12. 悲しい理由で

 ガラスの壁に押し付けた両手が震えていた。

 牙になりかけた犬歯を剥き出しにして、歯を食いしばっていた。

 言葉と頭と身体が全部ちぐはぐで、僕は明らかなる異常者だった。

 涙が、止まらない。

 今は泣くべきじゃないのに、辛い気持ちが涙になってぼたぼたと零れ落ちて、僕の懐にいるリサの身体に落ちていく。

 リサは僕の涙に気付き、恐る恐る手を伸ばしてきた。


「……泣いてる」


 杏色からは、マーブルが少し消えていた。


「うるさい」


 肩に力を入れる。

 力を入れてないと、崩れ落ちそうだった。

 リサの手が、僕の頬に伸びる。


「みんなのこと、大好きなクセに」

「うるさい」

「さっきから大河君、変だよ。怖い顔してみんなを威嚇して。なのに、一人一人に掛ける言葉には、ちゃんと思いやりが入ってた。みんなのこと、ちゃんと見てるし、ちゃんと考えてくれてるじゃない。……自分を悪者にしようとするの、辛くない?」


 目を閉じる。

 リサの顔、見たくない。


「嫌われたいの? どうして?」

「うるさいって言ってるだろ。みんな、僕のことなんか嫌いになればいいんだ。嫌いになって、僕のことなんか忘れて、化け物だって罵ってくれたら楽なのに」


 つるりと、ガラスの壁に付いた手が下にずり落ちた。ガラスに肘が付く。

 僕の膝は、ガクンと崩れた。


「――どうして、どうして僕が何度おかしくなっても、みんな、僕に優しくするんだよ……!!」


 気付くと僕は、リサに縋るようにして抱きついていた。


「僕のことなんかみんな、嫌いになればいいのに。嫌いになってしまえばみんな、苦しまずに済むのに」

「そんな……悲しい理由で、嫌いにならなくちゃいけないの?」


 リサの声は震えていた。

 柔らかなリサの身体が、僕に密着していく。


「バカだな、大河君は。何度も言ってるじゃない。大河君のことは嫌いになれないって。それは、ここにいるみんなも同じだと思うよ。君が必死にみんなを守ろうとしていること、溢れる力を抑えようとしてること、前を向こうとしていること、知ってるから。知ってるから、嫌いになんてなれないんだよ」


 ――脱力した。

 僕はすっかり脱力して、リサに全部の体重を預けてしまった。

 リサの足が震えている。


「大河君、重いよ」


 ちょっと、はにかんだような声だった。


「……ごめん、力が入らない」


 滝のように吐き出した毒気が、僕の体を少しだけ軽くしていた。


「もう、言いたい事は全部、言いましたか?」


 ウォルターの声がする。

 僕は、目をつむったまま、こくりと頷く。


「落ち着くまで、少し時間を置いたほうがよさそうです。いいですね、皆さん」


 ウォルターがみんなに尋ねると、ジークがすかさず「ちょっといい?」と言った。


「……大河、こんな時に悪いんだけど、夕方三十分程度、泰蔵氏が時間を取ってくれることになってる。会ってくれるか?」

「分かった。会う」


 僕は姿勢を変えずに、ぽつりと返す。


「大河、来澄さんとは」


 今度は、シバが遠慮がちに言う。


「土曜の昼に、一緒にご飯をどうかと誘われている。返事をしなくちゃならない」

「いいよ。行く」


 僕は再びこくりと頷く。


「それでは、私達はおいとましましょう。……リサ、申し訳ありませんが、大河を少しの間頼みますね」

「はい、大丈夫です」


 リサはウォルターに向かって、こくりと頷いていた。






 *






「“普通の女の子”なんて、言われると思わなかった」


 リサは何だか嬉しそうだった。


「なればいいじゃん。普通の女の子に」


 僕はリサに抱きついたまま、改めてそう言った。

 部屋は全面ガラス張りだし、声は全部監視室に筒抜けだ。

 この会話は、録音されている。

 見せかけだけの二人きり。


「いつか、なれたらいいな」


 耳元で、リサの柔らかい声が心地よく響く。


「――いつか全てが終わったら、なれるかも知れないだろ。そうしたら、竜石の娘とか、僕の事とか、そういう面倒なことは全部忘れて、リサの好きに生きればいい」


 好きに生きれば、のところで、リサの杏色が曇った。

 リサは僕を、無言で抱き返した。






 *






 少し落ち着いたのを見計らって、大量に資料が届く。

 大きめの箱に纏められた、古い表紙の本と書簡。


「頼まれていた塔の魔女に関する資料です。取り急ぎ、教会の資料室にあったものから探しました。シバにも手伝って貰いました。上の方にあるのが、帆船にあったものと恐らく同じ本だということです。塔の方にも話を伝えましたから、追加の資料が後日届くと思います」


 ウォルターはそう言って、手伝いの修道僧達とともに、本を入れた箱を床に置いた。


「ありがとう。助かる」

「必要な情報が、載っていれば良いのですが」

「探してみるよ。それに、良い暇つぶしになる。悪いけど、しばらく一人にさせて」

「いいのですか、お手伝いしますよ」

「いや、いい」

「複数の目で見た方が、目的のものもすぐに見つかるかもしれません」

「――悪いけど、一人になりたいんだ」


 それまで部屋にいたリサにも、出て行くよう手で合図した。

 渋々とドアに向かう彼らに、僕は追加でお願いをする。


「制御装置、切って」

「そ、それは」

『――何言ってんの、タイガ!』


 監視室から聞いていたビビが、怒鳴り声を上から浴びせてくる。


『そんなことしたら』

「リサの魔法も、要らない。僕が本当に力を抑えられるようになってるか、監視しといて欲しい。数値に変化があるのか、どの程度抑えられているのか。昨日のアレがはったりじゃないことを確認して」

『はぁ? タイガ、君、正気?』

「自分の力くらい制御できないと。悪いけど、頼む」

「……だ、そうです。ビビ、タイガの気持ちを尊重しましょう」


 ウォルターは、僕の心中を察してくれている。


『わ、分かった。けど、もし君が力を抑えきれてないと判断出来たら、直ぐに稼働させるからね』

「良いよ。そうして」


 僕は、小さく返した。






 *






 古い本は、古代レグル文字で綴られていた。

 初代塔の魔女が白い塔を作るよう天啓を受けたのは、まだ十五の頃だった。

 魔法使いや魔女達が台頭し始めたのは、今から八百年程前。政治体制が確立していくのと同時に、不思議な力――魔法を使う能力者達は、次第に必要とされていく。

 魔法は、古来不吉とされていた。

 理解出来ないものを、人は嫌い、恐れるからだ。

 人間のコミュニティがどんどん拡大していくと、その統治や粛清に魔法が利用されるようになる。コミュニティに危害を加えようとするものに対しても、魔法で対抗するようになる。

 こと、魔法使い達が持て囃されるようになったのは、他でもない、白い竜の恐怖から身を守るためだったようだ。

 その魔法使いと魔女達の中で一際強大な魔力を誇ったのが、“塔の魔女”だったらしい。

 初代塔の魔女とは一体何者だったのか。書物を漁っても、殆ど何も書かれていない。

 神格化されたように、正体不明で絶対的な存在であったらしいことは確かなんだけど。


 系譜を辿る。

 歴代の塔の魔女は、何らかの特別な方法で選ばれ、引き継がれていた。

 天涯孤独であることが絶対条件ではあるが、それに見合わない場合は、見合うように親族を皆殺しにされていた。

 その原点、初代塔の魔女に話を戻す。

 天啓を受け、白い塔の建設に尽力した彼女は、彼女を支持する魔法使いや魔女達と共に、“塔”中心の組織を作った。そして、世界を魔法の力で統治したのだ。

 系譜によれば、初代塔の魔女は、若くして命を落としている。

 長い髪と翡翠の瞳をしていた、美しい少女だったようだ。彼女の名前は――。


「見覚えがあると思った。やっぱり、初代塔の魔女をモデルに作られたのか……? ってことは、まさか」


 古びた背表紙、塔の魔女について書かれた本の片隅に、ひっそりとその名が記されていた。






 ――“リサ”と。

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