10. 破壊と混沌/慈悲と安寧
昼下がり、書斎に籠もり、父さんの書いたレグル語のノートを読み漁る。
僕がノートを漁っている間に、父さんはパソコンに保存しているファイルを確認していた。出来れば紙かタブレット端末のようなもので読みたいと伝えると、可能な限り期待に応えたいと思ったのだろう、黙々と作業を続けてくれている。
「リサとアリアナに見せて貰った魔法学校の教科書より、詳しく書かれてる。雷斗に見せたら発狂するかも」
いつだったか、雷斗が半泣きで訴えていたのを思い出す。
「雷斗に?」
画面から目を離さずに、父さんが言った。
「ゲートの研究とか、レグルノーラの文化の研究とか、したかったんだって。父さんの方が行動力、あるね。雷斗がやりたかったこと、既にやってたんだ」
父さんはあははと笑う。
「本当にやりたいことがあるなら、周囲に反対されてもやるんだよ。時間を使って、命を削ってやり続けるはずだ。雷斗には……、そこまでの覚悟がなかったんだろう。単に、居場所を探してたのかも知れない。中途半端に終わらせたなら、それは雷斗の居場所じゃなかったんだ」
なるほど、父さんの言葉には重みがある。
伊達に二十年以上、レグルノーラに干渉してない。
「父さん、まさかレグルノーラに骨を埋めようとでも思った?」
妙な提案をしかかった父さんに、牽制の意味を込めて訊く。
カチカチとマウスをクリックする音がしばらく響く。
「お前ら親子にだけ全てを押し付けて、自分はリアレイトで平和に暮らしてるなんて、辛いだけだ。私だって干渉者の端くれ。なんだってやるつもりだ」
「……父さんの気持ちは分からないでもないけど、実現不可能なことを手段として考えるのはやめて欲しい。結局、口先だけってことになるでしょ。それとも父さんには、全てを失う覚悟があるわけ?」
「……いや、やっぱり無理だな。私も雷斗と一緒だ。覚悟が足りない。――違う。覚悟がない。すまない。軽率だった」
父さんはそれきり、黙りこくった。
ぱらりとページを送る音さえ、大きく聞こえる。
マウスの音、パソコンの起動音。
時折、僕か父さんが、息をつく音。
何冊目かのノートに目を通していた僕は、ふと、ある文に目を留める。
《塔の魔女となるためには、要件を飲まなければならない。
全ての親族の命を絶つこと。親、きょうだい、子ども、ありとあらゆる血縁が、いずれ判断を鈍らせる材料となる。
塔の魔女は、生涯家族を持ってはならない。
塔の魔女は、世界の平和と安定の贄である。
私利私欲のために、権力や魔法を使ってはならない。》
塔の魔女、だけなのか。
違うな。
この世界は、全てにおいて、そういう風に作られている。
例えば救世主だった凌とか、……僕とか。
全てを奪われ、失ってしまうのと引き換えに、世界の平和は約束される。
――『レグルノーラには、『何かを手に入れるためには何かを失わなければならない』ということわざがあります』
ウォルターが教えてくれたことわざは、決して大袈裟じゃなかった。
この世界の真理だった。
――『自己犠牲は一見、美しく見えます。しかし、そうやって手に入れたものは、とても脆く、壊れやすい』
どうして
ページをめくる。
記述は、世界を救うために異世界・リアレイトから召喚されるという救世主のことに変わっている。
“召喚”と父さんは訳したようだが、“干渉”の間違いだろうか。
凌は自分の意思で干渉していたんじゃないのか? 招かれた? 誰によって?
《目覚めよ。
世界を救う者よ。
全ての災厄を払うため、己の全てを擲つのだ。
血肉は世界の礎となり、命は世界の源となる。
偉大なる竜の屍によって創られた大地に、その骨を埋めよ。
清らかなる水と光が世界を包むとき、白き竜が慈愛と永遠の安寧を齎すであろう。》
……“白き竜が”。
前後のページを確認し、出典を探す。
「帆船に、あった本」
「ん?」
「帆船にあった本は、湖に沈んだんだっけ。……ここの記述、父さんの要約だけじゃなくて、本文、読みたいんだけど。無理か。回収不能だもんね」
父さんに該当のページを見せる。
眼鏡の奥で、ちょっと顔をしかめたあと、「もしかしたら」と、父さんは言った。
「古代神教会にも、あるかもしれない。かなり古い本だったが、綺麗に製本してあった。司祭に問い合わせれば、何かしら教えてくれるかもしれないな。――気になるところが?」
「あ、うん。白い竜については大抵、“破壊と混沌の”って枕詞を付けて書いているのに、ここには“慈愛と安寧”って。古代神レグルのことなのか、そうじゃないのか、ちょっと気になって」
「なるほど」
言いながら、父さんは僕にノートを返した。
僕は、戻ってきたノートに、再び目を落とす。
「白い竜については、私も色々調べた。帆船で読んだ本、塔にあった本、干渉者協会で被災を免れた本、片っ端から読んだ。ドレグ・ルゴラは恐ろしい破壊竜であると、その記述はどれも一致していて、疑いようがなかった。しかし、伝説の、レグルノーラを作ったとされる半竜の神についての記述には、かなりのブレがある。一方では創造の神、一方では破壊と再生の神。白い鱗の竜は自然界には存在しないらしい。人知を超える存在として神が遣わしたと崇め称える人々が、“偉大なるレグルノーラの竜”という意味を込め、かの竜を“ドレグ・ルゴラ”と呼んでいたそうだ。実はあの名前、恐怖の魔王とか、化け物とか、そういう意味じゃないんだよ。崇め奉るに相応しい、綺麗な呼称なんだ。なぜ偉大な竜が破壊竜と呼ばれるようになったのか……」
“ドレグ・ルゴラ”、“偉大なるレグルノーラの竜”。
破壊と混沌。
慈愛と安寧。
破壊と、再生……。
「古い記録になればなるほど、白い竜が破壊竜であると断定する記述が減っていく。あくまで白い竜は、神話にしか存在しない創造神だったようだ。だが、時代が進むと、白い竜と破壊竜はイコールで繋がれる。ドレグ・ルゴラが猛威を振るい始めた辺りだ。……どこかで何かが狂って、破壊行為に及ぶようになったのか。それとも、徐々にそうせざるを得なくなっていったのか。白い竜とは、本当は何者なのか。恐ろしい存在なのか。大河はどう思う?」
父さんに訊かれ、少し考える。
恐ろしい存在……?
「どうかな。分からない。人間を襲うから恐ろしい存在だと言うなら、そうなんじゃない? あの名前のない白い竜に、救われる要素はない。救いの手が届かないんだ。恐ろしい存在と言うよりは、憐れな存在だと思う」
「憐れ、か。まるっきりの悪じゃないってことか?」
「今のところの話だよ。僕が見ている限りでは。迫害され、追われ続けて、相当酷い目に遭ってる。……彼は、ただ生きるのに必死なだけに思える。生きるために殺しまくってる。僕も同じ環境で育っていたなら、同じようになっていたかも」
「なるほどな。育った環境に、性格は影響される。人間も、竜も。もし、かの竜がまともに育ったなら、破壊竜にはならなかった可能性もあるのか」
――光と闇は表裏一体。
……白い竜の神様が怒ってる。
何か掴めそうな、まだ、掴めていないような。
「生まれた時から破壊竜って訳じゃなかった。何もかも上手くいかなかったんだ。誰も、あいつを理解出来なかった。理解しようとしなかった。……あんなに苦しそうに生きてるのに、あいつだけが悪だなんて思いたくない。僕は、過去を見過ぎた。あいつに傾倒し過ぎてる。悪いけど、これ以上僕に訊いても、あいつを擁護する発言しか出来ない」
「それも……、そうか。すまんな。余計なことばかり」
父さんはまた、謝った。
壁掛け時計は午後二時四十分を指していた。
そろそろ、陣が戻ってくる時間だ。
僕はおもむろに立ち上がり、父さんにノートを返した。
「なぁ、大河。来澄は本当に、ドレグ・ルゴラに呑まれそうなのか?」
ノートを受け取りながら、父さんがぽつりと言った。
「あいつがそうやすやすと闇に呑まれる訳がない。あいつが隠してる何かを、お前は見たんじゃないのか? 私達は何か大切なことを見逃してないか?」
僕は、父さんを見なかった。
父さんに渡したノートに目を落としたまま、
「でも凌は、確実に僕を破壊竜にしようとしているし、世界を壊す準備に入っている」
そう、答えるしかなかった。
*
約束の時間が迫ると、きっちり陣は戻ってきた。
僕は髪と目を黒く染め直し、再び凌に似た姿に変わる。
「最近、魔法の精度上がってない? 竜化も人化もスムーズだし。なんか怖いな」
陣は戻ってくるなりそんなことを言って、僕をムッとさせた。
「眠っていた時間は長いけど、陣よりずっと長い時間を生きてる感覚なんだよ。嫌でも上手くなる」
へぇと、陣は関心があるようなないような反応をする。
「じゃ、大河借りるよ。シバ、悪いけど雷斗が来たら待たせといて。なるべく早く済ますから」
玄関先で軽く挨拶を交わし、僕は陣と家を出た。
今日は本当にいい陽気だ。
久しぶりの陽の光に、頭がクラクラする。
パタンと玄関ドアが閉まったところで、陣は真顔で僕の正面に立った。
やたらと濃い紫色は、疑念の色だ。
「レグルノーラに戻って、君の数値変化をビビに確認した。思いのほか安定してるらしい。いわゆる、高止まりだけど」
「そうなんだ。良かった。竜化や怪我で、向こうの僕が暴れてやしないか不安だったんだ」
「嘘だな。知ってるくせに。向こうじゃ何も起きてないって」
陣を無視して通り過ぎようとしたのに、前を塞がれる。
右にも左にも行けそうにない。
「薫子を待たせることになるよ。行かないの?」
「薫子の学校には転移魔法で飛ぶ。それより、ひとつ確認。あの技、何だ」
「あの技?」
首を傾げる。
身に覚えがない。
「身体の一部だけ竜に変える、急速に竜化した直後に人間に戻る。いつ、あんな技を身に付けた。昏睡から目を覚まして、君は数回しか竜化してない。
「あぁ、それね」
あんなもの、技と言えるのかどうか。
「ドレグ・ルゴラがやってたんだ。あいつに出来ることは、僕にも出来る」
敢えて僕は、名前のない白い竜をそう呼んだ。
陣の心が、氷つくのが見える。
陣は何か言いたげだった。
でも口にしたらいけないと、必死に言葉を呑みこんでいる。
「そんなことより、転移魔法。薫子、待たせたらご機嫌損ねるんだよね?」
僕はニッと口角をあげ、陣の肩をポンと叩いた。
陣は何を感じ取ったのか、顔を強ばらせてブルッと身体を震わせていた。
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