8. 理性を保て

 広げた羽を数回動かしただけで、蝶の女王の比じゃないくらいの突風が吹く。眼下では屋根瓦が剥げ落ちるように吹っ飛び、壁が崩れ、遠くのビルの窓が割れていた。

 巨大化した僕の影が落ち、昼間なのに街は真っ暗になっている。

 体長は三十メートル前後、羽を広げれば幅は五十メートル以上になる。かなりの巨体だ。魔法の力で空に浮く。背中の羽だけじゃ、絶対に浮き上がらない大きさだ。

 冷たい風を感じる。

 どこまでも続く薄暗い雲がすぐ近くに迫っている。

 高度は三百メートルくらいだと思う。住宅地と商業施設が広がる地域。南の方には農村がある。極端に高い建物がない分、視界が開けて遠くまでよく見える。


 散り散りに逃げる人や車。あちこちで事故が起き、壊れた建物からは煙や炎が立ち上っていた。

 もう既に、かなりの被害が出てる。どこまで避難誘導してくれていたんだろう。報道はどうなってる。中に人間はいなかったろうか。一体どれほどの人間が犠牲になってしまったんだろう。

 あの炎が、黒いスライムを倒すための魔法によるものだったら。……そんなわけない。あの混乱っぷりじゃ、一旦退いた神教騎士や市民部隊を引き戻すのは難しいはずだ。自分で壊しておいて、めちゃくちゃにしておいて、僕はなんて無責任な。


「キィイィイイイ……!!」


 白い竜になった僕の目が、空に浮いた蝶の女王を眼前に捉えた。

 地上付近を飛んでいたマスコミのドローンも、竜騎兵もいない空。

 彼女は僕に気付き、魔法陣を錬成している。黄色く輝いた魔法陣から次々にニードル状の光弾が飛び出し、僕を襲った。

 ババババババッ!!

 硬い鱗に光弾が当たって、次々に弾けた。ダメージは殆どない。

 やっぱり竜化すると、防御力も極端に強くなる。半竜のまま、巨大化したときと同じように攻撃力も防御力も強くなれば良いんだろうけど、なかなか上手くいかないのが現実だ。半竜の方が小回りも利くし、言葉も失わなくて済む。……そして理性も。


 少しずつ、自分が興奮していくのには気付いていた。身体の中を滾る炎のように、僕自身がどんどん熱くなっていってしまうんだ。

 その上ローラからは、プンプンと美味そうな匂いが漂ってくる。蝶の女王の化け物になってしまったとは言え、元は人類最強の魔女。黒い水の生臭さに負けず、彼女の甘い香りが僕の鼻腔を刺激した。

 ジュルッと、垂れてきたよだれを、僕は長い舌で絡め取った。

 いいか、僕。理性を保てよ。

 杭が砕ける前に蝶の女王を倒すんだ。彼女の願い通り、僕の手で。

 胸を張り、思いっきり息を吸い込んだ。口の中に魔力を集中させ、僕目掛けて突っ込んでこようとする蝶の女王に向けて……、一気に放射する。


 ゴオオオオオ……ッ!!


 火炎放射器のように口から炎が勢いよく噴き出した。半竜の時の何十倍も火力が強い。当たれば一撃で相手を仕留められるはずなのに、身軽な蝶の女王は僕の炎を避けるよう、

上手にくるくる空を舞った。


 ――チッ!!


 蝶の女王が右に行けば右に、左に行けば左に、首を捻って炎を吐き続けた。けれど一向に炎が女王に当たらない。キィキィと鳴きながら、僕の周囲をグルグル回る。

 埒が明かない!

 鷲掴みにしようと腕を伸ばす。その腕の軌道をなぞるように、蝶の女王はひらりと飛んだ。身体を捻り、長い尾でなぎ払おうとしたが、僕の背びれの間を蝶の女王はいとも簡単にすり抜けていく。

 苛々が募り、息が荒くなってきた。こんな回りくどい攻撃じゃなくて、もっと火力の強いのを一発お見舞いすれば。……いや、ダメだ。それじゃあ街も全部消えてなくなる。蝶の女王だけ倒せば良いんだよ。冷静に、冷静にならないと……!!

 再び大きく息を吸い込み、次の攻撃準備に入ったところで、ふと、空のあちこちが明るく光った。

 ヴォン、ヴォンと魔法反応の音がして、魔法陣が複数出現。その一つ一つから、市民部隊の竜騎兵が翼竜と共に姿を現したのだ。

 僕はハッとして、攻撃準備をやめた。


「いたぞ! 白い竜と蝶の化け物だ!!」


 竜騎兵の誰かが言った。

 翼竜は全部で十匹ほど。背中に乗った竜騎兵達は、意気揚々と武器を構えている。

 じょ、冗談だろ。

 ……地上を頼むと言ったのに。助けに来たつもりかよ……!


「神の子! ここは我々が」

「塔の魔女と言えど、魔物化したら元に戻らない。心してかかれ!!」


 竜騎兵達は僕の反応も確認せずに、翼竜を軽やかに操ってぴゅんぴゅん飛んで、蝶の女王目掛けて突っ込んでいった。剣を取り斬り込んでいく者、矢を放つ者、魔法攻撃を併用する者、防御魔法を掛ける者。三角の陣形を取って、次から次に慣れた様子で攻撃を仕掛けていく。


「キィィイイイイィィイイ!!!!」


 蝶の女王は怒りの色と共に甲高い声を上げ、竜騎兵を迎え撃った。

 奇声と共に、風の魔法! 波動が音と共に竜騎兵と僕に向かって広がってくる……!!


「うわあぁああぁぁあああああ……ッ!!!!」


 強烈な風に煽られた翼竜達はバランスを失ってくるくると宙を舞った。

 バシンバシンと、ひっくり返った翼竜達が僕の身体に体当たりしてくると、流石の僕もイラッとした。翼竜は僕の体長の半分以下。羽の部分を畳めば、かなり小さな身体だ。それが五匹も六匹もボンボンと、胸やら腹やらにぶつかって……!


「グォオォオオオオオォ……!!!!」


 怒りにまかせて僕は叫び、炎を吐いた。

 翼竜は怯えたようにギャンギャン声を上げて鳴いた。仰け反り、回避行動に出る翼竜の手綱を、竜騎兵達は何とか操って宥めようとしているようだ。中には落っこちそうになって悲鳴をあげるヤツもいる。

 知ったことか。

 僕は首を前に出し、ぶち当たってきた竜騎兵を一匹ずつギロリと睨んでやった。

 邪魔なんだよ。

 言ってやりたかったけど、あいにく言葉が喋れない。

 地上の被害を心配して空に来たのに、コレじゃ何の意味もないだろうが……!!


「ダメだ! 塔の魔女に近付けない!! 神の子も警告しているようだ。遠距離からの魔法攻撃に切り替えろ!!」


 竜騎兵の一人が叫んだ。

 呼応するように竜騎兵達は、翼竜の背中に乗ったまま、魔法陣を次々に錬成していく。

 光の魔法、炎の魔法、雷、氷。それから蝶の女王の速度を弱め、動きを止めるための魔法。

 僕の前方を塞ぐようにして竜騎兵達は一斉に魔法を放った。


「キシャアアアアアアアアッ!!!!」


 致命傷にはならないが、ある程度魔法は効いている。

 が、これだけ大量に翼竜が飛んでいると、動きづらいことこの上ない。

 動けば僕の身体が翼竜の動きを阻害する。炎も吐けない、魔法を撃つにも躊躇する。

 眼下を見る。

 ひびが杭全体に走り、既に赤黒く光り始めていた。

 マズい。このままじゃ、竜騎兵や翼竜達も、ローラと同じように魔物化してしまう。

 ……軽々しく、“我々が”だなんて。迷惑でしかないのが分からないのか。

 ふざけんなよ、人間共がぁ……ッ!!!!


「――竜騎兵は今すぐ撤退しろ!!!!」


 誰かが叫んだ。


「しかし!!」


 竜騎兵達は一斉に僕の方に注目した。


「石柱が壊れる。欠片が神の子に向かって飛んでくるはずだ。巻き込まれる前に、急げ!!」


 ……はぁ?

 ど、どういうことだ。どうして僕の近くで聞き覚えのある人間の声が。

 僕は慌てて首を捻り、声の方に目をやった。


 ――シバ。


 僕の左肩の上に立って、竜騎兵撤退の指示を出していたのはシバだった。上着を脱いで腕まくりし、綺麗に結っているはずの髪はボサボサだ。


「私も、巻き込まれたくはない。早々に立ち去るつもりだ。今しか会話出来ないんだろ? 次の暗黒魔法を浴びたら……。その前に、どうしても話したくてここに来た」


 シバは僕の視線に気付き、静かに話し始めた。僕の首に手をかけ、蝶の女王をまっすぐ見つめるシバ表情までは、僕の角度からは分からない。


「薫子のことは安心しろ。きちんとリアレイトに戻した。軽率だったと猛省していた。あとは陣がどうにかするだろう。それから、ローラの事は、お前が責任を感じる必要はないと思う。彼女が選んでやったことだ。が、どうにかしなくちゃならないのは確かだ。全力で倒すしかない。竜騎兵が邪魔をした事は謝ろう。彼らとて、まさか自分達が足枷になるとは思わなかったんだろう。見くびり過ぎたな。悪かった。もっと早く私が気付いていれば止めたんだが、薫子のことで時間を取られて間に合わなかった。本当に申し訳ない」


 シバの話に耳を傾け、僕は息を整えた。

 興奮状態になりつつある僕を、シバの心地いい声が落ち着かせてくる。

 ……魔力の強い、美味そうな匂いもしてくるが、そこはぐっと耐えておく。


「地上では今、シスター長の先導でスライムの殲滅作戦が始まったところだ。リサもそっちに向かった。雷斗がこっちで暴れた時と状況は一緒らしいな。助言、ありがとう。あの爆破も、本当はスライムを……。いいや、気にするな。被害は確認出来てない。そんなのは、お前が気にすることじゃない。暗黒魔法を浴びた直後なのに、ちゃんと意識を保ってる事の方が重要だ」


 こんななりになった僕に、シバはいつも通りに話をする。

 悔しいかな、空色が全然乱れていないのが良く見える。

 綺麗な色だ。シバの空色は、胸に突き刺さるくらい、澄んでいた。


「――戻るつもりはないんだな。レンとビビに話を聞いた。……ずっと気になっていた。お前が何を考えているのか、ずっと。自分がおかしくなっていくのを周囲に見られるのも、外界からの批判や悪意から守られるのも、本当は我慢できないくらい嫌だったんだな。何も知らず、ただ、どうにかしてやりたいだなんて、人間のわがままに付き合わせてしまった。本当に、すまなかった。お前の立場とか、苦しみとか、辛さとか、何一つ代ってやることが出来ないのがしんどくて堪らない。こんなデカくなったら、抱き締めてやるのも無理だな。まぁ、十六にもなって、ハグなんて嫌だろうが、私にとってお前はいつまでも小さい大河のままなんだ」


 蝶の女王は、回復魔法の真っ最中のようだ。淡い桃色の光が彼女を包んでいる。

 それを悔しそうに見つめながら、竜騎兵は撤退していった。徐々に、視界から翼竜のシルエットが消えていく。どんどん、空が静かになった。

 空には僕とシバ、それから蝶の女王の化け物だけが残された。

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