11. みんなが幸せになれるように

 楽しい時間は悔しいくらいあっという間に過ぎていく。

 寿司を食い終わるか終わらないかのうちに祖父はうとうとし始めて、祖母に連れられ奥の部屋に引っ込んだ。そのまま、昼寝の時間に突入するようだ。

 折りたたみ式のテーブルを片付けると、茶の間はがらんとした。

 芝山の家にも茶の間はあったけれど、六畳しかなかったし、簡素だった。

 来澄の家は打って変わって、ちゃんと神棚も仏壇もあるし、床の間には掛け軸まである。かなり、きっちりした家だと思う。

 改めて座布団に座り、僕は伯父らと挨拶を交わす。


「大河、今日はありがとう。じいさんにまで気を遣って貰って。あんなに喜んだじいさんを見たのは、本当に久しぶりだった。認知症が進んできているからか、普段は表情も乏しいのに。なんと礼を言ったら良いのか」


 伯父は頭を深々と下げてから、静かに言った。

 松葉色がその厳しさを表している。とても、真面目な人だと思う。


「こちらこそ、色々とありがとうございます。お寿司、ご馳走様でした。僕だけいっぱい食べてしまって」


 僕も、ゆっくりと頭を下げた。

 向かい合って座る僕と伯父を見守るように、伯母と雷斗、椿が脇に並んでいる。

 変に改まって不自然なくらいだけど、伯父はこういうのが好きらしいから合わせておく。


「じいさんは最後まで、大河を凌だと思っていた。あんな別れ方をして、相当ショックだったんだろう。定年で仕事を辞めた途端、症状が出始めた。時々、凌を探しに行こうとするんだ。何度止めても、どこに行けば会えるのかと聞かれる。……あいつは、元気か」

「元気だよ。一度会った。竜と同化するとあんまり年を取らないらしくて、凄く、若かった」


 慎重に、言葉を選ぶ。

 一瞬、なんと答えるべきか迷ってしまった。

 本当のことは悟られないように。

 これ以上、心配させないように。


「そうか。元気なら良かった。もしまた会うことがあったら、すまなかったと伝えて欲しい。……大河にも、改めて礼を言いたい。お前のお陰で救われた。雷斗を嫌いになるところだった。たった一人の息子なのに、弟の姿と重ねて辛く当ってきたこと、本人にも謝った。分からないことは怖い。それは今も同じだ。だが、理解はしていかなければならないんだ。じいさんが認知症になってから、つくづく思う。どんどん自分の認識からかけ離れた状態になっていくのは、本人だって辛いはずなんだって。周囲が理解しなければ、当人はどんどん追い詰められていくんだな。……凌も、追い詰められていったんだろう。そして、追い詰めたのは、私だった」

「……仕方ないよ。人間は、そういう生き物だから。伯父さんはそれに気付けた。とても良かった」

「何もかも、遅すぎたな。凌がいる間に気付くべきだったのに」

「大丈夫だよ。凌は伯父さんのこと恨んだりはしてないだろうし。あいつ、そういうの嫌いでしょ。優しすぎるから、誰かを嫌いになるのは無理なんだ」


 僕は視線を畳に落とした。

 ダメだな。

 しんみりさせちゃダメなのに。


「とりあえずさ、伯父さんが雷斗のこと、嫌いにならなくて良かった。伯母さんとも、椿ちゃんとも会えたし。じいちゃんばあちゃんも元気そうで良かった。……そう言えば、伯父さんは“法螺吹き大司郎”の話は知ってる?」

「法螺吹き……? 吉四六きっちょむみたいなアレか?」


 首を傾げる伯父さんと、来澄家の面々に、僕は違うと首を振る。


「群馬のひいじいちゃんとこに、凌と美桜に連れられて行ったことがあったんだ。芝山家に預けられる前のことだから、三歳くらいの時。そこで、ひいじいちゃんに聞いた。来澄家の先祖にいた、干渉者の話」

「エッ?! 先祖にも干渉者がいたってこと?」


 雷斗が声を上げた。

 僕が深く頷くと、雷斗は益々驚いた。


「僕らのひいひいじいちゃんに当たる人が、多分、干渉者なんだ。大正の頃、群馬の田舎でレグルノーラらしき世界に行ったことを話してたそうだよ。魔法も使えたみたいだった。周囲からは“法螺吹き大司郎”なんて呼ばれてたらしいけど、聞く限り干渉者だったんじゃないかと思う。僕らに能力が発現したのは、血筋も関係してるのかも知れない。そういう人が他にもいたんだって、来澄の家の人達には知ってて欲しいと思ったんだ」






 *






 大司郎の話、曽祖父と凌のことを、みんなに話す。

 途中から祖母も合流して、一緒に話す。


「もしかしたら、あの写真……!」


 群馬の家を畳む時に回収された大司郎の写真は、祖母の手によって来澄の家の仏壇の引き出しにしまってあった。


「お義父さん、後生大事にしてたみたい。でも、写真の人が誰だか、とうとう教えてくれなかったのよ」


 祖母に写真を手渡され、大司郎の顔を改めて見た。


「まんま、凌叔父さんじゃん……」


 雷斗は息を呑んでいた。






 *






 時間の許す限り、いろんな話をする。

 封印されていた記憶の中で見た、伯母と美桜のこと。小さい雷斗とたくさん遊んだこと。

 椿ちゃんが僕のことを想像して、今日初めて会って、どう思ったか。


「大河君がこっちの世界に居られたなら、自慢のいとこだよって言いふらすのに。残念だなぁ。お兄ちゃんよりずっとずっと優しいし、カッコいいんだもん」

「カッコよくはないよ……」


 遠慮がちに言ったけど、椿はブンブン顔と手を振った。


「ううん、カッコいい!! おじいちゃん、凄くボケてて大変なのに、あんなスマートに応じてて。いつも周囲に気を遣ってるの、滲み出ててカッコよかった!!」

「ありがとう。そんなに褒めても何も出ないよ」

「そういう謙虚なとこも良いよね。お兄ちゃんは恩着せがましいから」

「椿! 余計なこと言うなって!」

「お兄ちゃん、図星だからすぐ怒るんだよね〜。大河君の方が落ち着いてて年上みたい」

「あはは。実はこう見えて、数百年以上生きてるような感覚なんだよね。変に擦れてるのはそのせいだから。雷斗みたいに若々しい方がいいよ。夢と希望に満ちてる感じが凄くいい」


 数百年と言った辺りで、雷斗と椿は顔を見合わせて目を丸くしていた。

 

「……大河お前、年下だよな」

「多分、そうだと思う。あんまり自信ない」

「何だよそれ。変なヤツ!」


 雷斗は無理に明るく振る舞っている。

 頭の隅っこに、魂の抜けたような僕がひっかかっているみたいだった。

 雷斗のその後の話も聞いた。

 伯父と本気でぶつかって、今の進路に辿り着いたこと。きちんと向き合って、どうしてそこに行きたいか、どうなりたいか、自分の言葉で話したらしい。


「あのね、大河君。聞いて! お兄ちゃんが戻ってきたとき、お父さん号泣したんだよ。信じられないくらい大きい声で泣いたの」

「椿ちゃん、それは言わなくても……」


 伯父はあぐらを掻いたまま壁により掛かり、恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 わざとらしく目をそらして、ンンッと咳払いしている。


「だって、戻って来れないかも知れないところから戻ってきたんだよね! それって奇跡だよね!」

「そうだね。奇跡……、かもね」

「大河君て、“神の子”なんでしょ? お兄ちゃんに聞いたよ。“神の子”だから、奇跡を起こしてお兄ちゃんとお父さんを助けてあげられたんだよね。凄い、本当に凄いと思う。

 嬉しくて嬉しくて、ずっとずっとずっとお礼を言いたくて! 本ッ当にありがとう!!」


 僕が何者か知らない椿は、びっくりする程キラキラしていた。

 奇跡だなんて。

 破壊竜になってしまうかも知れない僕に、起こせるはずないってのに。


「椿、“神の子”ってのは」


 雷斗が口を挟もうとしたけれど、僕は止めた。

 椿がそう思うなら、思わせておいた方がいいと思った。


「この先、もっと凄い奇跡、起こせるかな」

「起こせるよ! だって大河君は“神の子”なんだもん」


 椿は眩しすぎる程満面の笑みを見せた。






 *






 祖母とも、少し話す。

 僕が養子に出される時のことを、懐かしむように話してくれた。


「凌が決めたことだからね。どんなに反対したって、きっと曲げないと思ったのよ。どこにいたって幸せにしてくれてたらいい。大河が凌を恨んだらどうしようかとも思ったけど、芝山君達の教育が良かったんだね。本当に良い子に育ってて安心した」


 常人には理解できない理由で家族の元から去った凌を、祖母は責めてはいなかった。


「凌を恨んだりはしないよ。あいつも、自分にしか出来ないことをやるために“向こう”で生きることを選んだんだし。僕も、やらなくちゃならないことがあるから、“向こう”にいる。出来ることを精一杯やるよ。みんなが、幸せでいられるように」


 静かに笑うと、祖母はそっと、僕の頭に手を伸ばした。


「みんなが、じゃなくて、大河も、だよ。大河も凌も、みんなが幸せになれるように頑張る。ばあちゃんとの約束ね」


 しわだらけの手が、僕の頭を撫で付けた。


「そうだね。約束する」


 絶対に叶いようのない約束だなんて、僕には言うことが出来なかった。






 *






「今日はありがとうございました。ご馳走様でした」


 玄関先で、最後の別れ。

 僕はきちんと演技できていただろうか。

 みんなはニコニコしてるけど、雷斗だけはいろんな感情が入り交じったぐちゃぐちゃな色をしている。


「また、いつでもおいで」


 伯父に言われ、僕はこくりと頷いた。


「酒飲み過ぎるなよって、凌が言ってたって、じいちゃんに伝えて。昔から、お酒大好きだよね。よく、前の家の縁側でお酒飲んでたし。飲んだまま寝るのも身体に良くないでしょ」

「伝えとく」


 僕がどうして祖父の酒癖の悪さを知っているのか、伯父は少し引っかかっていたようだ。けれど前に、僕が相手の記憶を見るのだと聞いていたからか、極端に驚きはしなかった。


「大河君、彼女で来たら教えてね! 異世界でモテモテなんでしょ?」


 椿は薫子と同じことを言った。


「モテてないから。まぁ、奇跡的に彼女が出来たら、自慢しに来るかもね。奇跡的に、だよ」

「異世界人なら、髪の毛が青かったり赤かったり、目の色だって違ったりするんでしょ? アニメやゲームに出てきそうな美少女とも仲良いんじゃないの?」

「おいこら椿。何聞いてんだ」


 雷斗がすかさず止めに入った。

 本当に、仲のいい兄妹だ。


「美少女とは仲がいいかも。みんな、綺麗だし。残念ながら、僕の彼女ではないけどね」

「うわっ! いいな、凄いな。私も異世界行けたら、そういう子ともお近づきになれたかも知れないのに。お兄ちゃんと大河君だけ、ずるい!」

「椿! お前いい加減にしろよ」


 来て良かった。

 あんなに塞ぎ込んでいた雷斗がすっかり元気になってるとこも見れた。

 家族の仲はとても良い。祖父の認知症は大変だけど、きっと乗り越えていけると思う。


「じゃあ、僕はこれで」


 最後に深々と一礼し、玄関のドアを開けた。

 くるりと振り向き、


「お元気でいてください。皆さんの幸せを願っています」


 言ってから、そっと横開きのドアを閉めた。

 ――そのまま、意識をレグルノーラに戻す。


「待て、大河!」


 意識が消える直前に、ドアを開け直して雷斗が声を掛けてきたような気がしたけれど、その頃にはもう、僕の意識はレグルノーラにある教会施設の地下、ガラス張りの部屋の中に戻っていた。

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