第5部 《森の竜》と《白い竜》編

【25】森

1. 途切れ途切れ

 闇の中にいる。

 光が届かず、何も見えない。

 五感が全部消えてしまったみたいに、何も感じなくなった。

 無茶をしたからだ。無理矢理四本も一気に杭を壊したから。

 四本分の暗黒魔法は思いのほか強烈で、僕の自我を簡単に吹き飛ばした。

 また、夢を見る。

 遠い遠い昔の夢だ。

 僕と同じ、白い鱗をした竜が、絶望した時の夢――……。











      ・・・・・











 黒く染まった水は、直ぐ身体に馴染んだ。

 ドレグ・ルゴラはやがて、それが単なる水ではなく、黒い感情と魔力を含んでいるものだと気付く。

 普通の生き物ならば、身体に取り込んだだけでも精神がおかしくなってしまうような恐ろしい水だったのに、彼にはそれが通じなかった。

 彼は既に、狂っていた。

 強制的に狂わされるまでもなく、狂っていたんだ。











 例えばこの世界が、何者かによって意図的に創り上げられたのだとして、だとしたならば何故、何者にもなれない、何色にも染めることの出来ない白い竜が存在するのか。

 絶望の先に光なんてなかった。

 深い深い闇だけが存在した。

 どの生き物も、ドレグ・ルゴラを受け入れなかった。

 相手は徒党を組んで襲いかかり、ついに彼を追い出した。

 ドレグ・ルゴラは思うのだ。


『だったら僕も、徒党を組んで襲いかかれば良いのでは?』


 仲間なんていない。

 いつもひとりきり。

 例えば、自分の意のままに動く兵がいたのなら。

 例えば、この真っ黒な水にさえ意思があり、自在に操れたなら。

 真っ黒な湖の上に、レグルノーラの大地が浮いているのを見た彼は、ぼんやりとそんなことを考えた。

 彼は気の遠くなるような時間を掛け、禁忌の魔法を大成させてゆく。

 それが、更に彼を追い込んでいくのだとも知らずに。











 数十年の時が流れた。











 人々から白い破壊竜ドレグ・ルゴラの記憶が薄れていった頃、彼は再び動き始めた。

 大地の縁に立った白い竜は、眼前に広がる砂漠を前に、禁忌の魔法を発動させる。


『砂よ、土塊つちくれよ、従順なる我がしもべとなれ』


 地面の至る所からせり出した土の塊が、砂を引っ付け、怪物を作り上げていく。

 人間のように二足歩行だが、竜の特徴を持つ半竜人。暗い色の鱗を持ったそれらは、それぞれ意志を持ち、カタコトながらも言葉を喋った。


『全てを破壊しろ! 我がしもべ共よ。僕を……、この私を認めぬ世界を破壊し尽くせ! 世界を全部、恐怖で染めるのだ……!!』











      ・・・・・











 ブワッと頭の中を強い風が駆け抜けた感覚。

 白い半竜の僕は、天に向かって吠えていた。


「よ、様子がおかしいぞ」

「鎮静剤は……!!」


 人間達が叫んでいる。

 降り注ぐ雨。






 *






 場面が飛んだ。

 知らない街。

 僕は項垂れ、倒れそうになりながら、雨の中を歩いている。


「あれ……、神の子だよね?」

「鱗が白い……。うっそ!! 本物?!」

「様子、変じゃないか……?」


 人間達が僕を見つけ、口々に言った。

 声の方に振り向いた僕は、目をぐるぐるさせて泣き叫んでいた。


「ゔぅ……。ゔグッ! だ、ダメだ……!! 来るなぁ……ッ!」


 腹がぐうと鳴って、よだれが溢れた。

 襲いたくなる衝動が身体の奥から湧いてくるのを、とにかく必死で抑えていた。


「逃げろよ……! お願いだから、僕から逃げて……!!」






 *






 人間の姿を見る度に、僕は怯え、逃げて回る。

 空を飛ぶ体力がなかった。

 転移魔法を使う精神力がなかった。


「神の子、ですよね」

「中継、見てました。大丈夫ですか」


 僕が何者なのか知ってるクセに、人間達は僕に話しかけてきた。


「いたぞ! 神の子だ!!」

「本部に連絡しろ!!」


 逃げまくった。

 魔法で人間をぶっ飛ばした。


「近付くな!! クソ共があッ!!!!」


 大丈夫じゃないことはちゃんと分かってる。

 話しかけたくなる気持ちも、何となくは分かってる。

 だけど今は、……ダメなんだよ。






 *






 鬱蒼とした森の中。

 自分を制御出来ずに、暴れまくる僕。

 目の前に現れる動物を惨殺して、木々をなぎ倒し、魔法を無意味にぶっ放った。

 身体が、自分のものじゃないみたいだった。

 何をしたいのか、どうしたらいいのか、どんどん分からなくなっていく。






 *






 短い草が視界に入った。

 雨粒をくっつけた葉がしなっている。

 身体が、思うように動かない。

 半竜姿のまま地面に這いつくばり、息をするのがやっとだった。

 反動がヤバい。

 ドレグ・ルゴラか僕か、どちらかの記憶が見えているならまだ良かった。

 ……今回は、なんにも見えない時間が長過ぎる。

 怖い。

 一時的なものならば良いんだけど。

 ――ふと、複数の足音が遠くから聞こえてきた。

 かなり大きな生き物の足音だ。

 話し声もする。

 動けない僕は、地面に倒れたまま。


「いたぞ」

「……何だアレ。竜……にしては、白い」

「人化した竜の子どもに見える」

「随分中途半端な人化だな」

「気持ち悪い。白い竜なんて存在するのか?」

「臭いも変だ。竜よりも獣臭いうえに、人間のような臭いも混じってる」

「それだけじゃない。闇の魔法の気配がする。……呪われてる?」


 足音が近くで止まった。


「見た目は人間に近い」

「だけど、人間でも竜でもない生き物だ。生きてるのか?」


 竜の足が真ん前に見える。

 そいつは前足で、僕の腹をちょいとつついた。


「……うぉええッ!! かハ……ッ、はァ……、おぇぇえ!!」


 衝撃で、腹から何かが逆流した。


「ヤバッ!! こいつ、吐いたぞ!!」

「うわ! 見ろ! 人間の服の切れ端だ。もっと硬いのも。骨も出てきた。何を食ったんだ?!」


 吐瀉物が眼前に広がると、また気持ち悪くなる。

 何度か嘔吐えずき、地面をのたうち回った。


「うえぇ……、えぇ……。はァ、はァ、はァ……。助け……て……」


 多分、竜だ。

 言葉を喋る竜が、僕を見てる。

 頭が痛くて、視界がぼやけて、ハッキリとは分からないけれど。


「どうする、グリン。泉まで連れてく?」

「その方が良いだろう。エンジ、お前、背中に乗っけてやれ」

「仕方ねぇな」


 大きな手に掴まれ、宙に浮いた。そのまま大きな竜の背中に乗せられたところで、また意識が途切れた。






 *






「白い竜なんて、あくまでも伝承の類いだと思ってたけど」

「現実に存在するとはな。……しかも、子どもだ」

「ここ最近、森の外が騒がしかったのはこれが原因か。白い竜は人間も食うんだっけ? 本当だったんだな……」

「塔の魔女も死んだらしいし、……確実に何かが起きてる。グリン、最近森の外に出てただろ? 何か聞いた事、あるんじゃないか?」


「黒い柱の話なら、話題に上がってた。この森にもあるアレだ。柱を壊すとか何とか……。――あ! 既視感があると思った! こいつ、街頭ビジョンに映ってたヤツに似てる!!」

「ビジョン? あの、ビルに張り付いてる……」

「白い、半竜……? なるほど、こいつ、“神の子”……!!」






 *






 水の音。

 木の葉のざわめき。

 柔らかい風が気持ちいい。


「ゔ、ゔゔぅ……」


 まだ身体中がギシギシする。吐瀉物の酸っぱい臭いが口の中に残ってて、凄く気持ち悪い。

 起き上がって、頭を抑える。

 角がある。背中の羽も、尻尾も、引っ込んでない。半竜の姿で落ち着いたのか。

 服もボロボロで、辛うじて下半身が隠れているくらいだった。みすぼらしいったらありゃしない。

 やっと自分の力の押さえ込みが出来るようになってきたところだったのに、うっかり一日で四本も杭を壊したから、ままならなくなったらしい。

 肥大化は収まったようだ。元のサイズに戻ってる。だけど。手には白い鱗がぎっしりだった。顔も、ほっぺの辺りまで鱗が侵食してる。


「どこ……?」


 辺りを見回して、僕は呆然とした。

 知らないところ。

 ドレグ・ルゴラが幼少期に棲んでいた森に似てる。

 背の高い木々の間から日差しが降り注ぎ、僕の鱗に影を落としている。

 どうやら僕は、泉のそばの草地に横になっていたらしい。寝るのに丁度良いくらい柔らかい草地だった。寝格好が悪くて、少し身体がギシギシするけれど、それはまぁ、仕方ない。

 泉の周辺は少し開けていて、ゴロゴロと点在する岩には蔦が絡まっていた。

 とても、綺麗な場所だ。

 あれが僕の記憶で間違いないなら、僕は混乱して暴れるだけ暴れ回り、森へ辿り着いて更に暴れ、終いには倒れてしまった……ってとこだろうか。

『気持ち悪い』と竜に言われた。

 ……だよね。気持ち悪いに決まってる。こんな、中途半端な存在、他にはいないんだから。


「――あ! 起きてる!! エンジ、あいつ起きてる!」

「ホントか、グリン」


 声と共に、何かが僕の方に近付いてくるのが見えた。声と名前から、僕をここに連れてきた二匹の竜だ。

 翼竜以外の竜は、初めて見る。

 一体僕を助けたのはどんな……。


「人間……?」


 そいつらは、人間の姿で現れた。

 僕は腹の底から、ぞわぞわと得体の知れないものが湧き上がってくるのを感じ、ウッと両手で口を塞いだ。

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