2. 想定してない

 杭の前に立った時の異様な雰囲気について誰かに聞かれたら、僕はなんて答えるだろう。怖いとか、不気味とか、気持ち悪いとか、そういう単純なものじゃなくて、――“静謐”。

 僕の知らない遥か昔に死んだ竜の身体が溶けて出来たという、不思議な石で作られたそれは、まるで僕の覚悟をたしかめるように静かに立っている。

 杭の周辺から人の気配が消えた。

 マスコミは杭から約三百メートル、関係者は約二百メートル離れた場所に待機する。今、杭のそばにいるのは僕と、二号だけ。白くて丸い二号の躯体は、僕のすぐ後ろにプカプカ浮いて待機し、バスの中にいるビビ達と僕を繋いでいる。


『タイガ、こっちは準備出来てるよ』


 二号からいつも通りのレンの声が聞こえた。


「了解。……ねぇ、レン。もしかして、リアルタイム配信とかしてんの?」

『してるよ。思ったよりいろんなところにカメラが仕掛けてあるみたいだ。ドローンも何台か飛んでる。タイガ、結構イケメンに映ってるから安心して』

「イケメンじゃないって……」

『女性と思しきアカウントからいっぱい書き込みがある。素敵だってさ。シバに勝てるかも』

「そんなことで勝たなくていいし。からかうの楽しい?」

『楽しいと思うか? 緊張解してあげてんだよ。感謝して』

「実況もされてんの? 神の子が今から〜とか」


『まぁ、そんな感じだね。コメンテーターの話なんて聞いてらんないよ。事情も知らないくせに適当に薄っぺらい言葉並べてさ。ビビ達は配信チェックしながら作業中。動画いくつか流しっぱなしなんだよ。耳障りなBGMだと思って諦めてる。あれ? そっちにも動画の音聞こえてる?』

「いや。聞こえるのはレンの声だけ」

『そっか。なら良かった。応援コメントもいっぱい流れてるからな。今回こそは何事もなく終わるよう祈ってる』

「ありがとう。僕もそう願う」


 何があってもおかしくない。

 そう、思ってくれてるらしい。

 予防線は張りまくった。あとは計画通り、杭を壊す。……人間の、姿のままで。


「杭の真ん前まで行く」


 曇天の下、僅かに風が吹いている。

 僕は深呼吸して、ゆっくり歩を進める。

 音のしない工場群がジロジロと僕を見下ろしているような、変な感覚。その間を、マスコミのドローンが数台飛んでいる。

 ドローンは邪魔しない限り、一定距離を取れば飛ばして良いってことになったようだ。この前みたいにエアバイクに跨った状態で近くを飛ばれるよりはマシ。とにかく、ヤツらはどうにかして僕の様子を撮影し続けたいらしい。

 全世界の人間が、僕を見てる。

 ……絶対、竜化出来ない。

 手の届くところまでやってくると、僕はゴクリと唾を飲み込んで、杭を仰ぎ見た。

 相変わらず真っ黒い。闇、そのものに見える。


「着いたよ」


 二号に話しかけると、


『映像でも確認した。タイガのタイミングで石柱に触れてみて』


 レンから返事。 


「オッケー」


 右手をそっと伸ばし、黒い杭の表面に触れる。

 晴れの日程じゃないけど、僕の姿が映って見えている。死人みたいに冴えない顔。こんなヤツに、世界は命を預けてんのか。


『数値異常なし。……あとは、タイガに任せる』

「了解」


 ふぅと一旦息を吐いて、呼吸を整えた。

 この杭を壊したら、どれくらいで僕はおかしくなってしまうんだろう。

 あと何分、まともに物を考えて、冷静に、僕でいられるんだろう。

 考え出すと、ただただ苦しくなる。

 意識を保ちたい。

 出来るだけ早急に、杭を全部壊したい。

 地獄から抜け出したい。

 地獄から、救い出してやりたい……!!

 目を瞑り、心を落ち着ける。

 大丈夫。出来る。

 暴れない。

 負けない。

 僕は、僕のままで。






「――大河?」






 背後から、女の声がした。

 振り向く。

 目を見張る。


『ちょ! 誰の声?!』


 二号から、慌てるレンの声がする。

 バタバタと、バスの中が騒然とし始める。


「……はぁ?」


 右手を杭にくっ付けたまま振り返った僕の目に映ったのは、


「か……、薫子」


 絶対に有り得ない、居てはいけない薫子の姿。

 私服の薫子が、呆然とした様子で僕を見ている。

 ほんの、二メートル程度しか離れてない。近過ぎる。

 胸が、一気にザワついた。血が上る。喉が乾く。全身が震え出す。頭が……ぐるぐるする。


「な……、何やってんだ。僕が今、何してんのか分かってんの……?」


 だ、ダメだ。心を落ち着けなくちゃならないのに。

 ピピッと、二号が僕の力の変化に反応しだした。


『タイガ! それ誰?! クッソ!! 数値が!!』


 警報音が激しくなる。

 ピーピーピーピー、僕の脳みそを揺らしてくる。

 異常に気が付いた神教騎士と市民部隊は、既にこちらに向かって走っていた。

 ヤバい、ヤバいぞ。退避はどうした。全部の欠片が僕に吸い込まれるまで近づいたらダメだって、関係者なら分かってるはずだろうが……!!

 全部、全部全部全部全部めちゃくちゃじゃないか……!!


「え?! えっと、こっち来て、大河のインタビュー見て、気が気じゃなくて。大河の様子があまりにもおかしかったから! し、心配になって」


 弁明する薫子には、悪気はない。薫子の記憶によれば、レグルノーラに飛んできて直ぐ、街頭の大型スクリーンに映った僕を見たらしい。僕の言葉を聞き、僕の姿を見て、居てもたっても居られなくなったと。

 行動力だけは褒めてやる。

 だけどな、今はその時じゃないんだって……!!


「ふざ……けんな。邪魔すんなよ……。立ち入り禁止だぞ……?」


 僕はギリリと歯を噛んで、薫子を睨み付けた。

 薫子は怯えて泣いて、手のひらを僕に見せてブンブンと顔を横に振った。


「ご、ごめん!! 大河に迷惑かけるつもりは」


 薫子の目に、ギラギラと赤い目を光らせて怒る僕が映っている。髪の毛を逆立て、牙を剥き出しにする僕を、薫子は本気で怖がった。


「――消えろっつったろぉが!! 僕の前から消えろって!! 何もかも台無しにする気か!!」


 バンッと右手で杭を強く叩いた。

 ピキピキッと亀裂の走る音。

 ――しまった!!

 僕が触れたところから、どんどん杭にヒビが入る。


『その子を逃がせ!! タイガ!!』

「言われなくても分かってる! 薫子! 今すぐ消えろ!! ここは、物、凄、く、危、険、なんだ、よ!!!!」


 けれどもう、薫子は動けない。

 足が竦んでる。

 躊躇してる間に、杭の亀裂はどんどん広がっていく。

 崩れ始めた杭から零れ落ちた竜石の欠片が、足元で赤黒く光り出した。暗黒魔法が発動の準備を始めた。僕に、破壊竜の力を与えるために。

 杭の欠片が僕の中に吸い込まれて暗黒魔法が発動するのが早いか、それともこの巨大な杭が根元から折れて薫子を押し潰すのが早いのか。

 竜化すれば守れるか。

 いや、ダメだ。今竜化したら、竜化して暗黒魔法を浴びたら、目の前にいる薫子を食ってしまうかも知れない。


 ダメだダメだダメだダメだ!


 薫子を抱えて杭から逃げる?

 欠片は僕に向かって飛んでくる。

 薫子にも刺さってしまう。

 僕以外が触れたら魔物になるんだろ?

 じゃあダメだ。

 突き飛ばす?

 出来るか、何百メートルも向こうに突き飛ばすなんて。

 魔法は? 

 今この状況で使えるか?

 無理だ。

 相当頭が混乱してる。

 ダメだダメ。

 同時にあれこれ出来る程器用じゃないんだって!


 結界魔法ならどうだ?

 薫子一人分だけなら僕にも出来るかも。

 いや待て。

 さっき魔法は無理だって自分で言った!

 そもそも杭の重量何トンだ?

 そんなの魔法で弾けるか。

 ……え?

 待って。

 何で騎士団も市民部隊も竜騎兵もこんなに近付いて来てんだよ。

 杭の高さ、砕け散る欠片の広がる範囲考えての規制線じゃねぇのか。

 まさか想定してなかったのか?

 不審者が侵入する時の段取りは?

 僕が安全に杭を壊すために動いてくれてたんじゃないの?

 頭が悪いのか、それとも僕を危険視し過ぎて僕以外の危険を想定し切れなかったのか?

 どうすんだよ、どうすんだよこの状態で。

 もう杭には亀裂が入ってる。

 ――だから離れろっつったのに!!

 僕は悪夢でも見てんのか……?!


「――ちっくしょうめがあああああああああああッ!!!!」


 昂ぶった感情と一緒に、激しい突風が巻き起こった。


「きゃあっ!!」


 ブワアアアッと風に煽られて、薫子がすっ転んだ。そのままぐるんぐるんと転がって、十メートル程度僕から離れた。


「うぐっ!」

「うわっ!!」


 近付いてきていた神教騎士のヤツらも、市民部隊のヤツらも、竜騎兵もぶっ飛んだ。薫子同様、地上のヤツらは転がって、空を飛んでいた竜騎兵は、翼竜ごと工場の壁やパイプにぶち当たった。バキンとかドカッとか音がして、竜騎兵が地上に落っこちるのが見えた。

 言いつけを守って持ち場を離れなかった塔の能力者達と、事情をしっかり飲み込んでるいつもの面々は吹き飛ばされなかった。


「クソ共が!! 近付いてんじゃねぇよ!! 一体てめぇらは、何を打ち合わせてたんだ!!!!」


 ビリビリビリビリッ!!

 や、ヤバい、亀裂が更に大きく。

 見上げる。

 杭が、斜め前方に傾いてきている。

 上部から、どんどん崩れていくのが見えた。


 欠片が、落ちてくる。


 ヤジリのように鋭く尖った欠片が、赤黒く光りながら上空からどんどん落ちて……、もうすぐ、僕に到達する。

 薫子はすぐそこだ。

 巻き込まれる。

 巻き込まれたら、薫子は……!

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