9. 覚悟を決めろ

「知ってたんだ。こうなるだろうと思っていた」


 シバの声は、少し震えていた。

 本当は涙脆いんだ。

 ドキュメンタリー番組、ヒューマンドラマですぐに泣く。目頭を押さえて、指で涙を拭き取るのを僕はすぐそばでよく見ていた。

 こんなことになってからも、何度か父さんの涙を見た。

 優し過ぎるくらいに優しい涙を、多分今も流している。


「人間が足を踏み入れることの出来ない森の中に竜石の柱が現れた時から、これはもう、塔にも教会にも手出しの出来ない次元で事が進むんだろうと思っていた。だから私は驚かない。司祭や騎士団長、ビビ達は動揺していたがな。……リアレイトでの、思い詰めたような顔。それに、全てを拒絶しようとする態度。いい、演技だった。教会に対しても、塔に対しても、塔の魔女に対しても、民衆の悪意が向かわないよう、お前は必死だった。悪意はやがて湖に零れ落ち、水を黒くして、ドレグ・ルゴラの力になる。それを知っているから、どこにも悪意がいかないようにしたかった。その粗暴な態度も、お前の優しさから来てるんだな。……良い子に育ってくれて、ありがとう」


 ……馬鹿か。

 そんなことを言うために、危険を冒して。

 ふぅとため息。また口から炎が漏れる。


「いつの頃からか、お前の顔がまともに見れなくなった。色んな不安が渦巻いて、心の中を見られるのが怖かった。手の届かない所に、お前はどんどん行ってしまう。大河、本当はまだ隠し事があるんだろう? ――あぁ、言わなくてもいい。聞かない。聞いてもきっと、私にはどうにも出来ないから。好きにやればいい。お前の信じる通りにやれ。後処理は大人に任せろ。絶対に、お前ひとりに押し付けたりしない。暗黒魔法に惑わされ、単なる魔物に成り果てようとも、私は必ず、お前を探して会いに行く。会いに行って、何度だってこうやって話しかけてやる。森の中だって、砂漠の果てだって構わない。砂漠の帆船のおさシバには怖いものなんてないんだから。――お前が人間に戻れなくなったとしても、私の息子だった事実は変わらない。大丈夫だ。お前は破壊竜にはならない。ドレグ・ルゴラとは違うんだ。苦しい時は、愛されたことを思い出せ。絶望だけはするなよ。いいな、大河」


 シバは、最大級にカッコつけた。

 いつだったか、何処かで同じセリフを聞いた。

 あれは確か、父さんじゃなかったはずだ。

 だけど間違いなく、今の僕の胸に刺さった。

 込み上げてくるものがあった。

 僕は固く口を結ぶ。


「――そろそろ限界か。石柱が崩れ始めた」


 地上付近で、赤黒い光が強さを増している。通常、崩れ落ちると地面に向かうはずの欠片が僕目掛けて上昇してきていた。


「地上のことは気にするな。早く、ローラを楽にしてやれ」


 あまりにも自然に、シバは僕に話しかけた。

 僕は一瞬、自分が竜であることを忘れて――、


「ありがとう。そうする」


 喋れないはずの言葉が、竜の口からふと漏れた。

 地上からの赤黒い光を背にしたシバと、目が合う。


「大河、お前……」




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 ――夕暮れの河川敷。夕陽に照らされ、黄金色に輝く川面。

 ベンチに座り、水の揺らぎに目をやって長くため息をつく。


『何度も言わすな。考えたことなんかないよ、そんなこと』


 視線の主は、若い父さん。


『真剣に考えろよ、芝山』


 隣にいるのは……、凌だ。


『そんなこと言ったって。普通、無理だろ。どうして君を』


 もうすぐ冬が来る。葉っぱの取れた街路樹が向こう岸に連なっている。


『覚悟を決めろよ、芝山。もしもの時は躊躇なく俺を殺せ』


 凌は前屈みになって、赤く光らせた目をギラギラさせて父さんを見ていた。

 そこに感情はない。ただただ凄みだけが存在する。

 父さんはウッと声を詰まらせて、少し仰け反った。


『お前が無理なら大河に殺して貰う。あいつは神の子だから、お前より早く覚悟を決めるはずだ』

『そ、そのために大河を引き取る覚悟をした訳じゃないって何度も……!』

『世界が救われるのなら、俺は悪魔にもなれる』


 凌は瞬きもせずに言い放った。


『大切なものを守るためなら、化け物にでも悪魔にでも破壊竜にでもなってやる。同情なんか要らねぇンだよ。……芝山、覚悟を決めろ。もう俺は、お前が知ってる俺じゃない。大河が俺を殺しに来れるくらい大きくなるまで、どうにか踏ん張って向こうで待つ。だがな、その後は躊躇なく殺して貰わないと困るんだ。気の迷いとか、同情とか、憐れみとか、そんなのはどうでもいいんだよ。迷ってる間に、あいつは俺の身体を使って全部破壊し尽くしてしまうはずだ。お前が無理なら大河にやらせる。大河はちゃんと教育しろよ。俺を殺すように指導しろ』


『出来るか……! そんなこと!!』

『出来る出来ないじゃない。するんだよ。正しいことは正しいと、間違ってることは間違ってると指導するのと同じように、俺を殺すよう教え込め。破壊竜は倒されるべきだと刷り込むんだ。出来ないなら、俺がやる。世の中で一番悪いのはドレグ・ルゴラで、それを身体に取り込んだ俺は悪者で、世界をぶっ壊そうとしているやべぇヤツだと叩き込む。あいつには白い竜の血が流れてる。俺よりずっと強くなる。間違った育て方をしたら、もう一匹破壊竜が誕生する。それだけは避けなきゃなんないんだ。俺がお前に大河を託すのは、そういう善悪の区別がちゃんと付いてるからだ。愛情たっぷり注いで、大河を育ててやって欲しい。俺と美桜のことは全部忘れてもいい。だけど、いざとなったら俺のことを躊躇なくぶっ殺しに来るくらい強くしてやって欲しいんだ。大河を破壊竜にするな。忌まわしい白い竜の血が流れてることがあいつを苦しめる未来が見える。それじゃダメなんだ。あいつには、俺を倒して世界を救って貰わなくちゃならないんだから――……!!』




………‥‥‥・・・・・‥‥‥………




 シバの中にある父さんの記憶。凌の顔をハッキリ見たのは久しぶりだった。

 酷い顔。

 今の僕みたいだ。

 世界を救うためなら、躊躇するな。

 悪魔にもなれる。

 ……そうだよ。結局僕らは、そうやって自分を奮い立たせて生きてくしかないんだよ。

 神とやらが勝手に敷いたレールの上をオンボロのトロッコに乗せられて走らされて。何処にも枝道がない、地獄へと続くだけの一本道を突き進む。降りるのは簡単だ。だけどそれは、二つの世界を破壊と混沌に陥れることに直結してしまうんだ。

 同情なんか要らない。

 淡々と、粛々と、やるべきことを全部やれ。

 逃げるな、非情になれ。

 ここで感傷に浸ってたら、迷いが出たら、もっともっと多くの人間が、生き物が、世界が、失われてしまうじゃないか……!!


「気のせいか。喋れるわけないのに。大河、また会おう」


 シバは少しはにかんで、そのまま消えた。

 僕は吠えた。

 両手の拳を握り締め、羽を目一杯広げて天を仰ぎ見、力の限りに吠えて、自分を必死に奮い立たせた。

 咆哮は空に響き、地上のありとあらゆるものに跳ね返った。僕の耳に増幅して戻ってくる化け物の声。これが世界を救いたいと願う者の声だなんて、誰が思おうか。

 地上から飛んできた竜石の欠片が容赦なく僕の背中を刺し、腹を刺し、胸を刺した。悔しいかなその欠片は、またも僕の身体にどんどん溶けて染み込んで、僕の細胞の一つになっていく。

 赤黒い光。

 白いはずの竜の身体が妖しい光を帯びていた。

 鱗が一層分厚くなって、角が増え、僕の身体はまた少し肥大化した。

 ――ヤバい。まただ。白い竜の記憶の続きが見える。

 まだ、蝶の女王を倒してない。回復を終えた彼女が僕に突っ込んでくる。

 倒さないと。

 絶対に呑まれるな。意識を保て、大河……!!











      ・・・・・











 硬い竜の肉を、貪り食っている。

 ドレグ・ルゴラと呼ばれる白い竜になった僕には、味方は誰ひとりいなかった。

 全部敵だ。

 自分が育った森の竜も、他で育った森の竜も、そこに住む動物達も、人間も、全部全部敵だった。


『頭数だけ揃えても、意味がない。全部食ってやる。破壊し尽くしてやる……!!』


 僕の吐いた炎で森は焼かれ、たくさんの生き物が棲む場所を追われた。それでも僕は、攻撃をやめなかった。

 眠ることを忘れ、休むことを拒み、破壊を続ける。

 何がドレグ・ルゴラを突き動かしているのか、きっと自分でも分かってない。

 何かを壊し続けることが、自分の存在を確認できる唯一の方法だと、ドレグ・ルゴラは信じていたのかも知れない。

 ガルボはとうの昔に食った。硬くて、しわしわで、全然美味くなかった。途中でペッと吐き出して、そのままどうなったかも分からない。

 竜達は頭数を減らしながらも、狂ったように炎を吐き続ける僕に向かってきた。

 人間達と同じように。徒党を組み、作戦を練って僕を攻撃し続けた。人間の放つ魔法よりもずっと強い魔法を、次々と。

 ドレグ・ルゴラは、ひとりだった。

 仲間もいない。理解者もいない。

 ただただひとり、藻掻き続けた。

 人間達に正体を見破られたあの日から、ドレグ・ルゴラはまともに休むことも出来なかった。気を失って森で見つかったときも、それほど休んだ感じじゃなかった。


 ただ、鱗の白い小さな竜だったはずだ。

 何が違ったんだ。

 こいつと僕。一体何が。

 同じ白い鱗の竜として生まれて、どうしてこいつは破壊竜なんかになっていくんだ。

 ドレグ・ルゴラの心の中は、恐ろしいくらいにがらんどうだった。

 何もない。

 こんなにも長く長く生きてきたのに、大切なものの一つだって持ち合わせていなかった。

 欲しかったものは直ぐに消えてなくなってしまう。何にも、残っていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る