8. 偽者

 ローラはしばらく無言だった。

 目を見開き、次第に僕から視線を逸らした。


「……つまりタイガは、私を偽者だと」


 声が少し震えている。


「そこまでは断言してない。君が塔に認められて今の地位にあることを否定することは出来ないから。ただ、系譜の中に君はいない。残念だけど」


 少なくともローラは二十年以上塔の魔女として君臨していたはずだ。

 塔に残るたくさんのしがらみと戦いながら、最前線で頑張ってきたに違いない。

 それでも……、言わないわけにはいかなかった。


「私がもし本物でないのだとして、他にも根拠が?」

「そうだね。塔の魔女になるにあたって、君は何を失った? さっきから何かあるかと記憶を探ってるけど、何も見えてこない。ご両親も健在だし、ご兄弟も。ご実家はかなり裕福みたいだね。未来を約束していた人だっていたみたいじゃないか。いいな。本当に、恵まれてる」


 言うとローラはあからさまにムッとした顔を向けてきた。

 だけど真珠色は、極端に曇ってはいなかった。想定された質問……、だったのだろうか。諦めにも似たものを感じる。


「タイガはデリカシーがありませんわね。断りもなく人の記憶を覗くだなんて。……ええ。仰るとおり、私は何も失っていませんわ。塔はディアナ様の想いを尊重して、そういう過去の過ちは繰り返さないと方針転換したのです。人の命を簡単に奪うなんて野蛮なことは、これからの時代にそぐわない」

「――神は、強大な力と引き換えに、いろんなものを奪うらしい」

「奪う? どういうことですの?」


「知らないのか。じゃあやっぱり、ローラは本物じゃないんだと思うよ。選ばれた僕らは常に血まみれで、逃げることも、自分自身で選択することも何もかも許されてない。神とやらが勝手に作った奇妙なルールの下でもてあそばれるんだ。それでも、どうにか解決策を見つけたいからこうやって抵抗しているわけで。……多分、歴代の塔の魔女も、名前のない白い竜も、救世主達も、ずっとずっと、いつか全てのしがらみから解放されるその瞬間を夢見ていたんだと思う。その過程で、逃れられない運命みたいなものに流されて、苦しんで、誰かを傷付けてしまうんだ。……こんなことを言っても、全然、分からないよね。ごめん」


 僕は系譜の書かれた本を閉じ、そっと箱に戻した。

 他の本を確認しようとしたところで、


「――認めますわ。偽者だってこと」


 ローラは長いため息と共に、そう吐き捨てた。


「塔の魔女としての資質が足りないばかりに、とんだご迷惑をおかけしてしまったと詫びたくて来たのです。塔の五傑さえ、私を見下していたでしょう。所詮私なんてあの程度。資質が足りないどころか、資格さえなかったなんて。笑えませんわね。どうにもならない壁があったこと、私の力がディアナ様に遠く及ばないこと、その理由も。よく……、分かりましたわ」


 小さな笑みには少し愁いが混じっている。

 僕は、何と声を掛けるべきか、少し迷った。


「良いんですのよ。そうじゃないかと、薄々気が付いていました。私は養成所という狭い世界でさえ、一番を取れなかった。その時代その時代で一番魔力の強い魔女が選ばれるはずなのに、私は酷く中途半端だった。それに、どおりで塔の保守層が私に対して妙な態度ばかり取ると思っていたのです。長年のモヤモヤが晴れました。『本物じゃない』という言葉で寧ろ救われたくらいですわ」

「ローラ、ごめん」

「謝らないで。偽者でしょうよ。養成所に送られたのは、それなりに魔法に理解のある親に育てられた子ども達。いろいろな事情があって、辿り着けない子どもも多くいたに違いありません。その中に、本物の塔の魔女になるべき少女が紛れていたとしても、塔には探す手立てがなかった。それだけの話です」


 魔法学校の前身だった養成所には、優秀な魔女見習達が集められたようだ。

 人間の住むありとあらゆる場所から中央に集められた少女達は、塔の魔女となるべく切磋琢磨していた。

 その中に、ローラの姿があった。魔法学校のモニカ先生も、ここの出身だった。

 効率的に候補を探し、養成する。システムとしては、申し分ない。

 けれどそれは、あくまで優秀な魔女を養成する場所でしかなかった。


「偽者の私を、長い間“塔の魔女”と名乗らせていたと知れれば、塔の沽券に関わりますわね」

「……かも、知れないね」

「ディアナ様は未だご健在よ? 私が本物ではないのだとしたら、未だディアナ様が塔の魔女ということになるんじゃなくて?」

「ディアナはもう引退してる。現役時代よりだいぶ力も弱まってる。強大な魔力が消えたら、代替わりする」

「随分、詳しいのね。たくさんの資料を読み漁った結果かしら。タイガ、あなたどうしてそんなにも、本物の塔の魔女に拘るの?」


 至る所に置かれた本とメモ書き。

 外界から隔離されたガラス張りの部屋の中には、僕が藻掻いた結果のような物が散らばっている。

 きっと、奇妙だし、気持ち悪いし。だけどそれくらい追い詰められていることを示してる。

 ローラは部屋中を見渡して、顔をしかめていた。


「拘らなきゃいけない理由が出来た。あいつの記憶を辿っているうちに、塔の魔女に辿り着いた。……儀式が必要らしい」

「儀式?」

「恐らく、本物の塔の魔女は知ってる。とても大切な儀式があって、それが出来なかったから、凌は世界を救いきれなかった。次は、絶対に失敗出来ない。殺すつもりだったけど、殺さない方法を探らなくちゃならなくなった。凌も、知ってるんだと思う。知ってるから、僕にあいつの記憶を見せてる。……残された時間は、少ない。こうやってローラと喋るのも、最後かも知れない。どうにかして、儀式を成功させられたなら、今度こそ世界は救われるはずなんだ。そのためにはもう、手段なんて、選んでいられないんだよ」


 ぐしゃぐしゃと、頭を掻きむしった。

 少し、喋りすぎたかも知れない。


「焦っているの? ドレグ・ルゴラの復活まで、まだ時間はあるはずよ」

「早く、地獄を終わらせたい」

「……地獄?」

「全てのしがらみと、苦しみと、悲しみから解放されたい。解放してやりたいんだ。こんななりで、化け物で、世界を終わらせるような恐ろしい力を秘めているのだとしても」

「タイガ、あなた……」


「明日、三本目を壊す。そしたらまた、会話出来なくなる。正気に戻るまで、時間がかかると思う」

「聞いています。市民部隊にも警備の要請をしています。周辺住民への説明と避難誘導は、塔が責任持ってさせて頂くつもりです」

「ありがとう。そうして貰えると助かる」

「もう、塔の主導だなんてことは言いませんわ。そして、言わせません。本物ではないかも知れないけれど、私を塔の魔女として据えている以上、塔は私に従う義務があるはずですから。……それと」


 ズイッと、ローラは僕の真ん前に立ち、顔を覗き込んできた。

 思わぬ動きにギョッとして、僕は目をしばたたかせた。


「妙なことは考えないで。儀式や塔の魔女の選定方法については、私も塔の古参に話を聞いてみますわ。森の中にある石柱の位置特定、そこまでの誘導、警備にも塔と市民部隊が協力するつもりでいます。あなた一人に荷を負わせるつもりはありません。白い竜となったあなたを世界中が恐れても、私は恐れず、あなたの味方であることを誓います。たとえ偽者だったとしても、塔の魔女として世界を守りたい気持ちに変わりはありませんから」


 濁りのない黄緑色の瞳に圧倒される。

 そこにはもう、僕に対する不信感のようなものはなかった。


「本当に、リョウとおんなじですわね」

「え?」

「そうやって、全部自分で背負い込んで。まだまだ隠していることが多そうですけれど、きっと誰にも話す気はないのでしょうね」

「え、アッ。うん……」

「構いませんわ。また、お話ししましょう。今度は、出来れば明るい空の下で」


 にこやかに手を振り、ローラはガラス張りの部屋を後にした。

 彼女の複雑な立場を考えると、妙にやるせなかった。

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