6. 本性を晒す
人間の感情が一番厄介なのだと思う。
勝手に好意を持ち、勝手に未来を夢見て、こうやって、危険を冒してしまう。
『だだだ大丈夫だもん。竜になった大河も、あたしはちゃんと見たから』
……薫子を、傷付けずに返すのは無理だよ、大伯父さん。
僕はペタッと、薫子の真っ正面のガラスに手を付き、ぐんと顔を近付けた。
ガラスの壁を挟み、僕は薫子と目を合わせた。
「あの一瞬で、僕の全部を見たつもりになってるの」
薫子はわかりやすく動揺する。
「リアレイトで竜化するつもりはなかった。魔法を放つより竜化した方が早かったから竜化した。君を、黙らせるために」
足元をよろめかせ、ガラスから離れようとする薫子に構わず、僕はピッタリと壁に張り付いたまま、話を続けた。
「僕の本性も知らないクセに、怖くないとか大丈夫だとか虚勢張って。……好きになった? それが一番迷惑なんだよ。なんで僕が人間なんかに好かれなきゃならないわけ? とんだ戯れ言だな」
言いながら、僕は徐々に竜化した。
鱗が徐々に身体を覆う。変形していく僕を見て、薫子は怯え、そのまま床にへたり込む。
「破壊竜の血を引く化け物だって、何度も言ってる。僕の好物は魔力を帯びた人間の肉。力になりたい? じゃあ、食わしてくれんの? 君の、魔力を帯びた肉を、僕に食わしてくれる? 僕の力になるってつまり、そういうことだよ。分かってて近付くの?」
どんどん竜化して醜くなっていく僕を、薫子は青ざめた顔で見上げている。
イザベラが薫子にサッと寄り添い、肩を抱いているのが見える。
『タイガ、やめましょう』
ウォルターが僕と薫子の間に入り込む。
「咄嗟に人間を食いたくなる衝動に駆られることがある。人を襲いたくて堪らなくなる。理性を保っていられない位暴れまわるから、僕はここに閉じ込められてる。――人間の小娘如きが、僕のことを分かったつもりで近付くな!」
『タイガ、もういい。大丈夫です。彼女はもう』
「うっせぇな!! 止めるなっつったろ!! 理性を失えば、僕は見境無しに人間を襲うんだ。実際に襲った。殺したんだ! 嘘だと思うなら証拠を見せてもらえばいい。僕が人間を襲う様子がありありと記録されてるはずだ。好きか、こんなのが。関わるな。そのくだらない感情が、これから先、君の人生をめちゃくちゃにする。消えろよ薫子!! 二度と来るな!!」
いきり立った尾が照明の一つに当たって、パンと割れた。
キャアッと薫子の甲高い声。
グルグルと喉を鳴らし、僕は薫子を威嚇した。
『ごめんなさい……、ごめんなさい……!』
両手で顔を隠し震える薫子を、イザベラはギュッと抱き締めていた。
「消えろ」
薫子は、納得してなかった。
最後に僕をチラッと見て、ブルブルと身体中を震わせてから、パッと消えた。
……疲れる。
竜化を解いて元の姿に戻り、それから割れた照明を魔法で直す。せっかく集めて貰った資料も、段ボールを踏み潰してしまってバラバラに散っていた。折れた表紙や潰れた書簡も魔法で直した。
最悪だ。
なんなんだ、あいつ。
ふてくされながら部屋を片付けているところに、ウォルターが入ってくる。
「酷い演技でした」
僕は屈んだまま、ふぅと深くため息をついた。
「もっと凄まないとダメだったかな。あれじゃ、またやって来そうだ」
「でしょうね。次は……、どうしますか」
「アレで怖がらないなら、どうしようもない。あとは無視するだけだ。彼女が傷付かないよう、みんなに守って貰わなくちゃならなくなる。……負担が増すよね。ごめん」
ウォルターもすっかり疲れたらしい。両手を腰に当て、僕に続いてため息をついている。
「いいえ。大丈夫です。お気になさらず。それより、塔から明日の朝には資料を用意できると連絡がありました。朝の早い時間に取りに伺う予定です。それから魔法学校の聞き取りの件ですが、こちらもどうにかアポイントが取れたようです。明日の午前中、アリアナが向かう予定です」
「ありがとう。助かる。みんなにもありがとうって伝えといて」
「そうします」
拾いものをする僕をしばらくウォルターは観察していた。
一通り拾い終わり立ち上がると、ウォルターは妙な笑顔をこちらに向けている。
「根は、良い子のままで安心します」
「ハァ?」
「どんなに頑張っても、破壊竜にはなれませんよ、タイガは」
「……だと良いけど」
「ご自分には、他人の心が見えている、他の人には見えない。そういう固定観念がどこかにある気がしますね。実は、私達にも見えているのですよ、タイガの心が」
「どういうこと?」
「言語化は難しい。あくまで感覚として、そんな気がするという話です。あんな姿になったのに、ビビは装置を稼働させなかった。貴殿は彼女を威嚇するだけでとどめるつもりだった。数値は殆ど動かなかったのでしょう。明確な殺意や敵意がないからです。貴殿は優しい。他人の命を守るためなら、喜んで悪者になろうとする。分かっているから、誰も貴殿を見捨てられないのです。……恐らく、彼女も」
見透かされている。
また胸が苦しくなる。
「見捨ててもいいのに。……化け物だよ?」
「貴殿のことをそんなふうに思っている人間はここにはいませんよ。さて、消灯の時間が過ぎてます。明日も忙しいですよ。休みましょう」
こんなことがあったのに、ウォルターの象牙色は澄んでいた。
・・・・・
人間の寿命は短い。
あまりにも、短すぎるのではないかと思う。
『ウー、私のことはリサと呼んで』
塔の魔女は会うなり、奇妙なことを言った。
僕は無視した。
ウーは僕の名前ではないし、人間の女には興味がなかった。
『私には自由がない。何もかも、奪われてしまった。何一つ得ることの許されない暮らしには、もう、耐えられない』
塔の魔女は虚ろな目をしていた。
絶望のどん底にいる目だ。
会ったばかりの頃は、絶望こそしていたものの、目はギラギラしていたはずだ。
『最後に一つだけ、願いを叶えたい』
そう言って塔の魔女は、僕に歩み寄った。
手を伸ばし、僕の顔を両手で包み込む。
『強大な力なんて要らなかった。私は、普通の人生を送りたかったの』
――そして僕の唇に、自分の唇を重ねたのだ。
『う……ッ』
直後、塔の魔女は大量の血を吐いて倒れた。
魔女の血が、僕の服を汚した。
何が起きたのか、咄嗟に判断が出来なかった。
『おい。……どうした』
塔の魔女はピクリともしない。
身体を横にして、目を半開きした状態で口から血を流して倒れている。
魔力が、感じられない。
『死んだ……のか?』
揺すっても叩いても、魔女は動かなかった。
『リサ……?』
呪いに抗った罰だ。
塔の魔女は僕を愛した。
よりによって、人間でも善良でもない僕を……!!
だから死んだのだ。
呪い殺された。
神は……、許さなかった。
しばらく僕は、魔女のそばにいた。全く動かなくなった彼女のそばで、ただ呆然としていた。
やがて、異変を感じた塔の人間が、トントンとドアを叩き始めた。
僕は出なかった。
魔法の結界は切れていた。
人間が、どんどんなだれ込んでくる。
『塔の魔女!!』
『どうなさいました?!』
『なんてことを!』
『白い狩人ウー、お前が塔の魔女を殺したのか……?!』
血だらけの僕は如何にも怪しかったのだろう。
普段から、怪しまれていたのだろう。
『僕は、何もしていない。塔の魔女は勝手に死んだ』
言い訳にしかならない言葉を、人間達は当然信じようともせず。
『嘘をつくな!』
『ウーを捕らえろ!!』
武器を持った兵士達が、僕を次々に取り押さえた。
魔女の死に困惑する僕は、人間共に抵抗しなかった。
心の中がぽっかりと空き、何もかもがどうでも良くなった。
無理やり、塔の魔女の部屋を追い出される。捕らえられ、縛られ、殴られる。
塔の外まで引きずり出された僕は、炎天下、大衆の目に晒された。
『やはりウーか』
『気味が悪いと思っていた』
『怪しいヤツめ』
塔の前には人だかりが出来ていた。
魔女が殺されたと大騒ぎだった。
あの部屋にいたのは二人だけ。疑われない訳がない。
分かっていても、到底納得出来なかった。
『僕は……、やってない』
そんな言葉は観衆に押し潰される。
『人間共めが、勝手なことを……! 殺してやる。殺してみんな食ってやる……!!』
白昼に、町の中で竜になった。
手当り次第人間を鷲掴みにし、ガンガン食った。
食って食って食って、火を吐き、焼き出された人間もみんな食った。
塔は、壊さなかった。
塔の魔女が願いを込め、呪いと戦いながら懸命に建てた塔だけは、壊してはいけないと思った。
夜半過ぎ、白い塔の上、魔女の部屋の辺りから、眩い光を放つ何かが飛び出して行ったのが見えた。
それがなんだったのか、僕には分からなかった。
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