6. 僕が全部悪い

 自分で望んだはずだ――……!!

 偽者は要らなかった。本物の、塔の魔女の後継者が欲しかった。けれどそれは、同時にディアナの死とローラの失脚を意味することも知っていた。

 世界を構成する三つを揃えるという過去の約束のために、今必要な犠牲だと何度も自分に言い聞かせてきた。

 それなのに。

 今、目の前でローラに言われて、狼狽えてる僕がいる。

 ダメだ、ローラ。君は本物じゃないんだし、犠牲になんてなる必要は。

 思っているのに言葉が出ない。

 どこかで喜んでる僕がいる。

 本物を待ちわびている僕がいる。


「ううぅ……ッ!!」 


 冷や汗が垂れる。息が荒くなる。

 阻止しなきゃ。そんな無茶なこと、阻止しなきゃ。ローラは違う。君は、逃げるべきで。 ――いや、喜べよ。本物が欲しいんだろ?

 ローラさえいなくなれば、彼女の言うようにディアナは潔く死ぬだろう。死んで貰わないと困る。次の、塔の魔女を早く選んで貰わないと……!!


「ローラ様!!」

「神の子!!」

「タイガ! 動くな!!」


 周辺で魔法反応がしたのには気付いていた。フラウ地区の現場から、転移魔法で次から次に関係者達が押し寄せてきた。手には鎮静剤と武器。これも予定通り。続けてもう一本壊した後、僕に何かがあったら止めてもらわなきゃならない。だからわざと言ったんだ。魔法で転移するかも知れないって。

 目論見通りに彼らは来た。あとは杭を壊せばいいだけだった。なのに、予定外の事が起きた。

 薫子といい、ローラといい、どうしてこうも邪魔を。僕の心を掻き乱すんだよ……!!


「タイガ、無謀なことはおやめなさい! 今すぐこの場から離れるのです!!」


 ローラはまた、ちぐはぐな事を言った。

 視界の奥に、市民部隊と神教騎士が何人か。リサ、グレッグ、ライナス、それからウォルターとイザベラの姿もある。二号も一緒に飛んできて、早速ピーピー警報を鳴らしていた。

 どうやらいつもとは明らかに様子の違う僕を警戒しているらしく、彼らは僕からかなりの距離を取っている。

 上空にマスコミのドローンとエアバイクの姿も見え始めた。

 騒ぐ住人達。避難誘導に時間がかかっている。

 いっそ、心も全部持ってかれた方が良かった。意識はずっと僕のままで、見てくれだけ化け物みたいになって、こんな状態でローラを殺せるかよ。どうせ血塗られた道だとしても、罪のないローラを殺してまで僕は、世界を救わなくちゃならないのか……?!


 クソッ!!

 ――非情になれ、大河。


 決めたはずだろ。芝山大河としての、人間としての僕はもう終わったんだ。神の子なら喜べよ。高らかに笑え。歓喜の雄叫びを上げろ。本物の塔の魔女が現れるなら、あとは僕が、どうにかしてあいつを救えばいいだけなんだから――!!


「……ァああ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ぁああ!!!!」


 混乱しそうな頭をブンブン振って思い切り叫んだ。

 迷いを断て!! 贄を捧げろ!!


『理性を失ってる……? タイガ!! 呑まれるな!! 無茶だ!! 一度に二本なんて!!』


 二号からレンの叫び声が聞こえる。


「大河君! やめて!! これ以上暗黒魔法を浴びたら、大河君、壊れちゃう……!!」


 リサが僕を止めようと、瓦礫の間を少しずつ進んで間合いを詰めてくる。同時に制御魔法も徐々に強まり、心なしか身体が軽くなったような気がした。


「塔の魔女が何故ここに」

「まさか! 護衛も付けずに?!」


 グレッグとライナスが慌てたような声を出した。


「もたもたしていたから、塔の魔女に遅れを取ったのですよ。イザベラ、聖魔法でタイガを止められますか?」

「準備中です……! 司祭は危ないですから下がっていてください!!」


 一際強烈な聖魔法を感じる。さっきローラが手加減して打った一発とは比べ物にならないくらいの魔力が魔法陣に注がれているのが見えた。風が起こり、細かい木くずが舞い上がった。所々で渦が巻いている。アレを食らえば動けなくなる。

 覚悟を決めろ。ローラの決心を無駄にするな。ここで立ち止まったら意味が無いんだよ。

 ローラが死ねば、塔は彼女を偽者だったと公表せずに済むし、彼女の立場も守られる。ディアナも躊躇せずに済む。僕も、化け物ながらに世界を守ろうとしたように見える。

 そしてこのまま逃亡する。


 僕が……、化け物になった僕が、森の中にいるだろう守護竜も全部ひとりでぶっ倒すんだ。

 残りの杭も全部壊して、ドレグ・ルゴラを倒して、あいつを……!!

 そのために全てをなげうつと誓ったじゃないか!!

 捨てちまえ、迷ってばかりの弱い心なんか要らない。

 同情したところで、僕にローラは救えないんだよ。

 世界に唯一の白い竜になるんだろ? ドレグ・ルゴラを倒して、僕こそが構成する三つの中のひとつだと宣言し、次の塔の魔女とあいつと共に、塔の天辺に立つんだろうが……!!


「塔の魔女、タイガから離れてください! タイガを、止めます……!!」


 イザベラが声を張り上げた。

 銀色に輝く魔法陣、発動する前に……!

 杭に手を伸ばす。化け物みたいな半竜の顔が表面に映る。ギラギラと目を赤く光らせて、一層凄みを増した牙を剥き出しにした僕の顔。そこに、ぬっとローラの顔が割って入る。


「タイガ、あとは頼みますね」


 僕だけに聞こえるように、穏やかにローラは言った。


「ダメです! 塔の魔女……!!」

「ローラ様!!」


 悲鳴が上がる。

 絶望の黒と悲痛の赤が辺りを包み始める。


「私が、塔の魔女の私が、タイガを止めなければ……!!」


 ローラはそう言って、杭にぺたりと手を付いた。






 ――美しかったローラのシルエットが、一気に崩れた。






 ボコボコと皮下組織が盛り上がった。

 腕から肩へ、身体、足と顔が変形し、肥大化した。

 ブュッ、バビッュ、ギュギュギュギュギュッ!!

 聞いた事のない奇妙な音が周囲に響いた。


「い……、いやぁぁぁあぁぁ……!!!!」

「ローラ様ぁぁああ!!!!」

「ああアッ!!」


 悲鳴、叫び声。

 絶望の黒が世界を支配する。

 僕の真ん前で、ローラは、ローラだったそれは、脈打ちながらどんどん大きくなった。

 涙なんか出なかった。



 僕が追い詰めた。僕が全部悪い。



 世界を救うために犠牲になれと、僕が言ったんだ。言ったも同然だ。

 彼女は立場上、逃亡を許されない。自ら死を選ぶ事も出来なかった。だから杭に触れた。僕が彼女を殺しても許される状況を作ったんだ。

 最低だ。最低だ最低だ最低だ。

 最初から後戻りなんか出来なかったけど、これで逃げ道も無くなった。

 僕がローラを殺さないと。こんな化け物になった彼女を、世間に晒し続けるわけにはいかないじゃないか……!


「危険だ!! マスコミを近付けるな!! 避難誘導の範囲を広げろ!! ぃ急げぇええ――ッ!!」


 グレッグが指示すると、神教騎士らは一斉に散った。

 市民部隊らもグレッグの指示に従い動き始める。


「塔の魔女……!!」

「ローラ様が!!」


 皆、足が竦んでる。動かなきゃならないのに、まともに動けやしないんだ。


「強制……、浄化!! 二人共、間に合ってぇ……ッ!!」


 イザベラの放った聖魔法が、僕とローラだったそれに向かって放たれた。

 ダメだ。もしこの魔法でローラが死んだら、イザベラが人殺しになる……!!


「ちっくしょおおおぉぉぉおぉおおおお……ッッ!!!!」


 ローラの前に立ち塞がった。

 思いっきり広げた両手と竜の羽、ダメ押しで結界魔法を緊急発動、聖魔法を迎え撃つ――!!


「だあぁぁあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!」


 銀色の魔法が石礫のような塊になって、不完全な結界魔法を突き破り、バシバシと身体に突き刺さってくる。硬い鱗が剥がれ、血が吹き出す程に強力な魔法。暗黒魔法で完全に闇属性になっている僕には、効果覿面だった。

 流石はイザベラ。致死性の高い黒い水中毒症をも強制浄化する、最強のシスター……!!


「がぁッ!! うぐぐぐぐぐ……ッ!!」


 両足で踏ん張って必死に耐える。

 瓦礫が崩れ、足場が悪くなる。

 後ろが見えない。

 ローラはどうなってる?!

 ちくしょう、分っかんねぇ!!


「――キシャアアアアアアアアッ!!!!」


 僕じゃない、別の化け物の声が轟いた。

 振り向く。所々穴の開いた、黒い何か。僕の背丈の二倍はある不定形の何かが、金切り声を上げている。

 マズい。

 ローラに違いないそれに、聖魔法が当たってしまった。

 僕が、ちゃんと防がなかったから――!!


「効いてる!! イザベラ、もう数発いけますか?」

「大丈夫です、司祭。けれど、塔の魔女は……」

「致し方ありません! こうなったらもう元には戻りませんから、全力で倒すしかない。問題はタイガですが……、塔の魔女を守ったように見えます。一体、どういう……」

『タイガの危険度は変わらないから! 引き続き攻撃して!!』


 二号からレンの声。

 攻撃は構わないけど、ローラを人間共に殺させる訳にはいかない。この罪は僕が負うものだ。人間如きに殺させる訳にはいかないんだって……!!

 ゴオオオォォォォ……ッ!!!!

 思いっきり吸った息を、炎と共に一気に吹き出した。


「きゃあああっ!! やめて!! 大河君!!」

「イザベラ!! リサ!! 逃げろおッ!!!!」


 グレッグとライナスが、それぞれ一人ずつ引っ張って退避させようとしている。なかなか行こうとしないリサは、ライナスが肩にひょいと担いでいた。

 それでいい。

 あとは僕が、ローラを……。

 イザベラの強力過ぎる聖魔法で僕の身体はズタズタだった。取り急ぎ回復魔法。膝がガクガクして立つのがやっとだ。

 一息ついて、真っ黒な化け物になったローラの方に振り返る。

 目を見張る。






 巨大な黒い蝶の女王――……。






 その背後に、亀裂の走る杭が見えていた。

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