5. 狂気

 ヨシノデンキ。世界に名だたる電機メーカー。

 美桜がヨシノデンキの出だというのを知ったのは、三歳の頃の記憶を見たときだ。ひいじいちゃんの家に行ったとき、確かそんな話をしていた。それだって、今の今まですっかり忘れていたけれど。


「つまり、社長令嬢ってこと?」


 あの、狂気の塊みたいなのが?

 僕が首を傾げると、陣は困ったようにため息をついた。


「拗らせてるのが多いって言ったろ。しかし参ったな」


 整理しきれない頭をグシャグシャと掻き回して、陣は駆け足で薫子に向かった。

 薫子は土手道の上に座り込み、自分の胸元を掴みながら父さんの説教を聞いている。

 僕も急ぎ、薫子の方へ向かう。


「私の結界も万能じゃない。反応速度にも限界がある。間に合ったから良いものの」


 父さんは言葉を選んで薫子に注意していた。

 隣に寄り添うようにしてリサが薫子の背中を擦っている。

 けれど、当の薫子は好奇心の色を緩めていない。嫌な予感がする。

 僕は、彼女の一挙手一投足を注視する。


『何あれ。本物の化け物じゃん』


 薫子の心の声が僕の頭に直接響いてくる。


『凄い。アレだけ魔力を注いだのに、一瞬で呑み込んだ。本物の化け物。――最高』


 彼女は、僕をじっと見ていた。

 まるで獲物を狙う獣のような目。

 本当に社長令嬢? どう考えても、血に飢えたヤバいヤツにしか見えないんだけど。


『遠距離からの魔法攻撃はダメ。じゃあ、至近距離は? 邪魔者が多過ぎるけど、こいつら振り払って、至近距離で一発かましてみる?』


 薫子がのっそりと立ち上がった。


「もう大丈夫?」


 リサがのんきに声を掛けている。


「話はまだ終わっていない。君はどうしてあんなことを」


 父さんも父さんだ。

 薫子の狂気に気付いていない。


「薫子! 君はいつもそう……」


 陣もだ。

 ちょっとヤバいヤツくらいの認識か。

 違う。

 そいつは見た目より相当……。


「みんな、邪魔」


 バッと、薫子が両手を広げる。途端に風が吹き出し、リサと父さん、陣が吹き飛ばされる。


「った!! 何するんだ!」


 尻餅をついた陣が大声を上げた。

 薫子は無視した。

 無視して、僕をじっと見つめたまま、視線を逸らさない。


『こいつ逃げないんだ。面白い……!』


 ――薫子は、突然走り出した。

 勢い付けて僕に向かって、何かをぶん投げる。

 ジャリジャリジャリジャリッ!!

 鎖の音。

 音のした方に振り向いた、次の瞬間、僕の首に鎖が絡まっていた。


「うぐっ!」


 ギュッと鎖で首を絞められ、マズいと思ったその直後、ニヤニヤした顔で鎖鎌を僕に振り下ろそうとしている薫子が見えた。


「ヤバいッ!」


 咄嗟に右腕を竜化させ、分厚い鱗で攻撃を弾く。ガツッと鎌が当たると、薫子は悔しそうな顔をして再度斬りかかってきた。


「硬ッ!! 金属並じゃん!!」

「金属じゃない。竜の鱗」


 竜化で肥大化した僕の右腕に、薫子は動じなかった。それどころか興味津々に黄色を濃くし、鎖鎌で斬りつけてくる。


「無駄だって!!」


 その度に僕は腕を払い、薫子の攻撃を跳ね除けた。

 バキッと鈍い音。鎌の刃が折れる。

 けれど薫子は諦めない。

 折れた鎌を振りかざし、また襲いかかってくる。

 しつこい。

 どうにかしたいが、鎖が絡まったままでは埒が明かない。

 左腕も一瞬だけ竜化させ、僕は両手でブチッと鎖を引き千切った。

 鎖がバラバラになって地面に落ちる。

 自由になった首を数回振って、僕は何事もなかったように腕の竜化を解いた。

 服は破れたままだけど、それはあとで直すとして。


「チッ……! 怪力か!!」


 薫子は怒りに任せ、鎌をこちらにぶん投げた。


「危なっ!!」


 首を右に曲げ、鎌を躱す。

 ザクッと鎌が地面に刺さる音。

 直後、薫子の手に小型の拳銃が具現化される。


「マジか!」


 銃口がこちらを向いた。

 間合い数メートル。

 父さんの張った結界は、とうに消えかかっている。

 薫子が銃を撃てば、その音が辺りに響き渡ってしまうことになる。

 より強固な結界で周囲を覆わない限り、一般人の耳に音が届き、僕の存在と薫子の凶行が明るみに出るのは明白。

 結界を張らなきゃ。

 それとも逃げる? 至近距離から撃たれたら、致命傷は免れない。弾が貫通すれば? 貫通したとして、急所に当たれば死ぬだろう。普通の人間なら一発で。

 ――僕は?

 普通の人間じゃない。

 呪われた神の子が、こんなところで訳も分からず殺されることなんて許されるはずがない。


『さぁどうする?! “神の子”はこの距離でもあたしの攻撃を防げるの?!』


 薫子が引き金に手を掛ける。

 結界まで、気が回らない。

 クソッ!!

 僕は再度竜化させた右腕を思い切り伸ばし、拳銃を握る薫子の両手を銃ごとガシッと握り締めた。


「嘘でしょ?!」


 ――パァン!!

 銃声が鳴る。

 竜化した右手を弾丸が貫通し、そのまま右肩に当たった。

 手のひらから血が噴き出し、薫子に返り血が降り注ぐ。

 薫子の顔が、青い。

 好奇心の濃い黄色が一気に消え、彼女本来の茜色はくすみ、後悔と苦しみの紫と青に侵食されていく。


「大河!!」


 父さんと陣が僕の名を呼ぶ。


「来ないで!! 父さん、結界!! 陣とリサは目撃者がいないか確認して!!」


 僕は穴の開いた手で薫子の両手を掴んだまま、三人に指示した。

 血が、だらだらと流れ落ちていく。

 拳銃を持つ薫子の手が震えている。

 僕はじっと、薫子を見る。


「どう? 僕の血を見て満足した?」


 薫子の目が泳ぎ始めた。

 理解の及ばないものを見たときの動きだ。

 まさか逃げもせず、防ぎもせず、撃たせるようなことをするとは思わなかったんだろう。


「ここ、リアレイトだよ? 君、相当イカれてる」


 薫子は荒く息をし、それから口角を上げた。


「痛く……ないの? 悲鳴も上げないなんて」


 顔とセリフが合ってない。

 この子は……、特殊だ。


「痛みで頭がおかしくなりそうなのを我慢してるだけだよ。こんな危ないものを軽々しく具現化させて、しかも撃ってきちゃう君のことを、僕はどうにかしなくちゃならないからね」


 実際、肘から先の感覚が殆どない。血が止めどなく出て、頭がクラクラしてきている。

 止血しないと。傷口を塞ぐよう、イメージするんだ。

 ここで倒れてレグルノーラに戻るようなこと、あってはならない。


「“神の子”が“化け物”だって話……、本当だったんだ」


 薫子は目を爛々とさせ、僕を凝視している。

 その瞳に、右半身が中途半端に竜化した僕の姿が映っているのが見える。


「郁馬はキミのこと、気が弱くて優しいって評価してたけど、真逆だね。身体の一部だけ竜に変えるとか、凄い。しかも、攻撃を真正面から受けるなんて。普通じゃない。凄く……、面白い」


 恐怖の色より好奇心が勝ってきてる。

 何だこの子。


「褒められても嬉しくない。好き好んで“神の子”をやってるわけじゃないんだ。“化け物”なのは認める。僕もそう思う。けど」


 血だらけの手に力を入れると、傷口からぶわっと血が噴き出した。


「僕からしたら、君の方がずっと“化け物”だ。初対面で、何の動機もなく殺しにくるなんて。僕よりよっぽどタチが悪いと思うな」


 気力を振り絞り、僕は薫子の手の中の銃をむんずと奪い取った。

 反動で薫子はふらつき、倒れそうになる。


「薫子。どうして君は、自ら平和を乱すようなことをするの」


 傷つき、血だらけの白い竜の手の中で、グシャッと鈍い音がする。

 まるでペットボトルを潰すみたいに、僕を撃った拳銃がぐしゃぐしゃの鉄塊になっていた。

 ボトリと、血だらけの鉄塊が地面に落ちる。


「この世界を守るために、僕や凌がどれだけの犠牲を払ってると思う? 巻き込みたくないんだよ。何も知らない市井の人間が苦しむのを見たくない。怒りも力も必死に押さえ込んで、僕自身が世界を壊さないように注意を払いながらやっとこの場に立ってるってのに、君はいとも簡単にそれを壊そうとする。僕がどれだけ切望しても、得られない平穏な日常を、君はどうして蔑ろにする」


 ギリリと奥歯を噛んだ。

 僕はきっと恐ろしい顔で薫子を睨んでいる。そういう自覚がある。なのに。

 薫子は笑っている。頬を紅潮させている。

 まるで心の奥底から湧き上がる感動に打ち震えるように。


『何こいつ。今まで出会ってきた、どの干渉者とも違う』


 薫子の心が聞こえる。


『“神の子”。この状況でも、キミは世界の平和を願うわけ?』


 まるで何かが見えたかのように、薫子は目を見開き、満足げな顔をした。

 そして――跪く。


「ご無礼をお許しください」


 態度を豹変させた薫子に、僕はギョッとした。

 血だまりの出来た土手道に、薫子は片膝を付き、両手を胸に当てて僕を見上げている。

 何が起きているのか。

 僕は力の抜けた右腕の竜化を解いて、呆然と薫子を見た。


「“神の子”があたしよりずっと強くて、信じるに値する力を持っているのか、どうしても確かめたかった。もし、キミが肩書きだけでどうしようもなく弱くて頼りない男なら、正直死んでくれた方がマシだと思った」


 随分、正直にものを言う。

 平凡な女子中学生にしか見えない薫子は、どうやら自分の力に絶対的な自信を持っている。


「“神の子”が眠りに就いていたこの三年、あたしはずっと、リアレイトにまで溢れ出る“悪魔”を倒し続けてきた。破壊竜ドレグ・ルゴラが復活しようとしているんでしょ? “悪魔”はその前兆だって、郁馬が言ってた。世界の平和を願うのは、あたしも一緒。見ての通り、力ならある。あたしにも手伝わせて。キミが“神の子”として世界を救う手助けをさせて欲しい」


 唐突だった。

 それはあまりにも唐突で、僕はすっかり腕と肩の痛みを忘れそうだった。


「ちょ、ちょっと待って。一体何がどうなって。――陣!! 説明して!! この子、何なの?!」


 叫んだところで、陣はそばにいなかった。

 そう言えばついさっき、周囲に目撃者がいないか確認して欲しいって自分で頼んだんだ。

 困っている僕に、薫子は縋るようにして迫ってくる。


「いいでしょ? ねぇ!」

「え? ええと……」


『強いし、顔も好みだし。最高。凄んでる顔が堪らない。もっと、罵倒されたい……!』


 なんか聞こえた!

 キラキラした目でお願いポーズしながら、薫子はとても不純な動機で僕に近付こうとしている。


「ね、大河……だっけ? お願い!!」


 敵じゃないのは分かったけど、これはちょっと……。

 にじり寄るどころか、最後には抱きついてきて、僕はしどろもどろになる。


「ね、いいでしょ? いいでしょ?」

「あのさ、傷治したいからちょっと待って! 集中出来ない! ――リサ!! 助けて!!」


 さっきまで襲いかかって来た女の子に何故か抱きつかれている僕を見て、リサが血相変えて走ってきたのは、言うまでもない……。

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