4. 忘れてください
前にも……、誰かが同じことを言った。
見せてくれないか、竜の姿を。
実際に目にすることで、自分を納得させたいんだろう。
「見て……、どうするんですか」
僕の手にじっとりと汗が滲む。
急に、喉が乾いてくる。
「見たところで何も変わらない。ただ絶望が待ってるだけなのに。おかしい人だ」
顔を引き攣らせ、吐き出すように言った。
嫌な汗がどんどん吹き出て、着慣れないスーツの内側が気持ち悪い。
大伯父の視線は真っ直ぐで、純粋な気持ちでいることも分かってる。
それでも、リスクが大きいのではないかと思う。
「……怖いもの見たさで言っているんじゃないかと、思っているだろうね。そうかも知れない。私の我儘だ。君が薫子に見せようとしている本性を、私は先に見ておきたい。おぞましいと君が形容するその姿を見て、薫子を止めたい……、なんて、そんな言い訳を考えたりもしたが、違う。私は、自分の引き起こした過ちが、どういう形になって君にまで引き継がれてしまったのか、知らなければならない。それによって私が絶望したとしても、それは君の責任ではない。私の、覚悟と度量が足らないのだ」
大伯父は、ずっと悔いてきたようだ。
来澄の伯父が凌のことを後悔していたように、美幸と美桜のことをずっと悔いてきた。
もしかしたら薫子のことも、自分が二人を認めなかったせいで干渉能力に目覚めたのではないかと思っているのかも知れない。
そんなことはないと分かっていても、自分がしてきたことに対して何か悪いことが起きたと確認できなければ、報われないのだろうか。
「この後、会議があるんだよね。無理しないほうがいいよ」
「会議も大事だが、君との時間も大事だ。もしかしたら、この機会を逃せばもう二度と……。私の気のせいかも知れないが、そんな気がする」
見透かされていた。
僕は口元を綻ばせた。
「気のせいじゃない。僕は、最初で最後のつもりで会いに来てる。……凄い。大会社の社長さんにもなると、そういうの、言わなくても何となく分かるんだね」
目をそらして、わざとらしく褒めた。
大伯父は、『やっぱり』と心の中で呟いた。
「来澄君が初めて訪ねてきたとき、今の君と同じ顔をしていた」
ピクッと、僕は思わず反応した。
「全てを諦めたような、受け入れたような、年齢不相応な顔だった。今の君も、何か途轍もないものを背負っているような顔をしている。私には、異世界の事情はよく分からない。来澄君が世界を救った背景も、君が竜の血を引いている背景も、何度聞いても理解できなかった。難しすぎた。ただ、分かるのはね、君達が必死だということ。そして、とても追い詰められているということ」
言い当てられた。
追い詰められてる。
僕も、凌も、常に。
「時間が、ないんです」
大伯父が首を傾げる。
「あと……、僅かしかない。頼まれても、薫子と向き合う時間は取れそうにない。大伯父さんと会うのも、きっとこれで最後だと思います。残された僅かな時間で応じるには、強攻策に出るしかない。薫子を追い返すのに、本性を曝け出すなんて言ったのはそのためで。……要するに、僕には他人に構っていられる程の余裕も時間も、残されてない。今日、こうしてやって来たのは、陣が勝手にした約束を履行するためです。約束は、守るためにある。そう、教わって育ったから」
「……芝山君は、良い教育をしたようだ」
僕は、こくりと頷いた。
「とても、良い子に育っている。本当は、誰も傷付けたくないのに、恐ろしい力を持ってしまったんだということが、ひしひしと伝わってくる。大丈夫。私はひっくり返ったりしない。見せては、くれないだろうか。君の苦悩を、私に、見せて欲しい」
諦めさせるのは難しそうだ。
大伯父は僕をじっと見ているし、数々の修羅場を通ってきただろう貫禄と自信に満ちている。
きっと、見るまで僕を解放しないだろう。
……僕が、諦めるしかない。
「分かった。見せるよ。けど、誰にも、知られるわけにはいかない。魔法を使わせてもらう」
僕は立ち上がり、スッと手を上げた。
結界魔法だ。何度も見た、外の世界から見えなくする魔法。
「な、なんだこれは」
大伯父は驚き、周囲をキョロキョロと見渡している。
淡い緑色の光が充満し、外界から社長室を完全に隔離する。
音も光も振動も、気配さえ誰にも分からないように。
「本当は……、見せたくない。あまりにも恐ろしい姿に、大伯父さんは腰を抜かすかも知れない。僕は、凌みたいに美しい半竜にはなれないんだ。……次の会議に、差し支えたらごめんなさい」
応接セットから離れ、広いところに立った。
とても、胸がモヤモヤした。
あの時、凌も同じ気分だったんだろうか。
そうだ、あれは群馬のひいじいちゃんの家。最後にお願いだと言われて、凌は自分の姿を曝け出した。
レグルみたいになれたなら、こんなにモヤモヤしなかったかも知れない。
僕にはまだ、自分の姿をコントロールする力がない。
「怖がると思う。身内に、こんな化け物がいることを、一生後悔すると思う。薫子が僕に憧れることをとても不快に思うだろうし、二度と会わせてはならないと思うはずだ。――大伯父さん、僕の事は、忘れてください。こんなのが自分の血筋にいるだなんて、考えるだけで辛いだろうから」
ゆっくりと、息を整えた。
またきっと、傷つくのだと思う。
僕の知っている人が、僕を見て、僕の存在の恐ろしさを知って、傷つくのだと思う。
分かっていてこんなことをするのは、辛くて堪らない。
「理性を失わないギリギリの大きさまで竜化する。外に、声も音も漏れなくなっているはずだから、もし、怖い時は怖いって言ってくださいね」
大伯父は、何も言わなかった。
何も言わず、席を立ち、僕のほうに歩み寄ってきた。
口を結び、両手に握りこぶしを作って、覚悟を決めたような顔で僕を見つめている。
「始めます」
僕は、大きく深呼吸し抑えていた力を少しずつ解放し始めた。
急激に竜になる方が、実は簡単だったりする。
天井が少し高いとはいえ、ビルをぶっ壊す訳にはいかないから、それなりの大きさまでで抑える必要がある。
結界魔法は初めてだったような気がするし、効果の程も分からない。けど、多分、今の僕なら大丈夫。
「うッ……、ぐぐぐ……ッ」
竜の力を解放する。
グアッと急激に身体が肥大化し、スーツが弾けた。
髪と目、肌の色が元に戻る。
鱗が浮き上がり、角や牙、羽、尾が生え、徐々に人間とは程遠い姿に変化していく。
「ぎぎ、うぐぐぐぐ……」
目線がどんどん高くなる。
天井に背中が近付いてきて、僕は慌てて腰を屈めた。
前のめりになった身体が、ぐんと真上に迫ると、大伯父は身体をよろめかせ、何歩か後退した。
これ以上はダメだ。
やり過ぎない程度に止める……!
「こ、これが、大河……。本当に君は」
完全な竜化は避けた。
半竜よりも竜に近いくらいで変化を止めて、僕は大伯父を見下ろしていた。
社長室いっぱいに羽が広がり、長い尾が波打った。火災報知器が鳴ったら敵わないと思って、必死に口から炎が出ないよう、ギリギリと歯を食いしばった。
見開いた目は真っ赤だろうし、ギラギラ光っているだろう。
大伯父の鶯色には激しい警戒色が混ぜこぜになっていた。うろたえて、倒れ込んでしまうんじゃないかと思うと、見ていられなかった。
「白い、竜……」
大伯父は僕を竜と言った。
それが、やたらと胸に刺さる。
僕はなるたけ視線を逸らした。ギロリと動く大きな目玉が、大伯父にどう見えているのか考えるだけでも苦しくなる。
しばらく僕は、そのままの姿勢で動かなかった。
前のめりになり、頭を大伯父の真ん前に突き出すような格好で、背中を丸め、羽を広げすぎない程度に広げて、尾を床に這わせた。両手の拳をギュッと握って、この時間が早く終わるように祈る。
けれどそういうときに限って、一瞬一瞬がやたらと長い。
一歩、一歩と、大伯父は恐る恐る僕に近付いた。そうして、僕の白い鱗で覆われた頬を撫でた。
ペタペタと僕の頬を軽く叩き、それからゆっくりと顔のあちこちを確かめるように。次第に、首、胸、そして握り締めた手まで、順番に触っていった。
ぷるぷると震える、鋭い爪の生えた僕の手を、大伯父はしばらく見ていた。
カチコチと、時計の針の動く音が直ぐ耳元でやたら大きく響いている。
鶯色に、少し恐怖の色が混じっていた。
「ありがとう。戻って貰って構わない」
待っていた一言がようやく聞こえ、僕は急速に身体を元に戻した。
破れたスーツも靴も、元通り。髪と目と肌を余所行きの色に戻したところで、僕は胸を押さえ、ハァハァと肩で息をした。
全身汗だくだった。
どうにかやっと立っている感じ。
竜の姿を見せる、襲わない、動かない、怯えさせないことに集中しすぎたせいで、普段より多くエネルギーを消費してしまったような気がする。
「すみ……ません。随分、怖がらせて、しまいました」
胸と喉と、腹が痛い。
頭も、心も。
「今見たものは、どうか、忘れてください。お願いします」
気丈に振る舞う予定だったのに。
ぐらんぐらんする。
吐き気が襲う。僕は両手で口を押さえ、こみ上げてきたものを必死に飲み込んだ。
「大河、私は」
「お願いします! 忘れてください。僕のことは、忘れてください。いなかったと思ってください」
大伯父が差し伸べた手を、僕は拒絶した。
「僕は、ヨシノデンキとは何の関係もなくて、ただの化け物で、あなたとも……、会わなかった。そういうことにしてください。薫子にも、会わない。巻き込みたくない。これ以上、僕に、関わらないでください」
ただただ、怖かった。
そんなつもりはなくても、僕の姿と力は誰かを傷付ける。
次に聞こえてくる言葉を予想して、それが予想通りだったらどうしようと、常に震えている。
相手が僕に対して好意的な印象を抱いていればいる程、絶望されたときの落差は大きい。
きっと、大伯父も。
「大丈夫だ。怖くなんかない」
帰ってきた想定外の答えに、僕は耳を疑った。
恐る恐る、顔を上げ、前を見る。
「驚いただけだ。見たことがなかったから、驚いた。確かに恐ろしくはある。けれど、君は私を襲わなかった。私の我が儘で、辛い思いをさせて悪かった。軽率に見たいなどと言うべきではなかった」
大伯父は涙を浮かべていた。
恐怖や警戒の色は、もう消えていた。
「吐き出して行きなさい、大河。会議までもう少し時間がある。君が異世界で誰にも言えないことも、辛いことも、苦しいことも、全部吐き出して行きなさい。もう二度と会わないのなら、ここに全部置いて行きなさい。私がしてやれることと言ったら、それくらいだ」
――僕は、泣き崩れた。
無理だった。
これ以上我慢することは、僕には出来なかった。
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