7. 塔の魔女の系譜
また、口の中が血の味だった。
何度となく繰り返される地獄に、いい加減慣れてきている自分がいる。
予定では明日にでも三本目の杭を壊しにいく。そうしたらまた僕はおかしくなってしまうかも知れない。
よりによってそんなときに、人間を襲う夢を見るなんて。
あれは夢で、過去で、僕が体験したわけじゃない。たとえ血の味、肉の味、食感、叫び声、食ったヤツの顔を全部覚えていても、僕自身が人間を食ったわけじゃない。
大丈夫、大丈夫だ。
落ち着こう。
僕は僕だ。
我慢しろ。我慢しろ。
自我を保ち続けるんだ。
*
時間を惜しみ、資料を読み漁る。
一から十まで全部読むのは難しい。それでも、出来るだけたくさんの文字を読みたかった。
初めて白い竜が絵に描かれたのは、今から六百年以上前。白い竜の襲撃から逃れ、生き延びた画家が新聞の挿絵として描いたのが最初だったようだ。
白い竜が口から火を吐き、人間を両手で一人ずつ鷲掴みにしている絵。絵の背景に塔がある。丁度、僕が辿った記憶で見ていた場面だ。
塔の魔女リサが急死し、町を守っていた魔女の魔力が消えたことで、白い竜が暴れ出す結果となったと書かれている。
まだこの段階ではドレグ・ルゴラの名称は出ていない。
ただ、あの事件をきっかけに、噂話でしかなかった白い人食い竜は世間に知られることとなってしまった。実在した恐怖、目にした恐怖、破壊された街の惨状が、人々を一気に恐怖に駆り立ててしまったのだ。
そうやって不安な日常を過ごすうちに、人々は心の拠り所としていろんなものに縋り始める。それが宗教だったり、占い、魔除け、薬……、或いは、カルトだったりするわけで。
医学も科学も発達していなかった時代、確かリアレイトでも変な信仰が流行っていたような気がする。同じようなことがレグルノーラでも起きていた。
そしてそこに登場したのが、“破壊竜崇拝”だった。
古代神レグルが白い半竜であること、創造、破壊と再生を司るとされていることから、自然界には存在しない白い鱗の竜を“神の化身”とする考えは古くからあった。“偉大なるレグルノーラの竜”という意味で、白い鱗の竜を“ドレグ・ルゴラ”と呼び、崇拝の対象としていたわけだけれど、これを曲解させたのが、“破壊竜崇拝”らしい。
――巷で噂になっている白い竜は、神の化身である“ドレグ・ルゴラ”である。かの竜は世界をより良き世に再生するために、破壊を繰り返す。かの竜は神のご意志を体現なさっている。崇め、称え、次なる世界への再生を
人々の願いは捻じ曲がっていく。
こうして、“破壊竜ドレグ・ルゴラ”は誕生したのか……。
*
追加の資料が塔から届く。
十冊程度の、思ったよりも少ない量だった。
ウォルターが箱ごと僕の部屋に運び入れてくれた。
「内容を絞って、貴殿の要望に添う形にしてくださったようです。あまり多過ぎて、不要な情報や、重複する内容ばかりでは埒が明かないでしょう。塔側の配慮ですよ。それから……」
届いた本の箱から目を離さない僕に、ウォルターは遠慮がちに言った。
「大事な話があると、直接見えられたのですが、お通ししても?」
誰、という肝心な部分について、ウォルターは口にしなかった。
代わりに僕の目の前に手を差し出し、向こうを見なさいと手で合図する。
ガラスの壁の向こうに、真珠色に輝く色を纏う女性が見える。前に見たときとは違う、裾の広がりを抑えたドレスを着ていた。
「ローラ」
塔の魔女ローラがそこにいた。
僕は驚いて壁の方に近付いた。
「どういうこと? 塔の魔女は簡単に塔から出られないはずじゃ……」
「お忍びだそうです。護衛もいません」
ウォルターは少し困惑したような言い方をした。
そりゃそうだ。困惑だってする。ちょっと前まで、教会と塔はバチバチやっていた。
なのにどうして。
「ご案内しても?」
「いいよ。大丈夫」
「くれぐれも襲わないように。また変な夢を見たのでしょう? さっきから、人間を見る目がおかしいですよ」
「あ、うん……」
バレてる。
ウォルターには敵わないな……。
気を引き締め直していると、ウォルターに案内されてローラがガラス張りの部屋へと入ってきた。
今日はフレッシュピンクの可愛いドレス。何を着ても似合いそうだな、この人は。
「お久しぶりね、タイガ。あれから、身体の方は大丈夫?」
長いまつげを上下させ、随分落ち着いたような様子だ。
だけど真珠色には少し濁りがある。
「久しぶり。大丈夫だよ。ヴィンセントのことは……、ごめん。昨日知った。全然知らなくて」
「良いのですよ。彼も悪かった。挑発なんてするべきではなかった。あなたを、もっと警戒すべきだった」
「椅子をお持ちしますか」
とウォルター。
「いえ結構。長居はしません。ほんの少しの間だけ、どうしてもタイガと話をしなければと思って」
「分かりました。ここでのことは基本録画、録音されています。切るよう伝えますか」
「いいえ。記録に残して頂いて構いませんわ。私が今からここでする話は、塔側には不都合ですが、あなた方にとっては必要な情報でしょうから」
「……分かりました。私は席を外します」
軽く会釈して、ウォルターがいなくなると、部屋の中には僕とローラだけが残る。
ローラは壁中に貼られた付箋と、資料の入った箱の山をしばらくの間観察していた。
何をしに来たんだろう。
また、塔側に来いとでも言うんだろうか。
「どうやったら、あなたが救えるのかと、ずっと考えていました」
思いも寄らぬ言葉に、僕は驚いて「エッ」と声を出した。
「力尽くで塔に引き入れようと思った私が浅はかでした。あなたの言うとおり、塔は体面を保つために協議会場にわざとマスコミを呼びました。塔の主導で、あなたがあの不気味な石柱を壊す。そうすることで、塔の立場も安泰する、あなたのことは守れると……信じていたのです。その結果がこれです。もう、お聞きになったでしょう。全部おかしくなりました。塔は、まともに機能していません」
付箋に触れながら、ローラは言った。
なかなか、僕の方に顔を向けない。
心を……、読まれたくないのかも知れない。
「シバのことも、残念でした。五傑の他の三人は、とかくリアレイト人が好きではありません。私も、苦手です。私は、干渉があまり得意ではないのです。二つの世界を自由に行き来するシバを、私は羨望の眼差しで見るほかありませんでした。本来ならば貴重な存在ですし、仕事も出来る方です。塔を去ったのは、かなりの痛手でした。何より、五傑にシバを推薦したレグル様に申し訳なく思っていました。何もかも、めちゃくちゃです。その原因がなんなのか、ずっと考えていたことを、告白するために来たのです」
ローラは一旦呼吸を整え、それからゆっくりと振り返って僕を見た。
いつものような、自信に満ちあふれたような顔ではなかった。
思い詰めて、苦しんだ顔だった。
「タイガ、あなた、塔の魔女のことを調べていますのね」
「ああ」
「何か、分かりまして? 正直に言ってご覧なさい。私は怒ったり、否定したりするつもりはありませんから」
目が、潤んでいる。
心の中を覗いてしまえば、彼女が告白する前にその内容が分かってしまいそうなくらい、何か言いたげな目だ。
僕は僅かに視線を逸らした。
「まだ、断定は出来ない。けど、何となく感じていることはある。塔の魔女の系譜はある?」
「ございますわ」
さっき運び込まれた箱の中から、ローラは一冊の本を取り出した。
蛇腹折りの本だ。
「失礼」
ベッドテーブルの上に本を置く。
僕はその内容を確かめる。
「……就任時の年齢と、退任時の年齢、それから生没年。良かった。これが見たかった」
初代のリサからどんどん辿って、ローラまで。
数年ずつブランクを挟むことはあるものの、殆ど途切れなく存在する塔の魔女達。
若い頃に就任して、大往生する直前まで現役だった魔女もいれば、リサのように短く生涯を閉じた魔女もいる。
この一連の流れが途絶えたのが、ディアナからローラへと引き継がれるとき。
「初代が死んだ夜に、何かが空を飛んでいた。アレは何かと考えてたんだ」
「初代? 何の話ですの?」
「見て。次の魔女へ引き継ぐ前に、必ず前の魔女が死んでいる。死ぬ必要がある」
「ちょ、ちょっとタイガ。あなた、何を」
「次から次へ、塔の魔女の力も記憶も引き継がれていくんじゃないか。僕があいつの記憶を見ているのと一緒だ」
系譜を指さしながら話す僕に、ローラは困惑していた。
焦りと憤りと、恐怖の色がにじみ出ている。
僕は顔を上げ、ローラを見た。
「君は、本物じゃない」
ローラは絶句して、ゴクリと息を呑んでいる。
「ディアナは死んでない。本物の塔の魔女は、これから現れるんだ」
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