの竜だ。人化してる。

 それを、僕の本能が人間だと勘違いして、発作を起こしてるんだ。


「……ァああ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁああ゙ッ!!!!」


 気が付くと僕は、緑髪の彼の上に馬乗りになっていた。


「え? ちょ、ちょっと待て!!」


 二人とも、酷く困惑した様子。

 何が起きたのか、直ぐには理解できなかったろう。真っ青な顔をして僕を見上げている。


「グリンから離れろ!! 何だこいつ!!」

「うぐぐぐぐ……」


 齧り付こうと牙を剥きだし、よだれを垂らす僕を、グリンは下から必死に止めてくる。

 大きな両手を僕の胸に押し当て、歯を食いしばる顔が眼前にあった。


「こいつ、俺を食おうと」

「マジかよ! やべぇな!!」


 背後からはエンジが、僕を雁字搦めにしてグリンから引き剥がそうと必死に頑張っているようだ。

 かなり強い力でぐんぐん引っ張られる。

 僕はそれでもグリンを諦めきれなくて、首を伸ばして大きく口を開ける。


「ぐあ゙あ゙あ゙あ゙ァ゙ッ!!!!」


 頭と身体が、全然連動してない。

 何やってんだよ。相手は竜だ。人間じゃないんだって……!!


「てやあぁああぁあぁ……っ!!!!」


 エンジが、渾身の力を込めて僕をグリンから引き剥がした。


「ウアアァッ!!」


 そのまま僕の身体は宙を舞い、背中から勢いよく地面に叩きつけられる。ゴッと鈍い音。激しい衝撃。

 あまりの痛みに声も出ず、僕は地面に転がって悶絶した。


「……やば。竜を食おうとするヤツ、初めて見た」


 立ち上がりながら、グリンは汗を拭っている。


「言い伝えによれば、白い竜は何でも食ったらしい」

「何でもって、竜も?」

「森の獣も、人間も、竜も、何でも食ったんだって。特に人間の肉が好物だったって話だぜ。グリンは聞いたことない?」

「どうだったかな。あんまり興味がなかったから、話半分くらいしか聞いてなかったかも。存在するわけないって思ってたし。……あれ? なぁ、エンジ。もしかしたら俺達、人化してるから餌と勘違いされたってこと?」

「だと思うぜ。でなかったら、こんなふうにはならないだろ」

「う、うぅ……」


 どうにか身体を起こす。

 まだ、よだれが止まらない。興奮状態で、息が荒い。どうしたら落ち着くんだ、僕の身体……!!


「おい、白いの」


 ――“白いの”。

 僕はビクッと肩を震わせて、そいつの方を見た。

 暗めの赤い長髪の男、エンジは、僕を上から睨んでいる。完璧な人化だ。薄手の革ジャンパーが似合う好青年。威圧的で、好戦的にも見えるが、同時に凄く頭が良さそうだ。

 臙脂えんじ色が見える。多分、彼の鱗の色だ。


「お前、いい加減にしろよ。せっかく助けてやったのに何だその態度はァ!!」


 エンジはオレンジ色の目に怒りを込めて、僕を見下した。


「ご、ごご、ごめんなさいッ!!!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!!」


 震えが、止まらない。

 僕は両手で顔を隠すようにして縮こまり、必死に謝った。


「……“神の子”?」


 グリンに言われ、僕は顔を隠したまま、こくこくと何度も頷く。


「何日か前、森の外に出たとき、偶々観たんだよ。街頭ビジョンに目一杯映ってたの、お前だろ。鱗も角も、羽もなかったけど、……本人、だよな? 思い詰めたように何か喋ってて、それを人間達が固唾をのんで見守ってたんだ。あの黒い柱と何か関係があるみたいだったな」


 僕はまた、こくりと頷く。


「触ると化け物になる恐ろしい柱だ。三年くらい前、急に現れた。記憶違いじゃなかったら、確か神の子だけがあの柱を壊せるって聞いたけど、間違いない?」


 頷く。


「……だってよ、エンジ。こいつを使えば、あの妙な柱が消せる。白いし、気持ち悪いし、かなりの訳ありだけど、使わない手はないぜ」

「なるほどね。……にしても、本当に気持ち悪いくらい真っ白だ。凶暴で、人間も竜も平気で襲う。かと思えば情緒不安定で、怯えたり、助けを求めたり。一体今まで、どうやって生きてきたんだよ」


 エンジの言葉がグサグサと胸に刺さった。

 僕は益々縮こまって、小さな声でごめんなさいを繰り返した。


「まぁ、でも、興味は湧く」


 よいしょと、エンジは僕のすぐ前にしゃがみ込んだ。

 グイッと腕を掴んで引っ張り、隠していた僕の顔を無理矢理覗き込んでくる。

 強い力。人間のそれと、全然違う。好奇の色が、凄く濃い。


「非力な人間達が、どうやってこの凶暴な白い竜を飼い慣らしてたのかって話だよ。森の外には人間と契約して飼い慣らされた竜しかいないはずだ。お前、人間とは契約してなさそうだけど、妙な呪いがかかってるだろ。かなり強い闇の魔法か何かの気配がする」


 ズイッとエンジに迫られ、僕はハァハァと息を荒くした。

 エンジは僕を、危険な白い竜として見ている。

 ドレグ・ルゴラがそうされたように、僕も成竜達に囲まれ、裁かれるのか。恐ろしい、理解できない、奇妙な存在として、森を出るよう迫られるんだろうか。


「あんまり怖がらせるなよ、エンジ。怯えてるだろ」


 エンジの後ろから、グリンが声を掛けてきた。


「別に怖がらせてるつもりはないんだけど」


 ムッとした様子で、エンジは渋々、僕から手を離した。

 解放され、ホッとした僕は、また胸を掻きむしる。ムカムカする。心を落ち着けないと、また襲ってしまうかも知れない。それだけは、避けなくちゃ。

 息を整える僕のそばに、今度はグリンが屈み込んだ。

 いたずらっぽい顔をした、綺麗な顔のお兄さん。グリンの周囲には常磐ときわ色が見える。やっぱり、鱗の色だと思う。

 エンジよりは少し背が低く、細身だ。大きめのロングTシャツを軽やかに着こなす、好青年。森の外……、つまりは人間の住む都市部にも出入りしてる。言われなきゃ、竜だって分かんないくらい、自然な人化。今の僕より、ずっと人間らしく見える。


「……何が苦しいの?」


 僕はグリンから目をそらした。

 腕でよだれを拭って、何とか気持ちを落ち着かせようと努力してみるけど、なかなか思うようにいかないのがもどかしい。


「何とか言えよ。何も分かんないんじゃ、どうにも出来ない」

「……美味そう」

「え?」

「襲いたく……、なるの、我慢、してる。ゔぅ……、美味そうに、見えて……」

「……マジかよ」


 ドン引きされたに違いない。

 相手は竜だって分かってるのに、食い物に見えるなんて。


「吐いたものの中に、人間の服や装飾品が混じってた。あと、人骨。お前、人間を食ってきたのか」

「うぅ……」


 深く、頷く。

 味を思い出して、またよだれが出た。最悪だ。

 グリンとエンジは不快の色を出している。


「今まで、何人食った。相当食ったんだろ」


 僕はブンブンと顔を横に振った。


「違う! ローラだけ……。僕が食べたのは、ローラだけだ……! 食べたくなんか、なかったのに……。制御、出来なかった。弱すぎる、から。僕は、自分を……、止められ……なかった」


 身体を屈めて震える僕は、かなり奇妙に見えているに違いない。

 ふたりは、しばらく無言だった。

 僕の、ひくひくとしゃくり上げる声が森に響いた。

 情けない声。泣くつもりなんてなかったのに、気付くと顔中涙と鼻水だらけだし、よだれも垂れてる。

 最悪。カッコ悪過ぎる。

 僕があまりにも情けなかったのか、ふたりは大きくため息をついた。


「別に、取って食おうと思ってる訳じゃない。怖がるなよ。俺はグリン。そっちの厳ついのがエンジ。妙な気配がして、警戒してたらお前のことを見つけたんだよ。――名前、なんてぇの?」


 グリンが小さい声で聞いてくる。

 僕は顔を上げずに、どうにか答える。


「大河。芝山……大河」

「タイガってのが名前ね。シバ、ヤマ? 通称か何か?」

「名字。僕が育った、家族の名前」

「それって、リアレイトの風習だよね。――あれ? リアレイトで育った?」

「……うん」

「嘘だろ。リアレイトには、竜は存在しないはずだ。まさか、人間として育てられた?」

「うん」

「冗談だろ。化け物だぜ……?!」


 頭を抱え、グリンは大きく息を吐いた。


「訳ありも訳ありだな。リアレイトで人間として育てられた、白い竜の子ども。食いたくないのに人間を食うし、暴れてしまう。――人間を襲って、怖くなって逃げてきたのか。もう、人間の住む世界では生きられないとか、そういう……」

「半分……、当たりです。でも、半分は……、違う」

「違う?」

「僕は……危険だから。これ以上、人間達を、巻き込む訳にはいかないと思って。残りの杭を……、その、黒い、柱を、僕が全部壊して、倒しに行くんです。――破壊竜ドレグ・ルゴラを」


 まるで死人のような顔をしているだろう僕の、とてもまともには思えない言葉を聞いて、グリンとエンジは顔を見合わせていた。

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