6. 大河と薫子
穴の空いた僕の右手を大事そうに両手で包み込み、リサは深くため息をついた。
自分の治癒力だけでは間に合わず、リサに魔法で傷を治してもらう。柔らかい桃色の光を浴び、右手と右肩の傷がどんどん塞がっていく。弾丸で砕けた骨が元に戻って、手のひらの傷口が閉じていく感覚に、若干の気持ち悪さを感じる。
「大河君、利き手が使えなくなったらどうするつもりだったの?」
一旦土手から河川敷に降り、僕達はベンチに座っていた。
リサは草地に跪く形で、ベンチに座った僕と向かい合い、治療を施してくれている。
いつも穏やかな杏色に、ピリピリとした警戒の黄色とイライラの赤を混ぜ込ませながら。
「えっと……、この程度なら治せるかなって。致命傷にはならなかっただろ」
あまり深く考えていなかったなんて言ったら怒るだろうな。
僕はあははと乾いた笑いで誤魔化した。
「そうじゃないでしょ。……もっと、自分を大事にしよう? 見てると辛くなる」
リサはムッとして、僕を睨んだ。
ちょっと前に、切り落とされた左手をくっつけたばかりだった。今度は右手。
無防備に傷ついてばかりだ。リサが怒るのも無理ない。
薫子に撃たれ、僕は大量に出血した。お陰で土手の上は血溜まりだらけ。発砲音をかき消しても、血の臭いですぐに通報されそうなくらいヤバい状態だった。
父さんと陣が魔法で上手いこと処理してくれているらしいけど、大丈夫だろうか。 土手道は朝晩、数人が犬の散歩で利用している。人間の目と鼻は騙せても、優れた嗅覚を持つ犬には見抜かれてしまってたりして。事件性を疑われるようなことにならなければいいんだけど。
返り血で汚れていた薫子の制服も、陣が魔法で綺麗にしてくれていた。
僕の服も、治療のあと、別の物に取り替えるつもり。
「もし避けてたら、薫子はもう何発か撃ってただろうし。僕の右手で済んだなら、それでいいかなって」
「よくないから言ってるの。……それに、その子。大河君のこと襲っておいて、なんでくっついてるのか、全然分からない」
リサの杏色が乱れる。
僕の左隣に座って、彼女よろしくべったりくっついている薫子が原因なのは明白だった。
「ジークさんが言ってたけど、大河君の親戚……? どうなってるの?」
「それは僕も知りたいところなんだけど」
チラッと薫子を見ると、彼女はニヤニヤと嬉しそうに僕にすり寄ってきた。
ブルッと寒気がする。
薫子は可愛い。
社長令嬢と言うだけあって、品はある。クセのない茶髪、端整な顔立ち。その辺の中学生と比べれば、明らかに可愛い部類だと思う。
けれど、僕は彼女の狂気染みた思考回路を覗き見てしまった。これが親戚? 赤の他人じゃないってのが、何とも。
「大河の彼女?」
薫子は悪びれる様子もなく、上目遣いに尋ねてくる。
「別に、そういうわけじゃない」
「なぁんだ。じゃ、もっとくっつこう」
彼女だと断言すれば良かった。
僕の言葉に安心した薫子は、今度は僕の左腕に自分の腕を絡め、頬ずりしてきた。
「薫子! ちょっ、困ッ!!」
流石にこれには僕も焦った。
リサもイラッとして、
「大河君から離れて。集中できない」
と怒っていた。
「焦った顔もカッコいい」
薫子は顔を緩ませ、ゴメンゴメンと言いながら、僕から少しだけ距離を取った。
「美桜の息子がこんなにカッコいいと思わなかった。ねぇ、モテるでしょ?」
「……別にモテないよ」
「うそうそ。こんなイケメン、女子がほっとくわけないと思うな」
何を言っているのか分からない。
薫子は僕を何だと思ってるんだ。
「のんきで良いね。それより薫子、学校は? 今日何曜日か知らないけど、平日だよね。中三つて聞いたけど。サボった?」
僕が聞くと、薫子はフンと口を尖らせた。
「別に良いじゃない、そんなの」
「良くないな。まだ昼前だよね。今からでも戻ったら?」
「ハァ? 何言い出すの? せっかく大河と会えたのに」
「学校抜け出して僕に襲いかかったわけか。とんでもないお嬢様だな。ご両親が聞いたら卒倒するよ?」
「どうでもいいじゃない、そんなの」
「そうかな。大事なことだと思うけど」
治療の光が弱まった。
手と肩の傷がすっかり塞がり、違和感もなくなった。
リサは手を下ろし、ゆっくり息をついてから「終わったよ」と小さく言った。
「ありがとうリサ。助かる。……まぁ、確かに無謀な戦い方はやめないとね」
「うん。そうして。幾ら竜の血が濃くても、こんな戦い方を続けてたら命が幾つあっても足りないよ」
丁度、父さんが追加で張った結界魔法も切れてきた。
父さんと陣が土手の上から降りてきて、こっちに向かってきているのが見えた。
「元に戻りました?」
リサが声を掛けると、父さんが「まぁ、どうにか」と歯切れ悪そうな返事をする。
「見逃しはないと思うが……、想定より範囲が広くて手間取った。今のところ、銃声で騒ぎが起きている様子もない。ギリギリセーフってとこかな」
魔法の存在しないリアレイトで連続的に魔法を使うことは、干渉者の負担になる。
本来なら、やらかした僕が責任持って修復までやらなきゃならないんだろうけど、そこまで集中力が回らないのが悔しいくらいだ。魔力は有り余ってるのに、まだ心に全然余裕がない。
「父さん、今何時?」
「十一時……二十五分。もうこんな時間か」
腕時計を見て、父さんがため息をついた。
「――だって。薫子、今からなら給食間に合うよ。戻りな」
「やだ」
薫子はぷいとそっぽを向き、頬を膨らました。
「学校なんてどうでもいいじゃん」
ベンチのすぐそばまで父さんと陣がやって来ると、益々薫子はご機嫌を斜めにした。
大人達に囲まれても、薫子は我が儘を通したいらしかった。
困った子だ。
僕に背を向けてベンチの左端まで移動した薫子を、僕はじっと見ていた。
中学三年生、多感な時期。
雷斗が伯父さんと衝突して“穴”に飛び込んだのも、やっぱり中三の時だった。
進路のことで悩んだ雷斗が自暴自棄になって凶行に及んだことが頭をよぎる。
あれから雷斗はどうしているだろうか。伯父さんが感謝してるって言ってたから、きっと和解してくれたに違いない。だけどそのために、多くの犠牲を払ってしまった。払うことのなかった多くの犠牲を。
薫子の父、美桜の伯父に当たる人は、以前は干渉者について無理解だったと誰かの記憶で見たことがある。この若さでこれだけの力を持っていて、しかも“悪魔”? を、三年間倒し続けてきたというのだから、薫子は相当な力を持っているはずだ。となれば、親と衝突することもあっただろうし、今もそうなのかも知れない。
けれど、だからと言って、薫子は僕のように全てを捨てる必要なんてないわけで。
「やらなきゃいけないことから逃げてるだけなら、協力なんてして貰わなくても良いから」
ボソッと言った僕の言葉に反応し、薫子はガバッと振り向いて困惑の色を出した。
「な、何それ」
「何それじゃないよ。学生の本分は勉強でしょ。学校、行きなよ」
「学校なんかより! あたしは“神の子”の大河と協力して“悪魔”を」
「そういうのは、やることやってから言いなよ。義務教育なんだし、勉強は出来るときにしておいた方が絶対良い」
勉強と連発する度、薫子のご機嫌は悪くなった。
フンッと鼻を強く鳴らして、薫子はベンチから立ち上がった。
「大河も私に勉強しろなんて言うんだ。“神の子”なら、“悪魔”を倒すとか、“穴”を塞ぐとか、そういう話をするもんだと思ってたのに。幻滅」
“悪魔”? “穴”?
どうやら父さんと陣に色々話を聞かなきゃならない事態になっていそうだ。
まぁ、それはそれとして。
「薫子、転移魔法使えるよね」
「話、逸らすわけ?」
「転移魔法で学校戻って、ちゃんと最後まで授業受けて。そしたら話を聞くよ。……もっとも、それまで僕の集中力が持っていればだけど」
「ちょっと大河! キミ、何なの」
「それとも、僕が君の教室まで転移魔法で連れてく? 教壇の真ん前に転移して、クラスメイトの前で『薫子が河川敷でサボってました』って言った方が良い?」
「な……ッ!!」
薫子は言葉に詰まって、悔しそうな顔をした。
川からの風は心地良いし、日差しも暖かい。サボりたい気持ちも分かる。
だけど、薫子。君は……。
「が……、学校、戻ればいいんでしょ」
薫子は歯をギリギリさせ、両手の拳をぎっちり握って吐き捨てるように言った。
「そういうこと。陣があとで連絡役になって、僕と引き合わせてくれるってことでいい?」
陣の方を見ると、何の相談も無しにと半ば呆れ顔でこくこく頷いている。
「分かった。郁馬、校門で待っててよね。絶対だからね……!!」
「はいはい。薫子お嬢様の仰せのままに」
興奮気味の薫子が、転移魔法でいなくなると、ようやく緊張が解けた。
父さんも陣もリサも、気が抜けたように大きくため息をつき、ベンチやら草地やらに座り込んだ。
「今の子、美桜の……、なんだって?」
父さんがベンチ前の草地で足を伸ばし、ぐったりと項垂れて陣に聞いた。
陣は一旦座っていたものの、そのままバタリと大の字に倒れ、仰向けのまま目をつむっている。
「美桜のいとこ。ヨシノデンキ社長、芳野泰蔵の一人娘。泰蔵氏は晩婚で、薫子が生まれたのは大河が養子に出される少し前なんだ。大河の二つ下。我が儘放題のとんでもないお嬢さんだよ」
「我が儘放題ってレベルじゃない。“悪魔”を倒して回る若い干渉者がいるとは聞いていたが。それが彼女か」
「そうそう。化け物相手にしてるときはめっちゃくちゃ生き生きしてるんだ。彼女、自分より強い相手に会ったことがないから、嬉しかったんだろうね。あんな力見せつけられたら、普通は萎縮するか、怖がって泣き出すかするもんだけど。大河が竜になったときは、正直終わったと思った。どうにかなったな。いやぁ……、疲れる……」
「ジークさん。薫子ちゃんは、レグルノーラにも来てるの?」
と、僕の隣に座ったリサが陣に聞く。
「ああ。あんまり好き放題やらないように注意してるけど、なかなか難しい。なにせあの性格だから、市民部隊とも一悶着あったしね。まぁ、このことはおいおい話すよ……。一度に情報を出し過ぎるのは良くない」
「そうしてくれ。頭がパンクする」
父さんも、かなり疲れたようだ。
そして僕も、だいぶ体力を持って行かれた。
「大河は大丈夫か。母さん、家で待ってるんだが」
「うん。大丈夫。父さん達が落ち着いたら、家に行こう。久しぶりに、ゆっくりしたい」
ぐったりした大人達を見て、僕は何だか妙な幸福感に浸っていた。
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