2. ヨシノデンキ本社へ

 生き急いでいると、父さんは思ったかもしれない。

 実際、僕には時間がない。思ったよりも僕が自由でいられる時間はずっと少ないのかもしれない。そう思うと、気が焦った。

 次の杭を壊す日を、勝手に前倒しした。雷斗の家族と会ったら、僕の時間は全部終わる。

 そういうつもりで、僕は必死に資料を読み込んだ。






 *






 ガラス張りの部屋と書斎を、誰にも気づかれないように何往復かし、両方の資料を頭の中で整理する。

 白い竜はこの後、突如現れた“悪魔を祓う者”――救世主の手によって、湖に沈められることになるはずだ。

 それから数百年の眠りにつくと思われる。

 僕の気力がどこまで持つのか分からないが、どうにか最後まで記憶を辿りたい。

 暗黒魔法に乗せてわざわざ流し込まれるこの記憶が、ある意味、この全ての混乱をなくすための手がかりだと信じて。











………‥‥‥・・・・・━━━━━□■











 昼過ぎ、ウォルターがガラス張りの部屋に現れる。


「次の石柱を壊す日程に関してなのですが。ライトの家族と一緒に過ごした後、最終チェックを行い、翌日朝から現地へ向かい作戦を開始するということでいかがですか」

「分かった」


 僕は資料から目を離さずに、ウォルターにそう答えた。

 ウォルターはもの悲しそうに少しため息をつき、僕のそばに寄ってきた。ベッドの縁に腰かけた僕の真ん前に跪き「辛くありませんか」と聞く。


「別に」


 僕はそっけなく答える。


「見ていると、胸が苦しくなります。抱えているものを、……本当は、殆ど吐き出していないのではありませんか。誰にも話せないことが、他にもあるのですか」

「――あったとして、ここでの出来事は全部筒抜けの状態でしょ。じゃあ、僕は誰にも何も話すことは出来ないよ。わかってて言ってるんだよね? ウォルターは意地悪だな」


 ウォルターは、象牙色をくすませて、僕のことをしばらく見ていた。


「ところで、塔からの資料はいつ届く?」

「早ければ、明日の夜になると思いますが」

「もっと早くないと困る」

「早く、ですか?」

「アリアナにも、出来るだけ早く魔法学校に行って欲しい。聞いて欲しいこと、メモに記しておいたから、これを渡してくれるかな。きっとアリアナは、僕とはもう話したくないだろうし。アリアナが聞いてきたことは、メモでもデータでも、纏めなくてもいいから、そのままちょうだい。アリアナに、余計な負担はかけたくない」

「……アリアナは、一人の少年として、貴殿を好いていたようでした」


 ギュッと、胸が苦しくなる。


「そうか。残念だな。僕のことなんか好きにならない方がよかったのに」

「まだ、そんなことを言うのですね」

「僕は、誰にも心を開かない。絶対に」


 本を持つ僕の手が、わずかに震えている。


「僕の事は気にしないで、話を進めて。次の杭を壊すまで、……それまでの間だったら、僕は何とか自分でいられると思うから」

「分りました。メモはアリアナに渡します。けれどタイガ、苦しくなった時は、正直に苦しいと言うだけで、救われることもあると思いますよ」


 僕は、何も言わなかった。

 ウォルターは長いため息を付いて、部屋から出て行った。






 *






「君の大伯父に当たる芳野泰蔵氏は、とても気難しい方なんだ。ただ、話せばわかるし、以前よりもずいぶん丸くなった。お忙しい方だから、なるべく負担をかけないようにしてくれると助かるんだが。良いか?」


 ジークは珍しくビジネススーツでビシッと決めていた。

 いつもはもしゃもしゃの髪も、丁寧に撫で付けてある。


「で、着替えろって?」

「そうだ。今日は、ヨシノデンキの本社、社長室に招かれてる。仕事と仕事の隙間にお邪魔するんだから、さっさと済ますぞ」


 大叔父と会うのは、恐らく初めてだと思う。

 僕の記憶には現れなかった。もしかしたら、もっと小さい頃は会っていたのかもしれないけれど。

 神経質そうな顔をしているのは、美桜の記憶を見て知っている。


「わざわざ着替えなくても、向こうでその格好になれば良いんじゃないの?」

「あのなぁ、大河。普段着慣れている服、見慣れている服ならまだしも、そうじゃないものは具現化が難しいだろ。着替えて、今のうちにしっかり頭の中に自分の格好をたたき込んでおけ。髪の毛と目の色、この間と同じように黒くしとけよ。って、まぁ、それはあっちに飛んでからでも大丈夫だけど。せめてスーツは着てみろ」


 無理矢理ジークは僕にスーツを渡してきた。

 僕は渋々受け取って、面倒くさいながらも着替えることにした。

 日常を失った僕は高校にも行けなかったわけで、こういう服は妙に新鮮だ。ワイシャツを着て、靴下とスラックスを履き、ジャケットを羽織る。ご丁寧に革靴まで用意してあった。ネクタイは……、結び方が分からない。


「そんなことだろうと思った」とジークがネクタイを結んでくれる。


「あとは髪を整えて。ちゃんと整髪剤使えよ」


 ちょっと臭いのきつい整髪剤を無理矢理僕の頭に塗りたくり、髪の毛まで勝手に結んでしまった。


「よし。出来た。サイズもぴったりだ。……何か、マフィアの下っ端みたいになったな」

「酷い言い方」

「いや、割とマジでそんな感じ」


 ガラスの内側に移った僕は、確かにあまり感じが良さそうには見えなかった。やっぱり、白い髪と赤い目が結構どぎつく印象に残る。スーツは黒だから、余計映えて見えるんだ。

 髪の毛と目の色が変わればどうか。

 通常、干渉者は干渉先で容姿を変えるが、確か白い竜は元の世界でも関係なく変身術を使えていた。僕にも出来るはずだ。ちょっと試してみる。


「お、変わった」


 ジークがギョッとして少しよろめいた。


「どう?」

「あ、いや。やっぱ、凌とそっくりだ。似過ぎ。背格好も顔つきも、雰囲気まで似るんだな」


 似てるのか。

 僕は項垂れて、ため息をついた。


「似てるの、嫌か」

「嫌って訳じゃないけど」

「アレでいて、結構良いヤツなんだ」

「だから嫌なんだよ」

「……嫌なのか嫌じゃないのか、全然分からないな」

「うるさいな。放っといてよ」


 頭を掻こうとしたけれど、やめた。せっかく綺麗に整えて貰った髪が崩れそうだった。


「路地裏に転移して、本社ビルの正面から入るから。いきなり社長室って訳にはいかない。あんまりキョロキョロするなよ」

「分かってるよ」











………‥‥‥・・・・・━━━━━■□











 ヨシノデンキの本社ビルは、大きな河に面していた。

 その直ぐそばの路地裏から通りに出て、川沿いを歩いて本社ビルへと向かう。

 川から上がってくる風を浴びながら、僕は空を仰いだ。二十階建てのビルは、下から見るとかなり迫力があった。

 圧倒されていると、


「知らないと思うけど、君も巨大化すればあのくらいになる」


 陣に鼻で笑われた。


「思ったよりデカい。そりゃ怖いよな……」


 具体的にこのくらいのサイズですよなんて、言われなければ分からないわけで。

 そう考えると、前日に河川敷で竜化した僕を怒鳴った理由が分からなくもない。こんな巨大なものが自由に動き回っていたら、恐怖でしかないからだ。

 リアレイトで活動するときは日本人に擬態している陣も、ピシッとスーツで決めているからか、印象がいつもと違う。やり手のビジネスマンみたいに見える。


 サラリーマンに交じってビルに入り、総合案内で陣が名乗ると、そのままエレベーターを上がるよう指示された。

 人はひっきりなしに出入りしているし、入り口の段階でやたら広いし、デカいしで、キョロキョロするなと言われていたのに、どう頑張ってもキョロキョロしてしまう。

 けれど別に、誰かが僕を挙動不審なやつだと変な目で見ていないのが幸い。髪と目を黒くするだけでも目立たなくなるのは、一体どういう効果なんだ。

 エレベーターで最上階に上がる。

 陣に習ってエレベーターを降り、ホールへ出ると、そこで秘書らしき女性が待っていた。


「陣様と、お連れ様ですね。お待ちしておりました」


 僕らは社長室へと通される。

 執務机に、男性が一人。

 秘書が出て行ったところで、彼は立ち上がり、僕らの方に歩み寄ってきた。


「君が、大河か」


 五十代半ばくらいの、隙のなさそうな男。

 こみ上げる感情を必死に押さえるようにして、落ち着いた鶯色を纏ったその人は、僕らを出迎えた。


「会いたかった。よく来た」


 ゴツゴツした、不器用そうな手をグッと差し出してきた彼に、僕は応じる。

 差し出した右手を、彼は両手でしっかり掴み、何度か上下した。


「君の大伯父、芳野泰蔵だ」

「初めまして、芝山大河です」


 僕に向けられた大伯父の目には、どこか哀愁が漂っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る