12. ごめんね
目をガン開きにして、全身で息をする。
自分の中に竜石が溶け込んでいく独特の感覚に、強い吐き気を感じる。
「ぐあぁああぁぁああああ、あ、あ、あぁ……ッ!!」
痺れて、痛くて、身体中が気持ち悪くて、気が付くとまた僕は叫んでいた。
意識が奪われてないだけマシだ。……けど、僕の小さな身体に対して、あまりにも暗黒魔法が強過ぎる。抑えきれない力が溢れ出し、畜舎や農作業小屋を何棟かぶっ壊した。
牛や豚、鶏がいっぱい吹っ飛ばされて行くのが見えた。あっちにこっちに逃げ出した家畜達は、興奮してギャンギャン鳴いていた。ごめん、せっかく精魂込めて育てたのに。思ったけれど、僕は自分の力を抑え込むので精一杯で、何にも出来そうにない。
雨足が少しずつ強くなってきていた。
魔力が雨に反応して電流が走った。抑えきれない力がバチバチと、僕の周囲で弾けている。
「巻き込まれるぞ!」
「退避!! 退避しろ!!」
人間達が逃げて行く。暴走しかけた力のせいで、神教騎士も市民部隊も、竜騎兵ですら僕に近付けないでいる。
鎮静剤が早く欲しいのに、求める余裕すらなかった。
ドンッと身体を揺さぶられるような衝撃が肥大化の合図。
必死に抑える。
ダメだ。また見境なく人間を食おうとするんだから、竜にはなるなって……!!
一本目、二本目とは比べものにならないくらい、内側から外側から、身体が壊れそうなくらい、ありとあらゆる痛みが襲いかかってくる。
「ぐぅ、ぐぐぐぐぐぐ……。うゔゔゔゔゔッ」
地面に倒れ込み、悶えた。
胸を掻きむしりのたうち回る僕を避けるように、人間達は更に遠くへと逃げていく。
近付くな。逃げろ。
鎮静剤が欲しい。早く。
二つの感情がグルグルした。
また鱗の形が変わってきている。より強固になった。早くしなきゃ。これ以上竜化が進んだら。早く落ち着いて、もう一本杭を……!!
地面を這いつくばりながら、僕はどうにか立ち上がって、鎮静剤を求めようとした。けど、腕にも足にも、まともに力が入らない。
噴き出す力が木々をなぎ倒し、民家を次々に破壊した。早くどうにかしないと、村が壊滅する。
「ぢ、ぢんぜ……、ウグッ! ……ハァ、ハァ」
視界の範囲から、人の気配が消えた。鎮静剤、用意しろって言ったのに。怖さに負けてんじゃねぇよ。ちっくしょおぉ……ッ!!
震えが、止まらない。身体の中は燃え滾ってるクセに、全身がブルブルして、頭はバットで何回もぶん殴られてるみたいにガンガンするし、至る所にぶっとい矢が刺さってるみたいにズキズキする。
一本でも良いから、早く。鎮静剤、早く打って……!
「ハァ……、ハァ……」
半分気を失いかけていた僕の視界に、フワッと、優しい杏色が差した。
杏色……。
「リ……、サ……」
朦朧とする意識の片隅で、僕は彼女の名前を呼んだ。
「大河君……」
リサの声が聞こえた瞬間、僕はどうしたら良いのか分からなくなって、そっと目を閉じた。
溢れ出す力が嵐を起こして、近付いてくるのもやっとなはずなのに、彼女の足音がする。僕のそばに屈み、背中に手を触れる。
「待っててね。今すぐ」
リサは魔法を発動させた。
じんわりと暖かい。少し、身体が楽になる。
「震えてる。雨降ってるから寒いのかな? それとも怖い……? 遅くなって、ごめんね。大河君を一人にさせて、ごめんね」
半分竜になって、うつ伏せに倒れた僕を、リサは怖がらなかった。畳んだ羽や長い尾、頭にニョッキリ生えた角のことも、彼女は何も言わなかった。
ゴソゴソと、何かを探す音。
「鎮静剤も持ってきた。どこに……、刺せばいい?」
背中側は硬い鱗がぎっしりで、判断に迷ったんだろう。僕の身体のあちこちにぺたぺた触れて、困ったような声を出す。
僕は、地面の上に伸ばしていた腕を裏返して、手のひらを上に向けた。
「内側……」
「え?」
「内側の……、柔らかいところに」
「内側? お腹側ってこと?」
頷く。
「分かった。内側ね」
まともに動けない僕を見かねて、リサは肥大化しつつある僕の重い身体をよいしょと起こそうとした。けど、重すぎて全然持ち上がらないらしい。途中まで頑張って、でも結局体勢を変えるのを諦めてしまった。
「ゔ……、ゔぅ……、あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ッ!!」
また激痛が走った。
リサの魔力と臭いに反応して、白い竜の本能が彼女を襲いたがっている。
やめろ。やめろって!! リサは人間じゃない。食いもんじゃない。食っちゃダメだ!!
「苦しいよね……。早く楽になりたいよね……」
リサの声が震えてる。
ごめん。こっちこそ、ごめん。誰の忠告も聞かず、勝手にこんなことして、ごめん。
「ゔぅ……、ウッ、ウッ……」
拳を握り、歯を食いしばった。
「……泣いてるの?」
何も言えない。
身体を震わして、ただただ耐えた。
「ここにする。ちょっと痛いかも」
リサは僕の腹の下に滑り込み、ペンペンと僕の腹筋に触れた。
ケースを開ける音。
そんなところに居たら潰されるのに、リサは構わず作業を始めた。
「さっきは、スライムのこと教えてくれてありがとう。大河君、あんな状況でも皆のこと心配してくれてたんだね。……今も、こんなに苦しいのに、必死に我慢して。私には、大河君から溢れた魔力の一部を吸い取るくらいしか出来ない。それだって、思った程効果が出てないのに……って、……えぇッ?! ちょ……っ、針、こんなに太いの? こんなの刺してたの? 大河君、我慢し過ぎだよ……!!」
「早く……。良いから早く……」
「う、うん。刺すね」
ブスッと腹筋に太い針が刺された。
「ぐぅっ……!!」
自分で刺すのも痛いけど、他人にやられるともっと痛い。……痛いけど、これで少し楽になると思えば我慢出来る。
「痛くない?」
「……痛い」
「薬が多くて、時間がかかりそう」
「大丈……夫」
「大丈夫なのに、こんなに震えてるの? 大丈夫なんかじゃないじゃない」
「……が、く……りは、いい」
「え? 何て言ったの?」
「みんな……、く……しむよりは……、いい。僕が……、我慢、すれば……いいなら、それで、いいんだ……」
「そんなの、全然、よくないよ……」
鎮静剤が順調に身体の中に入ってきた。
リサの吸収魔法も効いてる。
呼吸が少し楽になって、震えも弱まってきた。
雨の音が耳に戻ってくる。……濡れてる。
ゆっくり、目を開ける。
四つん這いに近い格好で蹲っていた僕の真下に、リサが見えた。
必死に抑えていたはずなのに、僕の身体は随分肥大化している。少なくとも、普通の人間の倍近くある。
怖いだろうに。
こんな禍々しい力を暴走させる半竜の化け物なんて、怖いだろうに。リサは恐怖の色も見せずに、両手で必死に注射してくれていた。
「……よし。終わった。抜くよ」
注射針が抜かれると、僕は一気に脱力した。
「わわっ!!」
リサが慌てて僕の懐から飛び出すのが見えた。
……助かった。
まだ、理性を保ててる。
空の注射器をケースに戻しながら、リサはチラチラと僕の表情を窺っていた。きっと、酷い顔だ。見られたくない。なのに、そっぽを向く気力すらない。
「ありがとう……。何とか、持ち直した……」
重たい身体をググッと起こし、背中を丸めて息をつく。
雨に濡れ、柔らかくなった地面で暴れたせいで、白い鱗が泥に塗れてくすんでいた。
まだ変な寒気がある。身体中が全部変だ。だけど、リサを食いたい気持ちが収まっただけでも気持ちが楽だった。
「いつもの大河君だ。良かった……!!」
唐突に、リサは僕に抱きついた。
とは言っても、地面に座り込んだ姿勢でもリサの目線は僕の肩くらい。肥大化した僕の身体は大き過ぎて、彼女のか細い腕は、僕の腕にしがみつくのがやっとだったんだけど。
その僕の腕も、肩から二の腕までぎっしり一列角が生えている。彼女は角と角の間に腕を通し、ぎゅっと身体を押し当ててきた。
「ずっと違和感があった。大河君、無理して皆のこと避けてたし。そんなに私達のこと、信用出来ないの?」
不安と心配の色。
雨が音を立てて、僕らの周囲を濡らしている。
リサも、空も、泣いてるみたいだ。
「あはは。そういう問題じゃないから。リサは気にしなくていいよ。……あと一本壊したら、都市部の杭は全部消える。早く、やらなきゃ」
絡んでいるリサの腕を
リサは、あからさまに嫌そうな顔をする。
「離れて。飛ぶから」
「飛ぶ? 空を飛ぶの?」
「いや、魔法で。巻き込みたくないから、離れて」
「だ……、だったら私も連れてってよ! 大河君が次の石柱を壊したら、また同じことが起きるんでしょ?! 私は全然怖くないから! こうやって大河君がおかしくならないよう、ちゃんと魔法も使うし、鎮静剤だって打てるから……!!」
涙目で訴えるリサに、決心が揺らぎそうになる。
ダメだよ。非情になんなきゃいけないのに。
僕は彼女を無理やり引き剥がした。
「悪いけど」
首を横に振って、リサを拒絶する。
「これ以上鎮静剤は要らない。過剰摂取で震えが止まんないんだ。翼竜に一本打てばいいものを、今日だけで四本打った。生きてるだけでおかしいんだ」
リサはハッとして、震える僕の手に目を落とした。
「最後にリサが飛んでくるなんて思わなかったな。会えて良かった」
何を言ってるのと、リサが頭の中で叫んでいた。
聞かない振りをする。
何も見えてない振りをする。
雨が、ますます強くなった。リサの蜂蜜色の長い髪が、色を濃くして彼女の肢体に貼り付いている。服もベッタリ引っ付いて、下着が少し透けていた。
「竜石の娘だよ……、私。レグル様が、……ううん、君のお父様が、君の力をコントロールするために私を作ったんだって言ってたじゃない。私、大河君に付いていくよ。君が世界を救うその瞬間まで、一緒に」
「――さよなら、リサ」
リサが伸ばした手が触れる前に――、転移魔法で僕は飛んだ。
*
都市部最後の杭の前に、僕は立っていた。
雨は一層激しくなって、そこに居た神教騎士達も市民部隊らも雨具に着替えていた。
言葉は誰とも交わさなかった。
リサが追いかけてくる前に、全てを終わらせなければならなかった。
杭の表面は雨で濡れて、僕の白いシルエットだけが辛うじて映っている。
冷たい杭に手のひらを付けて、そのまま一気に魔力を放出した。
杭は崩れ、その残骸は全部僕の中に吸い込まれた。
暗黒魔法が発動すると、僕の身体は耐えきれずに悲鳴を上げた。
――何も、分からなくなった。
ただ、早く森へ向かわなければということだけが、頭の片隅に残っていた。
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