5. 騒ぎ

 レグルノーラに戻ると、僕は髪の毛を解いて、元の色に戻した。

 真っ白な髪の毛が視界に入ると、何故かホッとした。

 そのままベッドの上に、仰向けに倒れた。決して寝心地が良いとは言えない堅さのマットレスが、僕の重みに合わせて少し沈んだ。


「お疲れ様。泰蔵氏はなんて?」


 先に戻っていたジークが、僕を見下ろしていた。


「うるさい」


 言いたくなかった。

 あの場で起きたことは、誰にも。


「やることはやった。出てけよ」


 腕で顔を隠し、ジークを追い払った。

 泣きたいだけ泣いたのに、思い出すとまた泣きそうだった。


「二人きりにしない方が良かったかな。君が何を話したのかは知らないけど、泰蔵氏に負担を掛けるようなことは」

「――出てけって言ってんだろ!!」

「分かった。……今日は、ありがとう」


 無理矢理追い出した。

 ジークの顔は見たくなかった。

 監視装置なんてものがなければ、僕はきっと、泣いていたに違いなかった。











      ・・・・・











 塔の魔女は僕を定期的に塔に呼んだ。呼び出して話をして、別れ際に次に会う約束をする。

 そうやって十数年、塔の魔女と過ごした。

 年端のいかない少女だった塔の魔女は、すっかり美しい女に成長していた。


『収穫祭の時期が近付いてきた。黄金色の絨毯を小高い丘の上から見ると、何とも言えない気持ちになるんだ。ここからじゃ……、よく見えないな』


 連れの男は僕から離れ、自分の好きなところへ旅立っていった。

 興味もない。

 寝食を偶々一緒にしていただけの、名前も知らない旅人のことなど、どうでも良かった。


『もっと塔が高ければ見える?』

『どうだろう。空の上からなら、見渡せるかも知れないが』

『見てみたい。いつか』


 塔の魔女と過ごす時間は穏やかだった。

 初めこそ自分の不幸や運命の理不尽さ、僕の報われない生涯について話していたものの、会話は次第に、他愛のないものへと変わっていった。滞在した村での風習、美味かった食べ物、珍しい生き物、印象に残った景色。塔の魔女は僕の話を静かに聞いた。

 魔女と話をする度に、塔は手間賃だと言って金を渡してきた。孤独な塔の魔女の相手は、それなりに重要なお役目らしい。

 金さえあれば、市で物が買える。飢えることがなければ、人間を襲ったり、食ったりする必要もない。

 心穏やかに過ごしたのは、初めてかも知れなかった。

 僕の中で塔の魔女は、少しずつ大きな存在になってきていた。











 悪魔を祓う者は、一向に見つからない。

 次第に塔の魔女は疲弊し、やつれていった。


『やはり、私の代ではないのかも知れない。あと何年待てば、奇跡は訪れるの』


 魔力が少しずつ弱まり、髪の艶もなくなった。


『このまま、何も出来ずに命を終えるなんて耐えられない。自由になりたい』


 塔の魔女は、自由に外の世界に出てはならないらしいと聞いた。

 塔に出入りする魔法使いや魔女達と、彼女の世話をする下女達、そして時折話をしに来る僕。

 下界と切り離された場所で、塔の魔女は次第に追い詰められていった。











      ・・・・・











 夕飯までの短い時間を縫って、再びリアレイトにも干渉する。レグルノーラと行き来することで二倍の時間を使えるのは幸いだった。

 断続的な干渉で、できる限りたくさんの資料を読み漁る。

 頭がガンガンするくらい、必死に読んだ。

 レグルノーラのこと、リアレイトとの関係、干渉能力と干渉者について、砂漠と森の役目、かつての地図、塔の魔女の役割について。

 時代が進むに従い、塔の魔女の役目はどんどん増えていった。強大な魔力で世界を守り、魔物を撃退した。政治的役割も与えられ、世界を統治する王のような存在になっていった。

 塔の組織もどんどん複雑化、巨大化していく。

 古い塔のそばに、別の塔が建設される。今度はもっともっと高い塔だ。

 時代が進むにつれて、何度も塔は建て替えられた。その度に塔はどんどん高くなった。

 高く、高く、天に届くほど高く。

 やがて塔からレグルノーラの全土が見渡せるまで高く――。











 夜、もうすぐ消灯という時間になって、急に外が騒がしくなってきた。

 大抵この時間になると普段は音なんて殆ど聞こえないのに、ドタドタと足音がするし、怒鳴り声のようなものも聞こえてくる。

 さすがに僕もイラッとした。

 明日は来澄家に行く予定だし、今日も疲れたから、ゆっくり眠りたかった。たとえ悪夢が待っていると知ってても、身体を休めないと、もっと苦しくなりそうだった。


「外、どうにかならないの」


 監視カメラの方を向いて言うと、


『ごめんなさい、タイガ。大聖堂で少し騒ぎがあって』


 ビビの声が降ってきた。


「大聖堂で? 不謹慎だな」

『今、司祭達が止めに行ってる。リアレイト人らしき少女が喚いてて』

「リアレイト人? 干渉者ってこと?」

『だと思う。神の子に会わせろって凄い剣幕だったって。かなり興奮してる。司祭とシスター長が宥めてるところだから、タイガは気にしないで』


 歯切れの悪いビビ。

 嫌な予感がする。


「その子、僕の名前、呼んでなかった?」

『え? そこまではちょっと……』

「確認して。もし僕の名前を知ってるなら、連れてきて」

『そういう訳には』

「その子、思い通りにならないと破壊行動に出る可能性がある。僕に会えば納得するだろうから、連れてきて。それとも、僕が大聖堂に行く? リスクの少ない方を、ビビが選んでよ」

『……性格悪くなったね、タイガ。連れてくるよう、伝える』


 プツッと音声が途切れた。

 薫子だ。

 咄嗟に思った。

 面倒なことになった。

 僕は頭を抱えた。

 帰宅した大伯父が、薫子に何か言ったに違いない。薫子は納得しなかった。干渉能力のない大伯父には、薫子を止められなかった。


「会わないつもりだったのに」


 ぐったりする。

 行動力があるのは素晴らしいことかも知れないけど。

 しばらくすると、話し声と足音が複数近づいてくるのが分かった。普段は関係者しか出入りしない地下室に、異質なものが入り込んでいる気配がした。

 ドアの開く音。階段を降りてくる足音。

 次第に複数の人影がガラス張りの部屋の外側に見えてくる。

 ウォルターとイザベラ、その後に続いて、両脇を神教騎士に固められるようにして歩く薫子が見えた。

 少し落ち着いてきたのだろう。薫子は声を荒らげたり暴れたりする様子もなかった。

 ただ、部屋の外側から見た僕があまりに異様で、酷く驚いているように見えた。

 先に、ウォルターが一人、部屋に入ってくる。

 ぐったりと肩を落としベッドの縁に腰かける僕に、ウォルターは胸に手を当て頭を下げた。


「申し訳ありません、タイガ。どうしても、貴殿に会いたいとリアレイトから干渉してきたようです。普段なら追い返すのですが、貴殿のご親族だと」

「こちらこそ、ごめん。あとは僕が話をする」

「部屋の、中と外で会話する、ではいけませんか? 中には、入れないほうがよろしいかと」


 ウォルターは何かを察して、僕に小さく言った。


「いいよ。部屋の外と会話が出来るように音声を切り替える事はできる?」

『可能よ。今、マイクとスピーカーの切り替えをするから』

「助かる」


 話を聞いていたビビが監視室から操作してくれるらしい。

 切り替えが終わるまで、僕は出来るだけ薫子を見ないようにした。

 視界の隅っこで、薫子は怯えている。


『切り替え終わったわよ』

「ありがとう、ビビ。これからちょっと荒々しいことをするかも知れない。けど、止めないで欲しい。理性は保つ」

『やり過ぎだと判断したら、制御装置稼働。いいわね』

「そうして。ウォルター、悪いけど」


 ウォルターが僕の目配せに応じて部屋を出る。

 それから薫子がゆっくりと奥のほうに近づいてくる。厚いガラスの壁を挟み、向こう側で、薫子は呆然としたように僕を見つめていた。


『中にも声は聞こえていますよ。どうぞ、お話しになってください』


 スピーカーを通してウォルターの声が聞こえてくる。

 ウォルターと神教騎士らはその場から離れることなく、僕が何かしでかしたらすぐに止められるよう、薫子のすぐ後ろで待機している。

 薫子は、彼らの存在を気に留めることなくガラスの壁の真ん前まで歩み出て、ペたりと壁に手をついた。


『……なにこれ。どういうこと? 神の子を、教会はどうしてこんなところに閉じ込めてるの?』


 薫子の声は震えている。

 僕はよろよろと立ち上がり、壁際までゆっくりと歩いていく。


「危険な存在だから、閉じ込めておかなければならないんだって話、しなかった?」


 ガラス越しに見える薫子の茜色は、向こう側が薄暗いからか、とても沈んで見えている。


「君が思い描いていた神の子がどんなか知らないけれど、 実際はこんなもんだよ。こういうところに隔離しておかないと、僕はいつ暴れだすかも分からない」

『嘘、でしょ?』


 ガラス張りの部屋から漏れる明かりで、薫子の顔が浮き上がって見える。

 怯えている。

 かわいそうに。


『き、キミ、大河、だよね……? 何か、昨日と全然違う。何で……、何でそんなに、……白いの』


 忘れていた。

 今は素の状態。白い髪と赤い瞳に、薫子は恐怖を覚えていたようだ。


「気持ち悪いんだろ」

『そ、そんなことないよ! ちょっとびっくりしただけで!』

「変に気を遣うのはやめろ。何しに来たんだ」

『な、何って。パパが、もう……会わないほうがいいって、わざわざ釘を刺してきたの。干渉もやめなさい、悪魔討伐もやめなさいって。郁馬のやつ、パパに大河を会わせたのね。そこで大河、パパに何て言われたの。パパが言ったんでしょ。あたしにはもう会わないでくれって』

「違う。大伯父さんには、僕から会わないと言ったんだ。薫子には会わない、二度と。なのに君は、危険を冒してまで大聖堂にやってきた。あそこは祈りの場所だから、余計な騒ぎを起こして欲しくない。……仕方なく僕は、君に会うことにした。本当は、顔も見たくない。消えてくれると助かるんだけど」


 ガラスの壁まであと五十センチ程度に迫ったところで、僕は立ち止まり、薫子の様子をまじまじと眺めた。

 家着姿の薫子は、幼く見えた。

 背伸びをしたところで、まだ中学生。もっとやるべきことがあるだろうに。

 大伯父が知ったら、胸を痛めるに違いない。


「後悔するって言ったろ」


 薫子は、身体を震わせた。


「僕と関わるな。くだらないことに時間を使うなとあれほど言ったのに。僕の言ったことが理解できなかったの?」


 薫子はぶんぶんと顔を横に振り、違うと何度も呟いている。


『あ……、あたしは、大河の、力になりたくて』

「必要としていない。薫子、迷惑だ。今すぐリアレイトに戻るんだ」

『いや! 神の子が、教会にいると聞いて、必死に辿り着いたのに。あたしは』

「僕のこと、これ以上怒らせないで。君がどんなに僕のことを助けたいと思っても、君に出来る事は何一つない。帰ってくれ」


 薫子は、ガラスに押し当てていた手をぎゅっと握りしめ、わなわなと肩を震わせた。


『こ、怖くなんかないし。大河の事……、好きになっちゃったし。このまま、何もできずに帰るのは嫌』


 涙を浮かべて歯を食いしばる薫子に、僕は深くため息をついた。


「……困った子だな、薫子は。怖い目に遭わないと分からないのかな」


 薫子はハッと顔を上げ、僕の顔を見た。

 その瞳に、血の気のない白い男が映っていた。

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