5. 弱点

 戻ってきた。

 ガラス張りの部屋。

 ベッドの縁に腰掛けたまま、僕は汗だくで、肩で息をしていた。


「大丈夫ですか、タイガ」


 顔を上げる。

 白い修道服。


「イザベラ。他のみんなは」


 僕とイザベラだけが部屋の中にいる。

 さっきまで目の前にあった椅子の一つを入り口ドアの直ぐそばに置いて、イザベラが本を読みながら僕を見守ってくれていたようだ。

 見たところ、特に散らかった様子もない。

 薫子に撃たれて血だらけになったはずだが、こちら側に影響が及ぶ前に治療したのが幸いしたんだろうか、傷跡もない。


「お二人とも先に干渉を終えて戻ってきています。ジークは仕事があると言って戻ったようですけど、もう一度行かなくてはならないと言っていました。リサは、少し疲れたと宿舎の方で横になっていますよ」


 時間があべこべなのか。

 陣が戻って、もう一度現れたのは夕方だった。部屋の機器に表示されている時間を見ると、まだ昼前。干渉時間は同時並行に進んでいるようで、そうでもない。

 干渉している間、僕ら干渉者は、もう一つの世界でも普通に時間が流れているように感じている。けれど実際のところは、向こうでの数時間はこっちでは数分に過ぎなくて、偶にこうやって、あっちとこっち、干渉者間で時間のズレが発生する。

 ジークはこのあと、昼の時間を過ぎてから陣の姿になって僕に会いに行く。そして薫子と合流する。僕は薫子と喫茶店に入り、陣は待ちぼうけを食らうことになる。

 今の僕は既に向こうで夕方までの時間を終えている。

 ジークはこれから。

 さっき家に迎えに来た陣は、空き時間を利用して仕事をしていたと言っていた。あの時の陣は、僕の昼過ぎまでの行動を知っていた。ビビがレン辺りに数値を聞いて、帰ってきた僕の様子を見て、何かを察知した。

 だから言ったんだ。



――『嘘だな。知ってるくせに。向こうじゃ何も起きてないって』


 

 知ってたわけないだろ。

 何かそう見えてしまう動きを、このあと僕がしてしまうのかも知れないけど。


「タイガ……、本当に、タイガ……なのですね?」


 本を閉じて膝の上に置き、イザベラが僕をじっと見ている。

 桜鼠色が少し濁る。


「記憶、戻った。ショック療法? リアレイトに行った途端、何かが降りてきた。心配掛けてゴメン。注意していたはずなのに」


 額の汗を腕で拭いながら、イザベラに謝った。

 イザベラだけじゃなくて、本当はいろんな人に謝らなくちゃならない。

 記憶が混乱していたとは言え、あまりにもいろんな人を傷つけてしまった。


「戻ってきてくれて、本当に良かった。待っていましたよ。久しぶりの干渉は疲れたでしょう」

「そうだね。かなり……、無理したかな。干渉が成功するのかも分からなかったのに、みんな、スケジュール詰め込みすぎなんだよ」

「シバから聞いています。特に奥様が随分楽しみにしていたと。もし何も思い出せなくても、好きな物を食べたら思い出すかも知れないと、随分たくさんご用意なさっていたようですね。どうでしたか? 久しぶりのリアレイトは」


 イザベラは立ち上がり、ベッド脇の棚に置いていたタオルを僕にくれた。

 ありがたく頂戴し、顔と首の汗を満遍なく拭く。けど、汗は止めどなく出て、シャワーが欲しくなった。


「良かったよ。どうにか壊さずに済んでホッとしてる」

「あれだけ準備して、力を吸い取り続けても不安でしたか?」

「不安だよ。怖かった。暴走したら大変だと思って、必死に制御した」

「頑張りましたね。実は途中から、機械の出力を徐々に減らしていたようですよ。タイガが、自分で力を調節していたんです」

「……! そうだったんだ。無意識に、力を抑えなきゃと思ったのかな。壊したくないし、傷付けたくなかったから」

「大切なものを守りたいと思う心がそうさせたのかも知れません。いい兆候です」

「……だね」


 力の制御は最大の課題。

 記憶を取り戻し、守りたいものがハッキリしたことで、制御装置にも頼らなくて良くなって来たってこと?

 完璧にこなせるようになれば、地下生活からの脱出も可能かも。


「可能なら、シャワー浴びて、ちょっと寝たい。結構疲れてて」

「勿論。ゆっくりおやすみください。私はこれで」


 イザベラが部屋を出る。

 ガラス張りの部屋に、僕だけが残る。

 記憶の断片を書きまくった付箋が、ガラスの内側に貼りっぱなしだった。

 走り書きだけど、どこで習った訳でもないレグル語で書かれているのが妙に気持ち悪い。

 ――本当は、寝るのも怖い。

 睡眠と同時に、僕はまた名前のない白い竜になる。かの竜の目線で展開されていく記憶は、僕の精神を壊していく。

 寝ている時くらい力を抜きたいのに、それすら許されないなんて、誰がこの苦しみを分かってくれるだろう。











      ・・・・・











 大きな町にいる。

 市が立ち賑わう町の中を、名前のない白い竜の中に入り込んだ僕は、旅人姿で歩いていた。

 腰に剣を差し、肩と背中に荷物を背負って、薄汚れた生成りの服とマントに身を包む。ブーツの底はかなりすり減っている。随分長い間愛用しているらしい。

 完全に、人間社会に溶け込んでいる。

 恐ろしいくらいに巨大な力を秘めているのに、殺気も、気配すら、その辺にいる人間と変わらないらしい。誰ひとり、僕の存在に疑問を感じていない。

 そのくせ、腹が減ったら躊躇なく人間を食うのだ。

 これが、名前のない白い竜の凄まじいところ。経験値が全然違う。

 が……、こいつに出来るならば、僕にも出来るはずだ。今までも、そうだったんだから。


『ウー、こんなところにいたのか』


 声をかけられ振り返ると、似たような格好をした旅人がいた。

 そいつは僕とともに、ここ半月ほど行動している男だった。ひょろ長で痩せっぽちの僕とはまるで違う、背の高い体格の良い男。

 この頃僕は、“ウー”と名乗っていた。リアレイトのどこかの国で、“無”を意味する言葉だった。


『いいものがあるんだ。こっちに来いよ』


 彼は僕にやたらと馴れ馴れしかった。

 何故一緒に行動しているのかさえ、僕には心当たりもない。


『なんだよ。新しい武器か? それとも、美味い食い物か?』


 僕が聞くとそいつは笑って、


『他の町じゃ、なかなか手に入らない貴重なものだ。せっかくだから、買っていかないか』


 と言う。

 彼はもの凄く勿体ぶって、それが何なのか、すぐには教えてくれなかった。

 仕方なしに付いていくと、彼はとある店の奥に僕を案内した。

 武器屋でも防具屋でも、道具屋でもなかった。食べ物屋ですらなかった。

 店の奥にひっそりと陳列されていたのは、色とりどりの、小さな石の山だった。


『なんだこれ』

『竜石だよ。知らないのか、貴重品だぞ?』

『竜石?』

『竜の死骸が溶けて出来た石らしい。握り拳くらいの石だと、ひと月生活できる程の金が必要だが、手の中に収まる位の石なら、数日分の食費で買える。お前も買っとけよ』


 白い竜である僕に竜石を買わせようとするなんて、とんでもない。

 僕の正体を知らない彼は、品定めをしながら僕に石を勧める。

 竜石は、竜の力を吸い取る。名前のない白い竜は、このことを知っているのかどうか。なかなか石の山に手を出そうとしない。


『飯代が勿体ないか? ウー。白い竜に食われるよりはマシだろうに』

『白い竜に? どういうことだ』

『竜除けだよ。元々竜石は、竜騎兵共が竜を飼い慣らすために使ってたんだ。こいつを身につけていると、竜は石に力を吸われて少し弱くなる。すると、人間の言うことも聞くようになる。要するに、竜は竜石が苦手なのさ』


 ……なるほど。

 確かに、苦手だった。

 塔の魔女に無理矢理埋め込まれた竜石も、暗黒魔法の詰まった竜石も、好きからはほど遠い存在だ。


『持っていれば、人食い竜も寄ってこないってんで、大人気商品なんだ。買っといた方がいいぞ? ウーは美味そうには見えないが、血に飢えた白い竜は、老若男女見境無しに食うらしいからな。何色がいい? お前のその目と同じ、赤なんかどうだ? 透き通って綺麗だろ? それにしても、竜が溶けたらどうしてこんな石が出来るのかねぇ』


 ほらよと、そいつは僕に赤い竜石を差し出してきた。

 キラキラと外の光を反射させて輝く石を、僕はなかなか受け取れない。

 じっと見ていると、それだけで寒気がしてくるのだ。


『どうした? ウー。触ったら買わなくちゃいけないわけじゃない。品定めだよ。どんなもんか触ってみないと、買うに買えんだろうが』


 竜石を触ろうとしない僕を、だんだん彼は不審に思ってきたらしい。

 首を傾げ、『様子がおかしいぞ、ウー』と、僕を下から覗きこもうとする。


『こ、こんな石に数日分の食費を払うなんて、バカげてる』


 僕は誤魔化したが、声は震えていた。


『バカげてるなんて思わないで、買っといた方がいい。白い竜はいつどこに現れるか知れない怪物だぞ? この石一つで身が守れるなら、安いもんじゃないか。それともアレか? まさかウー、お前も竜と同じで、竜石が苦手だとか? んな訳ないよな』


 ガハハとそいつは笑う。

 僕は顔を引きつらせる。


『りゅ、竜石ね。苦手なわけないだろ』

『数々のギルドを渡り歩く“白い狩人ウー”の弱点が竜石だったら大笑いだぜ。ほら、触ってみろよ』


 ゴクリと、唾を飲み込んだ。

 汗が、尋常じゃないくらい身体中から溢れ出ている。

 力を吸い取られる。触りたくない。

 だが、触らないと疑われる。

 僕はそうっと、そいつの差し出した赤い竜石に手を伸ばす。

 ――バチバチッ!

 電気が走ったような衝撃。

 差し出された竜石が床に転がり落ちる。


『おいおいおい、魔法で弾くなよ。何やって……』


 震えが、止まらない。

 肩で息をする。

 あんまりだ。不審すぎる。

 拾わないと。

 僕は身を屈め、恐る恐る落ちた竜石に手を伸ばした。

 大丈夫だ。触れる、触れる……。

 ようやく石を手にした。大丈夫、変な反応はしない。さっきのは一体……。


『ほら、大丈夫。怖いわけじゃない。ちょっと、体調が悪くて』


 身体を起こし、手のひらを上に向けて、拾った石をそいつに見せた。

 見せようとした。


『砕けてる』


 僕の手の中で、赤い竜石は粉々に砕けていた。

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