11. めちゃくちゃ

 とうとう、やってしまった。

 白い竜の記憶の中では、何度も人間を殺したし食ってきた。

 けれど、とうとう現実の世界でも、僕は……、罪を犯した。


「そうか……、殺したんだ。殺したんだ……。ククッ。フフフ……ッ。ハハハハッ」


 笑いが、止まらない。

 どうしてなのか、分からない。

 頭の中ではヤバいことだと、とんでもないことになってると分かってるはずなのに、僕は転げるように笑っている。

 ダメだ。僕はもう、ダメだ。

 ガラス張りの部屋に、不自然な程デカい僕の笑い声が響いている。

 頭と身体がちぐはぐの動きをしていた。

 何笑ってんだ。

 やめろ。やめてくれ。

 なんでそんなに高らかに。


「最悪だな!! 最悪だと思ってんだろ! みんなしてさ!! 僕のこと、頭のおかしいヤツだと思ってんだろ!!!!」


 一人一人の顔を確かめるようにして、僕は叫んでいた。

 誰一人笑ってない。

 真顔のヤツ、恐怖に引き攣るヤツ、怒りを我慢してるヤツ、呆れたような顔をしてるヤツ。みんなみんなみんな、無言で僕をじっと見ている。


「何、しんみりした顔してんだよ。こんなヤツのために、こんなどうしようもないヤツのために時間割いて、命張って……!! 無駄なんだよ! どんなに足掻いたって、僕の力は凶悪すぎて、正義からは遠すぎて、何もかも壊していくし、みんな傷付けてく。放り出してしまえば楽なのに、どうして匿うんだよ!! どうして僕を庇うんだ!!」


 僕はベッドの縁から立ち上がり、片膝を折っていたウォルターの襟ぐりをむんずと掴んだ。

 ウッとウォルターは苦しそうな顔をして立ち上がった。

 歯を食いしばり、辛そうな目で僕を見ている。


「ウォルター、弁明なんかすんなよ。ちゃんと言え。神の子はただの化け物で、閉じ込めておかないと世界をぶっ壊すかも知れないヤバいヤツだって。変に庇って、教会の信頼失墜させてんじゃねぇよ! 教会は心の拠り所だろ。化け物じゃなくてさぁ、きちんと民に寄り添えよ!!」


 ブンと、ウォルターを突き飛ばした。


「ウグッ」


 ウォルターは背中を床に打ち付けて転がった。


 僕はそのまま、そばにいたグレッグとライナスに迫る。

 二人の胸ぐらを左右同時に掴んで、グイッと手元に引き寄せた。

 思いっきり睨みを利かせると、グレッグは苦しそうな目で、ライナスは恐怖に怯えた目で僕を見た。


「神教騎士の本来の役目は、魔物や竜から信者を守ることだったはずだ。こんな化け物放っといて、ちゃんと守ってやれよ、人間を!! 何、振り回されて目的見失ってんだ。神の子なんてどうでもいいだろ。教会上層部に踊らされて、神の子討伐とか訳分かんないことやってっから、守るべき信者達がさぁ!! 市井の罪のない人間達が、どんどん傷ついてんじゃねぇか!!」


 ドンと、二人を押しのける。

 ビビワークスの三人の前に行く。

 ビビは僕が迫るなり力が抜けたように床にへたり込んだ。

 フィルとレンも、真っ青な顔でガタガタと震えている。


「……本来、何の関係もない人間共が、ノコノコ首突っ込みやがって。どんだけ力を尽くしても、結局僕の力はまともに抑えられてない。無駄なんだよ。分かる? だってそうだろ? 数値見たってさぁ! 監視を続けたってさぁ! 暗黒魔法に冒されてく僕を止めることは出来ないんだから!! やめちまえよ、こんなこと!! 人生を、こんなことに使うなよ。お前らの頭脳はもっと別のことに使えよ! 出てけよ!! どっか行っちまえ!!」

「もうやめろ」


 僕の前方を、ジークが塞ぐ。

 正義ヅラした優男は、僕を哀れんだような目で見ている。


「言葉を選べ、大河。冷静になれ。誰も、君を助けられなくなる」

「助けなきゃいいじゃん。こんな化け物、放っときゃいいじゃん。――僕がもし僕に戻れなかったら、薫子には何て言うつもりだった? この化け物が君の親戚だって紹介するつもりだったのか? あれじゃ薫子がかわいそうだ。きっと、薫子はまた僕に会いたがる。余計なことすんなよ。教えなかったら良かったのに。僕のことなんか教えなかったら良かったのに! そしたら薫子は傷つかないで済んだのに!! クソ野郎が、余計なことばっかやりやがって!!」


「す……、すまない。どうにも他に方法が思いつかなくて。負担をかけると知りながら、大河のことを苦し紛れに話してしまった。これに関しては、大河に謝らなければならない。けれど、泰蔵氏の気持ちも汲んで欲しい。彼とは、泰蔵氏と会う約束は」

「ホンット、無責任だよなァ!! ジークはさぁ!! こっちの気持ちも、都合も何も考えずにさ、僕が拒否権を持っていないのを知ってるから、そうやって勝手なことをするんだろ? この件に関しては本気で迷惑してんだよ。あぁ?!」


 ジークの胸ぐらを掴む。

 僕の手を、ジークが掴み返す。

 知るか。

 僕より背の高いジークには、下から睨みつける。

 ジークは、湧き上がる恐怖に耐えている。


「落ち着け、大河。自分を見失うな。誰も……、君を責めてない」

「自分を、見失うなぁ……? あはははははっ!! うっせーんだよ!! この状況で? この状況で僕に、自分を見失うなだってぇ?! 無理だろ!! 正気でいられる方がヤバいんだって!! 普通はさ、頭おかしくなるに決まってんだよ、ぶわぁかぁッ!!」


 唾を吐きかけた。

 ジークはうっと顔を逸らす。


「やり過ぎだ、大河!!」


 今度はシバが、僕を後ろから羽交い締めにしてきた。

 ジークの胸ぐらから、手が離れる。


「クソッ!! 離せシバ!!」


 思いのほか強い力で、シバは僕を締め付けた。

 身体を捩り、左右に振るが、なかなか動かない。


「お前が辛いのはみんなが知ってる。だから何も言えない。言い返せない。分かってくれ。無理かも……、知れないが」

「無理だね!!」


 羽交い締めにしたシバのすねを、僕は目一杯後ろに蹴り上げた。


「グア……ッ!」


 鈍い音と共にシバが僕から手を離す。

 僕はスルリと腕の中から脱出して、シバの真ん前に突っ立った。


「シバもおんなじだからな」


 ぎりりと奥歯を鳴らし、痛さで悶えるシバを睨み付けた。


「来澄さんと約束? ふざけんな。僕は了承してなかった。でも、するしかなくなった。勝手に決めて、勝手に盛り上がって。ものすンごく迷惑なんだよ」


 ハァハァと、僕は肩で息をしていた。

 頭の中がグルグルして、まるで自分が自分でないみたいに、僕は僕らしからぬ汚い言い方をした。


「なんで僕のこと、養子にしたんだよ」


 シバは脛をさすりながら、ハッとした顔で僕を見ている。


「放っときゃ良かったじゃん。将来化け物になるって分かってたくせに、半ば凌の言いなりみたいになってさ。僕は親子ごっこなんか必要としてなかった!!」

「ダメだ大河!! それは言っちゃ」


 ジークだ。

 顔についた唾を拭き取って、また口を挟んできた。


「うるさい。部外者は黙ってろ」

「大河!!」

「塔も教会も、当時神の子を躍起になって探してた。どっちかに渡せば良かったのに。そしたら苦しまずに済んだんだ。それともアレか? 優越感に浸りたかった? 塔の五傑のシバ様は、うら若き女性の憧れの的だって? 聞いて呆れる。こうやって持て余すくらいなら、最初から放っときゃ良かったんだ。砂漠の真ん中にでも放り投げりゃ良かった。森にでも置いときゃ、湖にでも沈めりゃ良かった。ただ単に、親友の息子だったからって理由だけで、なんで僕なんかを養子にしたんだ!! お前の人生、めちゃくちゃじゃないか!! なぁ!! シバ!!」


 頭を抱える。

 首を振る。

 もう、自分でも何を言ってんのか、全然分からない。

 最悪だ。

 荒く息をして、僕はゆっくり前を見る。

 ガラスの壁に張り付くようにして、リサが立っている。

 困惑したようなマーブルを混ぜ込んだ杏色。

 ――そもそもは、リサとの出会いから始まったのだと思う。

 虐められたって、生き辛くったって、とりあえず無難に一日一日が過ぎていたはずだった。

 何にも面白くない一日が、何日も何日も蓄積されて、いつの間にかそれなりの時間が過ぎて、僕はただ、ぼんやりと生きていれば良かった。最悪の事態だけは避けたいと、いずれ抜ける地獄だからと思っていれば良かった。


 なのに何だ。

 あれからどんどんおかしくなった。


 神の子だとか、竜の血を引いているとか、それが破壊竜で、僕は危険な存在だとか、命を狙われているだとか。封印されている力、恐ろしい力。

 僕が僕の意思で決められたことなんて、どれくらいあったろう。何もかもが気付いたら決定されていて、僕はただそれに従って、諦めて、苦しんで、泣いて、混乱して、……とうとう、人間を殺した。


「リサ……、君のせいだ」


 そうだ、リサのせいだ。


「君に会わなければこんなことにならなかった。何しに来たんだよ。僕を、地獄に落とすために来たのか? ……なぁ、リサ」


 僕はリサ目掛け、ズンズン進んだ。シバの制止も、ジークの制止も、グレッグ、ライナスの制止も振り切って、ガラスの壁に張り付いたリサに覆い被さるようにして、両手を付いた。

 リサは、僕の懐で震えている。


「用済みだ。君の力を借りなくても、僕は自分の力をコントロール出来るようになった。竜石で出来てるとか、記憶がどうのとか、そういうのからはもう解放されろよ。凌が作った? そんなのもう、どうでもいい」


 情緒が、めちゃくちゃだ。

 僕はもう、本格的に、ダメかも知れない。


「僕のことなんか忘れて、普通の女の子になれよ。――もう、誰も、僕に、優しくしないで」


 目頭が熱かった。

 ぼたぼたと零れ落ちる涙を、僕はどうすることも出来なかった。

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