5. ドレグ・ルゴラ
神話の本を幾つか読む。
古代神レグルは、慈悲深いが気性の荒いところがあるという。
とある百姓が、雨が降らずに困っていると言うと、レグルは直ぐに雨を降らせた。すると別の百姓が、今は雨が降ると困るのだと言った。仕方なく、レグルは直ぐに雨を止ませた。二人の百姓はケンカを始める。
それぞれの言い分はどちらの尤もなもので、レグルはすっかり困ってしまう。それならばいっその事と、天気がどんどん変わるように、雲と風に命じたのだそうだ。
以来、天気はレグルの気まぐれに変わるようになった。
――また、別の神話には砂漠にまつわる話が書いてあった。
元々レグルノーラの大地には砂漠はなかった。
人間と竜、二つの種族がそれぞれ安心して暮らせるよう住処を分けたのに、種族間でのいざこざが絶えなかったのを、レグルはずっと気にしていた。
黒い竜には森に人間が侵入しないように諭し、黄色い竜にはしっかりと争いを仲裁するようにと伝えていたのに、それすらままならぬ程、互いの種族はいがみ合った。
どちらの種族も自分達のことしか考えぬ。怒ったレグルは森の外に広大な砂漠を設けた。そして、争いごとが続く限り、砂漠をどんどん広げて森を侵食すると竜に伝えた。人間達には、森の侵食を恐れた竜が町へなだれ込まぬよう、争いをやめよと伝えた。
どうにか争いは収まり、互いの領域を侵さないことを、人間と竜は約束したのだそうだ。
約束事が破られたり、或いは破られそうになったりすると、レグルはカンカンに怒った。その怒りは嵐となって砂漠中に吹き付けた。
今でも、砂漠には時々嵐が来るそうだ。時空の歪みを引き連れた嵐は、砂漠に迷い込んだ者を時折知らないところへ連れて行くという。そして、そのまま行方知れずにしてしまうんだそうだ。
*
ギリギリまで資料を読もうと思った。
詰め込むだけ詰め込んで、それから杭を壊しに行きたい。
読んでも読んでも知らないことばかり。圧倒的に時間が足りない。
もし、前回前々回同様に暗黒魔法で頭がおかしくなってしまうなら、今晩が最後。あとはいつ、自分を取り戻せるのか分からない。
夜が更けてくると、不安でやたらと目が冴えた。
いつもは消灯している時間なのに、全然眠れなかった。
僕は手元の明かりを付けて、付箋にメモを残した。
ごめんなさい。
もしかしたらもう、僕は誰とも、会話が出来なくなるかも知れない。
・・・・・
塔の魔女リサが死んで間もなくすると、新しい塔の魔女が名乗りを上げた。
リサより少し年下の少女だった。
僕は、食い散らかした人間の死体を踏み潰して、別の町へと向かった。
正体を見てしまった人間も多くいる。しばらくこの町には戻ってこられないだろう。
森に近い、小さな集落の酒場で、妙な話を耳にした。
白い竜の神を崇める連中の話だ。
『まぁ、古代神レグルは我らの大地レグルノーラを創造なさった素晴らしい神様だが、かの神同様に白い竜の姿をしている化け物を、事もあろうに古代神レグルの化身だと吹聴して回っているヤツらが存在するらしくてな』
僕は目深にフードを被ったまま、酒を片手に耳を傾けた。
アルコールの強いあまり美味しくない酒だったが、この頃の僕は毎日浴びるように酒を飲んでいたようだ。
『森の入り口に妙な塚を作って、偉大なる白い竜よ~なんて、口上垂れてる妙なヤツらを見たって話、聞いたことないか?』
『ああ、それなら、この周辺の村に、揃いの白いローブを纏った連中が数人でやって来ては、村人に妙な説法垂れてるような話を聞いたことがある。何でも、神がお怒りになったとか、天に届く塔を作ろうとしたことがそもそも神への冒涜だとか何とか』
『塔の魔女は神の啓示に従って白い塔をお作りなさったと聞いているのに、それが神への冒涜になるのか。そいつぁ凄いな』
『そうそう。めちゃくちゃなんだよ。変なことを信じるなって、いちいち言い聞かせて回るこっちの身にもなって欲しいぜ』
……確かに、変な話だ。
塔の魔女リサは、あくまで神からのお告げで動いている。彼女に選択肢はない。僕にも。
『それが何で、あの化け物を称える話に繋がるんだよ』
『古代神レグルは、神をも恐れぬ人間に、たいそうお怒りになったんだと。で、白い竜の化け物になって現れて、人間を襲っているって話さ』
『そんなでたらめ、誰が信じる』
『そう思うだろ? ところがどっこい、人間てヤツぁ面白い生き物だ。神の怒りを静めなくては、神へ許しを請おう、供物を捧げようって、大騒ぎだそうだよ。話を聞いた村では、何人かがその妙な連中に連れて行かれたそのまま行方不明らしい』
『人食い竜に食われたかな』
『どうだろうねぇ』
知らないところで変な話になっている。
誰に許しを請うて、誰に供物を捧げるんだ。
意味が、分からないな。
僕は席を立ち、妙な話をしているヤツらのところまで歩いて行った。
『その話、もう少し詳しく教えてくれないか』
『あ、ああ……』
フードからはみ出した白い髪と赤い目を見て、そいつらはビクッと身体を震わせていた。
証言の通り、森の際に新しく作られた妙な塚があった。
一体何をどう象ったのかは知らないが、塚の前に置かれた白っぽい岩に、何か動物のような絵が彫り込まれていた。
人間の骨らしきものが添えられ、変な臭いのするお香が焚かれていた。
塚の直ぐそばに、急ごしらえの小屋が建っている。入り口には“神の怒りを静めよ”“偉大なる白い竜を称えよ”と書かれた看板が掲げられていた。
僕は旅人の振りをして中に入る。
竜が苦手な種類のお香の煙が充満していて、気持ち悪い。酒の飲み過ぎもあるんだろうけど、頭がガンガンする。
『初めての方ですね。あなたも偉大なる白い竜の怒りを静めに?』
人間の男が馴れ馴れしく近寄ってきた。
『なんでこんなに煙たいんだ?』
僕は口元をマフラーで隠し、クラクラするのを我慢して男に尋ねた。
『ああ、魔物除けです。ここは森の入り口ですから、うっかり魔物や竜がやって来ないように。少し煙たいですが、祈りの場が荒らされるよりはマシでしょう』
魔物除けかよ。最悪だ。
お陰で気持ち悪くて吐きそうだ。
中にいる人間達は平気なのか、雑然と置かれた椅子に座り、奥の祭壇に向かって平然と祈りを続けている。
『奥に飾られてるのは何だ? 竜の……、置物?』
『ええそうです。彫師に作らせた、偉大なるレグルノーラの竜、“ドレグ・ルゴラ”の像です。あなたもお聞きになりましたか? 塔の魔女を名乗る女が町の真ん中に高い塔を建てた。アレがいけなかった。我らが古代神レグルは怒り、その化身である白い竜を地上に遣わしたのです。神の怒りを静めるために、我々は祈り続けなければなりません。かの竜が人間を食らうのならば、その身を捧げなければなりません。かの竜が全てを破壊するのだとしたら、それすら神の意志なのです。古代神レグルは破壊と再生の神。破壊の先に、新しい世界が待っている。古代神レグルの化身たる白い竜ドレグ・ルゴラは、いずれ全てを壊すでしょう。いずれ来たるべき新しい世界への再生を祈りましょう。神の怒りを静め、残された時間を平和に過ごせますようにと祈りましょう。さぁ、ご一緒に!』
まるで酔っ払っているかのように、男は口上を垂れた。
“ドレグ・ルゴラ”。
偉大なるレグルノーラの竜。
悪くはない。
けれど。
『彫師はドレグ・ルゴラとやらを知らないな。全くちんけで、弱々しい像だ。本物はもっと禍々しい』
『おや、かの竜を間近でご覧になったことが?』
『いや、僕は見ていない。自分の姿は自分では見れないからな』
『……は?』
『供物として人間を捧げる? だったら、魔法を帯びてる人間がいい。魔力が高い、魔女か魔法使いを連れてきて貰おうか』
『ちょ、ちょっとお待ちください。何を』
『お前は不味そうだ。魔法も帯びてないし、肉も筋張ってそうな気がする。ある程度若い人間の方がいい。近隣の村々から拉致してきてるなら、連れて来いよ。黙ってても食い物を持ってきてくれるなら、この妙なお香の匂いも我慢するし、大人しく崇め奉られてやるよ』
僕はあくまでも丁寧に、優しく言ったつもりだった。
ところが男は何かを察し、『ヒイッ』と甲高い声を上げた。
『まままままさか、かの白い……。人間に化けているというのは、本当の』
『何の断りもなく勝手に崇めておいて、いざ目の前に現れると恐怖するなんて。人間とはなんて滑稽な生き物なんだろう』
笑いが止まらなかった。
竜の姿になった僕は、その場にいた人間共を食った。
逃げ惑い、助けてと懇願するヤツらの中に、『神よ、怒りを静め給え』『この身を捧げることで怒りが静まるのならば』と手を伸ばしてくるヤツらもいた。
愚かだ。
こんなことで神の怒りが静まるか。
神の怒りが本当に静まるならば、塔の魔女に選ばれたリサはあんなことで死ななかった。
本当に僕が神の化身ならば、こんなくだらないことで人間を襲ったりするわけがない。
面白半分に首を突っ込んだ自分にも嫌気が差した。
何を期待していた。人間共が本当に、僕を理解したと、興味を持ったとでも思ったか。
何が偉大なるレグルの竜だ。
本当に偉大ならば、……偉大ならば、どうしてこんなにも僕は、苦しみ続けなければならないんだ。
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