3. こんなことで

 全身から血の気が引いていた。

 僕は何をしてるんだ。人間達の言いなりになって、配慮して、自分を押し殺して、我慢して我慢して我慢して。その結果がこれだ。

 誰も傷付けたくないから、必死だった。何もかも、隠し通そうと思った。

 僕の気持ちなんか分かりっこない。誰にも理解できないし、理解されない。どんなに足掻いてもどうにもならないこともあるって必死に訴えたところで暴力にしかならないことを、僕は知っていた。だから我慢した。

 僕や凌が命を懸けているだなんて、世の中ではフワフワで曖昧で不確定な事項でしかない。

 所詮他人事なんだ。何もかも、当事者以外にとっては他人事でしかない。

 同情だの心配だの協力だのどうでもいい。理解している振りさえしていれば敵対視されないと思っている。そういうクソが、僕は嫌いだ。

 邪魔なんだよ。足手まといでしかない。覚悟のないヤツは要らないんだ。


 今、薫子という不確定要素が現れたことによって、全てが狂った。

 ある意味彼女は必然的に現れたのかも知れなかった。偶々薫子だっただけで、薫子じゃない誰かが同じことをしたかも知れなかった。

 全世界に配信してたって事はそういう事だろ。ここがどこで、誰がいて、何をしようとしているのか世界中の人間が知っている。その中で、一人ぐらい頭のおかしいヤツがいて、闖入してくることぐらい予想が付かなかったのか。

 つまりはさ、覚悟なんて適当に言っておけば、宣言しておけばしたつもりになってしまうと。本当の覚悟ってのはそんなもんじゃない。

 誰かのために命を張るとか、自分がどうなるかも分からない状況でも冷静に相手を救えるかとか、――たとえ、自分の体や心が傷付こうが、自分以外の誰かが助かるならって、どのくらい本気で考えているか、いざという時にその通りに動けるかであって、薄っぺらいスケスケの、なんちゃっての覚悟なんて要らないんだよ。


「クソがアッ!!」


 感情を小汚い言葉にして吐き捨てて、僕は薫子の前に出た。


「ひっ! ごめ……」


 生まれて初めて心の奥底から震え上がるくらいガチガチに怯えて泣く薫子に、僕はギラギラ光る目と牙を見せつけることくらいしか出来なかった。

 薫子は地面にひっくり返って、完全に腰が砕けている。欠片が一つでも刺さったら、僕の精神はいよいよ壊れてしまう。

 竜化しないって決めたのに。

 巨大化して薫子に覆い被さって、欠片を防ぐしか方法が……。






 ――空色が、僕と薫子の前を塞いだ。






 颯爽と現れたそいつは、動けなくなった薫子をサッと抱き上げ、チラッと僕を見た。


「こっちは任せろ」


 我に返る。


「シバ!!」


 気が付いた時には、もうシバはいなかった。薫子を連れて消えていた。

 頬が緩む。

 違うな。……覚悟が。

 思った瞬間、背中に強烈な痛みが走った。

 欠片が刺さった。


「グアァッ!!」


 デカい欠片のひとつが僕の身体を貫いて腹を突き破った。血は……出てない。

 ありとあらゆる大きさの欠片が、僕の全身に突き刺さる。刺さってそのまま、吸い込まれていく。

 赤黒く怪しい光が、僕の内側で光り出した。


『タイガ!! 頑張れ!! 絶対に、負けるな……!!』


 レンの声が遠のいていく。

 もう、立てない。膝が地面に付いた。

 竜になれば楽になる。それは嫌だ。

 頭の先から足の先まで、欠片は容赦なく僕目掛けて飛び込んできた。この杭を構成する途方もない量の竜石の欠片を、一つ残らず吸収する。

 何も見えない、聞こえない。

 僕の視界は赤と黒に覆われ、欠片が身体に突き刺さる音だけに支配されている。

 壊れる。壊れたくない。

 まだまだ、これからだ。

 さっさと都市部の杭を全部壊して森へ行く。

 こんなことで僕は、壊れるわけには。











      ・・・・・











 人間は、徒党を組んで襲いかかることを覚えた。

 投石機で次から次に石が打ち込まれたり、火矢を次から次へと放たれたり、何十人もが同じ攻撃魔法を同時に放ったり。一度に襲いかかるのではなく、順番に。軍勢を幾つかに分けて作戦を練り、第一弾、第二弾、第三弾と休息挟んで襲ってくる。

 対する僕は休むことなく応戦する。炎を吐き、なぎ倒し、攻撃をはね除ける。

 休ませない気だと、どこかで思った。

 僕を一切休ませず、体力が尽きたところを一気に仕留める気だ。

 町が焼かれても、壊れても、人間は怯まなかった。たくさんの人間が死んだ。食って、踏み潰して、丸焦げになった。それでも人間は白い竜を倒すことに執着した。

 十日程、寝ずに応戦した。

 人間は僕を、徐々に徐々に森へと追いやった。

 流石に、精も根も尽きた。

 終いにはもう、炎を吐くことすら、出来なくなっていた。











 森の奥まで、命からがら逃げていった。

 焼け焦げ、鱗の下まで皮膚が爛れている。深い傷は、しばらく治りそうにない。

 人間共は竜を倒すための特別分厚い剣を携え、至近距離からガンガン攻めた。火矢も、連続した魔法攻撃も、以前は考えられなかった。

 弱いと思っていた人間は、知恵と知識を重ねて賢くなっている。たかが八十年程度しか生きられぬひ弱い生物が、白い竜に対する恐怖を語り継ぎ、対策を練ってきていた。

 人間風情が竜に勝つ……? しかも白い竜に。

 ふざけるな。

 なにが“偉大なるレグルノーラの竜ドレグ・ルゴラ”だ。

 人間に負けた? この僕が。負けることを知らなかったこの僕が、人間如きに負けただって……?

 人間と僕、何が違う。

 あいつらは弱い。一人一人は、かなり弱い。しかし、徒党を組む。仲間を引き連れ襲ってくる。


 仲間?


 ……そんなもの、居るわけがない。

 生まれてこの方、そんなものはいなかった。

 仲間なんて要らない。

 誰かの気持ちに忖度して動くのは嫌だ。どうせ僕は他と違う。対等な関係になんてなれっこない。

 兵が欲しい。

 従順で、僕の指示通りに動く兵が欲しい。

 思考などしなくていい。ただ、僕が人間共を殲滅するために、気に食わないものをぶっ壊すために、指示通り動く兵が欲しい。

 出来るだけ大量の兵が。











『間違いない、あいつです』

『良くもまぁ、こんな白い鱗で生き残っていた』

『恐らくこいつが人食い竜ですよ』

『……だろうな。人間を食うのは“白いの”だけだった』

『どうします』

『これ以上、人間を襲わせないよう、どうにかするしかないだろう。我々、竜の責任だ』


 懐かしい声が聞こえる。

 それに、竜の臭いだ。

 眠気と空腹で,僕は動けなかった。

 水が欲しい。

 肉が食いたい。

 武器や防具の付いていない、柔らかい肉。人間のじゃなくったっていい。何か、食いたい……。











 目が覚め、自分の身体が一切動かないことに気付く。首すら持ち上げることが出来ない。

 いつの間にか、森の真ん中で倒れていたようだ。

 人間に追われて森に戻ったところまでは覚えていた。それこそ、何百年振りの森だ。

 どこの森かも分からない。ただ、追われるまま追われてやって来た森だった。

 人間社会に溶け込み、いつ何時も、眠るときさえ気を張ったまま人間の姿を保ってきたのに、それすらままならないくらい疲れ果て、竜の姿で力尽きていた。こんなにも深い眠りに就いたのはいつ以来だろうと思うくらい久々に、深く長い眠りに就いていた。

 迂闊だった。

 身体が、横向きになったまま何かで固定されている。

 誰かが僕を、地面に紐状の何かで張り付けにしたようだ。

 かなりしっかりと固定されていて、身動きが取れない。これは一体全体、どういう……。


『ようやく目が覚めたか、白いの』


 声の方に顔を向けると、木と木の間にひっそりと佇む青い鱗の老竜が見えた。

 こいつは、確か。


『ガルボ……』


 グラントとよく一緒にいた成竜だ。あれから何百年も経って、いよいよ老竜になったガルボは、


『そのとおり。よく覚えていた』


 と小さく笑った。

 よく見ると、森の木々の合間合間にたくさんの竜がいて、僕をじっと観察している。

 身動きすら取れず、傷だらけの白い竜をジロジロと。


『このところ、森の外が騒がしかった。人間達が人食い竜を倒そうと必死になっているという話は聞こえていたが、なるほど、やはりお前か。――“白いの”』


 名前のない僕を、竜達は“白いの”と呼ぶ。

 他に、僕を指す言葉はない。


『人間を食うなという話を、何度もしたはずだがな。おきなもきっと悲しんでいるだろう』


 ガルボは適当なことを言った。


『何も知らないくせに』


 そうさ。

 ガルボは何も知らない。僕が森でどんな気持ちで過ごしたのか、森で生きられなくなって、どうやって何百年も生きながらえたのか。――何も。


『森を出ろとお前が言ったんだ。僕は森を出た。生きるために必死だった。僕は僕として生きるために必死だった!!』

『生きるために人間を殺し、食うのは間違っている』

『間違い? 知らないな。じゃあ、同じ竜である僕をこんなふうに張り付けにして晒し者にするのは間違いじゃないんだな』

『晒し者にしているわけではない。お前の処遇をどうすべきか、悩んだ末にやったのだ。このまま森を荒らされるわけにもいかない。かと言って、人間達の住む町へ戻すわけにもいかない』

『何が何だか分からないな。早く解けよ。これじゃ水も飲めない』


 手を動かそうとしても、腹をよじろうとしても、全く動けない。

 辛うじて首と手首の角度が変えられる程度。これじゃ何も……。


『人間が、翼竜の手綱に使う特別な綱を使ったのだ。竜石を砕いた粉を多く練り込んだ糸を使って編んだ綱。竜の力と自由を奪う石のことは……、知っているだろう』


 竜石。

 聞いて僕は鼻で笑った。

 アレか。触ったら砕けた、あの石。山のように積まれた石が、触る度に粉々に砕けていたのを思い出すと、笑いがこみ上げてきた。


『何がおかしい』

『なぁんだ、竜石か。そんなもので僕をどうにか出来ると思ったんだ?』

『どういうことだ』


 ガルボも、他の竜達も前のめりになった。

 ……ヤツらは、知らない。森の外へ出た僕が、どれだけ揉まれて、どれだけ強くなってるかなんて。


『もう、あの頃の弱くて頭の悪いガキだった僕じゃないんだよ、ガルボ。僕は恐怖の対象だ。化け物だ。数え切れないくらいの町を壊し、人間を殺して食ってきた。お前らみたいにぬくぬくと森の中で育った竜とは、根本的に何もかも違うんだ。人間は僕をこう呼ぶ。偉大なるレグルノーラの竜――“ドレグ・ルゴラ”と』

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