7. ただいま

「薫子にはビックリしただろ?」


 土手を降り、住宅街へと入った辺りで、陣が言った。

 僕はそうだねと乾いた笑いで返す。


「良家のお嬢様なんだけど、可愛がられすぎたのか、性格が歪みまくってて。それだけならまだいいんだけど、干渉能力が発動してからは手が付けられなくなったって、泰蔵氏から相談があったんだ」


 平日のひと気のない住宅街、何の話をしていても聞かれることはまずないだろうと、陣は無防備に話をする。

 僕もどちらかというとそれには賛成で、うんうんと相づちを打ちながら隣を歩く。

 父さんは一歩前を、リサは僕らの後ろを。父さんは何かに警戒するように、左右を頻繁に確認しているようだ。


「ヨシノデンキと陣の関係は? ていうか、そもそも美桜が消えたのに、どうして陣が芳野家と?」


 合点がいかないのはその辺りだ。

 ああそれねと、陣は続けて話してくれる。


「前に協力者の話、しなかった?」

「協力者? それが、ヨシノデンキの社長?」

「そう。だいぶ長い付き合いになる。美桜が四つの頃からだから――、三十年以上? 母親を失った美桜を、泰蔵氏は引き取った。でも、美桜は泰蔵氏に全然懐かなかった。僕はレグルノーラで、ディアナ様の姪とともに美桜を支えていたんだけど、それだけじゃどうにもならなくなってね。リアレイトに干渉して、何度も泰蔵氏と話を続けてきたんだ。まだ若造だった僕が何度も何度も懲りずに訪ねていくもんだから、泰蔵氏もだんだん事実を受け入れるようになってきて。そのうち、色々と話をするようになった。本当にだんだん、だったよ。大事な妹の命を奪ったレグルノーラという世界も、干渉者という不可解な存在も、泰蔵氏にとっては受け入れがたいものだったから。

 十五年くらいかかったかな。泰蔵氏が、干渉者の力と異世界の存在を認めるまで」


 歩きながらチラチラと陣の顔を見る。

 リアレイトに何度もやって来ては、大伯父に突っぱねられる陣の姿が見える。


「十五年も。長いね」

「長かった。子どもだった僕も大人になった。美桜のことで手一杯で自分の後継者のことすら考える余裕のなかった泰蔵氏が、ずっと彼を支えてきた秘書の女性と結婚したのは、美桜が大人になってからだった」

「へぇ……。年を取ってから出来た子どもだから、薫子は甘やかされた?」

「そうだね。泰蔵氏はかなり甘やかしてた。奥さんは……、薫子にだいぶ厳しかったみたいだよ。習い事、結構させられててさ。ピアノ、書道、ダンス、英会話、あと空手だったかな……。薫子、負けず嫌いで努力家だから、大体パーフェクトにこなしちゃうんだ。そんな薫子に干渉能力が発現したのは、五年くらい前だったかな。泰蔵氏に相談されたんだ。『もしかしたら、薫子も干渉者かも知れない』って」


 雷斗と同じように、薫子もまた、干渉者に対して否定的な立場を取ってきた人間の子どもとして生まれてしまった。

 ただ、薫子の場合は、ある程度父親がその存在を認めている状態だったようだけど。

 なかなかに、運命は皮肉だ。


「干渉能力は遺伝するんだっけ。……ってことは、芳野家も、先祖の誰かが干渉者だったのかな」

「そうかも。流石に確認しようがないけどね」


 話しながら歩いているうちに、家がどんどん近くなってきた。

 僕の通学路。

 教科書のぎっしり詰まった重い通学カバンを背負い、義務で通った中学校。友だちも居なくて、良く虐められてたっけ。茶髪だ、目の色が変だ。……今となってはくだらない。そんな価値観でしか人間を判断できないようなヤツは、そもそも相手にすべきではなかった。

 不安定なこの力がどんどん膨れ上がってきていたあの頃。僕が魔物や神教騎士に襲われたりしないように、父さんが、通学路のあちこちに結界を張っていた。結局、僕は見つかって、追いかけられたり襲われたりして。

 懐かしい。

 この道を、またこうして歩くことが出来るなんて。

 小路を曲がった先に、民家の屋根からはみ出して、大きな桜の木が見えた。


「あれ? 大河?」


 気付いたときには、僕は駆け出していた。

 桜の木。

 庭の真ん中に植えられた桜は、ずっと僕を見守ってくれていた。

 凌と美桜、父さん、母さんと一緒に見上げたあの日から――。






「――大河!!」






 開け放した玄関扉の前に、母さんが立っていた。

 顔を真っ赤にして、涙を浮かべた母さんは、息を切らしてるようだった。


「ただ……いま、母さん」


 僕も肩で息をしていた。


「さよならも言わずにいなくなって、ゴメン。やっと帰って……」


 最後まで言い切らないうちに、母さんが僕の胸に飛び込んでくる。

 そしてギュッと、抱き締めてくる。


「バカッ!! 勝手に飛び出して。どうしてやることなすこと全部、凌に似るのよ!!」


 確か僕より背の高かったはずの母さんが、いつの間にか小さくなっている。

 こんなに、小さかった? こんなに、か細かった?

 母さんの頭の天辺を見下ろしながら、僕は恐る恐る、抱き返した。


「ご、ゴメン。心配掛けすぎた。もう二度と戻って来れないと思ってたから……、ええと、本当にゴメン」

「ゴメンって思ってるなら、もう心配させるようなこと、やらないで。あんた達はいつもそうやって勝手に突っ走って。どれだけ……、どれだけ心配したと思ってるの? 大河……!!」


 母さんは、僕をなかなか離そうとしなかった。


「まさか、ずっと外で待ってたの? それとも父さんが、もう少しで着くって連絡してたのかな」

「気配がしたの」

「気配?」

「干渉能力なんか、とっくになくなってたはずなのに、大河が来たとき、急に気配を感じたの。凌と似た気配。でも、凌じゃない。大河だって直ぐに分かって、飛び出して来ちゃった」


 言いながら、母さんはようやく、僕から身を剥がした。

 母さんが視線を落とした先を見ると、足元はスリッパのまま。

 余程慌てたらしい。


「だいたい、お父さんが気を利かせて連絡してくれるわけないじゃないの。いつ来るのかも分からないから、ずっとソワソワしながら待ってたんだから」


 休みの日は化粧をしないはずの母さんが、今日は綺麗にしている。

 僕がいたときには、余裕がなくて玄関の隅っこには枯れ葉が引っかかっていた。庭の草だってあちこちボウボウだったのに、しっかり隅っこまで草むしりしてあった。

 それが何だかこそばゆくて、どれだけ僕のことを心待ちにしていたのか思い知らされて。


「ゴメン。だだいま。……お腹空いた。何か、食べるものある?」

「あるに決まってるじゃない! 腕によりを掛けて作りまくったから、たくさん食べてよね!!」


 涙を袖口で拭って、何ともない振りをした母さんは、スリッパのまま家の中に戻っていった。






 *






 

 家の中は、三年前、僕が飛び出した時から殆ど変化がなかった。

 テレビが買い替えてあったくらいかな。あとは、スリッパの柄が変わってた。

 リビングの配置も変化がなくて、ちょっとホッとする。


「陣君、相変わらず年齢不詳なんだね」

「怜依奈は大人の魅力が出てきた? シバは素敵な奥さん貰ったね」


 食卓に、来客用の椅子を足してランチの時間が始まる。

 唐揚げ、肉じゃが、ハンバーグ、それから芋煮まで。

 母さん方のおばあちゃんが山形の人で、ウチの食卓には秋口になると醤油味の芋煮がよく出る。それこそ、週に一度くらいのペースで、里芋と牛肉の美味しい芋煮を頂くのが定番になっていた。


「凄い……! こんなご馳走、見たことないです!」


 リサは特に感動して、目をキラキラさせている。

 思わぬ反応に、母さんは何だかとっても嬉しそうだ。


「大河、和食が食べたいかなと思って、漬物と、煮物も用意しておいたからね」


 感動の再会よりも、実は米が待ち遠しかったのかも知れない。

 炊きたてのご飯はつやつやしてて、おかずがなくても十分美味い。


「日本人は、やっぱ米だなぁ……」


 飲み込んだあと、思わず言ってしまった。

 母さんは顔を綻ばせて、うんうんと頷いている。


「もうちょっとしたら新米が出るから、そしたらもっと美味しいの食べれると思うわよ」

「新米。良いなぁ。向こうは米文化じゃないから、凄くありがたい」


 大皿から取った唐揚げも、タッパーのまま出された浅漬けも、本当に懐かしくて、食べてるだけでホッとする。


「怜依奈、料理上手だよね。あとでレシピ教えて。僕も向こうで作ってみる」

「陣君、料理趣味なんだっけ。良いよ。結構適当な味付けばっかりだけど。お醤油やおだしは向こうにもあるの?」

「あ~、そこは、アレだよ。こっちから持ってく。流石に醤油やだしは向こうじゃ買えない」


 母さんも楽しそう。

 父さんもあんまり喋らないけど、何だかニコニコしてる。


「戻ったら、また一人でご飯食べるのか。辛いな……。やっぱり、誰かと一緒に食べるのが良いよね」


 ふと、向こうでの生活を思い出して呟いてしまった。


「一人で、食べてるの?」


 母さんに言われてハッとする。


「あ、いや、その。……うん。そうなんだ。ちょっと色々あって、今は地下室から出ることが出来なくて。ででででも、決していつも一人って訳じゃなくて、監視……じゃなくて、えっと、見守って貰ってるっていうか、守って貰ってるっていうか」


 変にどもった。

 母さんは向かいの席から僕のことをじっと見て、プッと笑った。


「誤魔化すの下手なところも、凌に似るよね。髪の色、不自然だよ。どうしたの? 目はコンタクト? 凌のコスプレでもしてるのかと思った」


 ……――!!

 は、恥ずかしい……ッ!!


「じ、陣!! 君の口車に乗せられてまんまと髪の色変えたから!! やっぱり不自然じゃんかッ!!」


 箸と茶碗を食卓に置き、思わず陣を指さした。

 陣はお誕生席でニヤニヤしている。


「街に溶け込めってつもりで言ったんだよ。髪を真っ黒にしたのは、大河の調整ミスだろ?」

「赤っ、赤茶の髪は、それだけで目立つんだって!! だから君が言ったとおり、一般的な日本人のカラーリングにしたんじゃないか!!」

「髪の色だけで凌そっくりになるなんて思わなかったって話は、もう終わったろ? とりあえず、外では目立たなかった。薫子もこれが君の姿だって認識してたみたいだし、これからも……」

「あ! そうだ!! 薫子!! ……だから嫌だったんだよ。最初から、誤魔化さず自然体で行けば良かったのに」

「いちいち容姿で突っ込まれるのは嫌だろうなっていう、僕なりの助言のつもりだった。そのままの君で良ければ元に戻せば良いだろ」

「陣、君は他人事だと思って」


 食卓を挟んで言い争う僕と陣を、リサは困ったように見つめ、父さんはため息をつき、母さんはニコニコして見ている。


「まぁまぁまぁ、二人とも、変なことで言い争わない」


 母さんは小皿によそった惣菜を僕の方に差し出しながら、僕らをなだめるように言った。

 渋々、僕と陣は口を噤む。


「で? 事情があって、大河はわざと、変身術で姿を変えてるってことね」

「うん……、そ、そんな感じ……」


 小皿を受け取り、キャベツとキュウリの浅漬けを口に運ぶ。

 シャキシャキした葉っぱと丁度良い塩加減。


「半竜だし、鱗とか尻尾とか出てきちゃう? 美桜はレグルノーラに戻ると、竜の特徴が引っ込まなくて大変そうだったけど。大河も?」

「そこまでは……いかないけど。髪と目がちょっと……」

「その程度なら、家の中でくらい自然体でいたら? 外に出るとき気になるようなら、今みたいに髪を黒くする、とか。哲弥みたいに変態だったら、干渉先でずっと別の姿していられるんだろうけど、結構魔力消費するって聞いたし。あ……、でも、今の大河は凄い力持ってるんだっけ。容姿を変えるくらいじゃ、そんなに力使わないか」


 母さんが深く考えてものを喋ってる様子じゃないのは分かるけど。

 どう考えても普通じゃない、気持ち悪いと思われたら嫌だなって気持ちが先行する。


「髪の色が黒いと凌に似てるけど、戻すとレグルに似るんだ」


 黙って話を聞いていた父さんが、芋煮を啜りながらボソッと言った。


「レグルに?」


 隣で母さんが目をぱちくりさせている。


「髪の毛、色を戻して髪解いたら、レグルと瓜二つ」

「え? ホントに? 見たい見たい!!」


 かつては干渉者で、レグルノーラに入り浸ってただろう母さんは、今までの誰とも反応が違った。

 この状態で、元に戻さない選択肢はないよな……。


「び、びっくりしないでね?」


 箸と皿から手を離し、一旦深呼吸。

 目を閉じる。

 身体から、無理矢理ひっつけた色素を抜くイメージで……。


「戻った。いつもの大河君だ」


 隣の席でリサが言った。

 目を開けると、母さんが目を見開いて、僕のことをまじまじと見ている。

 けど、母さんの桃色には嫌悪感なんて混じってなくて、驚きの濃い黄色がチラッと混じっている程度。


「ホントだ! レグルそっくり。大河は今、こんな感じなのね? 良いと思う!」


 満面の笑みで答えてくれた母さんに、僕は心底ホッとした。


「私だけが本当の姿知らないなんて、仲間はずれみたいじゃない? 見れて良かった。ありがとう、大河」


 見たかった理由が、ただの好奇心だけって訳じゃなかったのも、何となく嬉しかった。

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