9. 塔の魔女と白い竜
転移魔法で部屋に戻ると、まだウォルターが中にいた。
「ほら、少しの間だけだったろ?」
ウォルターは酷く困ったような顔をして、僕を見た。
「会議室に……、行ったのですか?」
「行ったよ。レンとジークがいた。杭の位置を確かめたかったんだ。みんなは知ってたの? あの杭を全部繋ぐと、魔法陣になる」
ウォルターの象牙色に不安の色が差す。
「あれ、凌の魔法陣だろ。二人にも言ったけど、やっぱり杭は凌の仕業に違いなかった。隠してたのか、言えなかったのか。どちらにしても、こういう大事なことは、きちんと教えてくれないと困るから」
「……なるほど。何か法則性があるのではないかとは思っていましたが、そういうことだったのですね。何となくは気づいていましたが、そういう意味があるとまでは気付きませんでした。大変失礼しました」
ウォルターは、わかりやすくしらばっくれた。
僕はウォルターに一瞥をくれて、定位置になりつつあるベッドの縁に腰を下ろした。
「言っとくけど、怒ってる訳じゃない。困ってる。リアレイトも大変なことになってるようだし、期限を過ぎて杭が元に戻るようなことになれば、もっと悲惨なことになる。出来るだけ早期に解決するためにも、隠したりしないで、きちんと情報を提示して欲しい。……資料、よろしく頼むね。自分で探しに行けば簡単だけど、そういうわけにもいかないのは、分かってるつもりだから」
「タイガ、貴殿は本当は……」
ウォルターは何かを言いかけた。
「いえ、何でもありません。探してみます。今日はゆっくりしてください。少しでも、気が休まりますよう」
「ありがとう」
「では」
*
確か、リアレイトでは木曜だったと言った。
普通に考えて、休みの日に雷斗は僕を呼ぶだろう。ということは、来澄の家に行くのは土曜。
出来れば土曜までに全部用事を済ませたい。
来澄の家に行くこと、薫子の父と会うこと。そうすればもう、リアレイトには行かなくても良くなる。
それまで合間を縫って、書斎にある父さんのメモを読み尽くす。僕が知らなかったことが分かりやすく纏めてあるのが一番助かる。父さんのただの趣味が、いつの間にか僕の役に立つわけだから、きっと悪い気はしないはずだ。
父さんには悪いけど、纏めて取った有休と夏休みは、リアレイトで過ごすためじゃなくて、杭を壊す僕を止めるために使って貰うことになるかも知れない。
困った顔をするだろうと思う。
危ないことはしないでと言った母さんにも申し訳ない。
けれど、僕は出来るだけ早急に、全ての杭を壊さなくちゃならない。
また、僕は僕でなくなるかも知れない。
怖い。
逃げたい。
だけどもう、後戻りも、逃げることも出来ない。
僕自身の意思で何かを決めることすらもう、許されてはいないんだ。
・・・・・
僕はまだ、あの町にいた。
白い塔の建設は続いている。
魔女に捕らえられたはずの僕が何食わぬ顔で戻ってくると、連れの男は青い顔をして、
『白い竜じゃなかったのか?』
と訊いてきた。
『何のことだか分からないな』
白い狩人ウーが白い竜なのではないかという噂は町じゅうに広がっていたが、塔の魔女が解放したことで疑いが晴れる結果となったのは幸いだった。
『彼女のお話相手になるよう、お願いされたんだ。塔の魔女は自由に旅に出ることが出来ないから、いろんなところへ行ったことのある僕に、話を聞かせて欲しいって』
もっともらしく話すと、男は黙りこくった。
実際、話し相手というのは本当のこと。僕は経験豊かな旅人として塔の魔女のお話相手に正式に任ぜられたのだ。
話をするときは、決まって二人きり。魔女が結界魔法を張り、僕と内緒の話をする。
『永遠の孤独を生きてきた貴方の話を、もっと聞かせて欲しい』
彼女はそう言った。
僕は今まで誰にも話してこなかったことを、少しずつ魔女に話した。
魔女はただじっと、僕の話を聞く。時折相づちを打ち、時折涙ぐみながら、おぞましい話も、苦しくて胸が詰まりそうな話も、全部聞いた。
『もっと、恐ろしい存在だと思っていました』
彼女は言った。
『白い半竜の神の話を聞いたことは?』
『この世界を創ったという……』
『創造神レグルは、白い半竜だったと聞きます。貴方と同じ、白い鱗。何か、関係が?』
『いや』
僕は首を横に振る。
『何も』
塔は徐々に高くなった。
やがて竜の背よりも高く、遙か天に届くのではないかと思う程高くなった。
塔の魔女はその天辺に居を設け、僕を招いた。
『ここに、悪魔を祓う者が揃えば、儀式が行える。私も全力で探します。貴方も探してくださいませんか』
僕は首を振らなかった。
『何年後に見つかるのかも分からない。もしかしたら、私の代ではないかも知れない。ずっとずっと先、私達が想像できないくらい先の時代に現れるのかも知れない。――これから先、塔の魔女となる乙女達にも、このことを伝えていくつもりです。どうか貴方も、覚えていてくださいませんか?』
魔女は長い金髪を揺らし、優しそうな翡翠色の瞳で僕を見る。
『いつの日にか、世界があるべき姿へと変わっていくために。……約束です』
・・・・・
翌日、朝からガラス張りの部屋に関係者が詰めかけてきた。
一通り身支度を終えた僕は、無言で彼らを招き入れた。皆一様に、不安の色を濃くしている。
「まずはお帰りなさい、タイガ。どうやら自分を取り戻したというのは本当らしいわね」
ビビがピリピリしながら言った。
「ただ、何か様子がおかしいみたい。最初に目覚めたときと、今と、まるで別人みたいな。気のせいかしら」
僕はプッと嗤う。
「気のせいだよ。僕はずっと僕のままなのに。勝手に別人って決めつけるの、どうかと思うな」
「そうやって、人を小馬鹿にしたような言い方、やめなさい」
「どう受け取られたって構わないよ。ところで、色々話があるんでしょ。でなきゃ、こんなに人が集まらない。……まさか、今のが本題だった? 僕が誰なのか、まだ気になるの?」
ハァと、ビビは大きく息をついた。
「出来るだけ冷静に話をしたいの。いいかしら」
「いいよ。僕も、聞きたいことがある」
ベッドの縁に腰掛けた僕を囲むように、大人達が配置する。
ビビ、フィル、レン、ウォルター、イザベラ、グレッグ、ライナス。ジーク、リサ、それからシバとアリアナの姿もある。ノエルは休養中か。僕が囓った傷が、まだ治ってないらしい。
「昨日、転移魔法で部屋を抜け出して、会議室に現れたそうじゃない」
と、ビビ。
腕組みをして、僕を上から睨んでいる。
「行ったよ。でも直ぐに戻った」
「魔法を使ったり、急激な魔力値の変化があれば警報が鳴る仕組みだったのに、監視室では感知できなかった。どうして?」
「どうしてって。極限まで力を抑えて、必要最低限の力だけで魔法を瞬間的に発動したからだと思う。装置が故障したわけじゃないと思うから、安心して」
「安心できません。君の力は、干渉を始める直前まで、自分でコントロール出来る感じじゃなかったはずよね。どうやって押さえ込めば良いのか分からず、リサの魔法にプラスして、制御装置の強化まで行ったのよ。それでもまだ不安だったのに、どうして急に出来るようになったの」
なるほど。
転移魔法は今のところお咎めなしか。
ウォルターが許可したことは監視室でも耳にしていただろうし、責任を負わせないつもりのようだ。
「ジークとレンには言ったんだけど。記憶の中で白い竜がやっていたことを真似たんだ。あいつ、竜の気配も力も全部封じ込めて、人間社会に美味く紛れていたから。あいつに出来て僕に出来ないわけがない。やってみたら出来たんだ。あいつに出来ることは大抵、僕にも出来ることが分かってる。凌の目論見通り、僕は少しずつ破壊竜に近付いてるってこと」
「破壊竜になられたら困るのよ」
「無理だね。回避する手立てがない」
「石柱を壊す度に、暗黒魔法を浴びるから?」
「分かってるじゃないか。そうだよ。怖がって破壊しなければ、大地が裂ける。破壊すれば僕が破壊竜に近付く。どっちにしたって破滅の道だ。……だけど、全部壊して、僕がドレグ・ルゴラと同等か、それ以上の力を手に入れたら、あいつを倒すことが出来るかも知れない。聞かなくても分かってるクセに、同じ質問を何度も何度も。暇なの?」
ちょっと睨み付けてやると、ビビはブルッと震え上がってよろめいた。
見ていられなかったのか、ウォルターが前に出て、ビビを後ろに下がらせた。
「気を害してしまいましたね。話題を変えましょう。かの竜の記憶は、まだ見えているのですか?」
「見えてる。寝てる間はずっと」
「夢の中で、何か変わった出来事があったのですか? 急に、塔の魔女について調べて欲しいなどと」
ウォルターは僕の前に屈み、目線を低くして話を聞いてくる。
少し安心する。
「塔が出来たんだ。白い塔だった。今残ってる現代的な塔じゃなくて、竜石を練り込んだ石壁の、白い塔。そこで、塔の魔女と話していた。多分、初代だと思う」
「かの竜が、塔の魔女と?」
まさかと、皆が顔を見合わせる。
そりゃ、誰だっておかしいと思う。
僕も、妙だと思った。
けれど理由さえ分かれば、納得もする。
「歴代の塔の魔女は、もしかしたら白い竜と接点を持っていたんじゃないかと。記憶は時系列順に再生されるから、ゆっくり確かめるわけにはいかないんだ」
「――ディアナに聞いてみれば分かるかも知れない」
口を挟んできたのはシバだった。
「ローラが塔の魔女になったのは、戦いの終盤だった。それ以前はディアナが長い間塔の魔女を務めていた。聞いてみる価値はあると思う」
「魔法学校にアポイントを取って、校長に会えってことか」
ジークは簡単に言ったが、現実問題、それが一番難しいところ。
魔法学校は塔の監視下にあったはずだ。つまり、教会関係者が行くのは憚られる。
とすれば……。
「わ、私が聞きに行く」
アリアナが、後ろの方で恐る恐る手を上げていた。
しばらくの間姿を見せなかったアリアナは、少し痩せたように見える。
竜の気配も力もだいぶ押さえているのに、アリアナには分かるのだろうか。一人だけ、恐怖の色がかなり濃い。顔色も悪すぎる。
「ご、ごめんなさい……。タイガの顔、怖くて、まともに見れない。前と違いすぎて、ビビじゃないけど……、ごめん、ダメ、やっぱり。……こんな、こんな顔をする子じゃなかったのに。どうして」
僕は顔を伏せた。
少し見えてしまった。一つめの杭を壊したとき、ノエルを襲った僕を間近で見たのが、完全にトラウマになってしまっている。
ゴメン。
僕はあの時より、もっと凶暴になってる。
傍らでイザベラがアリアナの肩を擦っていた。あんなに快活だったアリアナが、前のめりに僕に興味を持っていたアリアナが、……僕を、恐れてる。
「タイガのせいじゃないのは分かってる。苦しんでるのも。……力になりたいのに、なれない。だからせめて、出来ることを。私が、ディアナ校長に、話を聞きに行く」
「ありがとう、アリアナ。……怖がらせて、ゴメン」
なんと声を掛けたら良いのか。
「アリアナ、頑張りましたね。外に出ましょう」
イザベラが肩を抱くようにして、アリアナと部屋を出ていった。
最悪だ。
酷い言葉を投げ付けてくれた方が良かったのに。
……嫌いになってくれた方が良かったのに。
なんでまだ、力になりたいなんて言うんだよ。
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