11. 僕ひとりが傷付いて終わるなら

 近くに降り立った竜騎兵が二本目の鎮静剤を持ってきた。更にもう一本、別の竜騎兵が追加で持ってきたものも、合わせて無理矢理注射した。

 人間達は僕を見て、かなりオロオロしていた。

 歯を食いしばり、口から炎とよだれを漏らしながら必死に衝動を抑える半竜の僕は、どう考えてもヤバかったろう。

 声を震わせて咽び泣いて、時折目をギラギラさせて人間達をギョロギョロ見て、バシンバシンと尾を地面に叩きつけ、かと思ったら空に向かって叫びだして。

 空の上にはいなかったけど、地上のあちこちをドローンや撮影用のエアバイクが飛んでいるのは知っていた。

 もしかしたらこの様子も、撮られているかも知れない。頭のおかしい半竜が妙な動きをしているところを、全世界に配信しているのかも知れないんだ。だけどもう、彼らを止めることも、どうこう言うことも、僕には出来そうもなかった。

 人間達が集まる度に、そこに魔力の強い人間が現れる度に、そいつを餌だと思ってしまう。僕は自分の身体を必死に止めることだけに集中した。


 三本目の鎮静剤を打ち終えると、心臓の高鳴りは少し収まって、どうにかまともに前を向くことは出来るようになっていた。

 へたり込んでいたライナスも立ち上がって、僕の周囲にやたらと人間が近付かないよう、僕から少しでも離れろと指示を出してくれていた。気が付くと、僕の周りをグルッと囲うように人だかりが出来ている。皆が、僕の動きを注視していた。

 カラカラと、空の注射器が地面に転がる音。

 僕は大きく息を吸って、呼吸を整えた。

 胸に手を当てる。少しは、心臓の動きもマシになってきてる。その代わり、腕の震えと妙な寒気は止まらなかった。鎮静剤過剰摂取の副作用なのかも知れないと思った。


「行くのか」


 羽を広げたところで、ライナスに呼び止められる。

 僕は、彼の顔が見れなかった。


「そんなに苦しんでまで、どうして君は」

「――僕だけが傷付いて終わるなら、それでいい。人間が気にすることじゃない」

「しかしそれでは」

「あと二本、杭を壊す」


 僕はそれだけ言って、転移魔法を発動させた。






 *






 フラウ地区とルベール地区に股がる農村に、次の杭が刺さっていた。

 杭は畜舎の直ぐそばにあった。

 神教騎士と市民部隊の数人が物々しい様子で僕を出迎えた。

 避難がある程度間に合ったのかどうか。見えるところに民間人の姿はない。

 とても、静かな村だった。

 牛や豚の鳴き声が、畜舎の方から聞こえてくる。動物達は敏感だから、ヤバい生き物が現れたのだと勘づいて騒ぐのだ。

 ポツポツと雨が落ちてきていた。

 寒気が酷くて、暖かい格好をしたかったのに、背中の羽が邪魔で上手く服が具現化出来なかった。

 既にマスコミのドローンが飛んでいた。


「神の子……?」


 話しかけられたのに、まともに返事も出来ない。

 胸を掻きむしり、ボロボロに裂けた服を着て、靴も履かずにヨロヨロと歩く。

 能力者の放つ甘い香りに、またよだれが垂れてきた。我慢する。襲いかからないよう、我慢する。怯えた雛鳥みたいに羽を小さく畳んで、背中を丸めて歩いていく。

 杭は真っ黒く、視界のど真ん中に聳え立っていた。

 畜舎を横目に、僕は進んだ。


「離れろ。死にたくないなら、もっと離れろ……!!」


 杭の周辺にいた人間達を威嚇すると、彼らは大急ぎで散っていく。

 僕はひとり杭の前に立って、荒い息を整えた。

 杭の表面に映る僕は、さっきよりもずっと酷い顔をしていた。

 情けない顔。

 こんな顔で世界を救おうとしてるの? 馬鹿なの? もっとシャキッとしろよ。

 自分で自分に言い聞かせるけど、シャキッと出来るような精神状態じゃなかった。


「鎮静剤!! 用意しといて。頼む……」


 半分振り向いて叫ぶ。

 ハッとしたように、何人かがバタバタ動き始めている。

 ……しんどい。

 ふとそんな言葉が思い浮かんで、慌てて首を振った。

 しんどいのは僕だけじゃない。へこたれるな。諦めるな。僕がやらなきゃ。

 両手を伸ばして、ぺたりと杭の表面に触れる。


「うああああ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」


 魔力を思いっきり杭に注ぐ。

 さっきみたいに触りもしない、直接魔法を浴びせもしないで、僕の魔力がじわじわと影響していく形で亀裂が入っていくようじゃ、時間がかかってしまう。一気に行け。さっさと終わらせて、あと一本も早急に……!!

 ピシピシピシピシ……!!

 亀裂が走る。杭が砕ける。

 赤黒く光った欠片が、容赦なく僕の頭上から――。











      ・・・・・











 ――砂漠の上を飛ぶ。

 生温く、生臭い風が身体を伝う。

 どこまでも続く地平線。

 見渡す限りの砂地の上を、ドレグ・ルゴラは飛んでいた。

 水分も栄養も取らず、延々と飛び続けた。

 体力が持たなくて、高度の低いところをどうにか飛んでいた彼に、いろんな魔物が襲いかかった。砂漠狼、砂鼠、岩蠍、そして巨大な砂蟲も。襲われそうになると高度を上げ、必死に逃げた。砂漠の魔物は言葉も通じない上に、森のそれよりずっと巨大で凶暴だった。


『どこまで飛べばいい? どこまで行けば僕は救われる?』


 何日も何日も、気が遠くなるくらい飛び続けた。

 どこまで進んでも景色は変わらない。狂いそうになりながらも、彼は飛んだ。

 砂砂漠から岩砂漠へ。そしてまた砂砂漠へ。時折現れる岩山や河川の跡が、辛うじて視界に変化を与えてくれる。

 空っぽの彼は、それまでのことを飛びながら思い返していた。


『そもそも、グラントが名前をくれなかったのがいけないんだ』

『ガルボ達が僕を拒んだから』

『生きる場所を与えられなかった』

『理解されない。僕をみんなが追い出した』

『正体を知った途端、グレイが僕を拒絶した』

『ニールを殺された』

『リサが死んだ』


『どうして僕が悪者なんだ。何をした。ただ、白い鱗を持って生まれてきただけだろうが……!! 必死に努力した。僕は生きる場所が欲しかった。そのために、人間の振りをして、頑張って人間社会に溶け込んだんだ。ダメなのか。これだけやっても、僕は一切認められないのか――?!』


 やがてドレグ・ルゴラは地面に妙な亀裂が入っていることに気がついた。視界の先には天に届きそうなくらいまで舞い上がった砂煙が、壁のようにそそり立っている。

 風が急に強くなった。弱り果てた自分の力では、飛び続けるのは難しい。

 地面に降りて、砂地を這うようにして先へ進んだ。

 どこまでも続いていたはずの地平線が、砂煙の前で途切れていることに気付いたのは、日が沈む頃になってからだった。砂漠は寒暖差が大きく、夜が近付くとぐっと冷えるのだが、いつまでも妙な温さが続いていることに、彼は違和感を抱いていた。

 温い風が砂と共に、竜の白い鱗を叩きつけてきた。

 目の前はよく見えない。

 限界を感じた。ここまで来ても何もないのなら、何のために飛んできたのか。

 思っていた矢先、ガクッと衝動が走り、地面が一気にズドンと沈む。


『な、何だ?!』


 慌てて飛び去ろうとするも、その体力がなかった。

 ズリ、ズズズズズズズズ…………。

 地面は、ドレグ・ルゴラを乗せたまま急落下した。


『ダメだ、もう、お終いだ……!!』


 崩れた地面は斜めになって、ドレグ・ルゴラは何度も振り落とされそうになった。

 捕まるところのない砂地、気付くと身体が完全に地面から離れ、中に放り出されていた。


『助けてッ!! 誰か――……』


 助けを求めても、誰も助けに来てくれないのに、彼は叫んだ。

 叫んでそのまま、真っ逆さまに落下した。



 ――ジャボォオオオオォ……ン!!



 崩れた地面が先に落ち、生臭い巨大な水柱が立った。

 真っ黒い、闇色をした水の粒が、雨のように彼の身体に降り注いだ。


『何だコレ。水にしては随分……』


 目を見開き、黒い雨粒を仰ぎ見ていた彼自身も、やがて黒い水の中に沈んでいった。











 ――ブクブクッ。

 身体が重い。

 どんどん、どんどん沈んでいく――……。











 ねっちょりとした、気味の悪いその水を、ドレグ・ルゴラは大量に飲んだ。


『この黒い水を飲めば、僕も黒くなれるのか』


 真っ白な鱗の色すら分からなくなるくらい、その水は黒かった。


『白くなくなれば、僕は受け入れられるんだろうか。……真っ黒になりたい。夜の闇に溶け込むくらい真っ黒に。僕の白い鱗は目立ちすぎる。どこにいたって狙われる。そんなのはもう嫌だ。真っ黒になって、闇に紛れ、ひっそりと暮らしていきたい』


 ……しかしその願いは叶うことはなかったんだ。

 精も根も尽き果てて、ドレグ・ルゴラは湖に浮いていた。

 水面に浮かんだまま掲げた腕は、白かった。


『この、黒い水でさえ、僕の白い鱗は染められないのか……!!』


 笑いがこみ上げた。

 大声で笑いながら、再びドレグ・ルゴラは黒い湖の中に沈んでいった。

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