10. 傷付ける
アリアナの心を、僕は酷く傷付けてしまった。
心にダメージを受けると、身体の傷より回復に時間がかかると聞いた事がある。僕が一本目の杭を壊してからひと月近く、アリアナは苦しんでいたことになる。
眠れなかったろうし、僕の事を思い出しただけでもパニックになったかも知れない。震え、呼吸困難、吐き気、食欲不振……、いろんな症状が出たに違いない。
そんなつもりは全然なくても、僕はこうやって他人をどんどん傷付けている。
――この前、二本目の杭の時はどうだったろう。あまり記憶がハッキリしない。
マスコミが面白がって中継していた。エアカーやエアバイクに乗って、竜化した僕の周囲をビュンビュン飛び交っていた。
……レグルノーラ中の人が、意図せず僕を見ただろう。おぞましい白い竜を見て、人間に襲いかかるのを見て、アリアナと同じように、たくさんの人が心を病んだだろう。
「今日はどうしてもタイガに会いにいくと聞かなくて、無理を押して来てくれたのです。アリアナのことはイザベラが見てくれていますから大丈夫です。話を続けましょう」
大丈夫なわけがない。
あんなアリアナの表情を見せられてから話を続けようだなんて、ウォルターらしからぬ言動だと思う。それとも、このくらいは序の口で、もっと悲惨なことになっているのだとしたら。
考えたくない。
胃が、キリキリする。
「こういうのも、隠してたんだ? ……教えてくれたって良かったのに」
ズボンを膝の辺りでギュッと握って、僕はなるべく誰の顔も見ないようにした。
見たくない。
見られたくない。
嫌な汗がドッと噴き出してきた。身体が、変に震え出す。
「教えるのは得策ではないと思っていました」
ウォルターの白い法衣が視界の前方に映り込む。
僕は肩を強ばらせ、顔を上げずに黙って耳を傾ける。
「貴殿が竜石柱を壊し始めたことで、たくさんの被害が出るのは最初から分かっていたことです。私達はなるべくその被害を最小限にとどめることを前提に、作戦を練りました。残念ながら、被害はゼロにはなりません。努力をしたところで、貴殿が自分で制御できない力に振り回されている状態では、ゼロにするのは絶対に難しい。それに、被害があった、犠牲者が出たという理由で作戦を止めることも出来ませんよね。前に進まなければならないのに、後ろを振り返ってばかりになって欲しくない。……皆、同じ考えです」
なるべく感情を乗せずに、ウォルターは淡々と想いの丈を僕に伝えてくる。
それが、ますます心にずっしりくる。
「ありがとう。僕は、何も知らなさすぎた。……本当はもっともっと、隠していることがあるんでしょ? 全部……、教えてよ。洗いざらい、全部、僕に教えて」
「しかし」
「いいんじゃないか、司祭。全部教えてやれば」
ジークが言った。
「これから先、こいつは何もかも壊してくんだ。いくら守りたいと思って動いても、その反動で周囲のものを次々と破壊してしまう。そういう力なんだよ、白い竜の力ってのは。今何が起こっているのかきちんと話してあげないと、逆に大河はもっともっと追い詰められていく。……例えば、古代神教会の敷地の周りにたくさんのマスコミが詰めかけていることや、連日メディアがこの前の白い竜の映像を垂れ流し、神の子の危険性について勝手に議論を進めていること。塔と教会の間である程度和解は進んだものの、相変わらずぎくしゃくした関係が続いてること、シバが五傑を抜けなければいけなかった理由も……、全部全部話してしまえばいいんだ」
……やっぱり、そんなことになってるんだと思った。
僕の記憶が混乱している間に、周囲は思ったよりも酷いことになっている。
全部、僕のせいだ。
誰かが傷つき、大切なものを失うのも、苦しくなるのも、辛くなるのも、混乱して社会全体が真っ黒い空気に支配されていくのも、全部全部全部、僕のせいってことじゃないか……!
「ジーク、あなたという人は」
「司祭、甘やかしてばかりじゃダメですよ。こいつは、暗黒魔法なんかで自分を見失っている場合じゃないんだから。自分と言う存在の恐ろしさを、もっともっと自覚しなくちゃならない」
僕は目を閉じ、頭を両手で押さえ込むようにして下を向いていた。
ジークの言う通り、僕は、全部知らなくちゃならない。
苦しい。
でも、本当に苦しいのは僕じゃない。
僕のせいで傷付いた大勢の人達の方なんだから。
息を整える。
逃げるな。
逃げるな逃げるな逃げるな逃げるな。
逃げたところで、何も変わらない。
これからは、被害をもっと少なく、もっと僕が強くなって、闇の力に負けないようにしなくちゃならないって、僕は何度も。
「……教えてください」
僕はゆっくりと頭を上げ、意を決して目を開ける。
恐怖の色、困惑の色、不安の色が充満している。
吐き気がするくらい、嫌な色。
「では先日、二本目の石柱を壊したときの被害状況については、私が説明いたしましょう」
グレッグが一歩前に出て話し始める。
僕は恐る恐る、目を見て彼の話を聞くことにした。
「人的被害に関して、まずお話しします。五傑の一人、ヴィンセントが死亡しています。死者はこの一名のみ。その他、重症から軽症まで、けが人は百二十八人。その他、報道機関によって全世界に中継されたことにより、心的ストレス、不安等、精神的なダメージを負ったと疑われる人は一万人を超えていると医師会から発表がありました。次に、建物、インフラ等の被害についてです。建物の倒壊、半壊、一部損壊は、九十三棟。道路の陥没、交通公共交通機関の混乱、またそれによって生じた損害の賠償額も合わせて、被害総額は一億ディルを超えたとの報道発表がありました。あれだけ暴れまわって、死者を一名に抑えられたこと、最終的な損害がこの程度に収まった事は幸いだと思っています。ただ……、そう思っているのは、我々関係者だけだということを念頭に置いてく必要があります」
グレッグは抑揚なく、事実のみを羅列していた。
僕は何も言えず、ただじっと彼を見つめている。
「五傑の一人を失った責任は自分にあると、シバが塔を離れました。五傑のうち二人が抜けたため、塔は五傑候補を選定中とのことです。力によって支配してきた塔の力は、急激に弱まりました。信頼と権威回復のため、塔の魔女が中心となって体制の立て直しを図っている最中だと聞きます。一方、教会は、危険な白い竜である神の子を匿っていたとして、世間から再び厳しい目を向けられるようになりました。ウォルター司祭が速やかに全世界に向け記者会見を行いましたが、事態は好転するどころか悪い方へと転がってしまいました。神の子排除の動きが、レグルノーラ全域に広がっています。各地でデモが起き、その鎮圧のために市民部隊が導入されました。教会周辺がデモ隊に囲まれ、報道機関が詰めかけるようになると、神教騎士団の私達も教会の警備に当たる必要が出てきました。本数が減ったとは言え、石柱周囲の警備にあたる騎士団員が不足する事態に発展しています。ゆゆしきことです。どうにか市民部隊の力を借りられるようにはなりましたが、白熱する神の子排除運動の鎮圧には至らず、事態の収拾の見込みは立っていません」
「……グレッグ、ありがとうございます。大河、これが今レグルノーラで起きている混乱の概況です」
――グレッグの記憶が見えた。
押し寄せる人の波、混乱した人々、崩れた家、傷付いた大勢の人達。
僕は僕でなくなっていたし、塔も塔でめちゃくちゃだった。
「ハハ。まだ、二本目だよ……」
まるで頭の上から大きな鉄球が降ってきたみたいだった。
何だこれ。
何だこれ何だこれ何だこれ……!!
「竜化した、僕が悪い」
僕はポツリと言った
「ヴィンセントって、あの赤い髪の、生意気なヤツだよね。僕のこと挑発して、嫌なことをいっぱい浴びせてきたあいつ。……そうか、あいつ、僕に握り潰されて、死んだんだ」
ウォルターは、そうですねと小さく返した。
「そうか、そうなんだ。僕はついに殺してしまったってことか。人間を、この手で殺してしまったってことか。ハハッ。ハハハ……ッ」
力が、全部抜けた。
頭の中が、……真っ白だ。
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