【21】次の杭を壊す前に
1. 二人きりで
薫子の通う中学の直ぐ側に、小さな公園がある。
陣はいつもその公園の木陰に転移し、何食わぬ顔で校門の前まで歩いて行って薫子を待つらしい。
僕の学区の隣にある、私立の中学。あそこに通う連中は、区立中学に通う僕らとはどこか一線を画していた。難関高校受験の名門。気品が高く、頭も良さそうで近寄りがたかった。
校門脇の塀の前で、陣と一緒に薫子を待つ。
三時を過ぎてしばらくすると、校舎から出てきた中学生達が校門を抜け、帰宅の途につき始めた。
通りがかりにやたらチラチラと僕の方を見て、興味津々に濃い黄色をまき散らしていく。こういうとき、どういう顔をしたら良いのか分からない。
陣の方を見ると、素知らぬ顔でスマホを弄っていた。羨ましい。僕のスマホは、“穴”に飛び込む前に父さんに返したのだ。恐らく解約されている。
仕方なしに関心のない振りをして、軽く目を閉じ、腕組みをして塀に寄りかかった。
「大河! 郁馬!」
呼ばれて目を開けると、薫子が大きく手を振りながらやって来るところだった。
一緒に歩いてきた薫子の女友達が、
「え? 薫子、イケメン増えてるじゃん!」
「うそうそ。ホントだ! 薫子の彼氏? どこで知り合ったの?」
などと、変なことを口走っている。
薫子は口元に手を当て、顔をニヤニヤさせていた。
「やだなぁ。親戚のお兄さんだよ! うふふ。じゃあ、また明日ね~!」
軽く手を振って友達と別れ、僕らの方に歩いてくる薫子は、昼に会ったときよりも鮮やかな茜色を漂わせている。
陣はスマホをポケットにしまい、数歩前に出て薫子に軽く手を振った。
「おかえり、薫子。約束通り、連れてきたぞ」
「ありがと、郁馬。ちゃんと学校行ったから、ご褒美になんか奢ってよ」
奢って。
まさかのわがまま発言に、僕はすっかり面食らった。
凄いな。遠慮なく堂々と奢って貰おうとしてる。どういう育ち方をしたらこんな風になるんだ。
「奢ると長くなるだろ? 大河は久々の干渉で疲れてるんだから、サクッと終わらせないと」
「この前食べたクリームソーダ! あの喫茶店、ケーキも美味しいじゃん。大河と食べたい」
薫子は陣の話を聞こうともしない。
「学校帰りに寄り道しても良いの?」
僕が尋ねると、
「いいのいいの。大人と一緒だから!」
……などと。なるほど、それもあって陣は大人の格好で薫子と会ってるのか。
僕らの時みたいに中学生の姿だと、堂々と奢って貰えない。
「大河はクリームソーダ好き?」
「嫌いな人はいないと思うけど」
「じゃ、決まり! 郁馬、早く早く!」
薫子は重たい荷物をそっくり陣に渡し、陣は陣でナチュラルにそれを受け取った。
身軽になった薫子は、塀に寄りかかったままの僕を引っ張って、そのまま無理矢理腕を絡めてくる。
校門を出て直ぐの場所、一段と濃い黄色があちこちで立ち上っているのが見えて、ハラハラしてしまう。
「薫子、くっつきすぎ」
「良いじゃん、別に。親戚の、大河お兄ちゃん……!」
セリフと全く合っていない、女子中学生とは思えない力で腕を締められた。
親戚のお兄さん……。まぁ、そうなんだけど。
*
住宅街の片隅にある、昭和レトロな雰囲気の良い喫茶店。
薫子は店に入ろうとする陣を止めた。
「大河と二人きりがいい」
陣は面食らって、目をぱちくりさせている。
「何言ってんの。お金出すの、僕だよ?」
「三十分後、会計しに来てよ。それまで大河と二人きりがいい」
「ハァ?!」
凄い。
思っていたより数倍わがままだ。
「荷物、どうするの。まさか中学生のカバンを持ったまま、三十分待ちぼうけ食わされるのか?」
「荷物は家に持ってって。家政婦が誰かいると思う。渡してくれれば良いから」
「あのさ、薫子」
「どうせ魔法で飛ぶんでしょ。持ってってよ」
陣は何も言えなくなって、渋々ドアノブから手を離した。
「三十分、きっかりだよ? 延長は無し」
「延長は無し。勿論」
薫子は強引だ。
「大河、入ろ」
呆れ顔の陣を尻目に、僕は押し込められるようにして、薫子と喫茶店の中に入った。
随分古めかしいが、清潔感のある店だ。客は疎ら。いらっしゃいませの声を浴びながら、薫子は慣れた様子でぐんぐん店の奥に行く。角っこのテーブル席に、僕らは向かい合わせで座る。
クリームソーダを二つ、それからケーキも二つ。ケーキは勝手に薫子が選んだ。
店員が注文を聞いて引っ込むと、薫子はホッとしたように息をつき、それからゆっくりと僕に顔を向けた。
「やっぱカッコいい。知ってる? いとこ同士でも結婚できるんだって。大河とはいとこ違いだから、全然オッケーってこと。ググっちゃった」
何を言い出す。
頭の中、どうなってんの。
僕は首を傾げ、先に出されていた水で口を潤した。
「そういう理由で陣を追い出したなら、僕は帰るよ」
「ま、待って。冗談。うそうそ。あんまりカッコよかったから、つい。そうじゃなくて、大河の存在、聞いてたけど、実際こうやって会えて嬉しくて。本当に白い竜の血を引いてるんだね。ゾクゾクした」
「それを確かめるために僕を襲ったの?」
「まぁ、半分当たり。もう半分は、大河がクズで弱くて頼りなかったら殺そうと思った」
「……そういうこと、堂々と言わない」
「厳しい顔されるとキュンキュンする。フフッ」
テーブルに両肘を付き、両手で口元を隠す薫子は、それだけ見れば確かにお嬢様だった。
……が、口から出てくるのは物騒な言葉や粗暴な言葉ばかり。何だか、僕に似てる。わざと粗暴なフリをする。
「部活とか、塾とか、あるんじゃないの? 学校帰り、いつもこうやって陣に奢らせてる?」
「部活も塾も習い事も、今はやってない。悪魔討伐で忙しいから」
「そんなことに時間割いてないで、学生生活満喫すれば良いのに」
「ちゃんと成績上位キープしてる。模試の結果も申し分ない。生徒会はやってるよ? 書記だけど」
「学校、楽しそうだね。進学したい高校も決まってるの?」
「まあね。……って、あたしのことなんかどうでもいいじゃん。大河の話、聞きたい」
薫子はニコニコしている。毎日充実している薫子の様子が見えて、何だかとても、ほっこりした気持ちになる。
「僕は、中学を卒業してない」
ぼくは努めて笑顔で言った。
薫子は、ハッとした顔をして息を呑んでいる。
「中学二年の夏に、“穴”に飛び込んだ。それきり、今日こうやって干渉するまで、リアレイトには戻って来れなかった」
クリームソーダが二つ、運ばれてくる。
シュワシュワと炭酸の弾ける小さな音が、やたらと耳の奥に響く。
「君も知ってるとおり、僕はそれから三年二ヶ月眠り続けた。そこにあるべきだったものを、僕は全部失った」
結露の付き始めたクリームソーダのグラスを手に取る。上に乗っているアイスを崩しながらひとすくい。口に頬張ると、何とも言えない甘さが広がった。
アイスなんていつ以来だろう。
「薫子、溶ける前に食べないと」
「あ、う、うん」
「自分のことを知った日に、僕はもしかしたらいずれ学校に行けなくなるんじゃないかと思ったんだ。学校は義務で行ってた。いじめられてたし、友だちも居なかった。親に心配掛けたくなくて、何事もない振りをして通ってた。中学は三年間我慢すれば卒業できるから、高校になったらあんなヤツらと関わらなくても良くなるでしょ。毎日毎日嫌がらせはされるけど、死にたくなる程酷いいじめって訳でもなかったから」
薫子はしまったという顔をして、クリームソーダのアイスを崩している。緑色の炭酸が、どんどん白濁していくが、なかなか口に運べないらしい。
「僕は、クズで弱くて頼りなかった。今、君に見えている僕は本当の僕じゃない」
一息ついて、クリームソーダをストローでひと飲み。美味い。
やっぱり、このアイスの混じったのが好きだ。
……と、薫子を見ると、まだ一口も飲んでない。
アイスはとうに崩れて、メロンソーダの底に沈んでいる。
「ごめん。気を悪くしたろ。僕の話なんて、暗いのばっかだよ。聞いててもつまらないと思う」
薫子は深くため息をついていた。
ストローで白濁したクリームソーダを掻き回し、ようやく飲み始めた。
何度か息をつきながら飲んで、それからストンと、手をテーブルの下に落とした。
「そうだよね。眠ってたんだもん。二つ上だし、高校生だって認識が頭のどこかにあって、『モテモテでしょ』なんて、無神経なこと言っちゃって、ごめんなさい」
「謝らなくてもいいよ。どのみち、僕はこの世界では生きていけないんだから、学歴なんてどうでもいいんだと思う。レグル語の読み書きは出来るようになってるし、魔法の精度も上がってる。そっちの方が大事なんだ」
「でも! ――無神経だった。あたし、大河のこと勝手に」
薫子はうつむいたまま。
僕は、クリームソーダの残りをいただく。アイスを平らげて、ソーダを啜り、最後に残されたサクランボを食べて、種と軸を、氷の上にポトンと落とす。
「学校、行きたかった?」
薫子がボソッと言った。
「行けるならね」
「“神の子”の使命に目覚めたからレグルノーラに行ったんじゃないの?」
「使命?」
「レグル様が幽閉されて、再び混沌としてしまったレグルノーラに平和を取り戻す」
「ああ。……そういう」
忘れてた。
一般的には、古代神教会は悪者になってたんだ。古代神レグルの化身を幽閉した、ヤバい組織って認識。神の子は、レグルの意志を継いで世界を平和にするために存在する。
「そういうんじゃないよ。単に、力が強くなってって、僕がどんどん人間じゃなくなってったから。こうして僕が人間の姿で“こっち”に干渉できてるのも、“向こう”で僕の力を押さえてくれてる人がいるからなんだ」
途方も無い話に、薫子は理解が追いつかない様子だ。
無理もない。
こんなの、誰にも分かりっこない。
「日常を大切にした方が良いよ。薫子には、生きていく場所があるんだから」
「日常? あたしにとっての日常は」
「失ってから気付いても遅いと思う」
薫子は、眉をハの字にして僕を見た。
「元に戻らなくなってから、大切だったものを守ろうとしても、遅いんだよ」
君にこの意味が分かるだろうか。
あの日の雷斗には分からなかったけど、今の君には、どうだろう。
薫子は押し黙った。
溶け出した氷が、グラスの中でカチンと音を立てた。
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