4. 本心

 僕の言葉に、雷斗は我慢出来なかった。

 右手で胸ぐらを掴んだまま、僕を仰向けに押し倒して馬乗りになった。

 ドッと大きな音がした。

 雷斗の膝が床に散ったポテチを砕き、飲みかけのグラスを倒した。僅かに残ったコーラが零れる。

 床に頭を強く打った。振動で少し、視界がぶれた。


「褒めるわけねぇだろ。美桜叔母さんがそんなの、褒めるわけねぇだろ!」


 雷斗の瑠璃色に怒りの色が混じった。

 困惑と、警戒の色もグルグルと混ざり始めている。


「凌叔父さんがどんな気持ちでお前をシバに預けたのか、叔母さんがどんな気持ちで凌叔父さんと大河を見守ってきたか、ちょっと考えれば分かることだろ! こんな不毛な戦い、誰も望んでない。それしか方法がないからって、それに従う道理なんてない。他にも方法があるかも知れないとか、出来るだけ犠牲を少なくとか、何かあるだろ。追い詰められておかしくなったのか。お前、三年前はもうちょっと」

「ちょっと、何だよ」


 僕に覆い被さった雷斗は、蛍光灯の明かりを背に、苦しそうな表情を見せている。

 幻滅したに違いない。

 僕は、もうかつての僕じゃない。

 雷斗の左手が握り拳を作って、わなわなと震えているのが見えた。

 直ぐにでも殴りかかればいいのに。雷斗は自分の正義と湧き上がる衝動の中で揺れている。


「どんなに藻掻いても、結果は変わらない。僕には、雷斗のように未来を選ぶ権利はなかった。殴れよ。罵れよ。君がそれで満足するなら、そうすればいい」


 雷斗はその握り拳を、思いっきり床に打ち付けた。

 鈍い音が響いた。

 そのまま、雷斗は崩れ落ち、僕の胸に顔をうずめた。


「……なんでだよ」


 僕の胸ぐらを、雷斗は更に強く掴む。


「獣みたいな目ぇしやがって。牙も生えてる。空間の歪みが、まともじゃない。吐き気がする。弱いままでいろよ。化け物になんかなるなよ。もっと話をしようぜ。普通じゃなくったっていい。一対一でさ、魂が熱くなるような話を」


 雷斗の吐息が、熱い。

 泣いているのか、胸の辺りがじんわりと濡れてきた気がする。


「僕のことは、忘れて欲しい」


 ビクッと、雷斗の身体が反応する。


「頼まれたこと、みんなが勝手に約束したことは、仕方ない、付き合うよ。来澄の家に行く。家族と会う。芳野の家に行く。薫子の親と会う。やることはやる。だけどその後は、僕のことは忘れて欲しい。……無理だ。これ以上、リアレイトに干渉するのは、無理だ」


 ゆっくりと雷斗が身体を持ち上げ、僕を見た。

 僕はなるたけ雷斗から目をそらし、天井に目をやった。

 目尻を、何かの液体がつうと伝う。


「相当、押さえてる。我慢してる。気を抜いたら、雷斗を襲うかも知れない。食うかも知れない。僕はそういう危険な存在になった。凌の気持ちが痛い程分かる。あいつ最後に、お礼参りしてたんだ」

「お礼……、参り?」

「世話になった人達を訪ね歩いて、何事もなかったかのように近況報告して、去ってくんだ。親戚、学生時代の友達、恩師、会社の人、実家の近所。一人一人に、美桜と僕を連れて挨拶に行った。僕は、いじめられてたし、行動範囲も狭かったから、行くとこはあんまりないけどね。雷斗に会えて、本当に良かった」

「何……、言ってんだ。これからだろ。これからもっと会えるし、もっとぶつかり合える」


 困惑の色。

 雷斗の息は荒い。


「僕は、いなかった。この世界には、最初から存在しなかった」

「違う! 違うだろ。やめろよ。何考えてんだよ。忘れねぇぞオレは! 絶対、忘れねぇ!」

「忘れた方がいい。僕のことも、出来れば、レグルノーラのことも」

「そ……、そんなこと、絶対に出来ないって分かってて。分かってて、どうしてそんなこと言うんだよ、大河」

「本心だよ。君は、僕のことを忘れるべきだ」

「本心な訳あるか!! だったら大河、お前どうして」


 雷斗が震えているのだと思っていた。

 僕が訳の分からないことを言うから、雷斗が怒りと憤りで震えているのかと。

 馬乗りになって、僕の胸ぐらを掴んで、ガタガタと肩を震わせ、歯を食いしばって。その震えが伝っているのだと。


「――どうしてそんな、苦しそうな顔して泣くんだよ」


 我慢していたはずなのに、涙は止めどなく流れて、僕の顔をぐちゃぐちゃにした。

 身体中の震えが止まらなかった。

 覆い被さった雷斗の体重が、やけに、心地いい。


「強がるな。悪ぶるな。バカか……!!」

「バカでいいよ。別に」


 雷斗は馬乗りになったまま、僕をギュッと抱き締めた。

 父さんにハグされたときとはまた違う、妙な満足感が、そこにあった。


「大河の力が、あの時より更にヤバくなってるって話は、シバに聞いてる。その気になれば町を一つ二つ破壊できるだろうとか、見境無しに人間を襲うかも知れないとか、そういうことも耳にしてる。本当は、誰も傷つけたくないくせに。虚勢張りやがって。お前、バカか」


 力みすぎた雷斗の腕に、胸が圧迫される。


「はは。雷斗には敵わないね。だけど、忘れて欲しいのは本心だから」

「まだ言うか、この……!」

「苦しいって。わざと締めてるだろ」

「わざとだよ。――クソ、暑苦しい!」


 ガバッと、雷斗は起き上がって僕から離れ、額の汗を拭った。

 僕もいそいそと上体を起こして、ふぅとため息をついた。


「抱きつくのは女だけにしといた方がいいな、むさ苦しい。大河、思いの外がたい良いし、何か……、獣臭い」

「え? 嘘っ?! 臭いする?!」

「しないけど」

「しないのかよ……」


 うっかり臭いを確認してしまった。

 雷斗の特性、空気の歪みで力を感じるとか、そういうヤツだったはずなのに。

 釣られた。


「昼間、こっちで竜化しただろ」


 あぐらを掻き直し、粉々になったポテチをズボンから払い落として、雷斗は僕に言った。


「巨大な歪みが波のようになって押し寄せてきた。あそこの河川敷からウチの高校まで二キロ近くあるのに、直ぐそばに巨大な何かが現れたかのような歪みだった。その辺で現れる悪魔なんて一瞬で吹き飛ばされるくらいの、巨大な力の波だった。絶対大河だと思った。授業、抜けたくて仕方なかったけど、時期も時期だし、必死に耐えた。学校終わって直ぐ、魔法ですっ飛んできた。普段は魔法なんて殆ど使わないんだ。お前の言うとおり、悪魔討伐にも参加してない。そんなことより大事なことって、自分に言い聞かせてたから。だけど今日のは、我慢できなかった。大河が戻ってきたのは嬉しい。でも、明らかに何かが違うって分かったから。会って確かめたかった。で、会ったらコレだ。世話が焼ける」


 食えなくなったポテチを広げたパッケージの上に戻しながら、僕は雷斗の話を聞く。

 せっかく気を遣ってくれたのに、部屋を汚した。

 母さんに叱られるかも知れない。


「石柱は、オレも見た。ぶっ壊す度にお前がどんどん破壊竜に近付く話も聞いてる。きっと大河は、信じられないくらいの苦しみを味わってるんだと思う。オレの受験勉強なんか、全然苦しくない。比べるもんじゃないけど。だからって、身代わりにもなれないし、お前の苦しみはオレには分からない。大河だって、分かって貰おうなんて思わないだろ。オレが親父とぶつかってたときに感じてた生き辛さが誰にも理解できないように、大河の苦しみはオレには分からない。分かるわけがない。分かりっこない。分かったフリをする方が失礼だと思う」


 雷斗は転げたグラスをたぐり寄せ、零れたコーラを持っていたハンカチでサッと拭いた。

 糖分でちょっとベトベトしているのを気にして、ティッシュも取り出し、念入りに何回か拭く。


「凌叔父さんを殺さなくても世界を救う道があるなら、そうして欲しいと思うけど。無理――、なんだろうな。叔父さんも覚悟の上で、大河に託したんだと思うし。オレは完全に部外者だ。無責任に言うしか能がない。何の手助けも出来ない。非力で、役立たずだ」

「雷斗は役立たずじゃない。僕の猿芝居を怒鳴りつけてくれる、貴重な存在だから」

「……ああいうの、やめろよ。わざとやるにも、リスクが大きすぎる。孤立するぞ」


 ふと、手が透けているのに気付く。

 手の向こう側に、雷斗の身体が透けて見える。


「時間だ」

「おい、大河!」


 雷斗が前のめりになって、僕を覗き込んだ。

 そしてギョッとした。


「透けてる」

「悪い。戻る。母さんに謝っといて。部屋、散らかしたって」

「え? オレが?」

「連続して干渉しすぎた。戻るよ。日程調整、頼むから」

「待てよ大河!」

「ゴメン、ダメだ。もう、時間が」


 視界が暗くなる。

 どんどん身体が消えていく。

 具現化された身体が粉々になって、レグルノーラの、僕の本体へ――。

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