8. “悪魔”と“穴”
テーブルを片付け、一息つく。
楽しかった食事の時間はあっという間だった。
僕は食卓のいつもの席で、リサと陣、父さんはソファの方で少し寛ぐ。
リサは昼の情報番組に釘付けになっていた。テロップの文字や、頻繁に挟まるCMにカルチャーショックを受けているようだ。人の色恋沙汰で番組を構成していること、小さな事件、気象情報なんかにも興味があるらしかった。
陣はその隣にどかっと座って、「リサ、君、面白いね」とご機嫌だった。
で、それを向かい側のソファで、父さんが呆れ顔で見ているという、何とも妙な構図だ。
「久々に家に帰ってきて、どう? 干渉……って形ではあるけれど、やっぱり帰ってくると何か違う?」
テーブルの上にトンと麦茶を置いて、母さんは自分の席につく。
僕は差し出された麦茶に手を伸ばし、少しだけ口を潤した。
「うん。死ぬ前に食べたいのは、母さんの料理だなって思った」
母さんはプッと小さく吹き出して、ニコニコしながら僕を見た。
「何それ。あんたが私より早く死ぬわけないんだから。褒めるにしては酷い喩えね」
「レグルノーラの料理も美味いけど、何か違うんだよ。僕は結局、この味で育ったのかなって」
「そりゃそうよ。大河がうちの子になった日から、ううん、もうちょっと前から、大河はずっと私のご飯食べてたんだもん。……で? 一人で食べてる? 幽閉? あんまり言いたくないようなことがたくさん起きてるってことは何となく分かる。哲弥も、本当は色々知ってるくせに全然喋らないし、私は行くに行けないし。でもホッとした。大河が元気でいてくれて」
「うん……、ありがとう」
芝山家にいた頃の僕と、今の僕は全然違う。
見た目もそうだけど、中身も。
悲しませたくないから、余計な話はしないようにする。
「それにしても、レグルにそっくり。真っ白なんだもん、びっくりしちゃった」
「え? あ、うん。――変、だよね。こんなの」
両手で白い髪の毛を隠すようにして頭を抱え込むと、母さんはカラカラと笑った。
「全然そんなことない! 似合ってる」
「似……合ってる?」
「わざわざ髪の毛白く染めてる人もいるじゃない。中学生じゃないんだから、髪なんて好きにすれば良いのよ。
今は多様性の時代でしょ? 陣君が変な気を遣って、髪を黒くするよう言ったのかも知れないけれど、髪の毛が白くったって、目の色が明るくたって、そんなの、ファッションです~で誤魔化すから平気なのに」
「――おおっと、怜依奈。今、僕のことディスったね?」
ソファの影からヌッと立ち上がって、陣が会話に割り込んできた。
「人聞き悪いなぁ、陣君は。あくまで、親としての私の見解よ」
「それはご立派だけどね。世の中には、見た目で判断する連中も多いんだから、黒く出来るようならした方が良いって話。少なくとも、芳野家の人間と会うときは、身なり整えないと。あそこんち、やたらとうるさいから」
「芳野家? 陣君、美桜の実家とも繋がってるの?」
母さんが言うと、陣はこくっと深く頷いて、ゆっくりこちら側に歩いてきた。
「美桜のことで長い間交流があったんだ。で、今は美桜のいとこの薫子お嬢様のことで、社長の泰蔵氏に相談受けてて。薫子も干渉者なんだけど、自分より強い相手の言うことしか聞かない、超絶我が儘な社長令嬢に育っちゃってさ。大河なら年も近いし、薫子よりずっと強いだろうから、良い話し相手になるかなぁと思ってたわけ。あとで引き合わせるつもりだったのに、薫子のヤツ、学校抜け出してわざわざ大河に会いに来たんだよ。そしたら、大河のことめちゃくちゃ気に入っちゃって」
「……みたいだね」
「大河、泰蔵氏にも紹介することになってるから、身構えといてよ。あ、今日じゃなくて別の日で。アポ取っとかないと、あの人、捕まらないんだ」
「マジか」
世界的電機メーカーの社長と親戚だなんて、本当は喜ぶべきなんだろうけど、イマイチ良く分からない。
「美桜の親戚にも干渉者がいるの?」
母さんは目を丸くした。
「遺伝するのかも知れない。美桜の母親も干渉者だった」
父さんが一言添える。
「そういうわけで、強い力を持った薫子は、“悪魔”討伐に精を出している真っ最中。泰蔵氏は、やめさせたいようだけど、薫子は親の言うことすら聞かなくなってしまった。大河は親戚だし、協力を仰げないかと泰蔵氏に頭を下げられちゃったんだよ」
陣はグルッとソファの後ろに回り、食卓のところまでやって来て、空いている椅子を引っ張り、ドンと座った。
「資金提供して頂いている義理もあるし、僕は頷くことしか出来なかった。大河、悪いけど頼むよ」
「……なるほど、そういうことなら」
断る理由はなかった。
ただ、あの様子だと説得まで時間がかかりそうだけれど。
「ところでさ。“悪魔”って……、何?」
陣と父さんを交互に見ながら、僕は恐る恐る聞いてみた。
と、急に二人は目をそらし、言いたくなさそうにする。
「さっきからちょいちょい話に出てるけど、“悪魔”がどうの、“穴”がどうの。レグルノーラでの出来事はリアレイトにも影響するんだよね? もしかして、僕が原因で、こっちにも何か悪い影響が出てた、とか……?」
二人とも、わざとらしすぎる。
流石にただならぬ空気と感じ取ったのか、リサもテレビの電源を切り、ソファの背もたれから身を乗り出し、僕らの方を興味津々に覗き始めた。
「話すと長くなるから、僕かシバの記憶、見る?」
陣はまた、説明から逃げようとした。
「別に見ないよ。どんだけ話したくないの?」
「いやぁ、話せば長くなるから」
「陣が話すから長くなるんだろう? ……仕方ない、私が話そう」
観念したように、父さんが深くため息をついた。
僕らは一斉に、父さんに注目する。
「大河は“悪魔”の話をどこかで聞いた事があるか?」
僕は「多分」と小さく頷いた。
「レグルノーラで“悪魔”とは、悪意を持って異世界から干渉してくる干渉者や、その悪意が生み出す魔物のことを指す。二つの世界から溢れ出した感情のうち、主に負の感情が、二つの世界の狭間にある“湖”に零れ落ち、溜まっていくと考えられている。“悪魔”は“湖”から生み出され、もうひとつの世界へ侵攻してくるということがだんだん分かってきた。人口の多いリアレイトからは日々大量の負の感情が零れ落ちている。そして、“湖”を徐々に黒く染めている。蓄積された負の力は、魔物に姿を変えてレグルノーラを侵攻する。同じことがリアレイトでも起きている」
どこかで聞いた。
確か、ジークもその場にいたような。
「恐らく、“神の子”を巡る一連の騒動によって蓄積された悪意が、リアレイトに溢れ出していると考えるのが妥当だろう。単なる“ゲート”に過ぎなかった場所に“穴”が空き、“悪魔”が姿を見せるようになった。干渉者が手分けして“穴”を塞いだり、“悪魔”を倒したりしているが、一向に収まる気配がない」
「それが、“悪魔”討伐」
こくりと、父さんと陣が頷く。
「力のある干渉者にしか対処できない。大抵の干渉者は、レグルノーラに無意識的に介入する程度の力しか持ち得ない。そもそも、リアレイトで力を使える干渉者の数は極端に少ないんだ。私も討伐には参加しているが、終わりが見えず、気が滅入る。レグルノーラの混沌を解消しなければ、リアレイトに未来はないのかも知れない」
「つまり、僕が全ての石柱を破壊して――ってこと? 結局、そこに繋がる」
僕はぐしゃっと頭を掻きむしった。
凌に眠らされていた三年二ヶ月が恨まれる。
ただ、あのまま、あの弱っちい僕のままじゃ、凌に挑めなかった。今もまだ、挑めない。
悔しい。
どうして僕は、こんなに非力なんだ。
「あと一年十ヶ月だなんて悠長なこと、言ってられないじゃないか。要するに、早く解決しないと、リアレイトの干渉者達も持たなくなるってことだよね」
「そう……、なるな」
「杭の場所、塔は全部把握してる?」
「しているが……、半分は森の中だ」
「森?」
「未開の森。人間が足を踏み入れることの出来ない森の中。野生の竜や魔物の住処に、六本。何も知らない動物達が石柱に触れて魔物化しているかも知れない。ただでさえ危険な場所だ。どうやって対処したら良いのか、見当も付かない」
未開の森。
恐らく、名前のない白い竜が育ったような、深い森の中。
竜化して一気に砕くこれまでのやり方は、狭い森の中では使えない。
だとしたら、全く違う方法を森に行く前に編み出しておかなければならなくなる。そして……、神教騎士団や市民部隊には一切の協力を仰げなくなる。
「大河、大丈夫?」
母さんに顔を覗き込まれ、僕はハッと我に返った。
「だだ大丈夫。何でもない」
誤魔化しきれないのを分かっていて、とりあえず誤魔化す。
怖い顔、してなかったよな?
「と、ところで、薫子の下校って何時? 陣は知ってるの?」
無理矢理話題を変える。
陣はそういえばと、スマホを取り出し時間を確認していた。
「ちょっと待って……。えっと、今日は木曜だから、十五時。あと一時間ちょっとか。その前に、一旦レグルノーラに戻るか……。合間に仕事しないと間に合わないくらい忙しいんだよ、ホントは」
「本業の方?」
「そーゆーこと。十五分前くらいには戻るよ。そしたら大河、悪いけど、薫子の学校、付き合えよ」
「分かった」
じゃあなと軽く手を振って、陣が消えた。
いつもあんな感じで気軽に干渉してるのか。タイミング合わせて帰って来れるって、実はかなりスキルが高いと思うんだけど。
「大河、モテモテじゃない」
陣に感心してぼうっとしていた僕の耳に、母さんの変なセリフが聞こえてきた。
「モテモテって何」
「薫子ちゃん? 慕われてるって? 雷斗君も会いたがってるから、早めに用事済ませてね」
「あぁ! そうだった……。軽く話すくらいで終わればいいけど……」
「大河の集中力、持ちそう?」
「うん。それは大丈夫。リサは?」
顔を向けると、リサはドキッとして肩を震わせている。
「え……、えっと……。実は、そろそろ大変になってきて。戻らせて貰った方が良いかも」
気丈な振りをしているようだけれど、リサの杏色に濁りが出てきている。さっきから、会話には混じらないし、ぼんやりしているのが気になっていた。
限界か。
普通は持って数時間。常時干渉しているシバが特別扱いされる理由はそれだ。
「無理しないで戻っていいよ。父さんもいるし。陣も戻ってきてくれるし」
「うん。そうする。怜依奈様、ごちそうさまでした。じゃ、大河君、あっちで」
リサも消え、芝山家には僕達家族だけが残った。
急に静かになる。
乾いた喉に麦茶を流し込む音さえ聞こえる程に。
「大河、お前は戻らなくて大丈夫か?」
父さんがソファからおもむろに立ち上がった。
「大丈夫。疲れはないよ」
「そうか。だったら少し、話がしたい。二階に上がれ」
少し険しい顔。
さっきからずっと、みんながいなくなるのを待っていたらしい。
『やっと二人きりになれる』という心の声と一緒に、安堵のため息が漏れ聞こえた。
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